第41話

文字数 3,227文字

 白い外套の男たちに通された祭主(レシュ)の間で、炎の魔法使いカノ家当主ルイス・カノは待っていた。

 二人の姿を見出すと、ルイスは厳格そうな顔に柔和な笑みをたたえて一礼する。彼も白いゆったりとしたローブをまとっていて、その縁には赤い縫い取りがあった。そしてひらめくローブの内側は、目の醒めるような赤に染め上げられている。

「わざわざ迎えまで送っていただきまして、申し訳ありませんでしたね」
 ガゼルはにこやかに言って、軽快に足音を響かせる。
「そちらがシノワ・エオロー君ですか? お話はうかがっておりますよ」
 突然名を呼ばれてうろたえつつ、シノワは行儀良く腰を折った。うながされて二人は簡素だが品の良い椅子に腰を下ろす。

 祭主(レシュ)の間と呼ぶにふさわしく、重々しい石造りの部屋は、少しひんやりとした空気が立ちこめていた。ガゼルの言うようにこの辺りには二階を作る習慣がないらしく、三角にとがった天井にある窓からは、日の光が射し込んでいた。その窓の下では、魔法の小さな金色の光がゆらゆらと、いくつも宙を舞っていて、それが炎を表す文字を形作っている。

「早速ですが、シノワのことを聞きおよんでおられるということは、私たちがここへ来た理由もご存じなんですね」
 ガゼルが朗らかに言うと、ルイスはわずかに穏やかな笑みを曇らせ、短くため息をついた。
「あなた方が各当主の元を訪れていて、私が最後だということも存じ上げております」
「では、ご意見をうかがってもよろしいでしょうか?」
 ルイスは少し沈黙し、またため息をついた。
「魔法を封じることには反対です」
「そうおっしゃると思っていました」

 そのまま会話が終わってしまいそうな気配がして、シノワはあわてて口を挟む。
「どうして反対されるのか、聞いてもいいでしょうか」
 ルイスはシノワを一瞬見やったが、すぐにそれを目の前のテーブルに移す。

「君は解放の時のことを知らないだろうが、我らカノは解放に最後まで反対したのだよ。ろくなことにならないのは火を見るよりも明らかだったからね。
 しかしウィルド……前司祭のクリフォード・ウィルドが私たちの反対を押し切って承諾してしまった。それを、五年経ってやはり大変なことになったから、というのは虫が良すぎる。これは簡単に考えてはいけない問題なのだよ」
「僕もそう思います」
 ルイスは少し白いものが混じり始めた眉を持ち上げて、シノワを見た。
「僕は本当のことなんてよく知らないで、ガゼルに魔法を封じてもらえるように頼みに行きました。だから、今さらとおっしゃるのもわかります。でも今は、全部じゃありませんが、魔法についていろいろ知りました。だからこそ、問題は僕が思っていたよりもずっと複雑なんだってことがわかったんです。だから、あなたが反対だとおっしゃるのも、「今さら」という他に、何か理由があるんじゃないでしょうか?」

 ガゼルもジーナも、カノは賛成しないだろうと言った。その理由が「今さら」というのは説得力がない。
 シノワの真摯な顔つきを見ると、ルイスは椅子の背にもたれかかった。
「ウィルド、これは少し卑怯ですね」
「そうでしょうか」
 いったい何の話だろうかと、シノワが二人を交互に見やると、ガゼルがその膝頭をポンポンと叩いた。

「カノ、私は是が非でも魔法を封じたいわけではありません。反対を貫くかどうかはあなたの判断にお任せしますよ。他四人の当主からそれぞれに証文はもらってありますが、これが単純に多数決にはならないことも、ちゃんと承知していますから」
「では、遠慮なく私の意見を申し上げましょう。やはり、私は賛成しかねます。ウィルド、そもそも私はあなたがそうやって傍観者を決め込んで、たった一人の少年に魔法の行く末を判断させようとしていることに疑問を感じます。その真っ直ぐな少年に、いったいどれだけの責任を背負わせるおつもりなのです?
 もし国民の大多数が魔法を封じたいと思っていたなら、彼は英雄になれるでしょう。しかし、英雄と罪人は紙一重です。魔法を封じた後、国は魔法解放の時よりも混乱するでしょう。その時、その子が魔法を国民から取り上げさせた者として、つるし上げられないと言い切れるのですか?」
「まあ、その可能性がないとも言い切れませんが、きっとそんなことにはなりませんよ」
「どうしてそんなことが言えるのです?」
「自分が窮地に立たされるような、そんな愚かな選択をシノワはしないと、私は思ってるんですよ」

 シノワはどきりとして、隣にいるガゼルをふり返った。

「そんなこと。たった十五歳の少年に正しい判断ができるとは思えませんよ」
「そうでしょうか。私が言うのもなんですが、単純に歳を重ねれば間違えない、とも言い切れないでしょう?」
「どうかしている」
「どうも私は信用されてませんね」
「司祭としての責任を放棄して行方をくらましていたではありませんか」
「それを言われると痛いところですが、私にもいろいろと事情がありまして」
「ガゼル、あなたはもう司祭なのですよ。嫌でもそれらしくしてもらわないと困りますよ」
「べつに遊んでいたわけじゃないんですがねえ」
 ガゼルが頭をかくと、ルイスは深々とため息をついた。
「とにかく、私は魔法を封じることには反対です。証文を差し上げましょう」

「ちょっと待ってください!」
 シノワがあわてて立ち上がり、その勢いで倒れた椅子が大きな音を響かせた。

「あ、あの、僕や、ガゼルのことが信用できないのかもしれませんが、それは、魔法を封じるべきかどうかという話とは、別の問題ですよね? あなたが解放の時に反対したのに受け入れられなかったことと、簡単に決めるべきじゃないということはわかりました。でも、それには今のあなたの意志が全然入っていません。ルイスさんは、魔法を封じたくないんですか? そうだとしたら、その理由は一体何なんでしょうか」
「今はまだその時期ではない」
 冷たく言い放たれた言葉に怯みかけたが、シノワはぐっと腹に力を込める。
「僕は、絶対に今すぐに魔法を封じてほしいと思ってるわけじゃありません。タイミングも慎重に考えるつもりでいます。あなたが今はまだ早すぎると思ってるのなら、その意見も聞きたいと思ってるんです。それでも、賛成してはもらえないんでしょうか? そうだとしたら、その理由は何なんでしょうか? 魔法の解放には反対だったんですよね?」

 ルイスは苦々しい表情を浮かべて押し黙った。やはり、何かありそうだった。

「いつまでに、という期限がある問題でもありませんから、今日のところは辞すことにしようか、シノワ」
「え、あ、はい」
「それではまた近いうちに証文をいただきにまいります」
 ガゼルが会釈をして席を立つと、シノワもルイスにぺこりと頭を下げ、倒れた椅子を元に戻すとガゼルを追って扉へ向かった。

「そう言えば、カノ。ご子息はお元気ですか?」

 その言葉に、ルイス周りにあった空気が色を変えたような気がした。

「私に息子はもうおりません。いろいろな噂をお聞きおよんでおられるかと思いますが、今回の件と彼のこととは一切関係ありませんよ。あれはカノのはみ出し者。もう親でも子でもありません」
「では、今はこちらにお住まいではないのですね」
「ええ。どこで何をしているのか、もう私の知るところではありません」
 唐突になんて話をしているんだと、シノワはまたそわそわとルイスとガゼルの間でせわしなく視線をさまよわせていたが、ガゼルは「そうですか」と短く言って、祭司の間と外界を隔てる扉を開いた。シノワもまた律儀に腰を折ると、祭司の間を後にした。

 ギギ、ときしんで扉が閉まると、ルイスは疲れたように目頭を指で押した。

──ウィルドは連れ歩いている十五歳の少年に今回の件を一任しています。それ以外に彼を左右するものはありません。この件を阻止するのであれば、まずはその少年を……

 くせのない美しい文面を思い出し、ルイスは深々とため息をついた。
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