第69話

文字数 2,500文字

 あまりのまぶしさに目が開けられなかった。いったい何が起こったのかわからなかったが、あの暗い部屋から抜け出せたらしいことと、自分の体が床の堅さを感じていることに気がついた。あのふわふわした奇妙な感覚はなく、いつものように手足の感覚が戻っている。
「戻ってる! ガゼル!」
 シノワはあわてて起き上がって、自分の手のひらを見ようとしたが、まぶしくてよく見えない。
「君が戻ってきたんで、図書館でかけた魔法が解けたんだよ」ガゼルの声が言う。「二人ともあんまり動かないでくれたまえ。君らの周りは刃物だらけなんだ」
「刃物?」
「君らの入ってた箱を開けるのにいろいろ集めてきたんだ。造りは簡単な物だったんだが、特定の刃物で切らなければ開かないしかけになっててね。いや、実にいい作品だったよ。二人ともケガはなさそうだけど、大丈夫だったかい?」
 いつものように軽やかな声音だった。
「片付けるので、じっとしててくださいね」
 ガチャガチャと硬い音の合間に、ベオークの穏やかな声が言う。
「結局何で開けられたと思う?」
 ガゼルがおかしそうに問うと、ベオークが笑った気配がした。
「何だったんですか?」
 窓から差し込む明るい日ざしの中、トコトコと茶色いクマが歩いて来て、シノワの手元に落ちていたハサミを拾い上げた。
「アナシへ向かう途中に、私が手に入れたハサミだよ」
 差し出されたのは、鉄をU字型に曲げた古いタイプのハサミだった。
 もう使い物にならないほど錆びていたのを、道すがらガゼルがどこかから拾ってきた物だ。それをガゼルは丹念に錆を落として磨き、きちんと切れるように研いでいたのだった。魔法を使えばすぐなのに、なぜかガゼルは自分の手でやりたがるのだ。そしてガゼルは意外とこういう作業が上手で、あれほど錆びていたハサミは新品のように見えた。
「私のコレクションも、こうしていざという時に役立つということがわかったろう」
 誇らしげな口ぶりがおかしくて、シノワは肩に入っていた力が抜けた。あの暗がりを、それほど恐がったつもりはなかったが、実は神経を張りつめていたらしい。
 辺りが妙に明るい気がして、シノワはあらためて辺りを見回した。
 領主館の隠し部屋だとばかり思っていたが、見慣れない大きな窓からさんさんと日が射していて、古びた本棚がひとつ置いてあるだけの、狭い部屋だった。いったいどこなのだろうかと、不思議そうにきょろきょろしているシノワを見て、ガゼルが法庁の中だと説明した。以前ガゼルが作った隠し部屋らしく、入り口がとてもわかりづらい場所にあって、不意に誰かに見つかる心配はないのだという。
「ロゼリア、大丈夫でしたか? 遅くなって申し訳ありませんでしたね」
 ガゼルが声をかけたのは、あの美しい第五王女ではなかった。代わりに、夕焼け色の髪をした華奢な印象の女の子が座っていた。先ほどまでのロゼリアとは別人だったが、まつげの長い青い瞳は確かにロゼリアのものである。【星】を失ったことで、彼女の魔法も解けてしまったらしい。
 ロゼリアはまだまぶしそうにしていたが、眉を寄せて確かめるようにじっとクマを見た。それを見てガゼルは肩をすくめる。
「ややこしくて申し訳ありませんね。今はクマの、ガゼル・ウィルドです」
 ガゼルがあらためて自己紹介をすると、ロゼリアは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「いい格好ね、ガゼル」
「いやはや、お恥ずかしいかぎりです」
「言っておくけど、私はまだ負けたわけじゃないからね」
 つき出された右手に光る指輪をクマはじっと見た。
「あ、すみません。説明します」
 シノワがあわてて事の次第を説明し、それを聞き終わると、ガゼルは短い手を額に当てて深々とため息をついた。それにロゼリアはふんと勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
「あの、すみません。でも、それ以外にいい方法を思い付かなくて……。あの、怒ってますか?」
「……私には君に怒る資格はないよ」
 ため息のように言って、ガゼルはロゼリアを見上げる。
「よく【星】を手放す決心をしてくださいましたね。感謝いたします」
 ロゼリアがまた、ぎゅっと眉を引き寄せてふくれっ面になる。
「あなたも私の逃亡に協力しなさいよ。こんな子に任せるのは不安すぎるわ」
「シノワはがんばると言ったら本当にがんばりますよ」
「この子が死んでもいいってわけ?」
 ガゼルはやれやれと首をふる。
「しかたありませんね。司祭が王族の問題に首をつっこむわけにはいかないんですが、どのみち国王を解放したら、あなたのことに触れないわけにはいきませんからね。何とか言い訳してみましょう」
 ロゼリアはぐっと唇を引き結ぶと、自分の膝元に目を落とした。顔のサイドから垂れ下がっている髪はもう金色ではなく、巻き毛とも呼べない中途半端にうねった錆色がみすぼらしい。王女と呼ぶにはみっともなくとも、カデンツのような田舎に住むならおあつらえ向きだろう。そう思うと、見つめていたスカートがぐにゃりと曲がり、その上にぽたぽたと雫が落ちた。
 いつも、肝心なところでうまくやれない。せめてあの時手元が狂わずに、二人をあの箱に閉じ込められていたら、この計画はうまくいったはずなのだ。自分が国王代理になり、ジュストが司祭代理になって、この国を二人でうまく操って行けたのに。
 ジュストの苦々しいため息が聞こえた気がした。
「大丈夫ですよ、ロゼリア」
 ガゼルがそっとロゼリアの膝頭に触れると、ロゼリアはぎゅっと顔をしかめて、指先でクマを弾いて転ばせた。
 ガゼルはもそもそと起き上がると、シノワをふり返った。
「さて、このままゆっくり休んでいただきたいところなんだけど、あんまりのんびりしてる暇もないんだ」
「何かあったんですか?」
「まだ、そうひどいことはないんだけど、王都は今、蜂の巣をつついたような騒ぎになっててね。それに、各地で暴動に近い騒ぎが起き始めてるんだ」
「暴動? そんな、突然どうして……」
 シノワが驚いて目を丸くするとガゼルは、あの妙な箱にはひずみがあったのかな、と小首をかしげた。どうやら、まだ日が暮れてないのではなく、もうあれから三度目の朝が来ているらしかった。
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