第22話

文字数 4,540文字

  ***

 フェローチェの星の塔は、街の雰囲気そのままに簡素な造りをしていた。
 石の魔法使いテュールの名にふさわしく、塔は鈍色の石積みで、塔の先端には金色の星の飾りが日の光を浴びて輝いている。歴史を感じさせる石積みの、苔むした荘厳さに、シノワは気がつけばまた口を開けたまま見入っていた。
 本来星の塔は先のとがった円筒形で、中も階層を設けることなく屋根まで吹き抜けになっているのが普通だったが、魔法が解放されてからは特に星への信仰が深まったのか、華美な装飾を施した複雑な構造の塔が増えて、こういう古い塔はだいぶ数を減らしていた。立派な星の塔を作れば、より多くの魔力が手に入るというわけでもないのだが、金のある者は塔に寄進したがった。
 中へ入ると、塔の先に開いた窓から射す陽の光の中、数々の星が揺らめいていた。シノワはそっとそれに歩み寄ると、その古い星々を見上げた。
 様々な石でできた【星】と呼ばれる球体が、魔法の金糸が描く円や直線、多角形などの絡み合った幾何学模様の上を、様々なスピードで滑ってゆく。
 無造作に動いているようでいて、それらには完全な秩序がある。この星はその土地の風や水の流れ、土の動きやその上に生ずるものの動きを受けて動いているのである。
 まだ【星読み】がいた頃は、この星を読んで種まきの時期を知ったり、嵐の襲来を知ったりと、様々な予言がもたらされたらしいが、最近では星読みも姿を消し、この星の塔も単なる街のシンボルとなっていた。
 それでも塔には、何らかの力があるように思えて、カデンツにいた時も、シノワは気分が落ち込むとよく塔に足を運んでいた。
 昨日、舟の事故で亡くなった三人の親類が、クロワから遺体を引き取りに来たらしかった。泣いてたよ、とガゼルはそれだけ教えてくれた。
 ヒュイ、と青い星がシノワの上を通り過ぎていった。
 この星の塔にある石の星は、魔法使いの使うものとは違う、古代魔法によって動いているのだという。
 古代魔法というものが、魔法使いの魔法とどう違うのかシノワにはよくわからないが、ガゼルが言うには、【星】が発見されて、この国に魔法使いが現れるより前からあったものらしい。しかし、テサに魔法使いが現れてからはどんどん廃れていき、今ではこうしてわずかに星の塔に残っているだけだった。
 兄のクロードの通う【塔の学院】とは、元々はこの古代魔法と星の塔について学ぶ学院だったことに由来するのだが、今ではそんな科目はなくなっている。
 この石の星がいったい何を表しているのか、もう誰にもわからないのだとしたら、この星はいったい何のためにここに存在しているのだろうか。そう思うと、シノワは少し切ないような気持ちになった。
 何でも知っているガゼルも、星を読むことはできないらしかった。星読みの知恵もまた、魔法によって失われたもののひとつなのだった。
 シノワは祭壇へ来ると、手を組み合わせて目を閉じた。
(どうか、ちゃんと魔法を封じることができますように)
 今日、フェローチェを旅立つ。証文はまだふたつ。まだまだ旅を続けなくてはならない。この先に何が待ち受けているのかわからなかったが、テサに元のような、不便だが平穏な日々が戻ってくるように、シノワは祈った。

 荷物をまとめ終わった頃、レジンがシノワの部屋を訪れた。
「気をつけて行けよ」
「はい。レジンさんもお元気で」
 シノワがぺこりと行儀良く頭を下げると、レジンはふっとおかしそうに笑う。
「本当、お前って変なやつだよな。そうしてると、まさか練習生(スタンヌム)だとは思えないぞ」
「うーん、そうですか?」
 シノワが自分の手足を見やっていると、ガゼルがくすくすと笑っていた。
「お前、練習生(スタンヌム)まで進んだのに、どうして剣を置いたんだ?」
「しばらく剣に触ってなかったこと、やっぱりわかりますか」
 シノワは照れくさそうに頭をかく。やはり、剣に関しては当主の目はごまかせない。
「ちゃんと反応はしてるのに、体と頭がついて来てなくて少し動きがぎこちなかった。終盤になってやっと感覚を取り戻したみたいだったのに、悪かったな」
 いえ、とシノワは首をふる。
「だけど、そんなのはまた稽古を始めればすぐ感覚は戻るだろ。反応の早さと読み、しようとしてる動きは良い。ちゃんと経験を積めば、剣士(フェルルム)になれると思う。だから、また剣を振れよ」
「本当ですか!」
 あまりのことに、シノワは手に持っていた荷物を落とすところだった。
「俺が言うんだから信じていい。お前には剣士(フェルルム)になれるセンスがあるよ」
 剣をあつかう者の上位百人が、剣士(フェルルム)と呼ばれる称号を得ることができるのだが、そのほとんどがテュール家出身の者で、一般人から剣士(フェルルム)が出るなどということは、とてつもなく稀なことだった。
 思いもよらない言葉に、シノワはうれしそうに目を輝かせたが、ハッと何かを思い出したように首をふった。
「でも、剣はもういいんです」
「どうして」
「僕は塔の学院を卒業したら、兄が領主になるので、その補佐官になるんです。だから他に勉強しなきゃならないことがいっぱいあって」
「その後軍に入るのか?」
「いえ、ずっと兄を手伝います」
 レジンは、ふうん、とげんなりしたように言った。
「まあ、もし、補佐官になってからでも、剣を振りたくなったら、いつでもフェローチェへ来いよ。俺が稽古を付けてやる」
 それはきっと叶わないだろうとシノワは思ったが、どうしようもなく心が熱く浮き立った。テュール家当主に稽古を付けてもらえるなんて、夢のようだった。
「その時は、よろしくお願いします!」
 おう、とレジンは十七歳らしい顔で笑った。


 約一週間の療養生活を終え、シノワたちはふたたび旅に戻った。
 長らくお世話になったベッドを片付けている時、また野宿生活に戻るのかと思うとため息がもれたが、前ほど憂うつにはならなかった。
 体はまだあちこち痛んだが、ずいぶんシノワを悩ませた足の裏の水ぶくれはすっかり治っていて、何だか自分が少し成長したような気がしてうれしかった。
 見送りにはレジンと、その父グラーベがやってきた。グラーベが重々しく別れの挨拶をし、レジンは「ばあちゃんからだ」と言って包みをシノワに手渡した。中身は干したコシ草らしく、ガゼルの講義によれば下痢止めであるらしい。
 そのことを暖かな心持ちで考えていると、シノワはふとシリカの言葉を思い出した。
「そう言えば、シリカさんに国境の縛りのことに注意するように、と言われました。それを解こうとする動きがあるって言っておられましたけど、どういうことなんですか?」
 あの時シノワはあまりの勢いに圧倒されていて、結局何の話だったのか詳細を聞けずじまいだった。
 ふとガゼルのため息が聞こえたように思ったが、ガゼルはいつものように物干し棒杖をふりふり歩いている。
「シリカさんの言う通りだ」シノワが疑問符の浮いた顔で次の言葉を待っていると、ガゼルは笑って言葉をつなぐ。「あれはクリフォードが最後にかけた魔法だ。魔法を持ってこの国を出られないようにしたのは、【星】ではなく彼なんだよ」
「ラスカーを攻めさせないためですか?」
「ラスカーに限ったことじゃないさ。魔法を解放すればどんなに規定を設けようと、いずれ魔法を持って他の国へ攻め込むだろうことは目に見えていた。それをさせないために、クリフォードが最後に魔法をかけた」
 その時、ガゼルが何か懐かしむような顔をしたので、シノワはそこで初めて、魔法が解放された後の、前司祭の行方について知らないことに気がついた。それを聞いていいものかどうか、シノワがためらっていると、ガゼルが先に口を開いた。
「魔法を解放したり封じたりするのに、どれぐらい魔力を使うと思う?」
「どれぐらいって、全然想像がつきません」
「星から魔力を好きなだけ引き出せる司祭が、指のささくれひとつ治せなくなるぐらいだ。つまり、本当に使い果たしてしまう。それがどういうことだかわかるかい?」
 とてつもなくすごい魔力が必要なのだろうとは思ったが、ガゼルはそんなことを言っているのではないだろうと、シノワはガゼルの方を見やる。
「私はずるをしたが、本来司祭になるには百年かかる。ということは、ふつう司祭は百歳を超えてる。そして、次の司祭になるべき子どもが生まれるのが、だいたい司祭を継いでから五十年以上先。そこから百年その子を修行させるんだから、司祭を継承するとき、前司祭はだいたい三百歳前後の老人だ。だけど人というものは、どんなに長生きしても百年ほどしか生きられない。司祭が恐ろしく長生きなのは、星の魔力が命を無理に引き延ばしているにすぎない」
 シノワは思わず目をみはった。
「じゃあ、魔力を使い果たしたら……」
「司祭も人間だからね」
 シノワはすっと体の奥が冷たくなった。
「そのことをみんな知らなかったんですか?」
「そんなわけないだろう。魔法使いならみんな知ってることだ」
「じゃあ、みんな司祭が死んでしまうってわかっていて?」
「魔法を解放した時、クリフォードは二百五十七歳だった。がんばって百年も生きられない人たちは、クリフォードが死んだって、早すぎるとは思わないだろう?」
 言葉が出なかった。そんなことは考えてもみなかった。確かに、魔法が解放された今でも寿命を延ばす法印(タウ)は発明されておらず、二百五十七年も生きる人間はいない。充分と言えば充分だ。しかしガゼルにとって前司祭は親も同然のはずだった。
「ガゼルは、それに納得したんですか?」
「悲しかったよ」
「すみません」
 長生きだったからとか、長く一緒にいたから充分というわけではない。大事な人がいなくなるのは、どんな理由があろうと悲しいに決まっている。それなのに、魔法が解放になってガゼルの得になることなどひとつもない。
 やるせない気持ちになって、シノワは足元を過ぎてゆく砂利を何となく目で追った。魔法が解放になった五年前、三日で百年分の修行をしたとはいえ、ガゼルは今のシノワと同じ十五歳だった。この五年間、ガゼルはいったいどんな思いで過ごしてきたのだろうか。
 そこでふとある考えに行き着いて、シノワは弾かれたように顔を上げた。
「ガゼルは? 魔法を封じてもガゼルは大丈夫なんですか?」
 なかば叫ぶように言ったシノワの必死な顔に、ガゼルは声を上げて笑った。
「ちゃんと話を聞いてたのか? 私はインチキをしたから、この通りつやつやの二十歳だ。魔力を使い切ってもまだ寿命は残ってると思うけど」
「あ、そうか……」
 ほっとしたのと、バカな質問をしてしまったという気恥ずかしさに赤くなりながら、シノワは荷車の柄をにぎり直した。
「君は何も心配しなくていい。ただ、魔法を封じるか封じないでおくか、そこをしっかり考えてくれたまえ」
「それはもう決まっています」
「まだまだ先は長い。急がなくてもいいぞ」
「いえ、もう魔法を封じてもらうって心に決めましたから」
 そう息巻くシノワに、ガゼルは短く息をついて苦笑する。
 これ以上魔法のために、不幸になる人を増やしてはいけないとシノワは思った。レジンも結局賛同してくれたのだ。だから、きっとこの道は正しい。そう思った。
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