第28話

文字数 4,276文字

 めぼしい本も見つけることができず、ますます憂うつな気分に陥ったシノワは、あてもなく、のろのろとラメールの真っ直ぐに伸びる道を歩いていた。
 ずっとあこがれていたラメールの学生街が目の前に広がっているが、シノワには、いつだったか、叔父にもらった絵はがきを見ているのと同じに思えた。
 いろいろショックなことが多かった。というかラメールでの出来事全てがショックだったと言ってもいいかもしれない。
 少なくともユル家当主は、魔法の氾濫を憂えていると思っていた。だってテサの最高学院の学院長なのだ。いろいろな危険にも気がついていて、心を痛めていると思っていた。しかし、実際彼が主張したのはノービルメンテの研究のために規定を改定してほしいということだけだった。そして魔法封じについては話のついでのように触れただけ。
 学院長が問題視していないということは、このままでも問題ないということなのだろうか……と考えかけて、シノワはぶるぶると頭をふる。
 ノービルメンテの研究の産物らしいどう猛なお化け草に、シノワは三度も襲われた。ガゼルがいたからなんとかなったが、シノワ一人の時に襲われたら、大人しくお化け草の腹に収まるしかなかった。規定を改定すれば、どれだけのお化け草が生み出されるのだろうか。
 ガゼルが法印(タウ)を壊したお化け草は、狼などの動物が混ざっていたが、もしかすると人間を使うこともできるのだろうか。
 と、そこまで考えてシノワはまた首をうちふる。仮にもノービルメンテで研究されていることなのだから、そんな恐ろしいことは行われないはずだ。
「でも……」
 危険なアクロを作っていたのはラーグ家当主で、攻撃的な水の竜などを込めたアクロを買っていたのが、本当に学院長だったら。兄もノービルメンテに入れば、お化け草やアクロを──
 また締め付けられるような気がして、シノワは腹をさすった。
 少なくともガゼルは、規定を改定するつもりはないようだったし、仮に兄がノービルメンテに入ったとしても、あの池のように、美しい魔法の研究をすることになるかもしれない。
 しかし、兄に迷惑はかけないと言ったものの、もしかしたら今日のことで学院長の心証を悪くしたかもしれない。そう思うと鉛でも飲み込んだかと思うほど、胃の辺りがずんと重くなった。
──あなたはお兄さんより少し劣りますね。
 あのまろやかな声がよみがえってきて、シノワはさらに胸の奥が冷たくなった。そんなことは百も承知だったが、あこがれていた学院長に面と向かって言われると、さすがにこたえた。
 学院長とガゼルのあからさまな仲の悪さもシノワには驚きだった。ガゼルはいつでも飄々としていて、シノワをからかって笑ってはいても、誰かにいらだっているようなことのない人だった。それなのに、今日のあのとげとげしさは何なのだろうか。まだ学院長から証文はもらっていないが、学院長が考えを変える気も、ガゼルがそれを説得する気もなさそうだった。
──ここで旅を終わりにしてもいいんだよ
 今度はそんな言葉がよみがえってきて、シノワはうなだれた。もう、どうするのが一番いいのかわからなくなりそうだった。魔法を封じることは正しいと、今でも思う。しかし本当のところ、ガゼルがどう思っているのかはっきりしない。それがシノワは不安なのだった。魔法を封じなくてもいいと思っているのなら、どうしてシノワに付き合って当主の元を巡っているのだろう。
 自然とこぼれたため息をさえぎるように、ふわりと何かが目の前を横切った。見れば庭園の池で見た蝶である。ふわりふわりと舞う美しい蝶を、これもやはり誰かが魔法で作った魔法なのだろうかと目で追っていると、唐突に蝶が口をきいた。
『こんにちは、シノワ君。時間はありますか?』
 えっ、と甲高い声を上げてしまい、シノワはあわてて口を押さえた。その様子に蝶はくすくすと笑う。その声は間違いなくジュスト・ユルのものだった。
「が、学院長、ですか?」
 シノワが恐る恐るたずねると、蝶はくるくると回って答える。
『驚かせてすみません。あなたたちが帰ってからいろいろとよく考えてみたのですが、一度あなたとちゃんと話してみたいと思ったのです。もし、あなたがウィルドに強要されているのであれば、放っておくわけにはいきませんからね』
「まさか! 僕がガゼルにお願いしたんです」
 シノワが思わず大きな声を出すと、蝶はまたくるくると回った。
『道ばたではなんですから、私の所へおいでなさい』
 そう言って蝶は、ひらひらと道の奥へシノワを誘うように飛んだ。その後をひとりでついていくのは心細かったが、学院長がガゼルを誤解しているなら、ガゼルがいない方が解きやすいだろうと、シノワは腹を決め、蝶の後を追った。
 そうして少年が一人、道の上から唐突に姿を消したが、そのことに気付く者は誰もいなかった。

 蝶は石畳の道を越え、森の中の細い道へと入っていった。目の前に広がる暗がりの中を、蝶だけがきらきらと光を放ちながら飛んでいる。それを見失ったら二度と戻れなくなるような気がして、シノワは必死にその蝶の後を追った。
 森の中はラメールの街中より薄暗く、高く育った木の間に広がる暗闇がこっちを見ている気がして恐ろしかった。同じ森でもラルゲットの森はもっと明るく、木もれ日や鳥のさえずりが聞こえ、恐ろしいとは少しも思わなかった。ラルゲットへはまだ魔法が届いていないとガゼルが言っていたが、魔法がかかっているから暗いのか、元々こういう森なのかはわからなかったが、どうしてガゼルがラルゲットの森を気に入っているのかがわかった気がした。
 しばらく行くと唐突に視界が開け、小さな家がぽつんと建っているのが見えた。小さいがきれいな建物で、庭にはノービルメンテの庭園のように、色とりどりの花が咲き乱れていた。これもガゼルの言うように、不自然な花なのだろうかと思いながら、シノワはその横を通りすぎた。
 その家の小さな窓が少し開いていて、そこから蝶は吸い込まれるように家の中へと入っていった。シノワもそれを追ってゆき、ドアの前に立つと呼び鈴を引いた。するとシャン、リン、と涼やかな音が連なってゆき、それが消えたかと思うとドアが開いた。
「どうぞ」
「失礼します」
 中へ入ると、ふわりと花の香りがシノワを包んだ。玄関を抜けると、広い部屋があり、そこに学院長の姿があった。
「よく来ましたね」学院長は微笑した。
 ラーグの豪邸とまではいかないが、中は美しい調度でととのえられ、居心地の良さそうな書斎になっていた。その窓辺に品のいい机が置いてあり、学院長はそこに座ってシノワを手招きした。
「そこへ」
 うながされるままに、シノワは彼の机の前に置かれた椅子に腰を下ろした。
この部屋の様子といい、学院長の態度といい、これこそがシノワが心に描いていた司祭の姿と言ってもよかった。
「大変な旅をしてきたんじゃありませんか?」
 優しい声音にまたうっとりしかけながらもシノワは、いえ、と手をふった。
「元はと言えば、僕がガゼルにお願いしたことですから」
「あなたは、本当に自分からあの司祭に願い出たのですか?」
 はい、とシノワが力を込めて言うと、学院長は困ったような顔をした。
「どうして魔法を封じようなどと?」
 ここで学院長にしっかり訴えておかなければ、とシノワはカデンツで家が降ってきたこと、クロワで見たもの、フェローチェで起こった事故について説明した。相手は学院長。こっちが真剣に話せばきっと理解してくれるはずだと、シノワはその他にも昼が二度も来た日の話や、兵隊が逆さになって空を行進したことなども話した。
 それを学院長は黙って聞いていたが、シノワが話し終わると、長々と息をついた。
「あなたの言いたいことはよくわかりました。あなたはいろんなことが不安なのですね。それはわかります。けれど、だからといって本当に魔法を封じてしまっていいのですか?」
「封じるべきだと、僕は思います」
「そうですか。意志は固いのですね?」
 はい、とまたシノワが力強く言うと、学院長は美しい顔を物憂げにかげらせた。
「でも、あなたのお父様はどうお考えになるでしょうね?」
 シノワの心臓がどきりと鳴った。
「魔法を封じるということは、このテサの国民からある種の危険を取り除けますが、楽しみや便利さを奪うことにもなります。そうすれば、あなたは魔法を奪った犯罪者と呼ばれるかもしれません。それでもかまわないのですね?」
「それは……」
 思いがけない言葉にシノワは腹の奥が冷え冷えとした。そういえばレジンも同じようなことを言っていた。
「さぞかし、お父様は驚かれることでしょうね。兄を助けて補佐官になると言っていた子が、この国から魔法を取り上げるのですから。弟が犯罪者では、お兄さんも領主になるのは難しくなるでしょうね。そうなれば別の家に権利が移るでしょう」静かに語りながらジュストは腰を上げる。「それに、学院を退学したのはよくありませんでしたね」
 え、とシノワが怯えた目を向けると、学院長はため息をついた。
「クリアーニ学院は再入学、再編入すると、卒業しても別の扱いとなります。塔の学院には行けないはずですよ。戻ったら、きちんと調べてください。領主の補佐官となるべき者が、塔の学院すら出ていないなんてね。中等学院再編入なんて者をそばに置けば、領主も顔が立たないでしょう。思いとどまるべきでしたね。
 このように、もし魔法を封じれば、あなたは魔法のなくなった世界で、人々の非難を浴びながら、隠れるようにして暮らさなければならなくなるかもしれませんよ。それほど重大なことです。それがわかっていますか?」
 言いながらゆるゆるとシノワの椅子に歩み寄ると、ジュストはそっと背もたれに手をかける。
 なぜジュストが今日会ったばかりのシノワの個人的なことまで、事細かに知っているのか。その違和感にも、もうシノワは気付くことができなかった。
「でも、ガゼルは、いつでも学院に戻れるって……」
 消え入りそうな声に、ジュストはくすっと笑うと、シノワの耳元に唇を寄せる。
「残念ながら、彼は本物の司祭ではありません。魔法で皆を騙しているのです。三日で司祭の修行なんて、できるはずがないでしょう? 全ては偽り。うかつでしたね」
 言った瞬間ジュストの口から淡い光の種がこぼれ、それがシノワの耳に吸い込まれるようにして消えた。すると見る間にシノワの顔が青ざめてゆく。そして見開かれたシノワの瞳から、少しずつ色が失われていった。
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