第6話
文字数 2,985文字
「うわ、これ見てシノワ!」
本日二度目、五日間でトータル二十回は言ったガゼルの「これ見てシノワ」に、うんざりとため息をついてシノワは彼をふり返る。やはりガゼルは道ばたの草むらにしゃがみ込んでおり、また何か見付けたに違いなかった。
「もうこれ以上荷物を増やさないでくださいよ」
「何言ってるんだ。ほら、早く」
しぶしぶシノワは荷車の取っ手を降ろして、ガゼルの元へのろのろと歩み寄る。そして彼の手元をのぞき込むと、やはりそこにはシノワにとっては何でもない草しかなく、彼がどの草のことを言っているのかすらわからなかった。
「見てよシノワ。メチド草だ。こんなに原種に近いのは最近ほとんどないんだ」
はあ、とシノワが気の抜けた返事をすると、ガゼルはスコップを取ってこいと手をひらひらさせた。
「これも鉢植えにするんですか? もう三つも作ったじゃないですか」
「こんな貴重なものを見なかったことにして行くなんて、そんなもったいないことができるか」
こっちをふり返ろうともしないガゼルに、シノワは小さく舌を出すと、荷車まで戻ってスコップを探す。
君の荷造りセンスには驚いたね。
家を出た日、ガゼルはシノワが用意した荷物を見てそう言った。
大きな旅行カバンの中には、着換えや地図、魔法で点すランプなどの他に、何冊か教科書が入っていた。学院を退学したとはいえ、再入学のためにも、勉強をさぼるわけにはいかない。
しかし、それを見てガゼルは「どこに遊びに行く気なんだよ」と呆れた顔をした。
それにはシノワも心外だった。そもそも、歩いて行くというのはもちろん、その他のことも全て魔法なしで行くなんて、考えてもみなかったのだ。そうならそうと、荷造りを始める前に言ってほしいものである。
今では小さなこと、それこそロウソクに火を点けるなんてことまで魔法でやっているわけで、当然シノワは野外で眠る方法など知るはずもなかったのだが、初日から野宿するはめになった時、シノワはこのまま、何も考えずに走って家まで帰ろうかと真剣に考えた。
しかしガゼルはそんなシノワの様子を気にもとめず、さっさと野原に泊まる準備を始めた。茂みに入って木の枝や落ち葉を集めて火を点け、敷布などシノワが用意できなかったものは、ガゼルが魔法で作り上げた。ガゼルが魔法を使うのは問題ないらしい。
しかし、そのガゼルの様子がシノワには不思議でならなかった。
というのも、彼が魔法を使っているのは確かなのだろうが、大鹿 の件でもそうなのだが、ガゼルは魔法を使っているそぶりを見せないのである。
ふつう魔法を使う時には呪文 を唱えるとか、法印 を描くとかして魔力を喚ぶ。しかしガゼルは、まるで包み紙を広げるように木の葉を毛布に引きのばし、石ころを指先で弾いてスコップに作り変えてしまうのである。
そもそも一般人が、呪文 も法印も使わないで扱える魔法は、そうたいしたものではなくて、物の形や質を変えることは全くできない。
法庁 の魔法使いですら、呪文 や法印を使わなければ、散らかった部屋の片付けを五分で終わらせる、とかいう程度のことしかできないのがふつうだった。そして法印や呪文 を、新たに組み上げるということも、そう簡単なことではない。
それをガゼルが、ごく小さな動作だけでやってのけるところなど見ていると、やはり彼が本当に司祭なのかとも思えてくるが、ただ魔法を使う能力に長けているからといって、彼を司祭だと決めてしまうのは危険だ。ガゼルの所へたどり着くまでに、シノワは魔法を使うのがうまいニセモノに何度も出会っている。
そもそも、ガゼルの行動には司祭らしからぬことの方が多い。シノワの常識から言えば、魔法が万人の物になったとはいえ、司祭は法庁 の椅子に座っているべきで、魔法使いたちを統率し、一般市民へ魔法の指導などすべきなのだ。
それが、こんな風に道草を摘んだりしながら、物干し棒を持って遊び歩いているというのには納得がいかない。
旅に出る前も、古びた部屋でダラダラ過ごしていただけではないか。そんな人間に、荷造りのセンスがどうだとか言われたくなかった。物干し棒や、あの古いハシゴの方がよっぽど余計な荷物ではないか。
君にはまだ物の価値というものがわかっていない、とガゼルは言ったが、荷車を引いて歩くというのも、そう楽なことではない。二日目には手にまめができ、足の裏にも水ぶくれができた。そしてそれが破けると、一足ごとに痛んでしかたがない。耐えかねてひと休みすると、次に歩き出す時に痛みが増してさらにつらかった。
当のガゼルは、ハシゴを荷車に積んで、シノワの横を物干し棒を持って楽しそうに歩いているだけで、さらに鉢植えを作ったりして荷物を増やす彼に、シノワは生まれて初めて、胸の奥に殺意が芽生えるのを感じた。
そうして四つ目の植木鉢を荷車に乗せると、ひと休みしよう、と言ってガゼルはシノワの腕を引いて、小川のふちまで緩やかな土手を降りていった。
「ますますひどくなっていくなあ」
水ぶくれの下から、新たな水ぶくれができ始めたシノワの足の裏を、しげしげと見つめてガゼルが言った。
「まだ魔法で治しちゃいけないんですか?」
不満げなシノワに、ガゼルはまたチチッと舌打ちをする。
「ここで魔法を使ったら、痛い思いをした意味がないじゃないか」
「痛い思いをする意味なんてあるんですか?」
シノワが顔をしかめると、ガゼルは彼の足を小川の水に浸した。するとやはり激痛が走り、シノワは呻きながらバタバタと地面を叩いた。
「膿 むからよく洗いたまえ」
そう言ってガゼルは先ほど摘んできたメチドの葉を、少し水に浸してから手のひらでこするようにしてもむ。
水に慣れてくると少しずつ痛みも治まり、さらさらと足の上を滑ってゆく小川の水の感触が心地よくなってくる。それを見はからってガゼルはシノワの足を引き上げると、軽く水気を拭き取って、柔らかくなったメチドの葉をシノワの水ぶくれに貼り付けた。ぎょっとしてシノワは足を引っ込めようとしたが、足に触れた葉はすうっと冷たい感触がしただけだった。
「こういう傷には、メチド草をちょっともんで貼り付けておくといいんだ」
言いながらガゼルはメチド草を貼った上から細く裂いた布を巻いていく。そのひんやりとした感覚に痛みが和らぎ、何とも心地よかった。
「なかなか気持ちいいだろう?」
「これって、何の魔法ですか?」
シノワが不思議そうに見上げると、ガゼルは声を上げて笑った。
「まあ、魔法と言ってもいいかもしれない。葉っぱの魔法だ」
違うなら違うと言えばいいのに、とシノワは顔をしかめたが、先ほど胸の奥にわいた殺意を訂正した。
「大昔の魔法使いは、こういうことをもっとたくさん知ってたんだ。【星】が見つかるまではね」
「【星】って、昔話に出てくるやつですか?」
「昔話って何かウソくさい感じがして嫌だな。【六人の魔法使い】の話はおとぎ話じゃないんだぞ」
「魔法使いの家柄を強調するための作り話だと思ってました」
シノワが皮肉っぽい言い方をすると、ガゼルはやれやれという顔をした。
「君は時々、妙に現実的だな」
「大人たちがデタラメだからですよ」
「言うじゃないか」
ニヤリとしてガゼルはポンとシノワの足の裏を叩き、彼がうっとうめくと、
「それが乾くまで休憩」
と言って草の上に寝転がった。
本日二度目、五日間でトータル二十回は言ったガゼルの「これ見てシノワ」に、うんざりとため息をついてシノワは彼をふり返る。やはりガゼルは道ばたの草むらにしゃがみ込んでおり、また何か見付けたに違いなかった。
「もうこれ以上荷物を増やさないでくださいよ」
「何言ってるんだ。ほら、早く」
しぶしぶシノワは荷車の取っ手を降ろして、ガゼルの元へのろのろと歩み寄る。そして彼の手元をのぞき込むと、やはりそこにはシノワにとっては何でもない草しかなく、彼がどの草のことを言っているのかすらわからなかった。
「見てよシノワ。メチド草だ。こんなに原種に近いのは最近ほとんどないんだ」
はあ、とシノワが気の抜けた返事をすると、ガゼルはスコップを取ってこいと手をひらひらさせた。
「これも鉢植えにするんですか? もう三つも作ったじゃないですか」
「こんな貴重なものを見なかったことにして行くなんて、そんなもったいないことができるか」
こっちをふり返ろうともしないガゼルに、シノワは小さく舌を出すと、荷車まで戻ってスコップを探す。
君の荷造りセンスには驚いたね。
家を出た日、ガゼルはシノワが用意した荷物を見てそう言った。
大きな旅行カバンの中には、着換えや地図、魔法で点すランプなどの他に、何冊か教科書が入っていた。学院を退学したとはいえ、再入学のためにも、勉強をさぼるわけにはいかない。
しかし、それを見てガゼルは「どこに遊びに行く気なんだよ」と呆れた顔をした。
それにはシノワも心外だった。そもそも、歩いて行くというのはもちろん、その他のことも全て魔法なしで行くなんて、考えてもみなかったのだ。そうならそうと、荷造りを始める前に言ってほしいものである。
今では小さなこと、それこそロウソクに火を点けるなんてことまで魔法でやっているわけで、当然シノワは野外で眠る方法など知るはずもなかったのだが、初日から野宿するはめになった時、シノワはこのまま、何も考えずに走って家まで帰ろうかと真剣に考えた。
しかしガゼルはそんなシノワの様子を気にもとめず、さっさと野原に泊まる準備を始めた。茂みに入って木の枝や落ち葉を集めて火を点け、敷布などシノワが用意できなかったものは、ガゼルが魔法で作り上げた。ガゼルが魔法を使うのは問題ないらしい。
しかし、そのガゼルの様子がシノワには不思議でならなかった。
というのも、彼が魔法を使っているのは確かなのだろうが、
ふつう魔法を使う時には
そもそも一般人が、
それをガゼルが、ごく小さな動作だけでやってのけるところなど見ていると、やはり彼が本当に司祭なのかとも思えてくるが、ただ魔法を使う能力に長けているからといって、彼を司祭だと決めてしまうのは危険だ。ガゼルの所へたどり着くまでに、シノワは魔法を使うのがうまいニセモノに何度も出会っている。
そもそも、ガゼルの行動には司祭らしからぬことの方が多い。シノワの常識から言えば、魔法が万人の物になったとはいえ、司祭は
それが、こんな風に道草を摘んだりしながら、物干し棒を持って遊び歩いているというのには納得がいかない。
旅に出る前も、古びた部屋でダラダラ過ごしていただけではないか。そんな人間に、荷造りのセンスがどうだとか言われたくなかった。物干し棒や、あの古いハシゴの方がよっぽど余計な荷物ではないか。
君にはまだ物の価値というものがわかっていない、とガゼルは言ったが、荷車を引いて歩くというのも、そう楽なことではない。二日目には手にまめができ、足の裏にも水ぶくれができた。そしてそれが破けると、一足ごとに痛んでしかたがない。耐えかねてひと休みすると、次に歩き出す時に痛みが増してさらにつらかった。
当のガゼルは、ハシゴを荷車に積んで、シノワの横を物干し棒を持って楽しそうに歩いているだけで、さらに鉢植えを作ったりして荷物を増やす彼に、シノワは生まれて初めて、胸の奥に殺意が芽生えるのを感じた。
そうして四つ目の植木鉢を荷車に乗せると、ひと休みしよう、と言ってガゼルはシノワの腕を引いて、小川のふちまで緩やかな土手を降りていった。
「ますますひどくなっていくなあ」
水ぶくれの下から、新たな水ぶくれができ始めたシノワの足の裏を、しげしげと見つめてガゼルが言った。
「まだ魔法で治しちゃいけないんですか?」
不満げなシノワに、ガゼルはまたチチッと舌打ちをする。
「ここで魔法を使ったら、痛い思いをした意味がないじゃないか」
「痛い思いをする意味なんてあるんですか?」
シノワが顔をしかめると、ガゼルは彼の足を小川の水に浸した。するとやはり激痛が走り、シノワは呻きながらバタバタと地面を叩いた。
「
そう言ってガゼルは先ほど摘んできたメチドの葉を、少し水に浸してから手のひらでこするようにしてもむ。
水に慣れてくると少しずつ痛みも治まり、さらさらと足の上を滑ってゆく小川の水の感触が心地よくなってくる。それを見はからってガゼルはシノワの足を引き上げると、軽く水気を拭き取って、柔らかくなったメチドの葉をシノワの水ぶくれに貼り付けた。ぎょっとしてシノワは足を引っ込めようとしたが、足に触れた葉はすうっと冷たい感触がしただけだった。
「こういう傷には、メチド草をちょっともんで貼り付けておくといいんだ」
言いながらガゼルはメチド草を貼った上から細く裂いた布を巻いていく。そのひんやりとした感覚に痛みが和らぎ、何とも心地よかった。
「なかなか気持ちいいだろう?」
「これって、何の魔法ですか?」
シノワが不思議そうに見上げると、ガゼルは声を上げて笑った。
「まあ、魔法と言ってもいいかもしれない。葉っぱの魔法だ」
違うなら違うと言えばいいのに、とシノワは顔をしかめたが、先ほど胸の奥にわいた殺意を訂正した。
「大昔の魔法使いは、こういうことをもっとたくさん知ってたんだ。【星】が見つかるまではね」
「【星】って、昔話に出てくるやつですか?」
「昔話って何かウソくさい感じがして嫌だな。【六人の魔法使い】の話はおとぎ話じゃないんだぞ」
「魔法使いの家柄を強調するための作り話だと思ってました」
シノワが皮肉っぽい言い方をすると、ガゼルはやれやれという顔をした。
「君は時々、妙に現実的だな」
「大人たちがデタラメだからですよ」
「言うじゃないか」
ニヤリとしてガゼルはポンとシノワの足の裏を叩き、彼がうっとうめくと、
「それが乾くまで休憩」
と言って草の上に寝転がった。