第84話

文字数 2,872文字

***

 三十分ほど歩いたところで、シノワはアレフとジーナの二人に合流することができた。彼らはガゼルの具合を確かめると、手早く魔法で手当をしてくれ、大急ぎで法庁まで運んでくれた。
 通された小部屋で、シノワは切り裂かれて血だらけになった服を着替えさせてもらったものの、その日の内にベオークに付き添われて自宅に戻された。
 ガゼルのことが心配でならなかったが、シノワはその後何度か事情聴取のために法庁に呼ばれただけで、ジーナやアレフ、ベオークにも会うことができず、シノワと対面した名前も知らない魔法使いたちは、ガゼルの容態について「答えられない」の一点張りで、シノワは何ひとつ教えてもらうことができなかった。ひどい怪我をしたロンのこともシノワは心配でならなかったが、彼のことも知るすべがなかった。
 しばらく経って、ジーナから「ガゼルのことは心配いらない」という内容の短い手紙が届いただけで、ついには魔法使いからの連絡は完全に途絶えてしまった。
 シノワは父に頼んで、何度か法庁へ手紙を送ってもらったのだが、法庁にまつわることは何も教えられないという、簡素な文書が戻ってきただけだった。 
 住む世界が違うと言われた気がした。
 旅の間、当たり前のように接してきた魔法使いたちだったが、本当は彼らと自分たちの間には、こんなにも深い隔たりがあったのかと、シノワは今さらながらに愕然としたのだった。
 その魔法使いの中でも、ガゼルは司祭だ。魔法使いの長である司祭の命に関わる話など、この不安定な時期に、法庁の外にもらして良いことではない、ジーナが手紙をくれたのは、シノワに対してのせめてもの心遣いだったのだろうと、父は言った。
 何もできないことがもどかしく、気持ちばかりがせき立てられるようだったが、シノワもまた、しばらく領主館から出られない日々が続いた。魔法が封じられたことにより、各地で魔法封じに反対していた団体の暴動が何度か起き、深く関わっていたシノワは父から外出を禁じられたのである。ガゼルが一緒であればともかく、シノワにできることなど本当にもう何もなかった。
 そうしている内に、あっという間に半年ほどが過ぎ、各地での騒ぎの話もしだいに聞かれなくなってゆき、世の中は少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。
 しかしエオロー家では、飽きもせずロゼリアがありとあらゆる問題を巻き起こし、大騒ぎだった。
 シノワの安易な予想は大幅にはずれ、仲良くやってくれるだろうと思っていたイディアとロゼリアは、まるで水と油と言った風に、会えばいつでも口げんかを始めた。シノワが仲裁に入ると、さらにヒートアップしてしまうのでどうしようもない。そしてどういうわけか、ロゼリアは兄のクロードとも折り合いが悪く、クロードが家に戻るたびに、家中に険悪なムードが立ちこめる。
 救いだったのは、シノワが彼女を連れ帰った時には卒倒しかけたにもかかわらず、母のマンナがロゼリアを惜しみなくかわいがったことだった。これまで息子しかいなかったエオロー家に、女の子がやってきたという事実がうれしくてしかたがないらしかった。いろいろと服を縫ってやったり、お菓子を作ってやったりと、とにかく世話を焼きたがった。
 ロゼリアがどんなにかんしゃくを起こしても、じょうずになだめたり、たしなめたりして、非常にうまくやってくれている。そのおかげもあってか、最近ではロゼリアのかんしゃくも少し落ち着いてきたように見える。
 そして奇妙なのは、クロードが領主補佐の仕事を始めて実家に戻ってから、ロゼリアと言い争うことが減り、その代わりに二人の間に異質な空気が流れる瞬間がある。シノワはそれを、何となく見て見ぬふりをしている。
 本当に人間というものはわからないものだ、とシノワは心から思った。
 この頃になっても、シノワはまだ、うまく心の整理がつかないままだったが、父の勧めもあって、悩んだものの、シノワはクリアーニ学院へ復学した。
 旅に出る前、ガゼルが学院に退学届を出してしまったため、復学するに当たって、シノワは両親と共に学院長に呼び出されたのだが、学院長室でシノワは思わぬ再会を果たした。
 突然叫ぶようにして名前を呼び、駆けよって学院長の手を取ったシノワに、両親は内心腰を抜かしたに違いない。多くの学生がそうであるように、この時までシノワは母校の学院長の名前など知りもしなかったのだった。
 学院長の椅子に座っていたのは他でもない、アレフ・ラーグだった。
 どうりで身分を明かしてくれなかったわけだった。クリアーニ学院は、塔の学院への進学率も非常に高い名門校。ノービルメンテ候補生や卒業生もクリアーニから多く出ている。自らもノービルメンテ出身の学院長であるアレフが、あの状況でジュストに隠れてガゼルの法印を解いていたのは、本人が言っていた通り、かなり、非常に、とてつもなく、まずいことだったに違いない。
 アレフはガゼルの送った退学届を保留にしておいてくれたらしく、シノワは休学扱いになっていた。アレフがそうすることを見越して、ガゼルが退学届を送ったかはわからないが、シノワは思っていたよりずいぶんと簡単に復学することができたのだった。
 シノワが復学して少しした頃、アレフは時間を取ってシノワを学院長室に呼んだ。そして、ガゼルはちゃんと回復して多くの仕事をこなしていること、ロンの傷も時間がかかったがすっかり治っていること、ガゼルがシノワに詫びていたこと、シノワの今後のことをアレフが頼まれていることなどを話してくれた。そして、もうガゼルには会えないことを。
 そもそも司祭は、魔法使いあっても、法庁勤めでもない限り、そうそう会うことのできる人ではないらしい。ガゼルがあんな風だったため実感できなかったが、司祭が当主の本拠地を訪れるということは、本当はもっと大事(おおごと)なのだという。
 アレフ自身も、ガゼルが回復したのを見届けて以来、ガゼルには会っていないらしかった。アレフはガゼルの元教師ではあっても、当主ではないし、法庁勤めでもない。また会うことがあるかどうか、よくわからないという。シノワのような一般の子どもなど、なおさら会えるわけもなかった。
 もう礼すら言うことができないのかと思うと、たまらなく淋しかったが、それでも、ガゼルもロンも本当に無事だとわかって、シノワは心の底からほっとした。そしてガゼルが、信頼しているアレフに自分のことを託してくれたことも、嬉しかった。
 本当にこれで旅が終わったのだと、シノワは思った。ガゼルは、魔法を封じてほしいと言うシノワの願いを、本当に叶えてくれた。世界はシノワの思うようになった。
 ここからは、また別の旅が始まるのだと思った。今度はシノワ自身の旅に。その隣にもうガゼルがいないとしても、きっとガゼルにもらった言葉がシノワの背中を押してくれるだろう。シノワがどんな道を選ぼうとも、きっとガゼルは笑ってうなずくはずなのだから。
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