第17話

文字数 3,533文字

「どうして来なかったんですか?」

 部屋に戻り、窓辺で悠長に本を読んでいたガゼルを見出すと、シノワはいつになくとがった声を出した。
「どうして?」
「舟が落ちたんですよ。知らなかったんですか?」
「わざわざ私が出向かなくとも、みんなでちゃんと片付けただろう?」
 そうじゃなくて、とシノワがイライラと頭をかくと、ガゼルは小さく息をついて本を閉じた。
「私にだってどうしようもないこともある。そりゃあ魔法は得意だけど、命を落とした者はどうしようもないし、全ての人を危険から守ってやることもできないよ」
 確かにその通りだった。司祭だからといって、全ての人を見張ることもできないし、魔法は命をあつかえない決まりだ。

 それはシノワにもよくわかっていたが、胸のモヤモヤがいっそう濃度を増し、乱暴に外套をはずすと古びたベッドにうつぶせに倒れこんだ。目をつぶると、先ほどの男たちの顔が浮かんでくる。

「どうしてみんな平気なんですか? 人が亡くなったんですよ、三人も。きっとみんな家族や友達がいたはずなんですよ。きっとみんな悲しみます……」
 声がふるえたのが悔しくて、シノワはぐっと奥歯を噛みしめた。
 降ってきた家の下敷きになったイディアの祖母には、シノワも小さい頃からよく面倒を見てもらっていたのだった。怒ると恐かったが、よく笑う楽しい人だった。でも、もう会えない。もらったお菓子のお礼も言えなかったし、最後に何を話したかも覚えてない。そのことを思うと、今でも体の奥がぎゅっとしめつけられる。
「そうだね。シノワ、君は間違ってないよ」
 言いながらガゼルはベッドのふちに腰かけると、シノワの髪をそっとなでた。そうやって子どもあつかいされることに腹が立ったが、その手を払いのける勇気もなく、シノワはにじんだ涙を、のどの奥でかみ殺した。




「じゃあ、テュールは魔法の封印に反対で決まりだな」
 レジンの父グラーベが言い、集まった男たちはやれやれと席を立つ。

「まったく、突然やってきたと思えば、とんでもない」
「たった五年で魔法を封じるなんて、正気とは思えないね。そんなことをするぐらいなら解放なんてしなければよかったんだ」
「司祭にはくれぐれもよろしく言っておいてくれよ、レジン」
 集まったテュールの男たちは口々にそんなことを言って、その中の男が一人レジンの肩をポンポンと叩いて行く。それに曖昧に笑ってレジンは小さくため息をついた。こういう会合にはまだ慣れることができない。

 テュール家当主になって約一年。最も重要視されている剣技と、その他の様々なテストに合格し、全ての者から認められて当主になったものの、やはりレジンの若さはマイナスだった。
 魔法や剣では誰にも負けなかったが、自分の父親よりも年上の男たちをまとめるというのは、簡単なことではなかった。いつもこうして父親に手助けしてもらわなければならない。それが悔しかった。

「やれやれ、司祭も何をお考えなのやら。まあ、さっさと片付いてよかった。今日の内に法印(タウ)を刻んで、明日にはクロワへ納品しなければならん剣が、まだだいぶ残っているようだからな」
「ウィルドは本気なのかな」
 あのつかみ所のない司祭が一体何をもくろんでいるのか、レジンにはさっぱり見当が付かなかった。
 レジンのつぶやきにグラーベは「さてね」と肩をすくめると、乱れた椅子を丁寧に並べ直してゆく。

──そろそろ魔法を封じるのもいいかなと思ってね

 司祭は何でもない風に言ったが、そんな簡単な話ではない。魔法を解放した時、前司祭は力を使い果たして命を落としたのだ。

「だいたい、カノ家は絶対に同意しないだろう。クロムのこともあるし」
「父さん」
 レジンのとがった声に、グラーベはしまったという顔をして、すまん、と片手を上げた。そしてつくろうようにしゃべり続ける。
「たぶん司祭もあの少年も、そのうちにはあきらめるさ。今さら魔法を封じるぐらいなら、前司祭は解放などしていないだろう」
「でも、解放の時ウィルドたちは最後まで反対したんだろ?」
「そりゃあ、司祭には何の得もないじゃないか。全てのエレメントの魔法を解放して、魔法使いがみんな自分と同じように魔法を使えるようになったら、自分は用なしだ。それまで法庁(バーカナン)のてっぺんにいたのが、ただの魔法使いに成り下がることになるだろう? そりゃあ反対もするさ」

 そういうもんか、と興味もなさそうに言って、レジンは先に出ていったグラーベについて会議室を後にした。もし父が言うように、司祭が地位を守りたいというのが狙いなら、悩んでやる必要もない。しかし、ガゼルはそんなことを考えるだろうか。

 外に出ると、さっそく噂の少年の姿を見つけ、レジンはそっと背後に歩み寄る。少年は井戸端に座り込んで、何かごそごそやっていた。それをのぞき込んでレジンは眉を持ち上げる。
「何だ、古くさいことやってんなあ」
 レジンの声に、シノワはおもしろいほどびくりとして、持っていた布を取り落とした。その布の内側には草の葉がのせてある。メチド草である。
「ガゼルが魔法を使わせてくれないんです」
 ふてくされたように言って、シノワは布を拾い上げると、それを足の裏に当てる。
「治してやろうか?」
「結構です。もうほとんど治ってますから」
 どうやらシノワは何か腹を立てているらしい。レジンはその隣へ腰を下ろす。

「残念ながら、テュールは会議の結果、魔法封じに同意しないことに決まったぞ」
 シノワはふと手を止めたが、レジンをふり返るでもなく、すぐにまた作業に戻る。
「どうしてですか?」
「どうしても何も、俺たちは魔法を封じたいと思わないし、封じた方がいいとも思わない」
「クロワでも、魔法で問題が起きてました。昨日も魔法で三人も人が亡くなった。きっと知らないところでも、もっとたくさん良くないことが起こってる。そう思いませんか?」
「そりゃあ、魔法使いでもない素人が無茶をするからだ」
「この国のほとんどの人は素人ですよ。たった五年で、空から家が降ったり、昼が二度も来たりするのに、これから魔法を使う人がもっと多くなったら、もっと大変なことになるに決まってる。
 それに、魔法が全ての人に必要なのだとしたら、どうして【星】は封じられていたんでしょうか? 建国史が本当なら、初代司祭が封じる前、【星】は掘り起こされて地上にあったんですよ。それを初代司祭がわざわざ封じた理由って何でしょう。二人の王が争ったから、ということになってますが、本当は国がこんな風にデタラメになったからじゃないでしょうか。そうは思いませんか?」
 シノワに真っ直ぐに見つめられて、レジンはとっさに言葉が出なかった。そのようなことを、母親や祖母がブツブツ言っていたような気がするが、実際レジンはそんなことを考えたことはなかった。

「けどよ、実際に魔法がなくなったらお前も困るだろ? 小さなケガでも、そうやってちまちま手当しなくちゃならないし、もっと重いケガとか病気は薬じゃ治らないこともある」
「魔法がない時代にもケガや病気はありました。でも、人は滅びなかったじゃないですか」
 レジンは思わず目を丸くしたが、脱力したように天を仰ぎ、そのまま草の上に寝転がった。
「そんなレベルの話にするのかよ。たいしたもんだ」
 結局真面目に聞いてくれそうにないと見て、シノワは深々とため息をついた。

 テュール家当主は、全ての剣を持つ者から尊敬される存在である。シノワはガゼルに《品行方正な老人》を期待していたのと同じように、テュール家当主にも大きな期待を寄せていたのだった。だって、たった十六歳で当主を継いだのだ。
 しかし、こうして話していると学院の同級生と話している時と同じような、見えない隔たりを感じた。

 シノワは学院でも魔法の話をしていたのだが、真剣に聞いてくれる友人は一人もいなかった。それよりも、どうやって新しい法印(タウ)を組むか、どれだけ本家筋に近い魔法使いに家庭教師を頼めたか、というような話の方が盛り上がっていたのだった。
 確かにガゼルも初めは、レジンと同じようなことを言った。魔法がなくなってやっていけるのかと。しかし、ガゼルの言葉は、レジンのそれとは何かが違っていたように思える。
 何だかんだ言いながらも、ガゼルはシノワとともに魔法を封じようと旅に出てくれたわけで、クロワの街でも放っておくと言いながら、結局は危険なアクロを燃やした。その真意がどこにあるのか、シノワにはまだわからなかったが、少なくともガゼルは、シノワが真剣に言ったことを、笑ってはぐらかすようなことはしなかった。

──シノワ、君は間違ってないよ

 シノワは何かの力を自分に込めるように、ぐっと手をにぎりしめた。
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