第60話

文字数 2,955文字

 とうとう法印(タウ)を解くことができないまま、登庁命令の日が訪れた。
 その日、法庁(バーカナン)から戻ってきたジーナから、予想通りジュストが司祭代理に就任したことに加え、驚くべき知らせがもたらされた。国王もまた体調不良のために、代理を立てていたというのだ。しかも。
「それが、第五王女だったんだよ」
「ロゼリアさんですか!」
 シノワは思わず大声を上げてしまった。ジーナは疲れた様にうなずく。
「どうにかジュストを司祭代理にするのを止めようとしたんだけど、国王の代理がジュストとグルの第五王女だったから、へたに動けなくて、そのままジュストがしばらく代理を務めることで決着したよ」
「なんてことだ」
 ガゼルは短い手で、てしてしと額を打った。
「私とルイスは反対したんだけどねえ。ルイスは今は本当のところ謹慎中の身だし、私も何の証拠もなしに、お前らがやったんだろうと言うわけにもいかなくてね」
「国王が体調不良っていうのもデタラメだろうな。そうなると、王家ももうユルの手の内か」
「お前が出て行けるならともかく、一当主ごときじゃ、王城の中を調べるすべがないからどうしようもないね」
「やられたね」
 ガゼルはテーブルの上で、力なく仰向けに倒れ込んだ。
「どうするんですか?」
「とにかく、法印を解いて早く私が元に戻るしかない」
 ベッドのそばから、アレフの深いため息が聞こえた。

***

 何年かぶりに戻った自分の部屋は、出て行った時から時間が止まっているかのように、陰うつなものが立ちこめている。どんなに明かりを点けようと、どんなに豪華に飾り立てようと、この沈んだ空気は軽くならない。姿を変えようと城を出ようと。何も変わっていない、変わらない。この部屋はそう告げているような気がした。
 もう日は落ち、窓の外に迫る闇に身震いすると、ロゼリアは明かりを三つ増やし、寝椅子へ倒れこんだ。
 国王代理となったからには、さすがにカデンツに滞在しているわけにもいかず、ロゼリアは王城の自室へ戻ってきたのだった。
 すぐそばで丸くなった獣の黒い毛をなでると、何かの気配を感じたのか、獣がふと首を持ち上げた。つられて顔を上げると、白い綿毛のような物がふわりふわりと部屋の中をただよっていた。そして深紅のカーペットの上に舞い降りると、とたんに根が生え、緑の葉が伸び始める。
 それにロゼリアは眉をよせる。
 緑の葉はぐんぐん伸びて、人の背の高さほどに成長すると、手が伸び首が現れ、しだいに人の形になっていく。そしてその夜空色のローブから、銀色の髪がこぼれると、ロゼリアはいっそう不機嫌そうな顔をした。
「こんなところにまで無断で入って来るなんて、無礼だわ」
「申し訳ございません。私にもいろいろと事情がございますので」
 そう言ってジュスト・ユルは美しく微笑した。そのすらりと伸びた体や整った顔、まるで絹糸のような細い髪も憎らしい。
「これからのことをご相談に参りました」
「私にあれこれ指示しに来たの間違いじゃない?」
 ロゼリアは不快そうにジュストを見やると、ジュストはやれやれと首をふって、近くにあった椅子に腰掛けた。
「我々が無事代理となるまではうまく行きましたが、おそらく、司祭の魂はシノワ・エオローが持っているはずです。少しでも隙を見せれば足をすくわれることになるでしょう。ですから、【星】を、一旦私にお預けくださいませんか。あなたの手には余ります」
「嫌よ」
「わがままをおっしゃっている場合ではございません。司祭の魂が元に戻ればおしまいなのですよ」
「わがままですって? これは私のものよ」
「それは承知しております。けれど……」
「お前はガゼルの魂を捕まえるのに失敗した。信用できないわ」
「では、あなたに何か策がおありなのでしょうか?」
 ロゼリアはジュストをにらみつけて、あごを引く。
「策を考えるのは、あなたの仕事でしょ。あなたは私の信用を取り戻すために黙って働けばいいの」
 ジュストは無表情にロゼリアを見つめていたが、小さく息をついて立ち上がる。そしてロゼリアの元へ歩み寄ると、何か黒い物を差し出した。それは手のひらに乗るほどの真っ黒な箱だった。
「これをあなたにお渡ししておきましょう。それは私が司祭の魂を封じ込めておくために作った檻です」
「檻?」
 ロゼリアは怪訝そうに眉をひそめつつ、それを受け取った。ジュストはそれを檻と言ったが、どこにも開けられそうな部分がなく、全ての面がきっちりと閉じられていて、真っ黒な積み木といった感じだった。
「呪文を潜ませてありますから、なでてから触れさせれば、あなたでも簡単に彼らを捕まえることができるでしょう。うまくお使いください。ただし、その箱は開けられませんから、取り扱いには充分にご注意を」
「またあの少年が私の所まで、【星】を取り戻しに来るってこと?」
「可能性は低いですが、万が一ということはあります。【星】を取り戻せば、あるいは力業で司祭の魂を元に戻すことができてしまうかもしれないのです」
「なによそれ」
「【星】が魔法使いではないあなたに、それほどの力を与えているのですから、魔法使いの手に渡ればどうなるかわかるでしょう。ですからあなた様にもご協力願いたいのです」
 ロゼリアは不満にジュストをにらんだが、ジュストはそのまま言葉を続ける。
「私は確かに司祭の体から魂をはぎ取りましたが、司祭はあらゆる魔法に長けています。魂だけの状態では、古代魔法ぐらいしか使えないはずですが、どうにかして私が司祭にかけた魔法の法印を解こうとするはずです。少年やジーナ・オセル程度の人間には、到底解くことのできない法印ですが、他にも彼らに協力する魔法使いがいないとも限りません。
 あの法印を解くには、必ず訪れなければならない場所があるのです。そこには基本的には王族しか近づくことができないのですが、司祭のことですからどうにかしてそこへたどり着くかもしれません。ですから、あなたにそこの見張りをお任せしたいのです」
「どうして私がそんなことをしなくちゃならないのよ」
「そこには王族しか入れません。当主といえど、私には入ることが許されない場所なのです。あなたが嫌だとおっしゃるのならば、他の王族にお任せできますか?」
 ふん、とロゼリアは不満げに鼻を鳴らした。
「今回だけは使われてあげる」
「恐れ入ります」
「これ以上失敗したら許さないわよ」
「善処いたします。けれど、あなたものんびりしている場合ではないのですよ。司祭が戻ってしまえば、あなたは第五王女に戻る道しか残されていないのです。その美しい容姿も手放さなければなりません」
 顔色を変えたロゼリアに、ジュストは微笑む。
「そして、ふたたび不足(ナウシズ)と名乗るお覚悟を……」
「黙りなさい!」
 叫びと共に炎がほとばしり、ジュストの体に巻き付いた。
「おやおや……」
 つぶやきながらジュストはメラメラと燃えていき、炎が彼をすっかり包み込んだ時には、彼の体は植物に戻っていた。
「バカにして」
 手近にあったクッションを取って壁へ投げつけると、驚いた獣があわててロゼリアの肩に登った。
「二度と、ナウシズには戻らないわ」
 きしるように言って、ロゼリアは燃え残った草の葉をにらみつけた。
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