第25話

文字数 2,947文字

 のろのろとドアを開け、のろのろと椅子に座り、のろのろと机に頭を載せると、ガゼルが冷えたお茶を入れ直して、シノワのそばに置いた。
「どうやら君のお兄さんは反対みたいだな」
 シノワの口から自然とため息がもれた。丸ごと理解してもらえるとも思っていなかったが、頭から否定されると、やっぱりつらい。
「ここで旅を終わりにしてもいいんだよ」
 ガゼルの何でもないような口ぶりに、シノワはあわてて起き上がる。その衝撃でカップがガシャンと音を立てた。
「僕はあきらめたりしません!」
「無理しなくてもいい」
 シノワはしゅんと肩を落とす。
「ガゼルも本当は、魔法を封じない方がいいって思ってるんですか?」
「私は君の信念のほどを見定めると言っただろう」
 ガゼルはシノワの方へお茶の入ったカップを押しやる。
 答えになってない、とシノワは口をとがらせつつも、差し出されたカップを受け取ってお茶を口に含む。お茶はまろやかな味がした。
「学院長はきっとわかってくださると思います。そうすればきっと、兄さんも納得してくれるはずです」
 ガゼルにというよりは、自分に言い聞かせるように言って、シノワは暖かなお茶を飲み干した。


 翌日二人が学院長に呼び出されたのは、意外にも学院に併設された庭園の中だった。中央にガラス張りの温室があり、学院長が到着するまでそこで待つようにと、やはり品のいい学院長付の秘書に言われた。
「さすがはノービルメンテ。本当にいろんな花がありますね」
 シノワがそわそわと花を見て回っていると、ガゼルは、まあねえ、と気のない相づちを打った。
「確かにいろいろある上に、見事に咲いててきれいだ。けど、不自然きわまりない」
「そうですか?」
 咲き乱れている花の、いったい何が不自然なのかシノワにはわからなかったが、ガゼルはけだるそうに手近にあった花を指で弾く。
「この花は今の時期には咲かない。冬に咲く花だ。そしてこっちのはふつう、ひと株に一輪しか咲かないはずなのに、一本で花束みたいになってる。こっちの花は、青い花を咲かせる種類は自然界に存在しない。ここは庭というより、まるで実験室みたいだ」
「でもきれいじゃないですか」
「別に悪いとは言ってない。不自然だと言っただけだよ」
 そう言いながらも、ガゼルはつまらなそうな顔をした。そしてなおもそわそわと外の様子をうかがっているシノワに、外を見ておいでと言って、自分はベンチに座り込んだ。
 本当にこの庭は手が行き届いていて美しかった。庭園と外界を隔てる生け垣は、幾何学模様に刈り込まれ、抜け道には花のアーチがかかっている。大理石で囲まれた池には水草が美しい花を咲かせていて、その合間を泳ぐ金色の小魚がきらきらと光っていた。
 思わずシノワが水に手を触れてみると、触れたところから虹色の光がほとばしり、パッとその光が蝶になって舞い上がった。
「うわ……」
 天国というものが本当にあるのだとしたら、きっと天国にはこういう池があるに違いないと、シノワは思った。
「なかなかきれいでしょう?」
 まろやかな声に誘われるようにふり返ると、青い人影があった。夜空を思わせる深い青のローブをふわりとまとい、フードの間からは長い銀の髪がこぼれている。
「その水と光と蝶のバランスを整えるのに、結構な時間をかけたんですよ」
 彼女はゆるゆるとシノワに歩みよると、身をかがめて池の水面にふうっと息を吹きかけた。すると、薄桃色の美しい花が次々と咲いて、彼女の吹きかけた風が通りすぎると共に、花は次々と消えていった。
「なかなかおもしろいでしょう?」
 シノワは何度も頷きながら、また開いたままになっていた口を閉じた。
「こんなにきれいな池は初めて見ました。相当複雑な法印(タウ)なんでしょうね」
「完成させるのに学生たちが二年研究したのです。しかし、本当に複雑すぎて実用化は望めないのだけれどね」
 そう言って目を伏せる彼女の仕草が恐ろしくきれいで、シノワは思わず見とれてしまった。きれいとか、かわいいとか、そんな言葉では物足りない。美しい、と言った方がしっくりくるような、そういう感じの人だった。隣に立っているだけで、なんだかそわそわしてしまう。
「あなたもこの学院に来れば、こんな研究もできますよ」
「いえ、僕はノービルメンテに入れるような成績じゃありませんから」
「あきらめるのが一番良くありませんよ。あなたには、まだ表に現れていない才能が秘められているかもしれません」
 形の良い唇から紡がれる言葉に、シノワがうっとりしかけたとき、背後からコツコツと何かを叩く音がした。
「こらこら、勝手にその子を誘惑しないでくれませんか」
 ガゼルは物干し棒をふりふりやってきて、シノワの隣に立った。
「誘惑だなんて。望むのはこの子の自由ではありませんか」
 彼女がそう言って微笑すると、ガゼルは不満げに小さく目を細める。
「じゃあ、始めましょうか。あなたも忙しそうだから手短に済ませましょう」
「ええ」
 そろって歩き出した二人に、シノワは一人置いてけぼりを食らう。
「あの、ガゼル、学院長を待ってなくていいんですか?」
「何言ってるんだ。彼がノービルメンテ学院長ジュスト・ユルだ。知らないで話してたのか?」
 思わず目をむいて動きを止めたシノワに、ガゼルは声を上げて笑った。彼、という単語にこれほど違和感を覚えたのは、シノワの人生で初めてのことだった。

 ジュストは温室に用意されていた、曲線の美しい椅子に腰かけた。その所作が本当に優雅で、シノワはまた見とれそうになりあわてて、男、男、と心の中で繰り返した。
「私もあなたにお会いしたいと思っていたところです、ウィルド」
「それは奇遇ですね」
 ガゼルのめずらしく少しトゲを含んだ口ぶりに、シノワは緊張して肩を強ばらせたが、ジュストはふふっと笑う。
「ずっと行方を捜していたのに、いっこうに見つからない。そうかと思えばこうしてひょっこり現れるなんて」
「引っ越し先を教えて歩くと、煩わしいことも多いので」
 そうでしょうね、と微笑んでジュストは背もたれに背を預ける。
「ユル、あなたは魔法を封じることについて、どうお考えですか?」
「同意しろとは言わないのですね」
「私は従わせるために来たわけではありませんので」
「実は迷っていましてね」
「あなたでも迷うことがあるんですね」
 二人の表情は和やかで、口調もいたって丁寧なのに、周りの空気が徐々に張り詰めていくように思えて、シノワはそわそわと二人を交互に見やった。
「魔法封じは、私たちの研究に損害を与えこそすれ、何ら得る物がないのですよ」
「その研究というのは、あの奇怪な植物のことでしょうか」
 シノワは思わずガゼルをふり返った。シノワを襲った植物たちは、バカな魔法使いが作り出した物だ。ノービルメンテで作られているわけがない。何て失礼なことを言うんだ、とシノワがジュストの方をふり返ると、彼は穏やかに微笑んでいた。
「奇怪だなんて。学生たちが日々研究に研究を重ねているのですよ」
「近隣の森にも失敗作がうようよしています。それについて弁明するつもりはないのですか」
 ありません、とジュストはキッパリと言い、シノワの方へ視線を滑らせた。その青い瞳の奥に潜む冷ややかな色を見て取り、シノワは縮み上がった。
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