第44話

文字数 3,877文字

 ドアを開くと、ソウェルはハッとしたようにこちらをふり返り、そわそわと立ち上がる。その些細な動作にも、クロムははらはらした。
「クロム、あの子をどうするつもりなの?」
 クロムはまるで壊れ物に触れるようにして、駆けよってきたソウェルの手をとる。
「君が心配する必要はないよ」
「だけど、あの子は司祭が連れていた子なんでしょう?」
「大丈夫。俺はただあの子と話をするだけだ。傷つけるつもりはない」
「あんな所に閉じこめておいて、話すだけだなんて言えるの?」
 ソウェルの顔に浮かんだ非難の色を見て、クロムは少し淋しげに微笑した。
「君は自分の体のことだけ考えていればいいよ。後のことは俺が何とかするから」
「クロム、私は……」
 それ以上は聞きたくないとでも言うように、クロムはソウェルを抱きすくめた。その細さに胸の奥がきしむ。
「君の仕事を増やすのは心苦しいんだが、あの子の身の回りの世話だけ頼んでもいいか? 俺は早く苗を植えてしまわなくちゃならないんだ」
 少し沈黙したものの、ソウェルがうなずいたのを確かめると、クロムはそっとソウェルの体を離す。ソウェルは苦しげな表情をして、何か言いたそうにしていたが、そっと細い腕を伸ばしてクロムの頬に触れた。そのやわらかな感触に、クロムは目を細める。
「クロム、私はあなたに苦しまないでほしいの」
「俺は苦しんでなんかない。君がいなくなるより苦しいことなんかないんだ」
「クロム」
「大丈夫。火の神(ケン)は正しい者を見捨てたりはしない」
 大丈夫だ、と言って、クロムはソウェルのやわらかな髪に口づける。それに心がいっぱいになって、ソウェルはそれ以上何も言えなかった。

***

 やわらかな日の光が差し込む祭主(レシュ)の間で、ルイスは苦り切った表情を浮かべていた。
「昨日の今日で申し訳ありませんね。しかし、昨日の騒動でシノワが行方不明になってしまったので、探さないわけにはいかないんですよ」
 そう言ってガゼルは苦笑した。
「ええ、わかっています」
「お心当たりなどあればおっしゃって下さい」
「このカルムで、カノの魔法使いがあなたに刃向かったこと、カノ家当主としてお詫び申し上げます」
「カノ」
「ウィルド、あなたがこの件に関してどうお考えになっているのかわかりませんが、私には思い当たることなどございません」
 そうですか、とガゼルは深々とため息をついた。
「カノ。私はシノワのことも心配ですが、彼を連れ去った人物のことも心配なのですよ。シノワには強力な守りを付けてありますから、へたに危害を加えればただではすみません。そして、私が出向いても同じことが言えます。それをご承知願えますか」
「ええ。私どもの方でも全力を尽くして、シノワ君をお捜しいたします」
 ほとんどため息のように言って、ルイスは組み合わせた指に目を落とした。
「誤解のないように言っておきますが、私たちはあなた方に話を聞きに来たのであって、糺(ただ)しに来たのではありませんよ」
 ガゼルの声音は穏やかなものだったが、ルイスは何かを抑え込むように両手をにぎりしめていた。
「どういう意味でしょうか」
「そのままです」
 力なく笑うとガゼルは祭主(レシュ)の間を後にした。そこへ落ちた静寂にルイスの深いため息が響いた。


「じゃあ、ロンは(かすみ)なんか食べて生きてるの?」
 シノワが目を丸くすると、ロンはこくこくとうなずいた。そしてまたあれこれ説明し始める。
「ペルドト国の魔法使いも、トップクラスになると霞を食べて生きられるそうよ」
 ソウェルがおかしそうに通訳すると、シノワは感嘆の声を上げる。
「霞って味あるの?」
 興味津々といったシノワに、ロンは大きくうなずいた。
「カリナ山脈の霞は最高だけど、この国ではラルゲットが一番なんですって。カリナに近いからかしらね。でも、ラメールも変わった味でおいしいらしいわ」
 またシノワがひどく感心した声をもらすと、ソウェルはおかしそうに笑った。
 彼女はシノワに昼食を運んできたのだが、ぐるぐると考え込んで暗い顔をしているシノワを見ると、「竜が退屈ですねてるわよ」と笑ってロンの通訳を始めたのだった。おかげで腹の奥にわだかまっていた重みが少し和らぎ、シノワもつられて楽しい顔になっていた。ソウェルのこういうところをクロムは好きなのだろうと、シノワは思った。
 しかしソウェルは突然ひどく咳き込み、シノワはあわてて鉄格子のすき間から彼女の背中をさすった。
「大丈夫ですか?」
「ええ、いつものことだから」
 ソウェルは胸の痛みに顔をしかめながらも、そう言って笑みを作った。
「クロムさんは、ソウェルさんの病気を治したいんですね」
 それを聞くとソウェルはハッとした目でシノワを見たが、すぐにそれを床に移した。その表情が何とも言えず悲しげで、シノワもまたしゅんとなる。
「すみません。本当に僕はいつまでたっても何にも知らないお子様で」
 それにソウェルは弱々しく首をふった。
「本当はこんなこと、してはいけなかったのよ」
「でも、僕だって、きっと同じことをしました」
 そうじゃない、とソウェルはまた首をふりシノワの額に手をやった。
 アイン
 ソウェルが小さくつぶやくと、彼女の細い指先から光がこぼれる。
「ここに、法印(タウ)があるのが見える?」
 そう言ってソウェルが腹の辺りに手をやると、ぼんやりと光の輪のようなものが浮かび上がった。よく見ると、クモの巣のようにすさまじく細い光の糸が複雑に絡み合っていて、それが一本の輪のように見えているようだった。
「クロムは私の病気を治したんじゃない。この法印(タウ)で私の魂をつなぎ止めているの」
「そんなこと、できるわけないじゃないですか。魔法では人の命はあつかえないはずですよ」
 シノワが苦笑すると、ソウェルはそっとシノワの額から手を放した。それと同時に法印(タウ)も見えなくなった。
「そうね。魔法で命をあつかうことは禁止。だけど、禁止と言うより不可能と言った方がいいわ。この法印も、クロムが何年も研究して組んだものだけど、完全とは言えない。とてつもなく繊細なものだから、すぐつなぎ目が揺らぐの」そう言ってソウェルはひどく思い詰めたような顔になる。「シノワ、こんな目に遭わせておいて申し訳ないんだけど、助けてくれないかしら」
 そのソウェルの必死なまなざしにシノワは後ずさりそうになる。どうしようもなく嫌な予感がした。
「この法印を壊すのを手伝ってほしいの。つなぎ目の位置を見てくれれば、それでいいわ。後は私が自分でやるから」
 何を言われたのかわからなかった。息が止まりそうになる。
「──そんなこと、できるわけないじゃないですか!」
「いいえ、あなたにしか頼めないの」
「できません!」
「お願い聞いて」
「嫌です!」
 お願い、とソウェルはシノワの両手を強くにぎった。そこから彼女の手の震えが伝わってきた。
「本当は一度、私の魂はこの体を離れたの。それをクロムが無理矢理引き戻した。許されないことよ」ソウェルはごくりとのどを鳴らして、ためらいと恐れを飲み下す。「クロムは、そのために家も魔法使いの地位も捨ててしまった。本当なら、彼が次の当主になるはずだったのに。
 そして今も、毎日毎日私が無事か法印(タウ)が壊れていないか、そんなことばかりにとらわれてる。そしてついに司祭にまで向かっていってしまったわ。ここままじゃ、彼はこれからもずっと罪を重ねていかなければいけない」
「それでも、ソウェルさんに生きていてほしいんでしょう」
「それを見ていることが、どれだけ苦しいかわかる?」そう言ってソウェルはうつむいた。その細い指がキリキリとシノワの手首に食い込んだ。「私だって彼が大事なのに、私を生かすために彼の人生がめちゃくちゃになっていくのよ。こんなの私には耐えられないわ」
「でも、僕にはそんな……」
 シノワがうわごとのように言い、ソウェルは気を静めるように大きく息をつくと、シノワの手首を放した。
「あなたにとてもひどいお願いをしてるのはわかってるわ。でも、このままじゃクロムは自分の人生を生きられない。司祭はあなたを取り戻しに来るでしょう? そうなったらあの人は死んでしまうかもしれない」
「ガゼルはクロムさんを死なせたりしませんよ」
「司祭にその気がなくても、あの人はきっと死ぬまで向かっていくわ。思い詰めると周りが見えなくなってしまうのよ」
 ソウェルはつらそうに顔をゆがめると、ぽろぽろと涙をこぼした。
「それなら、僕が魔法封じをやめるって言えば……」
「ダメよ」ソウェルは強い口調で言い、シノワの目を真っ直ぐに見すえた。「間違っているのは私たちの方よ。あなたはこんなことであきらめるべきじゃない。クロムも当主も、きっと私のことがなければ賛成したわ。解放の時だって、当主はずっと反対をしてたのよ。当主は前司祭と仲が良かったから。なのに、私がこんな形で生きているせいでカノを乱してる。
 だからお願いよシノワ。手遅れになる前に。私が法印(タウ)を壊せば、証拠は残らない。きっと、みんなが罪に問われることはないわ。
 私には親も兄弟もいないし、ここにいるのはみんなクロムに協力してる友達ばかりで、あなた以外に頼める人がいない。みんなを救えるのはあなただけなのよ」
 お願い、とソウェルはもうほとんど声に出せずに言った。シノワにはそれを見つめ返すことしかできなかった。
──自分の心に従って行動しなさい
 父の言葉が呼び起こされたが、シノワには自分の心がどう言っているのか、もう聞き取ることができなかった。
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