第23話
文字数 3,215文字
いつかこんなことになるのではないかと、シノワは前々から思っていたが、正直なところ、本当にこんなことになるとは思っていなかった。
「ガゼル! 早くしてください!」
シノワの必死な叫びが森にこだまする。
「ちょっと待て。この類の法印 は複雑なんだ」
取り乱しているシノワの方を見もせず、ガゼルはほとんど上の空という返事をした。その様子にシノワは泣きそうになる。
シノワの足には植物の蔓 らしき物が巻き付いていた。
それだけならたいしたことではないのだが、この植物、異様に大きい上に動きが速く、なおかつ力も強い。そのうえ、どうやら短気でもあるらしく、うっかり根っこを踏んづけたシノワに腹を立て、その足に巻き付いて彼を宙づりにしているのである。そう、自ら動くのである。
そして恐ろしいことに、その茎の中ほどには、どう見ても口にしか見えない穴が開いており、シノワはどんどんそっちへ運ばれていっているようなのだ。
「燃やしちゃダメなんですか?」
「何バカなこと言ってるんだ」
それはこっちの台詞だとシノワは思ったが、ずんずん近づいてくる口に、もう声も出なかった。
「お、ここか」
ガゼルがつぶやいた時、彼が触れている部分から光がほとばしり、重なった法印 がはずれてゆくのが見えた。すると植物はもだえるようにぶるりとふるえ、シノワの足を解放した。
「わっ」
いきなり足を放され、シノワは当然のごとく地面に落ちた。したたかに打った額を押さえながら顔を上げると、植物からこぼれ出るように狼が飛び出し、続いて何か長い物がぼとりと落ちた。よく見れば大きな蛇である。そして植物自体はどんどん縮んでごく普通の蔦 に変わった。
「まったく、かわいそうなことをする」
ガゼルはため息混じりにそう言うと、シノワではなく抱え上げた蛇をなでた。
それにシノワは納得のいかないという顔をしたが、あれこれ言っても無駄だとあきらめ、外套の砂を払った。
ガゼルによれば、このとんでもない植物は、やはり魔法の産物らしかった。魔法の使用規定には、種族を越えて生物を混ぜ合わせることが禁止されているが、やはりそういうことが密かに行われているらしい。その法印 の複雑さから言っても、魔法使いのしわざに間違いないらしかった。
そしてシノワがこういった植物に襲われたのは、今回が三回目である。一度は土の中に引きずり込まれそうになり、一度は落ちてきた特大の松ぼっくりが頭に当たって気を失った。
毎回シノワは死ぬ思いをしているのだが、ガゼルは植物を切るでも燃やすでもなく、奥に潜められた法印 を解いて、混ざった生物を元のように分ける。その法印 のつなぎ目を見つけるのがなかなか難しいのはわかるが、もう少し襲われる方の身にもなってほしいものだと、内心ブツブツ言いながら、シノワは落ちていた教科書を拾い上げた。
休憩にと泉に立ちより、久々に勉強でもしようとシノワが教科書を取り出した時、人食い植物の蔓を踏んづけてしまったのである。
魔法封じも大切だが、勉強することもシノワにとっては同じぐらい大事なことだった。旅に出てからは毎日歩き通しで、ろくに勉強する暇もなかったし、このままでは本当に学院に戻れなくなってしまう。
しかしガゼルはそれを見ると、やはり呆れた顔をした。
「まだ教科書なんか持ってたのか」
「当たり前です。魔法を封じたら学院に戻るんですから、予習ぐらいしておかないと」
ふうん、とガゼルは苦笑すると、筒状に丸めた紙をシノワの顔の前につき出した。
「手紙だ」
シノワはしかめっ面をぱっと笑みに変え、それを受け取った。フェローチェを出てすぐ、シノワはイディアに手紙を出していた。ガゼルが飼っているらしい、カリナ産の竜がどれほどの速さで飛べるのかはわからないが、出して三日で返事が届くのだから素晴らしい。
うきうきと巻かれたリボンを解くと、文末には、やはりイディアのサインがあった。しかし……
《元気そうで何よりだわ。本物の司祭が見つかってよかったわね。シノワのことだから、またニセモノにだまされるんじゃないかと思ってたのよ。こっちはいつもと変わりないわ。司祭に迷惑をかけないようにがんばってね。》
シノワは何となくやるせない気持ちになって、のろのろと手紙を元のようにまき直した。実にイディアらしい文面だった。彼女はいつもこういう感じなのだが、シノワはこれまでの報告を、紙三枚にぎっしりと書き連ねて送ったわけで、その返事が三行とは少し悲しかった。
「めげるなめげるな。女の子は不可思議な生き物なんだ。正攻法ではまるでダメでも、君の思ってもみないところで挽回できることもある」
ガゼルがまた妙なフォローを入れ、シノワは驚いたのと恥ずかしいのとで顔を赤らめると、あわあわと手紙をしまい込もうとして取り落とした。
「よ、よ、読んだんですか?」
「まさか。でも、君の顔を見てるとだいたいわかるよ」
シノワはますます赤くなりながら、手紙を鞄にしまい込んだ。
「どうしても彼女に会いたくなったら、ハシゴを使わせてあげよう」
「結構です!」
シノワが精一杯何でもないふりをして言うと、ガゼルはまた吹き出した。シノワはせかせかと荷物をまとめると、いつまでも笑っているガゼルの腕を引いて旅路に戻った。
ユル家の本拠地ラメールは、植物の魔法使いの名にふさわしく、うっそうとした森の中にあった。
まだ昼間だというのに薄暗く、道の脇に生える木は、どれも百年以上はそこに立っていただろうという大木ばかりで、空が遠く思えた。
どこか不気味な道だったが、めずらしくシノワの足は軽かった。この森の中にはこの国最高の学院、ノービルメンテ学院があるのだ。クリアーニのような中等学院を出てから塔の学院に五年通い、その中でもトップクラスの成績を修めた者しか入学を許されない学院である。その学院長が、ユル家当主ジュスト・ユルなのだった。
ノービルメンテへの入学はシノワの成績では不可能と言っていいのだが、シノワの兄は、ノービルメンテ候補生として塔の学院に通っていた。その兄より先に、形はどうあれノービルメンテの学院長に会えるというので、シノワはうれしいのと緊張するのとで、胸を高鳴らせていた。
しかしノービルメンテに着くと、二人は当然のように門前払いをくらった。
「お約束のない方をお通しするわけにはまいりません」
大門の受付嬢は品のいい笑顔の中に、不審そうな視線をまじえながらそればかりを繰り返した。しかたなく二人は会ってもらえるようにという文章を書き、その品のいい受付嬢にわたしてノービルメンテを後にした。
「相変わらず融通の利かない人だ」
ガゼルは不満げに口をとがらせて言った。
「しかたないですよ。本当に突然押しかけたんですから」
それにガゼルの手にある物干し棒が、受付嬢の不審を招くのに一役買っているに違いないとシノワは確信していた。
「まあ、予想はしてたんだ。あの人は、まだ私を司祭と認めてないだろうからな」
「全会一致で司祭になったんじゃないんですか?」
シノワがぎょっとしてふり返ると、彼はチチッと舌打ちをした。
「私は当主とは違うと言っただろう。星を持って生まれてくれば司祭になることは決まってる。承認される必要はない。でも私は事情があって、十五歳で司祭を継いでしまっただろう。それが気に入らないんだ」
それは少しわかる気がした。シノワも始めは、どう見ても二十歳前後にしか見えないガゼルが、本当に司祭だとは信じられなかった。
それに三日で百年分の修行をするというのも、にわかには信じがたい話である。シノワはガゼルをニセモノじゃないかと疑っていたことを、少し申し訳なく思っていたが、やはり自分の感覚も、あながちずれてはいないのだと気を取り直した。
とはいえ、学院長にいつ面会できるかわからないので、とにかく泊まる所を探すことにして、二人はラメールの中心部へと向かった。
「ガゼル! 早くしてください!」
シノワの必死な叫びが森にこだまする。
「ちょっと待て。この類の
取り乱しているシノワの方を見もせず、ガゼルはほとんど上の空という返事をした。その様子にシノワは泣きそうになる。
シノワの足には植物の
それだけならたいしたことではないのだが、この植物、異様に大きい上に動きが速く、なおかつ力も強い。そのうえ、どうやら短気でもあるらしく、うっかり根っこを踏んづけたシノワに腹を立て、その足に巻き付いて彼を宙づりにしているのである。そう、自ら動くのである。
そして恐ろしいことに、その茎の中ほどには、どう見ても口にしか見えない穴が開いており、シノワはどんどんそっちへ運ばれていっているようなのだ。
「燃やしちゃダメなんですか?」
「何バカなこと言ってるんだ」
それはこっちの台詞だとシノワは思ったが、ずんずん近づいてくる口に、もう声も出なかった。
「お、ここか」
ガゼルがつぶやいた時、彼が触れている部分から光がほとばしり、重なった
「わっ」
いきなり足を放され、シノワは当然のごとく地面に落ちた。したたかに打った額を押さえながら顔を上げると、植物からこぼれ出るように狼が飛び出し、続いて何か長い物がぼとりと落ちた。よく見れば大きな蛇である。そして植物自体はどんどん縮んでごく普通の
「まったく、かわいそうなことをする」
ガゼルはため息混じりにそう言うと、シノワではなく抱え上げた蛇をなでた。
それにシノワは納得のいかないという顔をしたが、あれこれ言っても無駄だとあきらめ、外套の砂を払った。
ガゼルによれば、このとんでもない植物は、やはり魔法の産物らしかった。魔法の使用規定には、種族を越えて生物を混ぜ合わせることが禁止されているが、やはりそういうことが密かに行われているらしい。その
そしてシノワがこういった植物に襲われたのは、今回が三回目である。一度は土の中に引きずり込まれそうになり、一度は落ちてきた特大の松ぼっくりが頭に当たって気を失った。
毎回シノワは死ぬ思いをしているのだが、ガゼルは植物を切るでも燃やすでもなく、奥に潜められた
休憩にと泉に立ちより、久々に勉強でもしようとシノワが教科書を取り出した時、人食い植物の蔓を踏んづけてしまったのである。
魔法封じも大切だが、勉強することもシノワにとっては同じぐらい大事なことだった。旅に出てからは毎日歩き通しで、ろくに勉強する暇もなかったし、このままでは本当に学院に戻れなくなってしまう。
しかしガゼルはそれを見ると、やはり呆れた顔をした。
「まだ教科書なんか持ってたのか」
「当たり前です。魔法を封じたら学院に戻るんですから、予習ぐらいしておかないと」
ふうん、とガゼルは苦笑すると、筒状に丸めた紙をシノワの顔の前につき出した。
「手紙だ」
シノワはしかめっ面をぱっと笑みに変え、それを受け取った。フェローチェを出てすぐ、シノワはイディアに手紙を出していた。ガゼルが飼っているらしい、カリナ産の竜がどれほどの速さで飛べるのかはわからないが、出して三日で返事が届くのだから素晴らしい。
うきうきと巻かれたリボンを解くと、文末には、やはりイディアのサインがあった。しかし……
《元気そうで何よりだわ。本物の司祭が見つかってよかったわね。シノワのことだから、またニセモノにだまされるんじゃないかと思ってたのよ。こっちはいつもと変わりないわ。司祭に迷惑をかけないようにがんばってね。》
シノワは何となくやるせない気持ちになって、のろのろと手紙を元のようにまき直した。実にイディアらしい文面だった。彼女はいつもこういう感じなのだが、シノワはこれまでの報告を、紙三枚にぎっしりと書き連ねて送ったわけで、その返事が三行とは少し悲しかった。
「めげるなめげるな。女の子は不可思議な生き物なんだ。正攻法ではまるでダメでも、君の思ってもみないところで挽回できることもある」
ガゼルがまた妙なフォローを入れ、シノワは驚いたのと恥ずかしいのとで顔を赤らめると、あわあわと手紙をしまい込もうとして取り落とした。
「よ、よ、読んだんですか?」
「まさか。でも、君の顔を見てるとだいたいわかるよ」
シノワはますます赤くなりながら、手紙を鞄にしまい込んだ。
「どうしても彼女に会いたくなったら、ハシゴを使わせてあげよう」
「結構です!」
シノワが精一杯何でもないふりをして言うと、ガゼルはまた吹き出した。シノワはせかせかと荷物をまとめると、いつまでも笑っているガゼルの腕を引いて旅路に戻った。
ユル家の本拠地ラメールは、植物の魔法使いの名にふさわしく、うっそうとした森の中にあった。
まだ昼間だというのに薄暗く、道の脇に生える木は、どれも百年以上はそこに立っていただろうという大木ばかりで、空が遠く思えた。
どこか不気味な道だったが、めずらしくシノワの足は軽かった。この森の中にはこの国最高の学院、ノービルメンテ学院があるのだ。クリアーニのような中等学院を出てから塔の学院に五年通い、その中でもトップクラスの成績を修めた者しか入学を許されない学院である。その学院長が、ユル家当主ジュスト・ユルなのだった。
ノービルメンテへの入学はシノワの成績では不可能と言っていいのだが、シノワの兄は、ノービルメンテ候補生として塔の学院に通っていた。その兄より先に、形はどうあれノービルメンテの学院長に会えるというので、シノワはうれしいのと緊張するのとで、胸を高鳴らせていた。
しかしノービルメンテに着くと、二人は当然のように門前払いをくらった。
「お約束のない方をお通しするわけにはまいりません」
大門の受付嬢は品のいい笑顔の中に、不審そうな視線をまじえながらそればかりを繰り返した。しかたなく二人は会ってもらえるようにという文章を書き、その品のいい受付嬢にわたしてノービルメンテを後にした。
「相変わらず融通の利かない人だ」
ガゼルは不満げに口をとがらせて言った。
「しかたないですよ。本当に突然押しかけたんですから」
それにガゼルの手にある物干し棒が、受付嬢の不審を招くのに一役買っているに違いないとシノワは確信していた。
「まあ、予想はしてたんだ。あの人は、まだ私を司祭と認めてないだろうからな」
「全会一致で司祭になったんじゃないんですか?」
シノワがぎょっとしてふり返ると、彼はチチッと舌打ちをした。
「私は当主とは違うと言っただろう。星を持って生まれてくれば司祭になることは決まってる。承認される必要はない。でも私は事情があって、十五歳で司祭を継いでしまっただろう。それが気に入らないんだ」
それは少しわかる気がした。シノワも始めは、どう見ても二十歳前後にしか見えないガゼルが、本当に司祭だとは信じられなかった。
それに三日で百年分の修行をするというのも、にわかには信じがたい話である。シノワはガゼルをニセモノじゃないかと疑っていたことを、少し申し訳なく思っていたが、やはり自分の感覚も、あながちずれてはいないのだと気を取り直した。
とはいえ、学院長にいつ面会できるかわからないので、とにかく泊まる所を探すことにして、二人はラメールの中心部へと向かった。