第76話

文字数 2,890文字

「いったい何事だ」
 ヤラの低い声が響き、ちら、とその視線ににらまれてシノワはびくりと体をちぢこめた。

「今回は陛下の封印の解放と、請謁(せいえつ)のために参上いたしました」
「封印?」
「陛下はしばし、行方不明になっておられたのですよ」

 国王とガゼルは国王の執務室へ場所を移し、その場には数人の近衛兵が残り、二人の執政官が呼ばれた。
 ロゼリアことナウシズの手によって封印され、その間にロゼリアが国王代理、ジュストが司祭代理を務めていたこと、様々な不満や不信が噴出して王都が大騒ぎになっていることの経緯を一通りガゼルが話し終えると、長い沈黙が落ち、執務室の空気が動きを止めたように感じられた。

「あれが国王代理だと? 一体何をしでかした? これはれっきとした王位簒奪(さんだつ)だぞ! ガゼル、なぜ止めなかった」
「司祭が王族内部の問題に関与できないことはご存じのはずです」
 ガゼルの淡々とした口調に、ヤラの隣にいた男が不意に立ち上がり、腰に吊っていた剣を抜き放つとガゼルへ真っ直ぐにかまえ、反射的に飛び出そうとしたシノワを、ガゼルの手が押さえ込んだ。

「あなたは先ほど、ユル家当主も妙な動きを見せていたと申したではありませんか。魔法使いのしでかしたことには、あなたにも責任があるでしょう。それに、あなたが法庁から姿を消していたことにも、充分に問題があると思うのですが」
 メイ、とヤラが低く呼ぶと、彼は苦々しい表情のまま剣を納めて腰を下ろした。彼は執政官の一人らしいが、態度が尊大なところを見ると、王族出身なのかもしれない。
「それに関しましては私の不徳のいたすところ。謝罪のしようもございません。ジュスト・ユル本人は既にユル家当主及び魔法使いの称号を剥奪し、その他の処分が決定するまでは法庁にて謹慎させています」

「ナウシズはどうしている」
「ナウシズ様は今、私の方でお預かりしていますが、今回のことを深く反省しておられます」
「今すぐ連れて参れ。王女とはいえ、王位簒奪(さんだつ)は重罪だ。極刑が望ましい」
 胸の奥が冷え冷えとして、シノワが思わずガゼルの肩に爪を立てると、ガゼルはシノワをつまみ上げて膝の上に乗せた。

「ナウシズ様は、国王代理に就かれたとはいえ、まだ何もしていらっしゃいませんでした。カデンツで羽を伸ばされた他には」
「だから何だというのだ」
「今ならまだ、陛下とナウシズ様が行方不明であったことは、誤報ということにできます」
「なかったことにしろと申すのか」
「はい」
「面白いことを言う」
「ナウシズ様は位の剥奪と王都からの追放を覚悟しておいでです」
「まさかそれで許せとでも?」
 ヤラの鋭い視線に、ガゼルは小さく息をつく。
「まずは外をご覧になりますか? 大変な騒ぎなのですよ。これに、王位簒奪(さんだつ)の罪による王女の処刑を加えるおつもりですか? 長らく揺るぎなく続いてきた王家のほころびを国民に示すと?」
 ヤラが小さくあごを引いた。
「ナウシズ様はまだお若くていらっしゃる。狡猾な家臣の後ろ盾があるわけでもありません」
「ナウシズには、一人で【星】を奪い、それを使ってこんな大それたことをする能などない。お前の所の魔法使いがたぶらかしたことは間違いない。ジュスト・ユルのことはこちらに引き渡してもらおう。民衆の前で刑に処せばこの騒ぎも治まろう」

 シノワは思わずぎゅっと前足をにぎりしめた。ジュストのことは許せなかったが、処刑されるのを見たいかと言えば、それは違う気がした。
 ガゼルの手が、大丈夫だというようにシノワのたてがみをなでた。

「残念ながら、証拠がありません。ジュスト・ユルが王と王女を暗殺したと、民衆が騒いでいますが、確かなのは、彼が私の留守中に司祭に成り代わろうと画策したのみで、ナウシズ様をたぶらかしたという確たる証拠がないのです。私は司祭として、きちんとした裁きもなしに、称号を剥奪したとは言え魔法使いの一族の者を差し出すことはできません。その証拠の洗い出しや裁きの間、この騒ぎを放っておかれるおつもりですか?」

 ヤラは怒りをたぎらせた顔を無理矢理に笑みに変える。
「……復讐のつもりか」
「復讐?」
「そなた、あの老翁のことを根に持っているのではないのか。それであの愚かな王女をたぶらかして、王家を切り崩しにかかろうともくろんでいるのだろう」
 わずかにガゼルの表情が強ばる。それに勢いを得たのか、ヤラは唇の端をつり上げた。
「言っておくが、クリフォードは自らすすんでこの国に(じゅん)じたのだ。わしとて、司祭の命が尽きると知っておれば魔法の解放などさせはしなかったのだ。それを今さらになって恨みに思うとは、愚慮(ぐりょ)というもの。恥を知れ」

 何てことを!
 叫んだつもりが、シノワの口からは、ガウ、とマヌケな声しか出てこず、飛び出しかけた体は、またガゼルの手に押さえ込まれてしまった。ああも言われて黙っていることはないと、シノワはなおも暴れるが、ガゼルの手のひらはびくともしない。
「なんだ、その竜はわしに何か意見でもあるのか」
 あざけるように言ったヤラにシノワが唸ると、「いえ」とガゼルがシノワの首根っこをつかみ直す。そこを持たれると、竜の体はどうにも身動きができなかった。離してほしいと見上げると、ガゼルはにこりとする。

「古いお話を持ち出されますね。しかし王家を切り崩すなんて、そんな大それたこと。だいたい、それが目的なら陛下を解放する必要などないではありませんか」
「それなら、何が目的だ」
 ガゼルはそっとポケットから何かを取り出し、テーブルの上にコトリと置いた。魔法を封じる証文を集めたダイスである。

「私は魔法を封じようと思います」

 広間に沈黙が落ちる。

 シノワは緩んだガゼルの手の下から抜け出して、再びガゼルの肩に登った。ガゼルと同じ目線でいたかった。そして、言葉は話せなかったが、自分はここにいるとガゼルに伝えたかった。

「もう、魔法使いの五人の当主からは、おおむね魔法を封じて良いとの証文を受け取っています」
「何を言い出すかと思えば」
「陛下、私は最後に、あなたの証文をいただきたいと思っているのです」
 それを聞くと、ヤラの顔が目に見えて色をなした。
「私がそんなものを承諾するとでも思うのか!」
「今回の件が、いったい何のために起こったか見定めていただきたいのです。
 ナウシズ様が【星】を奪い、陛下を閉じこめ、国王代理に就いてしまったこと。魔法による死亡事故の多発、魔法使いによる法を外れた研究、自然の歪曲と破壊。
 国民の魔法使い化は急速に進んでいます。そして彼らには従来の魔法使いのように、魔法の知識も王家に対する忠誠も持っていないのです。今はまだ私たちの手の届く範囲での事件が起こっているにすぎませんが、これがこのまま収束するとは思えません。近い将来、必ず国家を揺るがす事態にまで発展するでしょう。その一手が、この度の事件なのですよ。陛下はいとも簡単に、王城の中に封印されてしまったではありませんか。これから国民が充分に魔法を学んで、国民全員が魔法使いになれば、起こる騒ぎはこれぐらいでは済みませんよ」

 広間は水を打ったように静まりかえった。
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