第33話

文字数 2,394文字

 先を急ごうと言ったくせに、次の街が近づくにつれ、ガゼルは心なしか歩くスピードが緩くなっているように思われた。物干し棒のふり方にもどことなく覇気がない。それに、もう一種の病気だと思うことにしている「これ見てシノワ」も、今日はまだ一回しか言っていない。
 初めの頃こそうんざりしていたが、ガゼルの見つけてくる物は面白い物も多く、最近ではシノワの方からガゼルにいろいろとたずねることも増えていた。道ばたの石ころだろうと、雑草だろうと園芸種だろうと、井戸の堀り方だろうと、屋根の()き方だろうと、シノワが何を聞いてもガゼルはたいてい何でも知っていて、さながら歩く百科事典という感じで面白いのだった。相変わらず、どう見てもゴミにしか見えないがらくたを拾ってくるのだけは勘弁してほしかったが。
「アナシの街まであとどのくらいですか?」
 努めて明るい声で言ってみるが、ガゼルは抑揚のない声で答える。
「もうアナシに入ってるよ」
「え、そうなんですか?」
 土の魔法使いオセルの本拠地であるアナシを目指して歩いてきたのだが、辺りには田園風景が広がるばかりで、街らしい街はどこにも見あたらない。畑にはわずかにポツポツと人の姿があったが、道にはほとんど人影もなかった。
「アナシは田舎なんだ。街と言ってもクロワとは違う」
 面倒くさそうに言いながら、道ばたで豆の殻をむいていた老女の横を、ガゼルが通りすぎようとした時、ピタリとその足が止まった。
 さっと辺りに影がさす。
「うわっ!」
 その影を作っているものを見上げて、シノワは荷車の柄を取り落とし、反射的に後ずさったため、荷車の上に尻餅をついてしまった。
「これは、でっかいな」
 ガゼルはため息混じりに言って、腰に手を当てる。その目の前に立ちふさがっているのはまぎれもなく竜だった。
 それはガゼルが飼っているカリナの小竜でも、クロワでアクロから飛び出した水の竜のようでもなく、ゴツゴツとした石のようなウロコにおおわれた、巨大なワニのようだった。かろうじて確認できた小さな角と、背中に生えた翼で何とか竜と判別できる程度である。
「そんなに驚くなよ。竜なんか何度も見たじゃないか」
 ガゼルは襲いかかってきた竜の口に杖を挟んで止めると、あわあわと地面を這っているシノワにやれやれと肩をすくめる。
「慣れるわけないでしょう! しかもこんな大きな竜!」
「まあ、確かにこの子には、ロンのような品も美しさもないけどね」
 そう言ってガゼルは竜に向かって、フッと息を吹き付ける。すると竜はリンゴのような目をさらに大きく見開いたかと思うと、しゃっくりをし始めた。と、そのでっぷりとした腹の中央から何かの(つる)が生え、それがどんどん伸びて竜の体に巻き付いていく。
「逃げよう。巻き込まれる」
 ガゼルが言ったとたんに、竜が巻き付く(つる)から逃れようともがき、二人の方へその大木のようなしっぽがふり下ろされた。その衝撃で体がふわりと浮き、シノワは腰を抜かした。
「しっかりしろシノワ」おかしそうに言ってガゼルはシノワの腕をつかむ。「パオフォン!」
 ガゼルの呼び声に答えて強い風が吹きすさび、シノワが気がついた時には、二人はまた空中にいた。ちょうど竜の真上あたりに飛ばされたところで、またガゼルが叫ぶ。
「ハオ!」
 すると、二人の下に白いものが現れ、その背中に二人をキャッチする。鼻を強打したものの、そのフコフコとした感触にシノワはあわてて顔を上げる。
 そこにはゆったりと羽ばたく白い翼があり、黒い尾羽根が風になびいていた。そして風の来る方に頭を巡らせると、これまた白黒の長い首が伸びていて、その頭の先には黄色いクチバシが伸びている。どうやら大きな鳥の上に落ちたらしかった。
 口を閉じろ、と横から注意され、シノワがカツンと歯を鳴らして口を閉めるとガゼルの笑みと目が合う。
「たまにはこういうのもおもしろいだろう? ユン・ザオユィ」
 ガゼルが言い終わると同時に、どこからともなくもくもくと小さな雲がわき、そこからポツポツと雨粒が落ち始める。すると今度は竜の悲愴な声が響く。
 何が起こっているのかと、シノワが恐る恐る鳥の翼の間から下をのぞき込むと、シノワはぎょっとして手を放しそうになった。二人の下では、雲から落ちる雨の雫で竜がドロドロと溶け始めていた。
「竜とは言っても、ただの土人形なんだよ」
 ガゼルが鳥の背中をポスポスと叩くと、鳥はゆるゆると下降し始めた。そうして徐々に見えてきた竜は、もう竜の面影もなく、ただの土盛りになり果てていた。そしてそこから伸びた(つる)に、紫のきれいな花が咲いている。
「これはペルドト国の魔法使いが使う魔法なんだ。なかなかかわいげがあっていいだろう?」
 かわいげがあるのかないのか、シノワにはよくわからなかったが、クロワの時のように暴力的な魔法ではなかったことにほっとした。
 それにしてもあの竜が土人形ということは、生き物というわけではなく何かの魔法なのだろうか。とすると、いったい誰があんなものをよこしたのだろう、とシノワは不安になりながら辺りを見回した。
 鳥がふわりと地面に降り立つと、ガゼルはひょいと鳥の背から飛び降りた。と思ったのだが、そこでフッと唐突にガゼルの姿が消え、シノワは転がり落ちるようにして鳥の背から降りる。
「ガゼル?」
 ガゼルが消えたあたりに駆けよると、そこには地面にきれいな円形の穴が開いていて、そこからガゼルの怒鳴り声が響いた。
「何するんだババア!」
 は? とシノワが顔をしかめると、フェッフェッと奇妙な声がした。見れば先ほど道ばたで豆の殻をむいていた老女が、肩をふるわせていた。
「人がせっかく出迎えに来てやったのに、挨拶もなしに通り過ぎようとするからだ。この無礼者」
 そう言って老女はよっこらせと立ち上がると、土色に近い黄色のローブに積もった豆殻のカスをパタパタとはたいた。
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