第8話

文字数 2,554文字

 人の多さにシノワはめまいがしそうだった。
 カデンツもなかなかの都市であり、都会育ちを自負していたシノワだったが、一気に自分が田舎者になった気がした。魔法の解放とともに、クロワの街はめざましい発展をとげたという話は聞いていたが、これほどとは思わなかった。
 どちらを向いても、大きな建物が深い渓谷を作っており、その合間を石畳の小道がクモの巣のように延びている。その全ての小道がつながる大通りは、何かの広場じゃないかと思うほどに広く、街の中心部には、やはり星の塔がそびえ立っていた。
 星の塔とは、この国に魔力をもたらしている【星】を祀っている塔であり、どこの街にも必ずひとつはある。大抵は石造りの円筒形で、中に石で作った星を祀っている祭壇があるが、その規模も様々だった。田舎の方では装飾のほとんどない石造りで、祀ってある星もごく小規模な物だったりするのだが、このクロワの星の塔は、シノワがこれまで見たどの塔よりも立派だった。
 壁は白く塗られ、屋根には緑の瓦が葺かれており、塔の入り口には大きな門が作られていた。そして柱は緻密な彫刻で飾られており、いたる所に金の装飾がほどこされていた。ガゼルが星の塔だと言わなかったら、シノワは領主の豪邸だとでも思っただろう。
 その星の塔の立つ広場には、大きな市場があった。ここには国中から物が集まってくると見えて、遠く離れた海から来たであろう青い魚や、美しい巻貝、本でしか見たことのない山猫の毛皮や、虹色に光る鳥の羽、見たこともないような野菜の数々が並んでいた。
「口を閉じろ、シノワ」
 完全に面白がっているガゼルの声音に、シノワはカツッと歯を鳴らして口を閉じた。
「君はカデンツから出たことがなかったのか?」
「少しはありますよ。でもクロワに来たのは初めてです」
 心ここにあらずといった風に、めずらしい品の並ぶ店をきょろきょろと見回すシノワにガゼルはまた少し笑う。
「そんなにきょろきょろしているとはぐれるぞ。手をつないで歩こうか?」
「子どもあつかいしないでください」
 ふくれっ面を作ったシノワの後ろで、突然女の甲高い悲鳴が響いた。
 見れば美しい金色の髪を持った若い女が、どう見ても素行の悪そうな二人の男に壁際に追い込まれていた。大男二人に見下ろされて、若い女は何かを大声で叫んでいたが、これだけ多くの人が行き交う市場でありながら、誰一人足を止める者はいなかった。
 思わずシノワが彼女の方へ足を踏み出すと、ガゼルが肩をつかんで止めた。
「やめておけ」
「どうして」
外套(がいとう)の下に法印(タウ)を隠し持ってる」
 顔をしかめてふり返ると、若い女はそっと外套の下で腕を動かす。と、次の瞬間、ボンという破裂音とともに外套の下から何かが飛び出し、今度は男の悲鳴がこだました。見れば大きくてぐねぐねした何かが、彼ら二人をがんじがらめに巻き付いていた。それは巨大なタコだった。
「気の毒に」
 感情のまるでこもっていない声で言い、ガゼルはあっけにとられているシノワの腕を引いた。
「タコってあんなに大きいのもいるんですね」
「バカ、あれは魔法がかかってるからだ」
 言いながらガゼルはふと目を細めると、シノワの外套のポケットに手をつっ込み、見慣れないボールのような丸い物を取り出した。
「こら、少年。待ちたまえ」
 今し方シノワの横を通り過ぎていった少年は、ガゼルの声にこちらをふり返ると、逃げるように走り出した。
「忘れ物だ」
 ガゼルがボールを彼に向かって放ると、ポンと風船が割れるような音がして、ボールから大きな物体が飛び出し、少年の上に落ちた。というよりは、飛びかかった。シノワはそれを本でしか見たことがなかったが、思わず足が震えた。少年に襲いかかったのは大きなワニである。
「あ、あの、ガゼル」
「ほっとけ。自分で何とかするだろう。しかし、この街はイタズラがすぎるな」
 ガゼルは、また呆然と立ちつくしているシノワの腕を引いて、その場を離れた。

 二人はしばらくグネグネと曲がった道を行き、中心部から少し離れた場所に、今日の宿を見出した。
 色あせた看板が斜めにかかっており、開けるたびにドアがきしんでキイキイ鳴っているところからして、ここの主人も客も魔法には縁のうすい者らしかった。少年がイタズラに使えるほど魔法の浸透した街で、ガゼルはよくもまあこんな宿を見付けられるものだと、シノワは内心ため息をついた。
 とはいえ、ベッドで寝るのも久しぶりのことであるし、心は軽かった。
「荷物は部屋へ運んでもらってかまわないが、荷車は裏につないでくれ。奥に干し草がいくらか……ああ、ロバはいないのか」
 宿の主はせわしなくペンを走らせながら、ずれた眼鏡を持ち上げる。その薄くなった頭や、かなり使い込まれている上着を見ながらシノワは、カデンツのガゼルの家の辺りにも、こんなオヤジがいたなと頭の隅で考えていた。
「えっと、お泊まりはお一人で?」
「はい。一人です」
 シノワの代わりにガゼルが返事をし、シノワがぎょっとしてふり返ると、そこにはもうガゼルの姿はなかった。あわてて辺りを見回したが、どこにも彼の姿はなく、外に出てみようかと、踏み出した足を何かが踏んづけた。
「シノワ」
 小さな声だったが、確かにそう言った。しかし、その声を発したものを見てシノワはまた固まった。
 足元には黒い猫が一匹、ちょこんと行儀よく座っており、その前足がシノワの靴を踏んでいる。激しく動揺しながらも、そっと「ガゼル?」と声をかけてみると、黒猫はこくりとうなずいた。突然のことにシノワはくらくらしたが、ガゼルはどうやらそれで宿泊費をごまかすつもりらしかった。
「お客さん?」
 主人の怪訝そうな声にシノワはあわてて顔を上げる。
「あ、すみません。今日は一人で泊まります! えっと、あの、猫を連れて行ってもかまいませんか?」
「猫?」
 主人が小首をかしげるので、シノワは足元の黒猫を抱き上げる。
「一緒に旅をしてるんです」
「ああ、本当なら動物は遠慮してもらっているんだが、そんな小さな猫なら、まあいいよ。ただ、爪は研がせないように気をつけてくれよ」
「もちろんです」
「お前も一人じゃ淋しいだろうからな。今晩はご主人と一緒に寝な」
 主人は欠けた歯をのぞかせて笑い、ガゼルの頭をがしがしとなでた。
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