第50話

文字数 1,648文字

「さて、私はこれから用がありますので、ここで失礼いたします。お見送りができず、申し訳ありません」
 そう言ってルイスは二人に深々と頭を下げた。それに恐縮してシノワもぺこりと頭を下げる。
「お忙しいのですね」
「これでも祭主(レシュ)ですから、一族の葬儀には出なければなりません」
「ああ、ソウェルの……」
 ええ、とルイスは苦笑してシノワに歩み寄ると、肩に触れる。
「どうか、ソウェルのことは気に病まないでほしい。クロムには君を責める資格はない。人の死はいつか受け入れなければならないものだ。それが君におとずれた時、このことを思い出してほしい。そして、君はうまく受け入れてくれ」

 そのルイスの淋しげな笑い方に、シノワはのどの奥が熱くなってきてうつむく。その頭をルイスがそっとなでた。
「お二人に炎の神(ケン)の幸降らんことを」

 そのドアが閉まるのを見計らったように、ガゼルがまた法衣(ウルムス)の袖でシノワの顔をゴシゴシとぬぐい、腰に手を当てる。
「さあ、シノワ。カデンツに戻るぞ!」
「は? カデンツ?」




──始めに生まれたのは白、そして最後に生まれたのが黒。その合間に揺らめく金色の炎の内より生まれ出でた青い煙の中に、()の魂が生じ……

 さわさわと草が揺れるたびに、ひなたのやわらかな匂いがした。その風の中に、とぎれとぎれに祈りの声が響いてくる。死者を見送るための祈りだった。
 それを聞くでもなく、共に唱えるでもなく、クロムはただ土手に腰かけて草原に吹く風を眺めている。

 何も聞きたくなかったし、何も見たくない。そう思って家を出ると、いつの間にかここへ来ていた。特に何があるわけでもない、ただ細い草が延々と生い茂っていて、風が吹くたびに緑の波が起こる。それは特に美しいわけでもなく、おもしろくもなければ慰められるということもない。それを、ただ、見ている。

──私はきれいだと思うわよ。緑だっていっても、あっちの緑とそこの緑は全然違うし、ほら、あそこには花が咲いてるわ。ほら、あの黄色い花よ

 前に来たとき、少し先のくぼみに黄色い花が咲いていた。特に何とも思わなかったが、彼女がきれいだと言うので、きれいだと思った。しかし、その花はもう枯れていて、彼女もまたいない。

──クロムは野菜の善し悪しを見分けるのはあんなにじょうずなのに、同じ植物でも花はまるでダメなのね

「もうやめてくれ」

 このままかき消えて、ソウェルの思い出のない場所に行けたらどんなによかっただろうか。この街はどこへ行ってもソウェルの思い出が潜んでいる。こんな何にもない草原ですら、彼女は鮮やかによみがえってくる。

──ずっと一緒にいましょうね。

 いったい何の悪ふざけなんだと思う。自らの手で法印(タウ)を壊しておきながら、どうやって一緒にいようというのか。

 バカバカしい。全てがバカバカしい。こんなにひどい思いが体の中にとぐろを巻いているのに、泣くことも悲しむことも怒ることもできない。何も感情がわいてこない。全てが虚ろでしかなかった。
 彼女がいれば、それで全てがよみがえるのに。願いはたったひとつだけだった。しかし、それだけが叶わない。それを知ってしまったのに、これからも生きていかなければならないなんて、まるで拷問だった。
 あの二人を追って行って復讐すれば、このひどい所から抜け出せるのだろうか。それとも彼女のように命を手放せば。

 その時、不意に強い風が巻き起こり、襲ってきた砂粒にクロムは目を閉じた。

──ずっと一緒にいましょうね

 それは記憶ではなかった。

 頬をなでていった風はゆるやかで、そのやわらかな感触にクロムは目を細める。あの暖かで優しい手のひらの記憶がよみがえった。それはどんな言葉より雄弁だった。

「ああ、そうか。君はそこにいるんだな」
 その後、その風に緑がどう波打ったか、クロムにはもう見えなかった。

──火の中に生まれ、風に生き、空にあっては消えゆく。彼の魂は今解き放たれ……

 切れ切れの祈りの声に混じって、クロムのむせび泣く声が、静かに草原の風に混じっては消えていった。
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