第63話

文字数 2,874文字

 ベオークは少し机の角に肘をぶつけながらも、穴のすぐ上の自分の席に座り、シノワが顔を出すと、そっと場所を空け、シノワが完全に事務室に入ると、急いで穴が見えないように魔法でフタをした。
「では、これを届けてくれるかい?」
 ベオークがそう言って、何も書かれていない紙切れをシノワにわたした。シノワはそれを「わかりました」と言って受け取ると、一礼して、ベオークに促されるままに出口へと向かった。
 事務室は静まりかえっていて、シノワの靴音がやけに大きく聞こえたが、その場にいた上司らしき男はシノワの方を見もせず、同僚らしき女も少しシノワをチラッと見やっただけで何も言わなかった。ベオークの言った通り、忙しいらしく、手元だけはせわしなく動いている。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
 気軽な様子でそう言ってからベオークは、ほんの小さな声で「出たら右へ」と指で指し示しながら付け加えた。
 シノワはそのまま事務室を出てゆき、広い廊下を右へ進んだ。その廊下の先にはいくつもの曲がり角が見えた。法庁はシノワが思っていたよりも広く、全ての窓から日が射したりするので、方角もよくわからない。
「どっちですか?」
 ほとんど声に出さずにたずねると、胸ポケットからひそひそと声がする。
「突き当たりを左」
 法衣(ウルムス)を上から羽織ってしまったため、結局鼻を法衣(ウルムス)でこすってしまっている気はしたが、ガゼルは文句を言うこともなく胸ポケットで大人しくしていた。
 そうして三回角を曲がり、階段を四階降りた所で、シノワは階段を昇ってきた大柄な男にぶつかった。
「おっと」
 男はそう言ってぶつかったシノワを受け止めたが、その拍子に胸ポケットからうめき声がした。その声にぎょっとした様子で男がシノワをのぞき込んだ。
「大丈夫か?」
「すみません」
 シノワが反射的に謝ると、男は小さく首をかしげた。
「見ない顔だな」
「あ、えっと、法庁は初めてで……」
 われながらどうしようもない言い訳だったが、男はなるほどと肩をすくめた。
「見学に来てるのか?」
「あ、はい。そうなんです」
 法庁に見学に来る正式な法衣(ウルムス)を着た魔法使いなどいるのだろうかと思いつつ、シノワはあわててうなずく。
「出口はわかるのか?」
「あ、はい」
「他にも一緒に来た仲間がいるんだろう? はぐれたんなら、一緒に探してやろうか?」
「あ、大丈夫です。順路、覚えてるので」
 シノワは嘘くさく笑って頭をかいた。男が少しいぶかしげにシノワを見やったので、嫌な汗がにじんだが、男は「そうか」と道をゆずってくれた。
「今はいろいろ物騒だから、あちこち警戒中なんだ。あんまりウロウロするんじゃないぞ。特にユルの当主……じゃなかった、司祭代理がピリピリしてるからな」
「ご親切に、ありがとうございました」
 そう言ってシノワは逃げるように階段を降りて行く。
「うまく切り抜けたじゃないか」
 胸ポケットからのんきな声がしたが、シノワはまだ少し緊張していた。
 それからまたいくつかの角を曲がり、階段を上がったり下がったりしながら、どうにか法庁の裏口から外へ出た。休日でもないのに、あの大柄な男以外の魔法使いに出くわさなかったのは本当に幸いだった。
 外はよく晴れていて、人通りはあったがまばらだった。
 法庁の外側の道を正面まで回り込むと、シノワが見たこともないような大きな通りが真っ直ぐに伸びていて、その先にある大きな建物が王城らしかった。遠目にもその大きさと、贅沢な装飾が見て取れた。その王城と法庁のちょうど真ん中の広場に王立図書館があるらしかった。
 大通りは白っぽい石造りの建物が整然と建ち並んでいて、ガゼルが言うには、ほとんどが何かの役所らしかった。王都の建物のほとんどには、同じ産地の石が使われていて、どこを見ても同じような建物が多かった。
 ずいぶん歩いて道の交差する広場にたどり着くと、通りの西側に建つ、ひときわ大きな白い建物が目を引いた。四階建てになっていて、屋根は法庁と同じような緑色の瓦が葺かれていて、入り口の大扉の上には、大きな金色の文字で【王立図書館】と書かれていた。
「なるべく人には会わないように行ってくれ。ユルの魔法使いやノービルメンテの息のかかったやつが、何か仕かけてくるかもしれないからね」
 シノワはこくりとうなずくと、法衣(ウルムス)を着たまま、扉の中へと入っていった。シノワのような学院生よりも、魔法使いが法印の調べ物をするために図書館を利用することが一般的らしく、それにまぎれるために法衣(ウルムス)を持ってきたのである。
 図書館の中はとてつもない広さがあり、中は吹き抜けになっていて、真ん中に二階へ続く階段がふたつあり、その上は四階まで壁一面に本がぎっしりと詰まっていた。魔法で伸び縮みするハシゴがいくつもかけられていたが、四階部分の本を取りに登っていくには勇気がいるとシノワは思った。
「ひとまず二階へ上がってくれ」
 シノワは階段を上っていき、ガゼルの指示通りにくねくねと本棚の間を縫うように進んでいくと、ほんの小さな扉の前にやってきた。扉のちょうど目の高さに美しい飾り文字で【立ち入り禁止】と書かれていた。なんだか扉自体にも草花の彫刻が施されていて、サイズのわりには作りが豪華な扉だった。
「この中にサリー文書っていう百科事典の原本が収蔵されてるんだよ」
「まさかここに入るんですか? サリー文書なら、たいていどこの図書館にもあるじゃないですか」
 ガゼルはチチッと少しひかえめに舌打ちをする。
「世の中に出回ってるサリー文書の写本には、誤記と抜けがある。原本はここにしかないし、原本を魔法で複製したものはノービルメンテにあるんだ」
「なるほど。学院長がその抜けや誤記を利用したかもしれないんですね」
「六万文字を総当たりするよりは確率が高そうだろう?」
「でも、どうやって入るんです?」
 シノワはそっとドアノブを回してみるが、当然鍵がかかっていて開かなかった。
「ここは本来、図書館長と王族しか入れない。特殊な鍵がかけられてるんだけど」とガゼルはもそもそ動いて法衣(ウルムス)の間から顔をのぞかせた。「私はちょっとわけがあって、鍵を知ってるんだ。まあ、こんな体たらくだから、ちゃんと開くかどうかわからないんだけど。持ってきた法印を見せてくれるかい?」
 シノワは辺りを見回し、近くの本棚の陰に隠れると、鞄の中から法印の書かれた紙を何枚か取り出した。ガゼルは胸ポケットからその中の一枚をまあるい手で指し示した。シノワはガゼルをポケットから取り出すと、紙と一緒に手に持って扉の前に戻る。
「まったく面倒だなあ。いつもなら呪文(アンスール)すら必要ないのに」
 ガゼルはぶつぶつ言いながら、シノワの指の間から法印を抜き取る。そしてドアノブの上へ器用に飛び降りると、法印をノブに押し当ててほんの小さな声で何かつぶやく。と、小さく光が散り、カチリと鍵の開く音がした。
 シノワはもう一度辺りを見回して、近くに誰もいないのを確認すると、するりと素早く扉の奥へ体を滑り込ませた。ほとんど音を立てることなく扉を閉めると、またカチリと鍵のかかる音がした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み