第5話

文字数 2,913文字

 あわたただしく荷作りを終え、シノワが家の門をくぐる頃には、東の方から夕闇が迫ってきていた。

 どういう趣向なのか、ガゼルは物置に放置されていた、ほんの小さな荷車を引っぱり出し、それにシノワの荷物とハシゴを積んで、当然のようにシノワに引かせた。
 昔は人が引かない場合はロバに引かせることもあったが、最近ではロバに似せた人形を作って引かせるという魔法が浸透しており、シノワのその姿は当然の如く目立った。

「あの、どうして僕がこれを引っぱらないといけないんでしょうか」
 恨めしそうに言うシノワに、ガゼルはひょいと眉を持ち上げた。その姿はいつの間にか、元のガゼルに戻っている。
「何を言ってるんだ。君にそれだけの荷物を担いで歩いて行けるのかい?」
「どうして僕が担ぐ話になるんですか」
「もし魔法を封じたら、君が自分で担ぐか、どこかからロバを調達するか、君が荷車を引くかの三択だけど、君の家にも近所にもロバがいないし、君にはこれだけの荷物を担げないだろうから、実質君が荷車を引くの一択だろう」
「まだ魔法を封じてないじゃないですか」
 シノワが口をへの字に曲げると、ガゼルは人差し指を立ててチチッと舌打ちする。
「甘いな、君は。旅の合間に君の信念を見定めると言ったじゃないか。予行演習だよ予行演習。この旅では一切魔法は禁止だからね。くじけたら君の負け。この国とともにデタラメに生きてゆきたまえ」

 シノワは面白くないぞとさらに顔をしかめ、ちらりとガゼルが嬉しそうに手にしている物に目をやる。メイドのルイが、少し前まで洗濯物を干すときに、物干し竿を持ち上げるのに使っていた、先が二股に分かれた棒である。地面に立てると、ちょうどガゼルの目の高さほどの長さがある。ずいぶんと昔からシノワの家で使われていた物で、古ぼけて先がすり減っていた。
「その棒、どうしたんですか?」
「先ほど君の母上にいただいたんだよ」
「それはもう捨てると言ってた物ですが」
「君にはすばらしさがわからないかな」
「わかりません」
「この使い込まれた風合いは、魔法を使って作ったものには絶対に出せない。貴重だよこれは」
 ハシゴといい、古い荷車といい、この棒きれといい、どうやらガゼルは古ぼけた物に興味を示すらしい。本当にそれが好きなのか、ただシノワをからかっているだけなのかはわからなかったが。

「そんなもの、いったい何に使うんです?」
「よく魔法使いが杖を持っているだろう。あれだ」
「は? 杖? それは物干し用の棒ですよ?」
 シノワの呆れた声音にガゼルは、何でもいいんだよ、と笑った。
「私ぐらいになると、杖や何かで補う必要はないんだけど、あると楽なんだ。例えば、そう、君だってものを食べるのに指があれば充分だけど、フォークがあった方がいいだろう? でも、その素材は口に入れて害のないものだったら何でもかまわないじゃないか。金や銀が好きな人もいれば、木製のものが好きな人もいる。それと同じことだ。私はこの棒が気に入った。それだけのことだ」

 またよくわからない例えにシノワが眉間にしわを寄せていると、不意にガゼルが何かに気付いて後ろをふり返り、つられてシノワもふり返る。と、高い声が響いた。

「シノワ!」

 よく透る聞き慣れた声が響いて、一人の少女が駆けよってきた。シノワとちょうど同じ年頃で、大きな瞳とガゼルと同じような麦わら色の長い髪がかわいらしい。

「イディア!」
 驚いて叫び返し、シノワは荷車の柄を降ろす。

「この荷物は何?」
 イディアは飛びつくようにしてシノワの袖をつかみ、大きな瞳でシノワを見上げた。
「ああ、うん、ちょっとね」
「ちょっとって何よ。そのおじいさんは誰?」
 驚いてふり返ると、ガゼルはまた銀髪の老紳士に化けていた。とりあえず嘘は徹底するらしい。

「かわいいお嬢さんだね。君の恋人かい?」
 恋人という単語にシノワは面白いほど動揺し、何かもごもご言ったが、イディアは「幼なじみです」と微笑んだ。ガゼルは面白そうにシノワを見やり、なるほどとうなずいた。
「お嬢さん、祖母君のことはシノワ君からうかがいました。まことに残念でしたね」
 イディアはさっと顔を曇らせて目を伏せた。シノワが余計なことを言うなと言うようにガゼルをにらみ、イディアの方へ向き直る。
「大丈夫だよイディア。僕はきっと本物の司祭を見つけて魔法を封じてもらう。この人が一緒に司祭を捜してくれるんだ。そのために、しばらく留守にするんだ」
 老紳士の眉がぴくりと動いたが、幸いイディアは見ていなかった。
「留守って? 学院は?」
「……辞めたんだ」
「辞めたって、塔の学院に行くってはりきってたじゃない! どうするの? 行かないつもり?」
「うん、いや、どうかな……母さんたちには司祭捜しのことを秘密にしておいてね。心配するといけないから」
「ねえ、大丈夫なの?」
 イディアは声をひそめて言い、ガゼルをちらりと見やった。紳士の身なりはともかく、やはり物干し棒は人を不安にさせるのだろう。もちろん、シノワもおおいに不安なのだが。
「たぶん……いや、大丈夫」
 本当のところ、とんでもなくバカなことをしているんじゃないかと、心は不安に押しつぶされそうだったが、シノワはにこりと笑って見せた。
「無理はしないでね」
 そう言ってイディアはシノワの首に腕を回し、唇で頬に軽く触れた。シノワは急に心細くなる。

 ガゼルは気軽に旅に出ようと言ったが、旅をするとはどういうことなのだろう。家と学院の往復以上に長く歩いたことなどほとんどない。そもそも二週間以上家を離れたことすらない。どこかで危ないことに巻き込まれるかもしれないし、魔法は封じられないかもしれない。何より、ガゼルはニセモノかもしれない──

 シノワの肩にガゼルの手が触れ、シノワはびくりと肩を揺らす。ふり返ると老紳士は小さくうなずいた。
「大丈夫ですよ。責任を持って、私が彼をここへ送り届けますから」
 そう言ってガゼルは本当に穏やかに笑った。それにイディアはぺこりと頭を下げる。
「それじゃあ、体に気をつけて」
 シノワが弱々しく手をふるとイディアは、そっちこそ、と笑って手をふり返した。



「かわいい子だ。しかし少々動機が不純じゃないかね。だいたい君は、まだ私を疑ってるんだな。お気に入りの家を壊して鹿までこしらえて送ってやったのに、ガッカリだよ」
 ガタゴトと荷車を引くシノワの横で、ガゼルは不満げに口をとがらせた。
「さっきは信じるか信じないか、僕に任せるって言ったじゃないですか」
「私だって多少なりとも傷つくんだ」
「それはどうもすみません。でも僕も旅の間に、あなたが本物の司祭かどうか見極めることにしましたから」
 シノワが憎らしく言うと、ガゼルは更に不満げな顔をする。
「失敬だな君は。君を今ここでロバに変えて証明してやってもいいんだぞ」
「司祭ともあろう者がそんなことをしていいんですか」
「君はかわいげがないなあ」
「ガゼルこそ、もっと司祭らしくしたらどうですか」
「君ねえ」
 日も暮れかけて人通りの少なくなった道に、ガタゴトと固い車輪の音に混じって、二人が何だかんだと言い合う声が響いていった。


 これが二人の旅の始まり。
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