第12話

文字数 3,762文字

 しばらく歩いてガゼルはとある露店の前で立ち止まった。台の上には色とりどりの宝石を使った宝飾品が並べてあり、若い女が何人かわいわいと群がっていた。それを強引にかき分けて前へ出ると、女たちが非難がましくガゼルをにらんだ。
「ちょっと、何なのよ」
「失礼。申し訳ないが、君らは他の店を当たってくれ」
 なおも女たちは文句を言ったが、動こうとしないガゼルをにらみながら、無遠慮にシノワを押しやったり、わざとらしく足を踏んだりして行った。

「何なんだい、お客さん。商売の邪魔しないでくれないかね」
 店主の男はおおいに顔をしかめて、ガゼルをにらみつけた。先ほどの骨董商とは違い、まるで役人のようにかっちりとした出で立ちの男だった。

「君だな。妙なおもちゃを売っているザインという商人は」
 ガゼルの問いに、店主はわざとらしい所作で小首をかしげて見せた。
「見ての通り、俺は宝石商だ。変な因縁をつけられると困るんだがね」
「すぐにアクロの販売を止めていただきたい。そうする理由は充分あるだろう」
 店主はふと笑みを収めてガゼルを見上げた。
「君はずいぶん若いようだが、法庁(バーカナン)の魔法使いかね」
「まあ、そんなところだよ」
「あんまり妙な言いがかりをつけるようだと、痛い目見るよ。今時法庁(バーカナン)なんて、たいした役所じゃないんだから」
「先にしかけてきたのはそっちだろう」
「何のことやら」
「こんなに堂々と規定を無視した物が、どうしてこうも流行っているのか。思い当たるふしがなくはないけど、君がああやって、陰で法庁(バーカナン)への報告をこまめに阻止してきたのも、理由のひとつってことでいいかい?」
「言いがかりはよせと言ってるだろう。俺はザインのことなんか知らねえよ」
「そうは言っても君、そんなにたくさん危ないアクロを持ってるじゃないか。他の店には、こんなのは置いてなかったんだけど」
 ガゼルが男の後ろにあった箱を指さすと、男の表情が少し強ばったように見えた。
「中を見もしないで、いったい何のことを言っているのかわからんね。あれは宝石用の箱だよ」
 ガゼルがふふっと笑う。
「申し訳ない、私は魔法が結構得意な方なんで、箱の中だろうが法印(タウ)はちゃんと見分けられるんだ。
 来てみて正解だな。そこのおもちゃは刃物どころじゃない。そんな法印(タウ)まで組み上げるなんて、誰か魔法使いが噛んでるのも間違いなさそうだ。君はそれをいったい誰に売るつもりなんだい?」

 その言葉に、男の表情が変わった。

「お前、一体何者だ。誰に何を聞いてきたか知らねえが、俺はザインじゃないと言っているだろう!」
 明らかに動揺した様子で男が声を荒らげた。
「じゃあ、ザインはどこにいるか教えてくれるかい?」
「知ってどうするんだよ。ザインを法庁(バーカナン)へ報告するのか?」
「君がそうしてほしいなら」
 ガゼルのつかみ所の無い受け答えに、男は明らかにいら立っていた。
「まったく、何なんだよ。箱の中身は宝石だ。これ以上変な言いがかりをつけるとただじゃ済まないぞ」
 ふむ、とガゼルはアゴに手をやる。
「気は進まないが、ラーグ当主に聞いてみた方が早いかな」
「お前……!」
 男の焦った様子に、ガゼルはにやりとする。
「やっぱり、ラーグ当主か本家筋が関わってるのかな。一般人がちょっと集まった程度じゃ、規定を丸ごと無視した物が、ここまで大きな商売になるはずもない。仮にもラーグ家当主のお膝元で。
 そこにそれだけ危ない物を大量に持っているということは、今日はお得意様との大きな取引の予定でもあってピリピリしてて、さっき私たちを襲ったってところかな」
「うるさい、黙れ!」
「それだけのものを受け取りに来る、商売相手となると……」
「黙れ!」
 ガゼルの言葉を遮るように、男が台をバンと叩いて立ち上がった。その大きな音に、辺りの人々がふり返った。

「俺は人の求めるものを提供しているだけだ! ちょっとその商売がちょっとうまくいっているからってやっかまれちゃ困るね。むしろ文句を言いたいのはこっちの方なんだ。魔法が解放されてから五年も経った。そろそろこの窮屈な規定の見直しを考えていい時期に来ているんじゃないかね」
 じゃあ、とガゼルが台に手をついて身を乗り出す。
「じゃあ、やっぱり君がザインということで間違いないかい?」首をかしげたガゼルを、男はぎろりとにらみつけるが、ガゼルは動じることなく再び口を開く。「いいかい? 商売ってのは、最低限ルールを守った中でどれだけ上手くやるか、というゲームなんだよ。強い味方がいたって、ダメなものはダメなんだ」
「いかにも頭でっかちな若造が言いそうなことだ。理想論じゃ世の中やっていけないんだよ」
「私もそんなのを押しつける気はない」
「ならどうする」
 ぴりりと空気が張りつめ、ガゼルは不敵に笑う。

「武力行使」

 それを合図に、ザインが素早く台の下から何かを取り出そうとしたが、ガゼルが物干し棒で払い、地面に転がったところで法印(タウ)が砕けて散った。

 ザインは舌打ちすると、宝石をガゼルにばらまくようにしてクロスをひらめかせ、声を張り上げる。すると、いつの間にか集まってきていたらしい、ザインの部下が二人を取り囲む。その異様な空気を感じ取って、市場を行き交う人々は眉をひそめて彼らから遠ざかってゆく。

 ザインが手を挙げて合図を送り、一斉に男たちは懐に手を入れる。破裂音と共に法印(タウ)が光り、そこから飛び出したものにシノワは目をみはった。それはワニやナイフのようなものではなく、竜だった。
 大量の水が集まり激しくうねって竜の形を成している。水の魔法をこんな形にするのは容易なことではない。そんなものを喚び出すにはガゼルが言ったように、魔法使いに手を借りて、相当複雑な法印(タウ)を組まなければならないはずだった。
 突然現れた竜の姿に辺りで悲鳴があがり、人々はクモの子を散らすように一斉に駆け出した。

「なかなかの仕上がりだろう? 法庁(バーカナン)の魔法使いだか何だか知らないが、俺たちに楯突くから痛い目を見るんだ」
 ザインは誇らしげに言って、天高く伸び上がった竜を見上げた。そしておもむろに腕を上げ、「行け」と言って勢いよくふり下ろす。すると竜はその動きに合わせて二人に向かって駆けた。

「ガゼル」
 シノワのおびえた声に、ガゼルはふふっと笑う。
「まあ、私を信用したまえよ」
 そう言って襲いかかってきた水竜を物干し棒で払い、棒の先でカツンと地面を叩くと、水竜は霧となって消えた。続いて襲ってきた火の竜を見ると、ガゼルは笑みの灯った口を開く。

 その口からこぼれたのは呪文(アンスール)ではなく、声ですらなかった。それは燃えさかる炎の音だった。

 ゴウ

 音だけでも身を焼かれそうな炎が渦を巻き、大きく広がったかと思うと、男たちの放った火の竜を呑み込む。ガゼルの炎は大きくうねると、まるで花火のように四方へ散り、その炎は風のように駆けて、ザインやその部下を追ってゆき、やがて彼らをぐるりと取り巻いた。
 シノワは思わず目をつぶってしまったが、よく見てみれば、炎は人もその服も焼いてはおらず、そのポケットの中身のみを焼いていた。法印(タウ)の詰まったアクロである。焼かれたアクロは次々と弾けて、中の法印(タウ)が砕けた光があたりにきらめき、目を開けていられないほどだった。

 その燃えさかる炎と法印(タウ)の放つ光の中で、シノワは図書館で見つけた古い本に記された文章を思い出していた。
 その本は魔法の理論とともに、魔法使いについて書かれたもので、司祭を捜すための資料を探していて見つけた物だった。その本によれば、真の魔法を扱う者の放つ呪文(アンスール)は、すでに言葉の形をとらず、魔法そのものの声になることがあるのだという。
 火であれば火の燃えさかる音、水であれば水の流れる音、それが彼らの呪文(アンスール)となる。そして、昔は幾人か、そのレベルに達した魔法使いがいたらしいが、ここ数百年で、そこに至った者は司祭ただひとりになったと、そこには記されていた。

 渦巻く炎が、さらに広がろうと身震いした時、ガゼルは押し寄せる気配に気付いて顔を上げた。

「少々おイタがすぎたかな」

 地響きのような音が徐々に大きくなり、広場からクモの巣のようにのびた道の向こうから、すさまじい量の水の流れが押し寄せてきた。それはまるで津波のように、ガゼルの放った炎を呑み込みながら彼らを目がけて迫る。

「つかまれシノワ」ガゼルは楽しげに言って、シノワの腕をつかむ。「思い出せ。君は大鹿(エオロー)だ。天まで跳べる!」
 そして四方から押し寄せた波が彼らを呑もうとした瞬間、二人は弾かれたように跳び上がった。そして勢いよく流れ込んだ水が激しくぶつかり合い、大きなしぶきを上げて彼らを呑み込もうと伸び上がったが、ガゼルはその波頭を蹴ってさらに高く舞い上がる。

「わ、わっ」
 シノワは必死にガゼルの法衣(ウルムス)をつかんで、効果があるかどうかはわからなかったが足をバタバタさせた。その下では市場はまるで洪水のようになって、彼らが落ちてくるのを待ちかまえている。
「今度こそちゃんとイメージしろよ。落ちると思うと、とても重くなるんだよ。大丈夫。あの水は私たちを落ち葉みたいに受け止める。落ちたところで痛くはない」
 そんなことを言われても、はいそうですかと納得できる人間がどこにいるというのか。しかしそこで上昇が止んで、二人は緩やかに落下し始める。
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