第27話

文字数 2,309文字

 戻りづらそうにしているシノワを見かねて、ガゼルは「本でも探してこい」と言って書店の並ぶ通りに送り届けると、ひとりクロードの部屋へ戻った。
 そこにはやはり、部屋の主が恐い顔をして待ちかまえていた。研修できているのだから、今日も予定があったはずで、それを蹴ってまで待っているのだから、よほどシノワが心配であるらしい。

「おじゃまします」
 ガゼルがおどけた調子で言うと、クロードの瞳が鋭さを増した。
「シノワは一緒じゃないんですか?」
「本を探しに行ったよ。君の弟は思いのほか勉強熱心だね」
「弟を妙なことに巻き込まないでください」
「どうして?」
「あいつは人がいいから何でもすぐに信用してしまうんです。あなたが何をお考えなのかはわかりませんが、シノワは大きなことをできるやつじゃありません。あなたの役には立ちませんよ」
 ガゼルは椅子に腰かけると、ひじかけにほおづえをつく。
「私はシノワを、何かに利用しようと思って連れてるわけじゃない」
「なら何が目的ですか」
「そう恐い顔をしないでくれよ」
 ガゼルが困ったように笑うと、クロードはかっと頭に血を上らせた。
「シノワは僕の大事な弟なんです。僕が領主を継いだら、補佐官になって仕事を手伝うんだってがんばっていたのに、それを学院まで辞めさせて、いったい弟をどうしたいんですか!」

 ノーベルメンテに研修生に選ばれるほどの優等生であるクロードにしては、すごい剣幕だった。小さくため息をつくと、ガゼルは椅子の背にもたれかかっていた体を起こす。

「君は優秀で、弟思いの良いお兄さんだけど、本当に想像力がないね。というか、型にはまりすぎてる」
「何が言いたいんですか」
「いいやつだけど、どこか抜けてるバカな弟。その弟に寄ってくるのは、利用するか騙そうかという、良からぬ者に決まってる。まあ、私だってそれほど善い人間じゃないから、それはいいとして。シノワはバカじゃないよ」
 ガゼルの琥珀色の瞳に見すえられて、クロードは思わず口をつぐんだ。
「シノワが抜けてるとすれば、それは君ら家族がそうさせてる部分もあると思うね。というか、君はそうあってほしいんじゃないのか」
「……僕の家族の何を知ってると言うんですか」
 クロードは低く言った。怒りのためか手の先がわずかに震えている。

「君はシノワが剣をふる時、どんな顔をしているか知ってるかい?」
「は?」
 確かに子どもの頃は、二人で剣の教えを受けていたが、それは家の伝統と体力作りのためであって、自分が辞めるとともにシノワも剣を置いた。もうどんな顔をしていたかなど思い出せない。
「シノワが剣をやめたのは残念だって、テュールの当主が言ってたよ。頑張れば剣士(フェルルム)になれるかもって言ってたんだけど、シノワはどうして剣をやめてしまったんだろう」
「テュール家当主? 剣士(フェルルム)?」

 剣を持つ者にとって、テュール家に生まれることはとてつもない憧れであり、その当主に魔法使いでもない一般人が会えることなど、そうそうあることではない。それに一般人が剣士(フェルルム)になるなど夢のまた夢だった。

──僕は、これまでも他の当主に会ってきたよ

 あれは苦し紛れの嘘かと思っていたが、本当なのだろうかと、クロードは眉をよせた。
「君は、シノワのことをちゃんと見てるのかな。何を考え、何を思って私の所へ来たと思う? 彼の意志がどれだけ強いか知ってるのかい?」
 そう言ってガゼルが首をかしげるが、クロードは何と言うこともできずに、動けないでいた。イディアの祖母が、家の下敷きになって亡くなったとは、シノワからの手紙で知ったが、それから司祭を捜しているなどとは全く知らなかった。そもそも一年も会っていないのだ。
 彼は混乱しながら腹を立てていたが、他人に対してこんなに怒りをあらわにしたのは、ほとんど初めてなのだった。怒りながらもクロードは、これは適切な怒り方だろうかと、頭の隅で考えていた。 

 そのクロードの様子にガゼルは苦笑する。
「君の所には物差しがひとつしかないんだな。世の中にはたくさんの単位があるんだ。君がそれに目を向けないで、小さなのぞき窓ひとつから世の中を見ているようじゃ、カデンツも今以上の発展は望めないかもね」
 そう言ってガゼルは立ち上がると、まだ返す言葉の見つからないクロードを見やり短く息をつく。
「シノワはすぐ戻ってくると思うよ。それまでゆっくりくつろいでいてくれたまえ。まあ、君の部屋だけど」
 そう言ってクロードを部屋に残して、ガゼルは部屋から出て行った。

 外へ出ると、ガゼルは再びため息をひとつついて、パチンと指を鳴らすと、まるで階段がそこにあるかのように学生寮の壁を登り始めた。そして屋根まで到達すると、青い瓦の上に腰を下ろした。

 うっそうとしたラメールの街は、こうして三階建ての屋根に登ってもまだうっそうとしていた。遠くにノーベルメンテの庭園が広がっているのが見え、そこだけは別世界というように、暗い色彩の中に様々な花の色が輝いていた。

──でもきれいじゃないですか

 確かにその通りだ。成り立ちはどうあれ、美しいものは美しい。そう思ってガゼルは物憂げにほおづえをつく。
 らしくなかったな、と思う。クロードはクロードなりにシノワのことを心配しているのだ。それを否定するようなことを言うべきではなかったのかもしれない。

──後はお前にまかせる。お前なら判断を誤ることはないだろう

 耳の奥に残るその声を追い払うように首をふる。

──様々なことが起こるだろうが、お前が何かしてやる必要はないよ。ただ、もしお前がそれでも……

「どうしようかなあ、クリフォード」
 ガゼルのつぶやきは、やわらかに吹いた風に溶けて消えていった。
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