第26話

文字数 2,482文字

「あれは失敗作というより、研究課程です。学生の除草訓練にもなりますから、あれはあれで利用価値があるのです」
 ガゼルは小さく息をつく。
「あなたが私を司祭と認めたくないのはわかりますよ。でも、あなたも当主の一人でしょう。あんなに堂々と規定違反の代物をばらまかれては困ります。最近、クロワでも規定違反の代物が大流行していましてね。ユル、クロワへ行かれたりしていませんか?」
 シノワは一気に胃の底が冷たくなるのを感じた。
 クロワでガゼルが焼き尽くしたアクロ。あの規定違反のおもちゃの依頼主はラーグ家当主だろうが、他の当主も関わっている、とガゼルは言っていたが、まさかそれが学院長だとでも言うのだろうか。
「エイラが厳重注意を受けていた件ですね。私は存じ上げませんよ」
「なんだか大きな商売になっていたようなので、あなたならご存じかと思っていたのですが」
 やはりガゼルはザインの商売相手は学院長だと思っているらしい。いくらなんでも学院長ともあろう者が、そんなことをするはずがない。シノワはぎゅっと胃が締め付けられるような心持ちがして、今すぐここから逃げ出したくなった。
「それは邪推しすぎというものです」ジュストはまたふふっと笑う。「クロワでのことは存じませんが、私があなたにお会いしたかったのは、規定についてお話ししたかったからなのですよ。我々の研究のため、規定を見直していただきたいのです」
「あんな甘っちょろい規定の、一体何を見直せと言うんです?」
「規定を破棄しろとは申しておりません。一部にのみ許可をいただきたいのです」
「ノービルメンテのみにそれを許可しろと?」
「一般にまで許可する必要はありません。しかし、ここへ集まってくる学生はみな優秀です。彼らには無限大の可能性がある。その研究の妨げになるのがあの規定なのですよ」
「あなたは私たちが何を申し入れに来たか、わかっていますか?」
 もちろん、とジュストは微笑した。
「あなたは私たちの研究がどれだけの可能性を秘めているか、理解していないのですよ。気の遠くなるような時間をかけなければならない変化を、瞬く間に見ることができるのですよ。その研究を極めれば、あなたの望むように魔法を封じたとしても人々は生活してゆけます。
 魔法なしで空を飛び、海を歩き、畑を耕すことなく作物を育て、季節を問わず収穫する。その一見夢物語のような世界を、私たちは現実に引き寄せようとしているのですよ。素晴らしいと思いませんか? シノワ君」
 突然同意を求められ、はあ、とシノワはいつものように気の抜けた返事をした。確かにその研究が成されれば、魔法がなくてもやっていけそうだった。しかし本当にそんなことができるのだろうか?
 そんなシノワの顔を見ると、ジュストは小さくため息をついた。
「あなたはお兄さんより少し劣りますね」
 その言葉にシノワは、ひゅっと体の奥底にあるものをつかまれた気がした。そのシノワの揺らぐ瞳を、ジュストの青い瞳が捕まえる。
「候補生のクロード・エオローは君のお兄さんでしょう? 顔がよく似ていますね。彼はこの私の講義を聞いたとき、その未来をありありと頭の中に描いて、目を輝かせていたのだけれど」
 ジュストがそう言って首をかしげてみせると、ガゼルがあははと声を上げて笑った。
「想像力が乏しいのはクロードの方ですよ。残念ですが、私はあなたの夢には賛同できない」
「それは残念です。ノービルメンテに規定を破棄した魔法を残していただけるのなら、魔法を封じることに賛同してもかまわない、と思っているのですが」
「規定を変えるつもりはありません」
「困りましたね」
 そう言ってジュストはガゼルの言葉を待つように黙った。お互いに引くつもりはないようだった。
「あ、あの、学院長……」
 凍り付くような沈黙に耐えかねて、シノワが口ごもりながら口を開くと、ガゼルがやれやれと苦笑する。
「まあ、もうしばらくはここにいますから、また日を改めましょう。あなたも気を変えるかもしれませんしね。あなたのご都合のよろしいときにお呼びください」
 ガゼルは腰を上げる。
「承知いたしました。しかしウィルド、あなたもよく熟考されますよう」
 その静かな笑みにガゼルは会釈を返し、おろおろするシノワの腕を引いて温室を後にする。
──ダレトコフアイン
 二人の後ろ姿を見やりながらジュストは囁き、その目に映し見たものに、なるほどと笑みを深めた。

 森の道を行く足取りは、まるでぬかるみを歩いているのかと思うほど重かった。何度も何度もため息をつくシノワにガゼルも息をつく。
「そう落ち込むなよ。たった一人の意見を真に受けるもんじゃない」
──あなたはお兄さんより少し劣りますね
 たった一人でも、友達一人に言われるのとノービルメンテ学院の学院長に言われるのとでは、全く重みが全く違う。とシノワは思ったが、それを口に出す元気もなく、チラッとガゼルの顔を見たものの、すぐにその視線を黒ずんだ石畳に落とした。
 するとガゼルは、ああ、とうめく。
「君まで司祭の私の言うことより、学院長の意見を尊重するのか?」
 ガゼルは大げさに悲愴な顔を作ったが、たいした反応も見せないシノワの背中をなだめるようにポンポンとなでた。
「証文をもらえませんでしたが、どうするんですか?」
「まあ、ユルも気を変えるかもしれない」
「変えなかったら?」
「それはそれでしかたない。一意見として尊重するよ」
「それじゃ魔法を封じられないじゃないですか!」
 シノワは泣きそうな顔でふり返る。
「君は真面目だなあ。そう四角四面にとらえなくてもいいんだよ。進む方向が【星】の気分に反してなければ、何とかなるもんだよ」
「何ですかそれ」
 ガゼルの言葉はシノワにとっては謎々のようで、ちっともわからない。こういう時ぐらい、私が何とかするから大丈夫! ぐらいのことを言ってほしかった。とはいえ、彼に励ます気があるのかどうかも、定かではないのだが。
「私は充分、君を気に入ってるよ」
 ガゼルは唐突にそんなことを言い、シノワは「ありがとうございます」と口の中でモゴモゴ言った。
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