第19話
文字数 3,390文字
二度、三度、と打ち込むが、フィンは軽々とシノワの剣をよけ、わずかに動いたと見えたときには、ガツンと大きな音を立てて、木剣はシノワの剣の腹を打ちすえていた。
衝撃に手がしびれ、そのすきを突いた木剣がふたたび襲いかかる。が、シノワは素早くそれをよけて間合いを取る。
カン、と小気味よい音を立てて、シノワの剣がフィンの木剣を打ち、辺りで大きな歓声が上がった。
「お前、なかなか筋がいいな」フィンはひょいとのけぞって、シノワの剣をよける。「けど、甘い」
ゴウ、と木剣が唸ったような気がした。その次の瞬間、鈍い音を立てて木剣がシノワの腹を打ち、辺りで歓声と悲鳴とが入りまじった声が上がった。
一瞬気が遠くなった。まるで息が吸い込めず、シノワはあまりの苦しさによろめく。
「もうやめにしようか?」
視界のはしで、フィンが首をかしげる姿が揺らめき、シノワはにじんだ涙を乱暴に拭うと、剣を構える。
「まだやれるよ」
わき上がった歓声に、フィンはフンと鼻を鳴らした。
「じゃあ、遠慮なく」
フィンは再び木剣を構える。ただ木剣を構えて立っているだけなのに、どこから打ち込んでも、絶対に防がれるとわかる。さすがはテュールの練習生 。隙がない。
そしてフィンがわずかに動いたと見えた時には、その剣先が間近に迫っていた。
速い。
かろうじてそれを受けたものの、その重さに先ほど打たれた腹がきしむ。フィンの木剣はギリギリとシノワを追い詰め、シノワは渾身の力を込めて、それをはじき返す。が、やはり休む間も与えず、ふたたび襲いかかってくる。
無駄のない、とてもきれいな太刀筋だった。
ガツッ
今度は肩を打たれてシノワは小さくうめく。
息が上がって、胸が苦しい。打たれた肩が焼けるように痛い。
明らかにフィンはシノワより格上だった。シノワは防ぐのに必死で、なかなかフィンに攻めて行くことができない。このままでは、疲れたところを打ち込まれて終わるだろう。そんな未来がシノワには見え始めていたが、それでも、ここで引こうなどとは少しも思わなかった。それが証文のためなのか、ただ意地になっているだけなのか、それともどこかに潜んでいたプライドなのか、よくわからなかったが、シノワは心のどこかで、少し楽しいと思っていることに気がついた。
フィンもまた、自分が格上だろうと感じていた。
シノワは反応は良いものの、動きが若干遅い。階級は練習生 だと言ったが、しばらく剣をにぎっていないのではないかとフィンは思った。そんな者と勝負をしなければいけないことが、フィンは面白くなかった。
テュールは自他共に求める剣士の一族だ。テュールの階級は一般の階級とは格が違う。それは剣を持つ者なら誰でも知っていることだった。自分は練習生 になったところだとはいえ、一般人の練習生 にはひとつ格下の使部 をあてがってやればいいのだ。当主直々に「何か願い事をひとつきいてやる」と言われなければ、こんな申し出を受けたりしなかった。
そもそも気軽に誓約 など申し込むものではない。テュールの者であっても、誓約 を申し込むことなどほとんどない。親を殺した相手だとか、全ての財産を奪った相手だとか、そういう者に人生を賭けて挑むものなのだ。会議の再開なんてものをかけて誓約 を申し込むなんて、どうかしている。
(まあ、これで次の昇格試合に出られれば、それでいいか)
フィンは胸の内でつぶやいて、シノワへ向かって木剣を振り抜いた。
そうしてしばらく、シノワが防戦一方の状態が続き、傍目にはシノワが劣勢にしか見えなかった。
しかし、しばらくすると、フィンは次第に苛立ち始めた。どうしても決定的な攻撃がシノワに届かないのである。
シノワはフィンの攻撃をギリギリのところで守り、強く攻めてこないが倒れもしない。ずいぶん前から息が上がっているくせに、動きがあまり鈍りもしないし、まだ勝算があるかのように、フィンの動きをじっと見ている。そして時折、ひやりとするような攻撃を仕掛けてくるのだ。
(こんな練習不足の一般人に手間取ってたら、みんなにバカにされてしまう)
早く勝負を決めてしまわなければと、フィンがぐらついたシノワに打ち込もうとした時、不意にひやりとした感覚が頬をなで、フィンが首を大きく傾けた瞬間、シノワの木剣がフィンの頬をかすめるようにして通り過ぎる。一瞬遅れて、木剣の巻き起こした風がフィンの頬をなめた。
「やっと暖まったってとこか」
レジンは面白そうにつぶやいて、二人の打ち合いを目で追う。
シノワよりふたつ年下のフィンは、同い年の少年の中では強い方で、見る限りはシノワより少し格上と言ったところだったが、負けず嫌いで、追い込まれるとボロを出すところがある。それに比べてシノワの方は、自分から誓約 を申し込んだわりに、勝とうと気負っているところがあまり見えない。
「これは、わかんなくなってきたなあ」
ちらりとガゼルの方を見やると、彼は試合を楽しんでいる風でもなく、ただじっと二人の方を見ていた。いつでも楽しそうにしているガゼルにしてはめずらしい。
小首をかしげながらも、レジンは今日は自分が審判 だということを思い出し、二人に目を戻して仕事に戻った。
次第にフィンの動きは雑になりはじめ、反対にシノワの木剣が反撃へと転じる。それに引っ張られるように、辺りの歓声も大きくなってゆく。フィンはあせり始めた。
(一般人なんかに負けられない)
自分は決して弱い方ではない。仲間内では一番に練習生 になったのだ。みんな自分に期待している。当主だって、シノワに自分が勝つと思ったから、自分を誓約 の代理人に選んだのだ。こんなところで、信頼を裏切るわけにはいかない。
しかし、そう思えば思うほど、フィンの木剣はシノワにかすりもしなくなって、シノワに急所を狙われた。
(勝てるかもしれない)
そんな思いが、シノワの脳裏に初めて浮かんだ。
シノワも稽古場では弱い方ではなかった。同い年の友人の中では強い方だったのだが、兄にはどうしても勝つことができないでいた。次こそは、次こそは、と思う内に兄が勉強のために剣を置き、そうなるとどうもつまらなくなり、自分も塔の学院への進学のために剣を置いてしまったのだった。
それから今日まで剣に触れてこなかった。もう剣のことなどほとんど忘れかけてさえいたのだが、木剣とは言え、こうして剣を交えて戦うことが案外楽しいのだということを、シノワはようやく思い出したのだった。剣を振っていた頃の、わくわくするのと、こわいのと、勝った時のあの晴れやかな気持ち。
勝ちたいと、はっきりそう思った。
ガツッと木剣が硬い音を響かせる。互いに強い衝撃がはしったが、二人ともすぐに体勢を整え、打ち込む。そしてわずかなフィンの隙を狙って、シノワの木剣がフィンの二の腕をかすめる。
大きな歓声が上がる。
(ダメだ。みんなが見てるのに、一般人に負けたくない)
フィンは奥歯を食いしばる。すくい上げるようにして振った剣がかわされ、ひょうと鳴った。
(誓約 に負けたなんて、そんな汚点を残したくない!)
素早く打ち込まれたシノワの剣先が、フィンの肩を打った。鋭い痛みにフィンは少しぐらつく。
(嫌だ)
シノワの目が、フィンを真っ直ぐに捕らえていた。
(負けるわけにはいかない。どうしても!)
フィンが、タン、と地面を蹴った時、小さく風が渦を巻き、シノワの顔にパラパラと何か小さなものが当たった。
砂を巻き上げるほどの風ではなかったのに、とシノワは眉をひそめる。
そしてまた、フィンが土を踏みしめると、わずかな風が巻き起こった。頬の産毛がわずかに感じるような、そんな緩やかな風に混じった小さな砂粒が、シノワの肌に当たる。妙だった。
(まさか、魔法──)
そうシノワが思った時、少し強い風が吹き、シノワの目に痛みがはしった。
フィンはその隙を見逃さなかった。
勝たなければならないのだ。自分は当主の代理なのだから。
怯んだシノワの腹を思い切り打ち、間髪入れずに脇腹を打つ。
「ぐっ──」
シノワの視界が真っ白に焼け、一瞬呼吸が止まった。そしてシノワは吸い寄せられるように固い地面に膝をつく。本能的な恐怖を感じて、涙にかすむ目でふり返ると、そこにはフィンの殺気を含んだ目と、風を斬るようにうなりを上げてふり下ろされる木剣があった。
衝撃に手がしびれ、そのすきを突いた木剣がふたたび襲いかかる。が、シノワは素早くそれをよけて間合いを取る。
カン、と小気味よい音を立てて、シノワの剣がフィンの木剣を打ち、辺りで大きな歓声が上がった。
「お前、なかなか筋がいいな」フィンはひょいとのけぞって、シノワの剣をよける。「けど、甘い」
ゴウ、と木剣が唸ったような気がした。その次の瞬間、鈍い音を立てて木剣がシノワの腹を打ち、辺りで歓声と悲鳴とが入りまじった声が上がった。
一瞬気が遠くなった。まるで息が吸い込めず、シノワはあまりの苦しさによろめく。
「もうやめにしようか?」
視界のはしで、フィンが首をかしげる姿が揺らめき、シノワはにじんだ涙を乱暴に拭うと、剣を構える。
「まだやれるよ」
わき上がった歓声に、フィンはフンと鼻を鳴らした。
「じゃあ、遠慮なく」
フィンは再び木剣を構える。ただ木剣を構えて立っているだけなのに、どこから打ち込んでも、絶対に防がれるとわかる。さすがはテュールの
そしてフィンがわずかに動いたと見えた時には、その剣先が間近に迫っていた。
速い。
かろうじてそれを受けたものの、その重さに先ほど打たれた腹がきしむ。フィンの木剣はギリギリとシノワを追い詰め、シノワは渾身の力を込めて、それをはじき返す。が、やはり休む間も与えず、ふたたび襲いかかってくる。
無駄のない、とてもきれいな太刀筋だった。
ガツッ
今度は肩を打たれてシノワは小さくうめく。
息が上がって、胸が苦しい。打たれた肩が焼けるように痛い。
明らかにフィンはシノワより格上だった。シノワは防ぐのに必死で、なかなかフィンに攻めて行くことができない。このままでは、疲れたところを打ち込まれて終わるだろう。そんな未来がシノワには見え始めていたが、それでも、ここで引こうなどとは少しも思わなかった。それが証文のためなのか、ただ意地になっているだけなのか、それともどこかに潜んでいたプライドなのか、よくわからなかったが、シノワは心のどこかで、少し楽しいと思っていることに気がついた。
フィンもまた、自分が格上だろうと感じていた。
シノワは反応は良いものの、動きが若干遅い。階級は
テュールは自他共に求める剣士の一族だ。テュールの階級は一般の階級とは格が違う。それは剣を持つ者なら誰でも知っていることだった。自分は
そもそも気軽に
(まあ、これで次の昇格試合に出られれば、それでいいか)
フィンは胸の内でつぶやいて、シノワへ向かって木剣を振り抜いた。
そうしてしばらく、シノワが防戦一方の状態が続き、傍目にはシノワが劣勢にしか見えなかった。
しかし、しばらくすると、フィンは次第に苛立ち始めた。どうしても決定的な攻撃がシノワに届かないのである。
シノワはフィンの攻撃をギリギリのところで守り、強く攻めてこないが倒れもしない。ずいぶん前から息が上がっているくせに、動きがあまり鈍りもしないし、まだ勝算があるかのように、フィンの動きをじっと見ている。そして時折、ひやりとするような攻撃を仕掛けてくるのだ。
(こんな練習不足の一般人に手間取ってたら、みんなにバカにされてしまう)
早く勝負を決めてしまわなければと、フィンがぐらついたシノワに打ち込もうとした時、不意にひやりとした感覚が頬をなで、フィンが首を大きく傾けた瞬間、シノワの木剣がフィンの頬をかすめるようにして通り過ぎる。一瞬遅れて、木剣の巻き起こした風がフィンの頬をなめた。
「やっと暖まったってとこか」
レジンは面白そうにつぶやいて、二人の打ち合いを目で追う。
シノワよりふたつ年下のフィンは、同い年の少年の中では強い方で、見る限りはシノワより少し格上と言ったところだったが、負けず嫌いで、追い込まれるとボロを出すところがある。それに比べてシノワの方は、自分から
「これは、わかんなくなってきたなあ」
ちらりとガゼルの方を見やると、彼は試合を楽しんでいる風でもなく、ただじっと二人の方を見ていた。いつでも楽しそうにしているガゼルにしてはめずらしい。
小首をかしげながらも、レジンは今日は自分が
次第にフィンの動きは雑になりはじめ、反対にシノワの木剣が反撃へと転じる。それに引っ張られるように、辺りの歓声も大きくなってゆく。フィンはあせり始めた。
(一般人なんかに負けられない)
自分は決して弱い方ではない。仲間内では一番に
しかし、そう思えば思うほど、フィンの木剣はシノワにかすりもしなくなって、シノワに急所を狙われた。
(勝てるかもしれない)
そんな思いが、シノワの脳裏に初めて浮かんだ。
シノワも稽古場では弱い方ではなかった。同い年の友人の中では強い方だったのだが、兄にはどうしても勝つことができないでいた。次こそは、次こそは、と思う内に兄が勉強のために剣を置き、そうなるとどうもつまらなくなり、自分も塔の学院への進学のために剣を置いてしまったのだった。
それから今日まで剣に触れてこなかった。もう剣のことなどほとんど忘れかけてさえいたのだが、木剣とは言え、こうして剣を交えて戦うことが案外楽しいのだということを、シノワはようやく思い出したのだった。剣を振っていた頃の、わくわくするのと、こわいのと、勝った時のあの晴れやかな気持ち。
勝ちたいと、はっきりそう思った。
ガツッと木剣が硬い音を響かせる。互いに強い衝撃がはしったが、二人ともすぐに体勢を整え、打ち込む。そしてわずかなフィンの隙を狙って、シノワの木剣がフィンの二の腕をかすめる。
大きな歓声が上がる。
(ダメだ。みんなが見てるのに、一般人に負けたくない)
フィンは奥歯を食いしばる。すくい上げるようにして振った剣がかわされ、ひょうと鳴った。
(
素早く打ち込まれたシノワの剣先が、フィンの肩を打った。鋭い痛みにフィンは少しぐらつく。
(嫌だ)
シノワの目が、フィンを真っ直ぐに捕らえていた。
(負けるわけにはいかない。どうしても!)
フィンが、タン、と地面を蹴った時、小さく風が渦を巻き、シノワの顔にパラパラと何か小さなものが当たった。
砂を巻き上げるほどの風ではなかったのに、とシノワは眉をひそめる。
そしてまた、フィンが土を踏みしめると、わずかな風が巻き起こった。頬の産毛がわずかに感じるような、そんな緩やかな風に混じった小さな砂粒が、シノワの肌に当たる。妙だった。
(まさか、魔法──)
そうシノワが思った時、少し強い風が吹き、シノワの目に痛みがはしった。
フィンはその隙を見逃さなかった。
勝たなければならないのだ。自分は当主の代理なのだから。
怯んだシノワの腹を思い切り打ち、間髪入れずに脇腹を打つ。
「ぐっ──」
シノワの視界が真っ白に焼け、一瞬呼吸が止まった。そしてシノワは吸い寄せられるように固い地面に膝をつく。本能的な恐怖を感じて、涙にかすむ目でふり返ると、そこにはフィンの殺気を含んだ目と、風を斬るようにうなりを上げてふり下ろされる木剣があった。