第4話

文字数 3,493文字

 領主館に着いた時には、シノワはなかば気を失いかけていた。そのため、大鹿がいったいどこへ消えたのか、どうして隣に銀髪の老紳士が優雅に座っているのかわからなかった。
「息子をどうか、よろしくお願いいたします」
 シノワの父、ここカデンツ領主カイル・エオローは老紳士(に化けたガゼル)の申し出を、あっさりと快諾(かいだく)した。
 あまりのことに呆然としているシノワの隣で、老紳士はにこやかに微笑みながら、さも満足げにうなずいた。
 彼は先ほど、賢者風の落ち着き払った口調で「シノワ君には才能がある。ぜひ自分の旅に同行させて遊学させたい」というような嘘を、さらさらとよどみなく並べ立てたのだった。
 退学と聞いて、さすがに父も驚いたようだったが、老紳士が、もしまだ学び足りなければ戻って再入学試験か飛び級試験を受ければ良いこと、そのための手続きを老紳士が行うこと、クリアーニ学院の学院長とは懇意にしていることなどの説明を受け、納得してしまったのだった。
 確かに、学院には通わずに特定の教師について学ぶことも、飛び級試験を受けたり再入学したりするということも、それほどめずらしいことではないのだが、クリアーニ学院の飛び級試験は入学試験に比べて相当難関だという話だったし、そもそも、シノワは遊学するために学院を退学するのではない。
「父さん、あの……」
 もしかしたら、とんでもない詐欺師に捕まったかもしれません。と、のどの奥まで出かかっていたが、そもそも魔法を封じてもらうために司祭を捜していることは、両親にはまだ言っていなかった。というか、以前話題に出したところ家族全員に笑われた。これ以上言ったところで、そんな寝ぼけたことを言っているひまがあったら成績を少しでも上げる努力をしろと、母にこっぴどく叱られることは目に見えている。成績もトップクラス、何をやらせても優秀な兄が言い出したのならともかく、エオロー家においては、冴えない次男のシノワに発言権はほぼないのである。
 そんなシノワの胸の内など知る由もない父は、シノワと目が合うと穏やかにうなずく。
「気をつけて行ってきなさい。先生の言うことをよく聞くように」
「……はい」
 シノワは消え入りそうな声を出し、ガゼルに背中をこづかれた。

「むちゃくちゃですよ!」
 領主館を出て、辺りに人がいないことを確認すると、シノワにはめずらしく声を荒らげた。その時にはもう、ガゼルは元の青年の姿に戻っていた。
「僕がちょっとぼんやりしていたからって、父にあんなに嘘をつくなんて。どうしてくれるんですか!」
「なんだよ、うまく話をまとめてあげたのに。それとも、この姿のまま、魔法を封じるかこれから考えるので、ちょっと旅に出てきますって正直に言って、話をややこしくした方が良かったかい?」
「それも困りますけど! ああ、三ヶ月ぶり父さんに会えたのに、今度会った時僕は一体何て言えばいいんですか」
 シノワが頭を抱えると、ガゼルはやれやれと首をふった。
「じゃあやめにするかい? 私は行かなくったっていいんだよ別に」
「今さら無理ですよ! 母にも伝わってしまったのに、二人分言い訳を考えないといけないんですよ!」
 父親は、その場で母親にこの旅のことを連絡してしまっていた。領主館とシノワの家とはそう離れていないし、魔法で届ける手紙はシノワが家にたどり着くよりもずっと早く届く。
「おかしな老人にそそのかされてましたって言えばいいじゃないか」
 信じられない、というシノワの形相にガゼルは思わず吹き出す。
「そんなこの世の終わりみたいな顔をしなくても」
「そんなことを言ったら本当にこの世の終わりですよ! 少なくとも勘当されてしまいます! うちはとても厳しいんですから」
 そういうもんかねえ、とガゼルはなおもおかしそうにクスクス笑う。
「私は理解ある父上だと思ったけど」
「僕のすることに興味がないんですよ。領主の仕事にしたって、兄さんが継ぐわけですから、僕がどこかで行き倒れてもかまわないんですよ」
「行き倒れになるつもりなのかい?」
「なりたくはないですけど! 学院を退学するのに反対しないなんて信じられない。僕がどれだけ努力してきたかなんて、どうだっていいんですよ」
 妙にやさぐれた気持ちになって投げやりな言い方をすると、ガゼルは、まあまあ、と言ってなだめるように肩をたたく。
「そうくさるなよ。忘れ去られた司祭より、放任された領主の次男の方がましだって」
 わけのわからないなぐさめを言って、ガゼルは担いでいたハシゴを担ぎ直す。
「家がなくなったのに、そのハシゴって必要なんですか?」
「何言ってるんだ。このハシゴより大事な財産はない。この古びた感じ、使い込まれて絶妙にカーブしたこのフォルムの美しさ」
 今にも壊れそうなハシゴの何がいいのか、シノワにはさっぱりわからなかったが、ガゼルは愛おしそうにハシゴをなでている。
 何だか釈然としないで、シノワは大きくため息をついた。
 本当にガゼルの竜は退学届を学院に運んだのだろうか、そしてそれを学院長は本当に受理するのだろうか。本人の登校もなく退学になるとは思えないが、父があっさり行ってこいと言ったように、まさか、ということもある。
「こらこら、ここが君の家じゃないのか」
 ガゼルに首根っこをつかまれ、うっとうめいて立ち止まると、目の前に見慣れた門が立っていた。
「さあ、必要な物をまとめておいで」
「え、今日出発するんですか?」
「善は急げだ」
「いくらなんでも急すぎますよ」
「私は別に行かなくてもいいんだよ。君がこの千載一遇のチャンスを無駄にして、ありもしない「別の手立て」を探して右往左往したって、私はいっこうにかまわないんだからね」
 ガゼルがまた意地悪い笑みを浮かべ、シノワは半ばやけくそに家の門をくぐった。
 大鹿のせいで目を回していたとはいえ、滅多に会えない父の前で旅に出るとガゼルが宣言してしまったからには、ガゼルが偽物司祭だとしても、どうにかして本物の司祭を見つけ出して魔法を封じてもらい、試験を受けてクリアーニ学院に復学するしか道はない。
 大鹿を作ったように、ガゼルが魔法が使えるのは確かだし、彼の着ている薄い緑色の法衣(ウルムス)は、法庁(バーカナン)の正式な魔法使いが身にまとうもので、少なくとも法庁(バーカナン)の魔法使いではあるはずだ。法庁(バーカナン)で働いていたのなら司祭のことを知っているかもしれない。シノワに何かツテがあるわけでもないし、これ以上一人で闇雲に探し回るよりはマシだろう。と思うことにした。
 帰りを告げると、シノワの母マンナがあわててシノワを迎えに出てきた。老紳士に化けたガゼルにことのしだいを聞くと、夫からの報告は本当だったのかと、この世の終わりのような絶望的な顔をした。当然だろう。少し用事があるからと出かけていった息子が、唐突に学院を退学して旅に出るなどと言い出したのだから。
 今わたわたとお茶を出したり菓子を出したりと、せわしなく動き回っていられるのは、領主である夫が許可したという事実があるからに過ぎない。
 茶なんか出してやる必要などないのに、といまいましく思いつつ、シノワは自分の部屋に戻って荷をまとめ始めた。
「本当に、急なお話で驚きました……。先生、シノワをよろしくお願いいたします。あの子はいい子なんですけれど、どこか抜けているというか、気が弱いというか。兄の方は何でも良くできるんですけれどね。本当にシノワに才能があるんでしょうか」
 マンナは笑ったり困ったりしながら、ガゼル紳士をうかがうように見た。
「ええ、もちろん。私の目はまだ曇ってはおらぬと自負しております。シノワ君は筋がいい。何よりあの子はまともですよ」
「はぁ、マトモ……」
「ああ、いえ」
 にこりと品行方正に笑って、ガゼルは出された茶に口を付けた。ほんのり苦い茶は、やはり魔法の香りがした。
 近頃は家庭のすみずみにまで軽い魔法が浸透し、(かまど)の火も薪ではなく魔法で燃え、主婦は隠し味に魔法をかける。台所自体が有名無実化するのも時間の問題のようだった。
「あの、先生、その、学院のことなんですけれど……本当にその、戻ってから、問題なくクリアーニ学院に復学できるのでしょうか? シノワは《塔の学院》に進学させなければならないのですけれど、勉強の遅れも気になりますし」
「ご心配は無用ですよ。他でもない私が、シノワ君にいろいろと教えて差し上げますので」
 はあ、とマンナはシノワと同じような気の抜けた返事をして、ひきつってはいたがとりあえず笑みを浮かべて見せた。それでもやはり不安げに、手に持ったハンカチをもじもじと畳んだり開いたりした。
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