第2話

文字数 3,020文字

 シノワが何と言うこともできずに、目を瞬かせて固まっていると、賢者は穏やかに目を細める。
「ああ、それともこういうのがいい?」
 彼が首をかしげると、その顔がじわりとうごめいて、今度は醜く太った女に変わった。化粧が濃く、唇やまぶたに塗られた全ての色が主張していた。
 これは以前たずねた、ヘルタニアという街で出会った偽司祭だった。ウソもウソ、彼女は少し占いができるだけで、まともに魔法を使うことすらできなかった。

「呪いだったら任せてちょうだい」
 女がわざとらしくウインクしてみせ、背筋にぞくりと冷たいものが這い上ってシノワが思わず後ずさると、女はにやりとした笑みを引っ込めて小さく息をついた。
「こういうもっともらしいのをお探しなら、よそをあたってくれ」
 そう言って女が椅子の背にもたれかかったときには、最初に見た青年の姿に戻っていた。

 最近では、魔法で髪や目の色を変えることが流行していたが、彼がしてみせたように、体つきや性別まで、またたく間に変えてみせるなんてことは、そうそうできるものではない。

 あまりの出来事に、口が開いたままになっていたことに気付き、シノワは顔を赤らめると、それをごまかすように語気を強めた。
「からかわないでください。僕は本物の司祭にお会いしたいんです!」
「会ってどうする」
「魔法を封じてもらいたいんです」
 青年はふっと吹き出した。
「どうして? 世の中楽しく回ってるじゃないか」
「本当にそう思いますか」
 そこで青年はようやくシノワの方を見た。

「数日前、空から家が落ちました」
「それなら聞いてるよ」
「あの時落ちてきた家の下敷きになって亡くなったのは、僕の幼なじみのおばあさんだったんです。そして、家を浮かべて運んでいたのも同級生でした。彼もいっしょに家の下敷きになって亡くなりました」
「それはお気の毒に」
「これがまともなことだと思いますか? 家を浮かべて引っ越そうとしていたんですよ。そんなバカみたいな話がありますか。この間も、月が二つになったり、空が緑色になったり、道が絡まって行き止まりになったり。魔法を使った泥棒だってすごく増えてるんです。全部こんな風に魔法が解放されてしまったからです。
 僕は、こんなデタラメなことがあってはいけないと思うんです。このままじゃこの国はダメになってしまう。だから元のように魔法を魔法使いだけのものに戻してほしいんです」

 シノワにやすやすと引き下がる気がないと見て、青年はのろのろと起き上がり、組み合わせた両手の上にあごを乗せた。
「その制服はクリアーニ学院だね。袖のラインが一本ということは五回生、十五歳」

 確かにシノワが今身に着けているのは、学院の制服だったが、学院生にとっては制服が正装なのであり、司祭に会うために正装しているのだから何もおかしくはないはずで、シノワがきょとんと見返すと、彼はじっとシノワの目を見上げた。麦わら色の髪の間からのぞく琥珀色瞳は、薄暗い部屋の中で少しかげって見えた。

「クリアーニと言えば、上流階級の子息令嬢が通う名門。君もどこかの子息なの?」
「……申し遅れました。僕はシノワ・エオローと言います。カデンツの領主カイル・エオローは僕の父です」
 なるほど、と彼は組んでいた手を解いて、左手にあごを乗せ直す。
「じゃあ君は未来の領主様ってことかい?」
「いえ。僕は次男なので。領主は兄が継ぎます」
 そう、と青年は苦笑した。
「僕じゃ不満ですか?」
 いや、と青年は首をふった。
「じゃあ、領主のご子息。ひとつ言っておくけど、魔法を解放させたのは他でもない、この国の人々だ。そして、私の見解を言わせてもらえば、家が降った件に関しても魔法が悪いわけじゃない。それを使う人間がバカだったというだけだ。そこを間違ってもらっちゃ困るね」
「でも、こんな状態が続けば、きっとこの国は滅んでしまう」
「それが運命ならしかたがない」
 そんな、と口を開きかけたシノワに、青年はチチッと舌打ちをした。
「五年前、君はまだ子どもだったから知りもしないだろうが、魔法を解放した時、すでにこうなることは予想されていたし、法庁(バーカナン)から忠告もした。しかし誰もそれを真剣に考えようとはしなかった。目先の不自由が全てだった。そして甘っちょろい魔法の使用規定を設けてみたものの、今となっては有名無実。みんな好き放題に無秩序な魔法を乱用している。それもこれも全て国民が望んだことの結果だ」
「あなたは解放の時、反対しなかったんですか? 僕がその時大人だったら絶対に反対しました」

 シノワの非難のこもった口ぶりに、青年は困ったように笑った。

「それなら聞くけど、君は魔法を使わずに暖炉に火を灯せるのか? 小麦からどうやってパンを作るか知ってる? 足の弱ったご老人が、魔法なしで隣町へ買い物に行くにはどうすればいいと思う?」
「それは……」
「魔法を封じるということは、そういうことも全部、自分の手足を使ってやらなくちゃならないってことだ。ないものを我慢するのはそう難しくはないけど、すでにあるものを手放すのは相当大変なことなんだよ。君、そのへんのところ、考えたことあるかい?」
 シノワはぐっと口を引き結ぶ。その様子に彼は深々とため息をつき、ふたたび椅子に背をもたせかける。
「わかったら、もうお家に帰りなさい」

 青年がまた目を閉じると、シノワはぐっと顔を上げた。
「それでも、僕は魔法を封じてほしい。魔法がない時にだって人はちゃんと生きてきたんだ。だから、魔法なしで生きていく方法は絶対にあるはずです。それを忘れてしまったのなら、また一から学べばいい。
 確かにこれはみんなが望んだ結果かもしれませんが、みんなで一緒に間違えるってことだってあるでしょう? こんな魔法は人のためになりません。家が落ちた他にも、僕は魔法で大変な目に遭ってる人を何人も知ってます。きっとそれはこれからも増え続けます。
 大体、魔法使いになるには試験がありますよね? 魔法使いの家系に生まれても合格するのはそんなに簡単じゃないって聞いてます。子どもの頃から魔法を習う家系に生まれたって全員が魔法使いになれるわけじゃない。それだけ扱いが難しいってことでしょう? そんなものを一般人が使いこなすのにどれぐらい時間がかかるか、僕には想像もつきません。こんなの子どもが火遊びしてるのと同じことですよ。それをあなたは黙って見てろって言うんですか?
 僕はもっと大変なことが起こりそうで不安でしかたないんです。だから僕は司祭にお願いしに行かなくちゃならない。どうか本物の司祭の居場所を知ってるなら教えてください」

 青年は、少し意外そうな目でシノワを見た。
「今の言葉を撤回しない覚悟はあるかい?」
「はい」
 シノワがうなずくと、青年はじっとシノワを見ていたが、ふと視線をはずし、黙って何か思いを巡らせている風だったが、不意にその顔に笑みが広がる。
「いいだろう」と、青年は跳ね起きると、また目を丸くしたシノワを楽しげな目でのぞき込んだ。「私も退屈していたところだ。旅に出ようか、シノワ」
「旅?」
「そうとも。魔法を封じるのは、君が思ってるほど簡単なことじゃない。国中を巡る長い旅になるよ。本当に封じるかどうかは、旅の合間に君の信念のほどを見定めてから決めてあげよう」
「いえ、あの、だから司祭は……」
「私がそうだと言ってるのに、まだ疑ってるのか?」
 シノワはうさんくさそうに眉をよせる。
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