第57話

文字数 4,387文字

 ことの次第を聞くと、シノワの父、カデンツ領主カイル・エオローはめまいがするという風に、目頭に手を当ててうなだれた。

「お前はいったい何をやって……」
「すみません、父さん」
 シノワはもう一度頭を下げた。
「魔法使いの問題に巻き込んでしまい、本当に申し訳ない、カイル・エオロー。ご子息やあなたに極力迷惑がかからないよう、最大限配慮いたします」
 ジーナもまたカイルに頭を下げた。

 カイルはうつむいたまま、肺の中を空にするように深々とため息をついた。
「それで、行方不明の司祭の魂を見つけ出す算段はあるのですか?」
「ええ、とりあえずは。しかし、少し時間がかかりそうでしてね」
 シノワは父に迷惑をかけるうえに、ガゼルの魂は行方不明だと嘘をついたことがいたたまれず、手に持っていたクマを思わずぎゅっとにぎりしめてしまい、クマは黙ってシノワの手を必死にぱたぱたと叩いた。

 カイルはもう一度ため息をついて顔を上げた。
「元々は息子が首を突っ込んだことのようですから、今回は協力いたしましょう。司祭がすげ変わるような自体は、一般の領主とはいえ無関係ではありませんし。しかしこのことはあなたと司祭、いや、魔法使いへの貸しとしますよ、ジーナ・オセル」
「父さん、元々は僕が……」あわててシノワが口をはさむ。
「シノワ、お前は黙っていなさい」
 ぴしゃりと言われてシノワは力なく口をつぐむ。
「そもそも、私はお前が遊学するのを許可しただけで、こんなことに関わらせるつもりはなかった。お前が言い出したことなのだとしても、善意のみで協力することはできない」

「ごもっともですよ、カイル・エオロー」言いながらジーナは、隣に座ったシノワの膝をなだめるように叩いた。「今回のことは借りにしておいてください」
 カイルはひとつうなずく。
「それと、もうひとつ。最近のノービルメンテの動きをご存じでしょうか」
「少しは」
「最近多くの役所で、上層部の役人がノービルメンテ出身者に替わりました。そして各役所内でも、ノービルメンテの大きな派閥ができて、それ以外の者は、どんどんすみへ追いやられています。元々役人や領主にノービルメンテ出身者は多かったのですが、最近急激にノービルメンテ出身者を主力に置いた人事異動が活発化したのです。
 一般の領主の中でも、ノービルメンテ出身者が派閥を作りつつある。数年前からそういう動きがありましたが、私はノービルメンテ出身ではありませんので、内情を把握するためにも、長男をノービルメンテへ入れるつもりでいたのですが、こうなっては不用意に入学させるわけにもいかなくなりました」

 父がそんなことを考えて、クロードをノービルメンテへ入れるつもりだったとは、シノワには思いもよらないことだった。クロードばかりか、父の計画にも水を差してしまったらしいと知って、シノワは思わずうつむいた。

「長男のことはともかく、これはかなり深刻ではないですかね。ノービルメンテはテサの最高学府で、出身者の結束も固い。それを国中の重要ポストに配置して、司祭の動きを封じ、学院長でもあるジュスト・ユル自身が司祭に成り代わるとは、ただ事ではありませんよ。内輪もめで済む話だとも思えませんがね」
「私としても、そんなことを承認するつもりはありませんが、司祭の魂を捜し出し、本人を登庁させないことにはどうにもなりませんので。今しばらく、《奥の部屋》とご子息をお借りできませんか」
 カイルはちらりとシノワを見た。シノワは相変わらずクマを膝に載せて、すがるような目でカイルを見ていた。

 やれやれと、カイルは目頭を押さえる。
「この子にできることであれば、協力させてやって下さい。しかし、これより先は、隠し事はなしにするとお約束ください。シノワが関わるのであれば、私にも話を通してからにしていただきたい」
「もちろんです。今後のことは、あなたにもお話を通しましょう。ご協力感謝いたします」
「父さん、ありがとうございます」
 シノワはジーナと共に、深々と頭を下げた。そしてシノワもジーナについて出て行こうとすると、呼び止められる。
「お前は少し残りなさい。話がある」
「はい……」
 父の険しい表情に全身が縮み上がったが、シノワは手招きされるままに、父の前へ立った。

 父と会うのも半年ぶりで、シノワは緊張して、またクマをにぎりしめそうになった。そもそも父と会うと言っても、父が家に戻ったときに一緒に食事をする程度のことで、シノワがこんなに近くで父を見たのも、本当に久しぶりのことなのだった。
 近くで見る父は、シノワの記憶にあるより白髪が増えていて、目元にも心なしか疲れが見える。

 ジーナが部屋を出て行くと、カイルはけだるげに腕を組んだ。
「シノワ、お前はなるべく早く魔法使いの問題から手を引きなさい」
「父さん」
「どう考えても、これはもうお前がどうこうできる問題ではない。司祭が一体何を考えてお前を連れて行ったのかわからないが、お前は魔法使いでもない、ただの子どもだ」
「僕だって、僕が解決できることだとは思ってません。父さんに迷惑をかけることになったのは、本当に申し訳ないと思ってます。でも、僕にできることがあるなら、僕はそれをやりたい。僕はガゼ……司祭にいろんなことを教えてもらって、たくさん助けられてきたんです。ジーナさんにも、とてもお世話になったんです。他の当主にもです。だから……」
「シノワ、我々領主は互いに友好関係を保ってはいるが、本当の意味での友人になることは決してない。互いに利益があってこその友好関係なのだということを、ちゃんと覚えておきなさい」
 シノワは胸の奥がひやりとして、はい、と力なくうつむいた。

「今でこそ領地を巡って争うこともなくなっているが、敵同士だった時代もある。今でも境界の地域でもめ事が多いのはお前も知っているだろう。
 今、大きく争わずにいるのは、魔法使いの当主の力が圧倒的に強いが、一般の領主にも同等の地位が与えられていることと、領主間での駆け引きがどうにかうまくいっているからだ。簡単に情で動くようなことはするな。相手の弱みも、ひとつのカードとして使わなければならないんだよ。
 今回のことは、お前が自分で首を突っ込んだのだから、お前にも責任がある。しかし、私としては、魔法使いのもめ事を仲裁するために、お前を差し出す義理はないのだということを理解しておきなさい。まだ学院生とはいえ、お前は領主の息子には違いないんだ。お前が彼らのために動くほど、彼らの私への借りも大きくなる。
 お前も、クロードが領主になった時、その傍らにいるつもりなら、こういうことをしっかりと心に留めておきなさい」
「……はい。すみませんでした」

 父の言う通りでしかなかった。シノワは次男とは言え、領主の息子という立場があり、ジーナにはオセル家当主でありアナシの領主という立場がある。
──私はシノワを巻き込みたくはない
 ジーナがああ言ったのには、そういう意味もあったのかもしれない。それでも。

──頼りにしてるよ

 シノワは、怖じ気づくな、と腹に力をこめ、顔を上げると、真っ直ぐに父を見上げた。
「だけど、今回だけはお願いします。僕にできることがある間は、途中で投げ出したくない。最後までやらせてください。危ないことはしません。何かする時は必ず父さんに相談します。僕も精一杯気をつけますから」

 シノワが再び頭を下げると、カイルはまいったな、という風に首の後ろに手をやった。息子のことがますますわからなくなった。
 声が少しふるえていた。ひどく緊張しているのだろう。親に何かをねだったりしたこともない大人しい子だから、ほとんど叱った覚えもない。だけど、なんて言いつのられたのですら初めてかもしれない。
 そんな子が、魔法を封じてもらおうと司祭に直談判しに行ったあげくに、親に嘘をついて司祭と一緒に旅をして、さらには一当主による法庁乗っ取りとも言える事態に巻き込まれるとは、想像だにしないことだった。
 どうしてこんなに必死なのか、カイルにはよくわからなかったが、普段は気弱な次男にこんな一面があるというのは新しい発見でもあった。ほとんど初めての父親へのお願いが、まさか“司祭を助けに行きたい”だとは。

 本当なら、体よく嘘でもつかせて、このややこしそうな問題から早めにシノワを引き離し、この魔法使いへの貸しを上手く使って、今後の局面を乗り切るのが最善だろうと思われた。おそらくそうすることは容易い。

 カイルはいまいましそうに眉間に刻まれた谷間をぐりぐりと指で押して、シノワがずっと大事そうに持っているクマに目をやる。クマはピクリとも動かなかったが、心なしか、黒いボタンの目が、こちらを見上げているようにも見えた。

「──わかった」

 シノワは頭を下げたまま、目をみはった。
「今回だけは許そう。そのクマについても、今は聞かないでいてやる。聞かないでいてやるから、収拾が付いて話せる時が来たらきちんと話しなさい」
 シノワが弾かれたように顔を上げると、カイルはポンとシノワの頭をなでた。
「領主同士が友人になることはないが、お前はまだ子どもだ。今はまだ、友人に手を貸してやるといい。今回だけは協力してやる。ただし、何か危ないと感じたらすぐに私に相談すること。お前の身に何かあれば、私はそれを領主間の問題にせざるを得ない。だから慎重に行動しなさい。いいね?」

 シノワは目を丸くすると、何と言うこともできずに、ぎゅっと口元をいびつに引き結んだ。喉の奥にわき上がってきた熱さを飲み込んでから、シノワは再び腰を折った。
「ありがとうございます!」

 出て行くシノワの後ろ姿を見やりながら、駆け引きなどには少しも向いていない息子と、その息子を手札にするつもりでいる自分に、カイルはまた苦笑した。
 感情の全てが顔に出てしまい、気が弱いくせに、妙な所で行動力を発揮する。おそらく、誰かのためになら足元を見ないで走って行ってしまえるのだろう。領主の補佐をするにも危なっかしく、シノワには少々難がありそうだなと、カイルは思った。

 魔法を封じるとか封じないとかいう話に首を突っ込んだのも、どうせ近所の幼なじみの家族が魔法がらみで亡くなったことが原因だろう。小さな頃から、虫でも動物でも、何かが死ぬことに敏感な子どもだった。

 状況から見て、ジュスト・ユルは何年もかけて周到に準備をしてきている。図らずも、ジーナ・オセルと司祭に肩入れした形になったことが、果たしてどう出るか。これからはまた動乱の日々が続くことになるかもしれない。

 この先、シノワがクロードを助けて行ってくれれば、それが一番いいと思っていたが、シノワがもし他にやりたいことがあると言ったら、考えてやらなければならないかもしれない。と、カイルはぼんやり思った。
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