第38話
文字数 2,765文字
「学院長は、まだ何かやってきそうなんですか?」
うーん、とガゼルは渋い声を出す。
「あの人には子どもの頃から嫌われてるんだよね、私もジーナも。まあ、私もこの間意地悪を言ったんだけど」
確かに学院長と向き合ったガゼルは、いつになくトゲのある言い方をしていたが、ガゼルやジーナが嫌われているのだとしたら、それは二人がきちんとそれらしく ふるまわないからではないかと、シノワは密かに思った。
百二十年生きてさえ、こんな風なのだから、ガゼルが子どもの頃悪ガキだっただろうということは想像が付く。そしておそらく、学院長はそういう子どもを好まない。
五年前、魔法が解放される前はガゼルもシノワと同じ十五歳だった。その頃の、悪ガキだったガゼルにも会ってみたかったと思う。
──体の記憶と精神の記憶の、とてつもない隔たりに混乱して苦しんでいたよ
「ガゼル、話があるんです」
シノワのいつになく神妙な面持ちを見ると、ガゼルは、魔女に何を吹き込まれた? と言ってニヤリとする。
「吹き込まれたんじゃありません。教えてもらったんです。魔法を封じることが大変だってこととか、クリフォードさんのこととか国の縛りについてとか、その、ガゼルがどうやって司祭になったか、とか」
「それで、魔法封じをやめようかって?」
「いえ、その……」
「君にはガッカリだよ」
シノワはぎょっとした。
「僕が魔法封じをやめるって言っても、責めたりガッカリしたりしないって言ったじゃないですか!」
「何にでも例外はある。魔法封じが大変そうだから、というならまだしも、理由が私やクリフォードのことなんかじゃガッカリだ。そんなものは少しも重要じゃない」
「どうしてそうなるんですか!」
何だかよくわからない理屈だったが、ガゼルは不機嫌そうにほおづえをつく。
「魔女の口車に乗るなって言っておいたのに」
「ジーナさんはガゼルを心配してるんですよ」
「知ってるよ。だけど、見た目はつやつやの二十歳だが私は司祭だ。心配してもらう必要なんかない」
「僕にとってはガゼルのことも大事なことですよ。それに、僕は魔法封じをやめようって言おうとしたわけじゃありません」
めずらしくガゼルは居心地が悪そうな顔をして、「じゃあ何」とそっけなく言った。
「ガゼルはどうしたいですか? 魔法を封じたいですか?」
「私がどうしたいかなんて重要じゃない」
「僕には重要なんです! ジーナさんの話を聞いて、僕はほとんど何も知らなかったってわかったんです。そんなわからないことだらけのまま、魔法を封じるか封じないか決めちゃいけないと思うんです。だいたい当のガゼルが、本当はどうしたいのかも知らないなんて。このままじゃ僕はこの先、旅を続けていいのかどうかわかりません。
魔法を封じて、ガゼルが死んでしまうことがないとしても、もし、ひどい思いをするんなら、そうじゃない方法を探したいし、他に方法がなかったとしても、それを知ってるのと知らないのとは違いますよ。何も知らないで魔法を封じたら、僕は絶対に後悔します。だから、教えてください。ガゼルはどうしたいんですか?」
なるほど、とガゼルは苦笑した。
「君は本当にいい子だね」
「からかわないでください」
「からかってなんかない。つい口を突いて出た感想だ」
「僕の話はいいんですよ」
話の腰を折るなとでも言いたげなシノワのしかめっ面に、ガゼルはおかしそうに笑った。
「私はね、君がどうするのか、見ていたいだけだよ」
「どうして僕の考えばかり優先するんですか?」
「どうしてって、それが私の望みだからだ」
そう言ってガゼルは肩をすくめたが、シノワはその理由が知りたいのであって、何と説明したものかと口を開いたり閉じたりしていると、ガゼルが小さく息をつく。
「君ならきっと間違わないと、私はそう思ってるんだよ。だから、恐れずに君は君の答えを出せばいい」
「僕が間違わない保証なんて、ないじゃないですか……」
言葉は尻つぼみになって、シノワは膝の上の剣に目を落とした。
確かに、魔法をこのままにしていてはいけないと思って、それが正しいと思ってガゼルの所へ行った。それには間違いないが、魔法が解放された時のことも、ガゼルのことも知らなかったからこそ、強くそう信じていられたのだ。自分の知らないことがたくさんあると知った今では、前ほど自分の考えに自信が持てなくなった。
シノワがうつむいたまま黙っていると、ガゼルがやれやれと首をふって、シノワのひたいを指で弾く。
「いたっ」
「もっと私を信用したまえよ」
「僕はもうガゼルのことを疑ったりしてませんよ」
「私が君のことを気に入っていると言っても、君は間違わないと言っても、君は全然信じないじゃないか」
思わずシノワは言葉を詰まらせて、口元をいびつな形に引き結ぶ。その様子にガゼルはまたおかしそうに笑って、日の傾きかけた空を見上げる。そこには明るい金色に照らされた雲が、春の花のように散っていた。
シノワはこういう空を見ているのは好きだったが、それと同時に、なんだかもの悲しいような気持ちに襲われる。暮れようとしている今日という日が、もう二度とやってくることはないと思い知らされているようで、シノワは不安になって、確かめるようにガゼルを見た。
「君はちょっと真面目すぎるんだよ。私のことも当主たちのことも、利用していけばいいんだ。それに、大変な思いをするのは私より君の方だろう」
「えっ、これから何かあるんですか?」
シノワが目を丸くすると、ガゼルはふっと吹き出す。
「感じの悪い商人に襲われたり、立てなくなるほど木剣で打たれたり、意地悪な魔法使いに真っ暗なところに閉じ込められたりしたのを、少しも大変だと思ってないっていうなら頼もしいね」
ああ、とシノワは頭をかいた。確かに、ふつうにカデンツで暮らしていたのでは起こらないような出来事に、たくさん遭遇してはいた。
「でも、そんなのはガゼルが助けてくれたじゃないですか」
「君が逃げ出さなかったからね」
ガゼルは笑って言葉を継ぐ。
「魔法がどうあるべきかを、魔法使い以外の人間が考え、選択する。それが私とクリフォードの望みだよ」
シノワはしばらく何と言うこともできずに唇を引き結んでいたが、ぎゅっと拳をにぎりしめた。
「ジーナさんに「協力する」って証文をもらいましょう」
「オセルは頑固な一族だ。一度反対だと言ったのをうなずかせるのは至難の業だぞ」
「やってみなくちゃわからないじゃないですか」
それもそうだ、と言ってガゼルは楽しげな顔になる。
「あと、僕がまだ知らないことを、いろいろ教えてください。ガゼルが重要じゃないと思うことでも」
ガゼルは少し考えるようなそぶりを見せる。
「君の知らないこと……私の生年月日とか?」
「そんなのはいいです」
「そんなのってなんだよ」
うーん、とガゼルは渋い声を出す。
「あの人には子どもの頃から嫌われてるんだよね、私もジーナも。まあ、私もこの間意地悪を言ったんだけど」
確かに学院長と向き合ったガゼルは、いつになくトゲのある言い方をしていたが、ガゼルやジーナが嫌われているのだとしたら、それは二人がきちんと
百二十年生きてさえ、こんな風なのだから、ガゼルが子どもの頃悪ガキだっただろうということは想像が付く。そしておそらく、学院長はそういう子どもを好まない。
五年前、魔法が解放される前はガゼルもシノワと同じ十五歳だった。その頃の、悪ガキだったガゼルにも会ってみたかったと思う。
──体の記憶と精神の記憶の、とてつもない隔たりに混乱して苦しんでいたよ
「ガゼル、話があるんです」
シノワのいつになく神妙な面持ちを見ると、ガゼルは、魔女に何を吹き込まれた? と言ってニヤリとする。
「吹き込まれたんじゃありません。教えてもらったんです。魔法を封じることが大変だってこととか、クリフォードさんのこととか国の縛りについてとか、その、ガゼルがどうやって司祭になったか、とか」
「それで、魔法封じをやめようかって?」
「いえ、その……」
「君にはガッカリだよ」
シノワはぎょっとした。
「僕が魔法封じをやめるって言っても、責めたりガッカリしたりしないって言ったじゃないですか!」
「何にでも例外はある。魔法封じが大変そうだから、というならまだしも、理由が私やクリフォードのことなんかじゃガッカリだ。そんなものは少しも重要じゃない」
「どうしてそうなるんですか!」
何だかよくわからない理屈だったが、ガゼルは不機嫌そうにほおづえをつく。
「魔女の口車に乗るなって言っておいたのに」
「ジーナさんはガゼルを心配してるんですよ」
「知ってるよ。だけど、見た目はつやつやの二十歳だが私は司祭だ。心配してもらう必要なんかない」
「僕にとってはガゼルのことも大事なことですよ。それに、僕は魔法封じをやめようって言おうとしたわけじゃありません」
めずらしくガゼルは居心地が悪そうな顔をして、「じゃあ何」とそっけなく言った。
「ガゼルはどうしたいですか? 魔法を封じたいですか?」
「私がどうしたいかなんて重要じゃない」
「僕には重要なんです! ジーナさんの話を聞いて、僕はほとんど何も知らなかったってわかったんです。そんなわからないことだらけのまま、魔法を封じるか封じないか決めちゃいけないと思うんです。だいたい当のガゼルが、本当はどうしたいのかも知らないなんて。このままじゃ僕はこの先、旅を続けていいのかどうかわかりません。
魔法を封じて、ガゼルが死んでしまうことがないとしても、もし、ひどい思いをするんなら、そうじゃない方法を探したいし、他に方法がなかったとしても、それを知ってるのと知らないのとは違いますよ。何も知らないで魔法を封じたら、僕は絶対に後悔します。だから、教えてください。ガゼルはどうしたいんですか?」
なるほど、とガゼルは苦笑した。
「君は本当にいい子だね」
「からかわないでください」
「からかってなんかない。つい口を突いて出た感想だ」
「僕の話はいいんですよ」
話の腰を折るなとでも言いたげなシノワのしかめっ面に、ガゼルはおかしそうに笑った。
「私はね、君がどうするのか、見ていたいだけだよ」
「どうして僕の考えばかり優先するんですか?」
「どうしてって、それが私の望みだからだ」
そう言ってガゼルは肩をすくめたが、シノワはその理由が知りたいのであって、何と説明したものかと口を開いたり閉じたりしていると、ガゼルが小さく息をつく。
「君ならきっと間違わないと、私はそう思ってるんだよ。だから、恐れずに君は君の答えを出せばいい」
「僕が間違わない保証なんて、ないじゃないですか……」
言葉は尻つぼみになって、シノワは膝の上の剣に目を落とした。
確かに、魔法をこのままにしていてはいけないと思って、それが正しいと思ってガゼルの所へ行った。それには間違いないが、魔法が解放された時のことも、ガゼルのことも知らなかったからこそ、強くそう信じていられたのだ。自分の知らないことがたくさんあると知った今では、前ほど自分の考えに自信が持てなくなった。
シノワがうつむいたまま黙っていると、ガゼルがやれやれと首をふって、シノワのひたいを指で弾く。
「いたっ」
「もっと私を信用したまえよ」
「僕はもうガゼルのことを疑ったりしてませんよ」
「私が君のことを気に入っていると言っても、君は間違わないと言っても、君は全然信じないじゃないか」
思わずシノワは言葉を詰まらせて、口元をいびつな形に引き結ぶ。その様子にガゼルはまたおかしそうに笑って、日の傾きかけた空を見上げる。そこには明るい金色に照らされた雲が、春の花のように散っていた。
シノワはこういう空を見ているのは好きだったが、それと同時に、なんだかもの悲しいような気持ちに襲われる。暮れようとしている今日という日が、もう二度とやってくることはないと思い知らされているようで、シノワは不安になって、確かめるようにガゼルを見た。
「君はちょっと真面目すぎるんだよ。私のことも当主たちのことも、利用していけばいいんだ。それに、大変な思いをするのは私より君の方だろう」
「えっ、これから何かあるんですか?」
シノワが目を丸くすると、ガゼルはふっと吹き出す。
「感じの悪い商人に襲われたり、立てなくなるほど木剣で打たれたり、意地悪な魔法使いに真っ暗なところに閉じ込められたりしたのを、少しも大変だと思ってないっていうなら頼もしいね」
ああ、とシノワは頭をかいた。確かに、ふつうにカデンツで暮らしていたのでは起こらないような出来事に、たくさん遭遇してはいた。
「でも、そんなのはガゼルが助けてくれたじゃないですか」
「君が逃げ出さなかったからね」
ガゼルは笑って言葉を継ぐ。
「魔法がどうあるべきかを、魔法使い以外の人間が考え、選択する。それが私とクリフォードの望みだよ」
シノワはしばらく何と言うこともできずに唇を引き結んでいたが、ぎゅっと拳をにぎりしめた。
「ジーナさんに「協力する」って証文をもらいましょう」
「オセルは頑固な一族だ。一度反対だと言ったのをうなずかせるのは至難の業だぞ」
「やってみなくちゃわからないじゃないですか」
それもそうだ、と言ってガゼルは楽しげな顔になる。
「あと、僕がまだ知らないことを、いろいろ教えてください。ガゼルが重要じゃないと思うことでも」
ガゼルは少し考えるようなそぶりを見せる。
「君の知らないこと……私の生年月日とか?」
「そんなのはいいです」
「そんなのってなんだよ」