エピローグ
文字数 1,254文字
さっさと帰ろうと家に向かった鼻先を、何かが素早く横切った。
シノワはギョッとしてのけぞり、その何かを目で追った。
その白くて長い何かは、日の光を浴びてきらりと光った。どこか見覚えのある輝きに、どくりと鼓動が跳ねて、シノワは思わず後を追った。それはすいすいと路地を曲がってゆき、シノワはどんどん奥へと誘い込まれてゆく。
酔っぱらいのそばを通り抜け、積まれたゴミを崩さないように用心深く路地を抜けたところで、シノワはぴたりと足を止めた。
「は?」
目の前にはペンキのはげかけたドアがあり、そこには【司祭 】と書かれた札がかかっている。数回まばたきして、数度その目をこすっても、そこにはドアがあった。見れば青銅の呼び鈴も付いている。
しばらくぽかんとそれを眺めていたが、何だかわからない感情がこみ上げてドアにかけよる。それはいら立ちだったかもしれないし、怒りだったかも、恐れだったかもしれない。
「いったい何の冗談だ」
口の中でつぶやいて、シノワはそのドアを勢いよく開いた。
薄暗い部屋には、分厚い本のぎっしり詰まった本棚が立ち並び、白かったと思われる漆喰 の壁は灰色にくすんで、ところどころはがれ落ち、カーテンもまた、百年前からありそうな年代物の模様が織り込まれていた。
本棚と窓辺の大きな机と古びたソファ以外には家具らしい家具もなく、その机の上には古めかしい本が、開いたり閉じたりした状態で、何とかバランスを保って積み上がっている。
とにかく何から何まで古びていて、まるで田舎の祖父母の家と言った感じだった。
積み上がった本のすき間から、行儀悪く机の上に乗せた靴の先が揺らめいた。
「ドアを閉めてくれないか」
夢を見ているのだと思った。自分が強く思うあまりに、過去を夢に見たのだと。しかし、彼はふふっと笑って、もたれた椅子をきしませる。
「口を閉じろ、シノワ」
どうしていいかわからずに、シノワはとりあえず言われたとおりに口を閉じ、ドアを閉める。
先ほどまで明るいところにいたために、目をこらしても薄暗くて顔がよく見えない。ただ、その口元が笑みの形になっていることがわかる。
「そろそろ、いろんなことが落ち着いてきたからね」
そう言って彼は机の上から足を降ろして、起き上がった。さらさらと麦わら色の髪がこぼれる。その肩には、白い竜 の姿があった。
「どうして──」
本当に蚊の鳴くような、音にもならないような声だったが、彼はにっと笑って親指で近くの床を指し示した。そこには以前にはなかった四角い穴が開いていて、そこから古びたハシゴの先がのぞいている。
これほどあのハシゴを愛しいと思ったことはなかった。
「私にだって、友人に会う自由ぐらいあったっていいだろう?」
喉の奥が熱い。言いたいことがたくさんあったのに、喉につっかえてひとつも出てこない。
「背が伸びたねえ」
うれしそうに言ったその頬に、真っ直ぐにはしる薄い傷跡が残っていた。
シノワは何よりもまず彼の名を呼んだ。
この五年間、呼びたくて呼びたくてしかたがなかった名前を。
シノワはギョッとしてのけぞり、その何かを目で追った。
その白くて長い何かは、日の光を浴びてきらりと光った。どこか見覚えのある輝きに、どくりと鼓動が跳ねて、シノワは思わず後を追った。それはすいすいと路地を曲がってゆき、シノワはどんどん奥へと誘い込まれてゆく。
酔っぱらいのそばを通り抜け、積まれたゴミを崩さないように用心深く路地を抜けたところで、シノワはぴたりと足を止めた。
「は?」
目の前にはペンキのはげかけたドアがあり、そこには【
しばらくぽかんとそれを眺めていたが、何だかわからない感情がこみ上げてドアにかけよる。それはいら立ちだったかもしれないし、怒りだったかも、恐れだったかもしれない。
「いったい何の冗談だ」
口の中でつぶやいて、シノワはそのドアを勢いよく開いた。
薄暗い部屋には、分厚い本のぎっしり詰まった本棚が立ち並び、白かったと思われる
本棚と窓辺の大きな机と古びたソファ以外には家具らしい家具もなく、その机の上には古めかしい本が、開いたり閉じたりした状態で、何とかバランスを保って積み上がっている。
とにかく何から何まで古びていて、まるで田舎の祖父母の家と言った感じだった。
積み上がった本のすき間から、行儀悪く机の上に乗せた靴の先が揺らめいた。
「ドアを閉めてくれないか」
夢を見ているのだと思った。自分が強く思うあまりに、過去を夢に見たのだと。しかし、彼はふふっと笑って、もたれた椅子をきしませる。
「口を閉じろ、シノワ」
どうしていいかわからずに、シノワはとりあえず言われたとおりに口を閉じ、ドアを閉める。
先ほどまで明るいところにいたために、目をこらしても薄暗くて顔がよく見えない。ただ、その口元が笑みの形になっていることがわかる。
「そろそろ、いろんなことが落ち着いてきたからね」
そう言って彼は机の上から足を降ろして、起き上がった。さらさらと麦わら色の髪がこぼれる。その肩には、白い
「どうして──」
本当に蚊の鳴くような、音にもならないような声だったが、彼はにっと笑って親指で近くの床を指し示した。そこには以前にはなかった四角い穴が開いていて、そこから古びたハシゴの先がのぞいている。
これほどあのハシゴを愛しいと思ったことはなかった。
「私にだって、友人に会う自由ぐらいあったっていいだろう?」
喉の奥が熱い。言いたいことがたくさんあったのに、喉につっかえてひとつも出てこない。
「背が伸びたねえ」
うれしそうに言ったその頬に、真っ直ぐにはしる薄い傷跡が残っていた。
シノワは何よりもまず彼の名を呼んだ。
この五年間、呼びたくて呼びたくてしかたがなかった名前を。