第66話

文字数 3,132文字

 見覚えのある闇の感触に、ぞっと全身にふるえがはしった。どんなに目を開いても何も見えない。自分の体がそこにあるのかどうかすら曖昧になって、まとわりつく闇に息が詰まりそうになる。
 ラメールでの恐怖がよみがえりかけて、シノワが叫びそうになった時、耳元で別の悲鳴が聞こえた。

「明かりを点けなさい! 明かりを! 暗いのは嫌よ! 早く誰か明かりを!」
 それは間違いなくロゼリアのものだった。

「ロゼリアさん? そこにいらっしゃるんですか?」
「嫌よ! 暗いのは嫌! 明かりを点けて!」
 シノワの声など耳へ届いていないようで、ロゼリアは声の限りに叫ぶ。
「落ち着いてください!」
 近くにいることは確かなのだが、声以外に彼女の存在を確かめるすべがなく、シノワが手を伸ばすと、ふりまわしていたらしい彼女の腕が当たってはじき飛ばされる。それに彼女はさらに怯えて叫ぶ。

 ケナズ

 とにかく明かりをと、シノワはもう忘れかけていた火を喚ぶ古代魔法を口にする。この旅の間ずっと、魔法は禁止されていたものの、シノワが上手に火を付けられるようになるまでは、この古代魔法の火だけはガゼルが使うことを許してくれた魔法なのだった。

 ぽっ、と本当に小さな火がクマの手の先に生まれた。よくガゼルが夜の読書に灯しているロウソクのような、本当に小さな火だった。それでも、その小さな火に照らされてクマの姿が暗闇に浮かび上がる。
 何とか古代魔法も使えて、火を灯せばそれが見えることがわかって、シノワは落ち着きを取り戻す。小さな火を手に燃え移らないように気を付けながら地面に置くと、それをどんどん増やしていった。

「ロゼリアさん、明かりを点けましたよ」
 シノワが一生懸命ロゼリアの元へ歩いて行き、短い腕を伸ばして、そっと手首に触れると、彼女はびくりと肩を揺らして後ずさろうとしたが、シノワがロゼリアと呼ぶと、やっと顔を上げた。
「まだちょっと暗いんですけど、もう僕が見えるでしょう?」
 大丈夫ですよ、とシノワが言うと、ロゼリアの緑の瞳がシノワをとらえた。

「もう少し増やしますね」
 シノワはまたせっせと火を増やしていく。もうすでに小さな火が十ほど彼らを取り巻いていて、辺りはずいぶんと明るくなっていた。ひとつひとつ火を増やし、その数が二十近くになると、さすがに疲れてシノワはこてんとその場に座った。

 ようやく違和感に気がついて、ロゼリアがクマをあらためて見た。
「あなた、ガゼルじゃないの?」
「はい、僕はシノワ・エオローです」
「はあ? さっき図書館にいたじゃない」
「あの、その、いろいろあって、今はあっちがガゼルです」
 ロゼリアはまだ信じられない様子で、大きな目を見開いてシノワを見ていたが、クマがばつが悪そうに頭をかくと、悪態をついて再び座り込んだ。

「ハメられたってわけね。これだから魔法使いは嫌いなのよ」
「すみません……」
 なんとなく謝って、辺りを見回してみると、ずいぶんと明るくなったおかげで、この暗闇がどこまでも続くようなものではなく、周りに壁があることがわかった。どうやら二人は四角くて真っ黒な部屋に閉じこめられているらしかった。部屋と言っても、ドアや窓があるわけでもなく、箱と言った方がいいかもしれない。

「いったいここはどこなんでしょうか」
 なかば独り言のようにシノワが言うと、ロゼリアは抱えた膝に顔を埋めた。
「もうダメよ。ここからは出られないわ。こんな暗いところで、干からびて死ぬハメになるなんて。お笑いぐさね」
「ここがどこだかわかるんですか?」
「知ってどうするのよ。どうせもう終わりよ」
「どうして出られないと思うんですか? ロゼリアさんも、魔法は使えるでしょう?」
「魔法が使えたって私には無理よ。これはジュストが、ガゼルを捕まえるために作った檻なんだもの。出口なんて作ってあるわけないじゃない」

 バカなことを聞くなという口ぶりに、さすがのシノワもだんだん腹が立ってきた。
「まったく、あなたたちは何を考えてるんですか! 学院長はどうしてガゼルをこんな所に捕まえる気でいたんです?」
「うるさいわね。ジュストは司祭になるつもりだったのよ」
「司祭になれるのはガゼルだけですよ」
「あいつだってわかってるわよ、そんなこと」
「だったらどうしてこんな……」
「バカね、だからこそ閉じ込めておこうとしたのよ。司祭がいなければ、誰かが代理になれるじゃない。もし殺してしまったら、次の司祭が生まれてしまう。それじゃ、ダメだったのよ」

 殺してしまったら、という言葉にシノワは凍り付いた。学院長は、状況が許せばガゼルを殺すことも考えていたということなのか。

 カデンツの道ばたで、固く目を閉じていたガゼルの姿が思い起こされて、シノワは何度も深く息を吸って、よみがえりそうになる恐怖を落ち着かせた。シノワはどうしてもダメなのだった。目を閉じて横たわっているガゼルを見ていると、二度と目を覚まさないのではないかという考えに頭の中が支配されてしまい、息ができなくなる。当の本人が大丈夫だと言って笑っているのも腹立たしい。

「──そうまでして司祭に成り代わって、学院長は一体何をするつもりなんですか?」
「知らないわよ、そんなこと」
「知らないって……」
「どうせとんでもなく良くないことよ」
「良くないことをしようとしてるとわかってて、どうしてそんな人と関わってるんですか」
「私にお説教するつもり? 私の周りにマトモな人間なんて寄って来るはずないじゃない」
 シノワは思わず唖然と彼女の顔を見返してしまった。そんなことがあるものかと思いつつも、言えばさらに彼女の怒りをあおりそうな気がして、言葉を呑み込む。

「まあ、とにかく、きっとガゼルが何とかして出してくれるはずですよ」
 ガゼルはシノワの格好をして外側にいるのだ。困っているだろうが、クマでいるよりは動き回れる。何とかしてくれるはずだった。
 しかしそれを聞くとロゼリアはさらにイライラし始めた。
「もしここから出られたからって、何だって言うのよ。もしここから出たら、ガゼルは【星】を奪って魔法を封じるんでしょう。そうやってあんたたちに何もかも奪われるぐらいなら、永遠にここから出られない方がましよ!」
「僕たちは【星】を返してもらって、魔法を封じようとしているだけです。それがどうして全て奪うことになるんですか?」
「魔法を封じるってことは、私に死ねと言うのと同じよ」
「ロゼリアさんも何か病気なんですか? 魔法で病気を止めてるんですか?」
 シノワは驚いて、まあるい手でポフポフとロゼリアの手を叩くが、ロゼリアはぷいと顔を背けた。
「何言ってるのよ。私のどこが病人に見えるって言うのよ」
「じゃあ、魂をつなぎ止めてるんですか?」
「はあ? そんなことができるわけないじゃない」
「じゃあ、何なんですか? どうして魔法を封じると死んでしまうんですか?」
 真面目に聞き返してくるクマに、ロゼリアは「ああもう!」と床を叩く。

「まるで外国人と話してるみたいだわ! いい? 私は第五王女なの。ついでに言えば国王の七番目の子どもよ。母親も第四王妃で、全ての叔父や叔母、兄弟が死に絶えなければ私に王位継承権が回ってくるなんてことはないわ。でも、これまで女王がいたためしはないから、死に絶えたってダメかもしれない。それぐらい国王にとってどうでもいい娘なの。
 そんな王女が国王を城に封じ込めたのよ。魔法を封じられて封印が解けたら、私は間違いなく牢獄につながれてしまうわよ。そうなるぐらいならここで死んだ方がマシだって言ってるの!」

 あまりのことにシノワは言葉を失って立ち尽くした。きちんとした体があったら、口が開いたままになっていたことだろう。
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