第34話

文字数 2,899文字

「ああいうことをするだろうと思ったから、嫌だったんだ」
 ガゼルはブツブツ言いながらも、出されたお茶をすする。その様子に老女はまたフェッフェと奇妙な声を出す。どうやらそれが彼女の笑い方のようだった。

「司祭様ともあろうお方が、何をおっしゃいますやら」
 ガゼルがフンと鼻を鳴らすと、老女は煮豆をシノワの前に置いた。
 シノワは特に豆が好きなわけではなかったが、彼女が差し出した皿からは何とも言えずいいにおいがして、シノワは思わず手を伸ばした。やはり豆には魔法のにおいがなく、ほっこりと丸い味がした。
「ほどよく煮えてるだろう?」
 老女がニヤリとしてシノワを見やり、シノワはこくりとうなずいた。
「おいしいです」
「そうだろうとも。ま、誰かはどんなにおいしく作ってやっても、一口だって食べやしないけどね」
「久々に会ったっていうのに、竜をこしらえて襲わせるわ落とし穴にはめるわ。あげくの果てに、まず最初に私の食べられないものを出すなんて歓迎のしかたがあったとは知らなかったよ」
 またガゼルがブツブツ言うと、台所の方から老女の声が響く。
「歓迎なんかしちゃいないよ」
「くああっ、憎たらしい」
 ガゼルはほとんど口の中で言って、どうにか気を収めようと額に手をやった。

 こんな風に、他人のペースに巻き込まれているガゼルを見るのは初めてのことで、シノワはそのやりとりをおもしろそうに見守っていた。
 この老女が、土の魔法使いオセル家当主ジーナ・オセルだった。

「テュールは今もめてるそうだよ」
 言いながらジーナがよっこらせとテーブルにつく。シノワは驚いてふり返ったが、ガゼルは、そう、とだけ言ってほおづえをついた。
「何でも、当主の一存で証文をわたしてしまったことが原因で、当主を替えるかどうかって問題になってるそうだよ。カノに従う形になったのが気に入らないんだね。前々から頭が上がらなかったのは明らかなのに、当主がそれを認めたことがテュールの威信に関わるんだって。まったくテュールも小さなことを言うようになったもんだ。まあでも、お前が行かなきゃ丸く収まってたのに、レジンもかわいそうにね」
「テュールが自分で決めたことだ。それに、これは私が行かなくとも、いずれあぶり出された問題だ。あの子は才能があるけど、まだ若くて統率力には欠ける。ここが正念場ってもんだよ」
「レジンさん大丈夫でしょうか」
「大丈夫じゃなきゃ、そこまでの男ってことだ」
 シノワが、そんな、と情けない顔をすると、ジーナはまた奇妙な声で笑った。
「偉そうなことを言うようになったもんだね、ガゼル」
「おかげさまで」
「お前が私に何を頼みに来たかは知ってるよ」
「頼みに来たわけじゃない。ご意見をうかがいに来ただけさ」
 ほーう、とジーナは眉を持ち上げ、ニヤリと笑う。
「じゃあ反対してあげようね」
「それはどうも。ああ、ジーナ。ハシゴ使ってもいい?」
 好きにしな、と言ってジーナがキセルに火を付けると、ガゼルはシノワにそのまま煮豆でもつまんでいるように言って腰を上げ、ドアを開けると思い出したようにこちらをふり返った。

「ジーナ、ユルが何かしかけてきてないか?」
「ジュストやユルの魔法使いが嫌がらせをしてくるなんて、今に始まったことじゃない」
「すまないが、それが強まるかもしれない」
「お前に心配してもらう必要はないね」
 それを聞くと、ガゼルはほんの一瞬笑ったように見えたが、ぎゅっと眉をよせてジーナの方を見やる。
「ジーナ、私のいないところで、シノワに妙なことを吹き込むなよ。そしてシノワ、この口が達者な魔女の口車には絶対乗るな」
 言い放ってガゼルが出て行くと、ジーナはまたおかしそうに腹を抱えた。

 そうして完全に逃げ遅れたシノワは魔女に捕まってしまい、「泊めてやるから働きな」と様々な用事を言いつけられてしまった。

 驚くべきことに、このオセル家当主は一人で暮らしており、しかもこの家にはほとんど魔法用品が存在しなかった。残念なことに、井戸にも(かまど)にも魔法がかけられておらず、水くみも手作業でやらなければならなかった。
 とはいえ、この旅に出てからは火を点けるのも水をくむのも、食べるものをこしらえるのも、シノワは全て手作業でやってきていたので、特にあわてることもなかった。その様子をジーナも満足げな目で見ていた。

 ジーナはどう見ても六十は越えていると思われたが、メイドを雇うこともなく、毎日この作業を一人でこなしているのだという。まだ四十代のシノワの母親ですら日々の家事に疲れて、メイドのルイといつも愚痴を言い合っているのだ。何とも元気な魔女である。

「オセル一族はね、みんなマイペース。田舎で気ままに野菜作って暮らすのが好きなのさ。当主なんて面倒な仕事を引き受けたがる者がいなくて、私は貧乏くじを引かされたんだよ」
 ジーナは竈の火の具合を見ながら、シノワに(まき)を足すよううながす。
「どうして引き受けたんですか?」
「私は五年前までガゼルのお守りをしてたからね。法庁(バーカナン)と無縁でもなかったんだよ」
 シノワは「やっぱり」と笑って薪をくべる。それにジーナは、何が、と言いたげに眉を持ち上げる。
「ガゼルと仲がいいじゃないですか。それに少し前にガゼルが、子どもの頃は周りにはいろんな人がいて楽しかった、って言ってましたから。きっとその中にジーナさんもいたんだろうって、すぐにわかりましたよ」
 本当は、口うるさいばあさんなんかもいて、とガゼルは言ったのだが。
 彼女は「そうかい」と言ってシノワの頭をぽんぽんとなでた。



 鍋をしかけて居間に戻ると、ガゼルがソファで眠っていた。
 何でもないようなその風景に圧倒的な違和感を感じて、シノワはそれにじっと見入ってしまった。
「こうなっちゃ二日は起きないね」
 ジーナのうんざりした声に、シノワはぎょっとしてふり返る。
「二日もですか?」
 叫んでから、そうか、とシノワはようやくその違和感の正体に気付く。よくよく考えてみれば、ガゼルが眠っているのを見るのは初めてだった。いつも彼はシノワが眠るまで起きていて、シノワが目を覚ますといつも準備が整っているのだ。

「僕、ガゼルが寝てるのを初めて見ました」
 シノワがぽつりとつぶやくと、ジーナはやれやれとため息をついた。
「何かあっても、私があんたの面倒を見るだろうって、甘ったれてるんだよ」
 え、と目をみはったシノワを残してジーナは部屋を出て行き、少しして毛布を持って戻ってきた。

「あんまり寝てないんだろうよ。こう見えて、わりと心配性なんだ」
 ジーナはガゼルに毛布をかけてやる。
 いつもふりまわされてばかりいて、まさかそんな風に面倒を見てもらっていたなんて、シノワは考えてもみなかった。この旅の間、ラメールでのこと以外にも危ないことがあったのだろうか。
「やっぱり僕は、まだまだお子様なんですね」
 まるで叱られた犬のようにしゅんとなったシノワに、ジーナはまた奇妙な声で笑った。
「司祭なんてのは、起きていようと思えば、十年でも起きていられるやつなんだ。気にすることはないよ」
 ジーナはバシバシとシノワの尻を叩き「仕事仕事」と彼を外へ連れ出した。
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