第75話

文字数 3,233文字

「──そんなのは、全部、ガゼルがいたからですよ」
 ガゼルが隣にいてくれるのでなければ、そんなことはできなかったと思う。
「私の所へ訪ねて来たのは君だよ」
 ガゼルは、必死に奥歯を噛んで、泣くまいとしているシノワの頭をポンポンとなでた。クマのまあるい手が、シノワの手をなでていたのと同じリズムだった。
「考えてもみてくれよ。この旅で、私はどれだけ当主を処分したと思う? たった五年でこの有様だよ。あと五年経ったら、十年経ったら、どうなってたと思う? 考えただけで気が滅入るね。だけど私は司祭だから、いつかは私が何とかしなければならない問題だったんだ。でも、君が付き合ってくれたおかげで、私は楽しく旅してここまで戻って来られたんだよ。まさか、君は少しも旅を楽しんでくれなかったとか?」
 シノワはあわてて首をふる。
 いろいろと大変な目に遭ったし、いつもあわてていたが、楽しかったのだとシノワは思った。あわてたり恐がったりするシノワの隣には、いつもガゼルが笑ってそこにいて、シノワも結局いつも笑っていた気がした。
 それなら良かった、とガゼルは嬉しそうに微笑んだ。
「さっきも言ったけど、私もクリフォードも、こういう事態になるってことはわかってたんだ。混乱が極まれば、誰かが魔法を封じてくれって言ってくるだろうということもね。乱れた国を立て直す英雄になるつもりで、肩をいからせたやつがやって来るだろうと思ってた。正直、面倒くさいなってね。
 だけど、まさか十五歳の少年が魔法を封じてくれって、私を訪ねてくるとは思わなかった。君のことは全く想定外だった。君はいつも、私が思うのとは違う選択をする。言っただろう? 君はもっと早くにあきらめて、旅をやめると思ってたって。だから私は、君がどうするのか、最後まで見てみたいと思ったんだよ。この馬鹿げた国で、君は一体どうしたいと思うのか」
 ガゼルの琥珀色の目が、真っ直ぐにシノワを見ていた。
「私は君が思ってるよりずっとしたたかで、利己的な人間だからね。本当のところ、私はこの国が滅んだって、たいして心は痛まないし、国民のためだからって、わざわざ嫌なことに関わろうなんて思ってやしないんだよ。だから、この国が本当にダメになるまで放っておくのも悪くないかなって思ってたんだ。だけど、他でもない君が望むなら、この先の人生を歩んで行く場所を、君が望むように変えてあげるのはやぶさかじゃない。私は君のことを気に入ってるんだ。
 さあ、シノワ。君はこの国で最も力の強い魔法使いを味方に付けた。魔法を封じるも封じないも君の自由だ。君がここで終わりにしたいと言うなら、後のことは私に任せてくれたっていい。さあ、君はどうしたい?」
 ガゼルの本心。ずっと知りたいと思っていた。
 それはシノワが望んでいた、品行方正な司祭のものとは違っていた。違っていたが、シノワはそんなガゼルが好きだった。
 司祭のくせに一番下っ端の法衣を着て、いつも飄々とシノワを笑ってばかり。何を考えているかよくわからないし、目を離すとガラクタばかり拾ってくる。司祭らしい所はひとつもなかったが、いつもシノワはガゼルの言葉に背中を押されてここまで来た。
 国が滅んでも心が痛まないと言ったが、ガゼルはきっと滅ぶまで放っておいたりしなかっただろう。そういう人だと、シノワはもう知っていた。シノワが行かなくても、ガゼルはいつか魔法を封じただろう。
 自分に一体何ができるのかはわからない。それでも、少しでもガゼルの力になれるのなら、助けになれるのなら、前に進まなければならない。迷う余地なんかなかった。
「ガゼル。魔法を封じましょう。僕は最後まで手伝いますから」
 聞くに堪えない喧噪の中、それを聞いてガゼルは嬉しそうにうなずいた。


 王城の中はきらびやかではあるものの、どこか陰鬱なものが淀んでいるように思われた。
 彼らの周りには十人もの武装した兵士が囲み、かなり物々しい空気の中、早足に広い廊下を進んでいた。ガゼルの前を行く兵士が近衛隊長であるらしく、少しでも妙な動きをすれば、すぐにでも首を飛ばされそうなほど、一分の隙もない背中が恐ろしかった。
 ぴりぴりとした空気に息が詰まり、シノワがそろそろと胸の空気を吐き出しながらうなだれると、ガゼルの小脇に抱えられた獅子(シン)と目が合い、それにシノワはびくっと頭を持ち上げ、その拍子にずり落ちかけた尻尾をガゼルがつまんで肩に戻した。しっかりしなくてはと頭をふると、それについてふられたヒゲがガゼルの耳飾りに当たって固い音を立て、あわててふり返ると、その緑柱石(りょくちゅうせき)の奥から誘うようにゆらめいた魔法の光に引き込まれそうになり、ふたたびガゼルの指につまみ上げられた。
 すみません、と心の中で言って、シノワはガゼルの肩にしっかりと足をかける。
 ガゼルが王城へ向かうというので、一緒について行くと父に報告したところ、いくら領主の息子であっても、登城するには様々な手続きが必要で、更に王族に謁見するともなれば、謁見用の服を仕立てねばならないという話になり、さすがにそこまではさせられないと父に反対されたため、シノワは仕方なく、ガゼルにロンによく似た小竜の姿に変えてもらい、肩に乗って登城したのである。父にはまた嘘をついてしまったが、自宅でガゼルの報告を待っているという選択肢はシノワにはなかった。
 しかし、慣れない竜の体は思った以上にあつかいづらく、いつニセモノだと気付かれるかと思うと、シノワは気が気ではなかった。
 王城の分厚い壁の中にいても、外の喧噪が中までかすかに響いていた。
 相変わらず王都では多くの人々が集まり、それぞれの不満を大声で訴えていた。一部では暴徒化した人々が暴れて街を破壊し、軍や魔法使いが鎮圧にかり出されていた。
 こういう時こそ権力を使わないとね、とガゼルは言った。今回の問題は概ね魔法使いへの不満であるため、王族の権力は有効だ、とガゼルは言ったのだが、この国の最高権力者はジュストとロゼリアによって封印されてしまっている。それを解放しに来たのである。
 しばらく歩いて、大きな黒い扉の前へ来ると、前を歩いていた近衛隊長ラド・マグワートがふり返った。
「おそらく、ここです。ただの木の扉であるのに、我々がいくら開けようと試みてもびくともしないのです。理由のわからない不自然な魔法がかかっているのは、ここしかありません」
 ガゼルは黒々とした扉に歩み寄ると、そっと手で触れて、何かの囁きでも聞き取るようにわずかに首をかしげる。何か聞こえるのだろうかとシノワも扉に耳をよせると、ガゼルは顔を上げ、ここだ、とシノワに言った。
「ご苦労だったね」
 ガゼルが抱えていた獅子の頭をなでると、獅子は不機嫌そうに唸った。【星】を吐き出させているので、ガゼルが抱えても獅子ははじき飛ばされることもなく、居心地悪そうに抱かれていた。それをガゼルは扉へ向かって放り投げた。
 すると銀の光が散って、獅子の姿は消え、代わりに見事な獅子の飾りの付いたかんぬきが現れた。周りでざわめきが起こる。
 またぽかんと開いていた小竜のアゴを指で弾くと、ガゼルは深く息をついてかんぬきをはずし、扉を開いた。
「おや、司祭。王城へ何用かな。そなたの来るべき場所ではなかろう」
 不快感をあらわにしながらも、本当に優雅な口ぶりだった。
 金の縫い取りのある豪華な衣をまとい、なめらかに整えられた白髪交じりの髪。微笑みながらも、きつくガゼルを睨む鋭い目と、そこにいる全ての者を見下すような尊大な態度に、彼が国王だとシノワは確信した。
「ええ、私もできることなら遠慮させていただきたかったのですが」
 ガゼルもまた穏やかに言葉を返す。
 国王とおぼしき人物の姿にどよめきが起こり、マグワートがぴしりと足をそろえて声を張り上げた。
「国王陛下!」
 周りにいた兵士たちが一斉にその場に膝をつく。その様子にヤラ・ラスクは不審そうに眉をひそめた。
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