第62話

文字数 2,925文字

 もう少しで法印が解けそうだ、とガゼルは言ったのだが、翌日アレフは隠し部屋に姿を見せなかった。昼を過ぎて、来客があってどうしても来られなくなったことを告げる短い手紙がジーナを介して届いた。
「ユルかもしれないな」
「間違いないよ」
「学院長が邪魔してるんですか?」
 ジーナはうなずいてシノワの入れたお茶を一口飲む。
「昨日知らせがあったんだけど、魔法使いとノービルメンテ出身者には厳しく報告義務が言い渡されてね。ジュストに無断で領地を出たりできないし、職場を少し離れる際の報告もジュストが目を通せるようになってるらしいんだよ。これまではアレフもうまくやってくれてたけど、あいつもノービルメンテ出身者だ。釘を刺しに行ったんじゃないかねえ。これでアレフもジュストに黙って席を外せなくなるだろう。まったく恐れ入るね」
 もちろん、ジーナは今、自宅にいると法庁には報告してある。
「ユルがアレフの所へ行ったとしたら、まずいな。アレフの職場はカデンツだ」
「カデンツへ来るいい口実になっちまったかもね」
「アレフさん、大丈夫でしょうか。学院長はロゼリアさんとグルなら【星】を持ってるんでしょう? 何かされたら……」
「ユルは【星】を持ってはいないと思う。【星】の気配は王都から動いてない。おそらく【星】はまだロゼリアが持ってるはずだ」
「魔法が使えなくても【星】のことはわかるんですか」
「なぜだかね」
 うーん、とガゼルは届いた手紙と、アレフが残していった大量のメモを見ながら低く唸る。
「あんまり気は進まないが……ユルがアレフの所へ行ってる間に、王都へ行こうか、シノワ」
「王都へ?」
「アレフのことも心配だけど、今の私にはどうしてやることもできないし、ジーナも当主だから下手に動かない方がいい。かといって、ここで手をこまねいていても仕方がないから、王立図書館に行って、この法印の【鍵】を探そう。あそこには、ほとんど全ての文字の書かれた百科事典があるんだ」
「そうは言っても、カデンツには魔法の通り道はないので、王都までは馬車を使っても三日はかかりますよ」
「私の家から法庁へは行けるけど、あの通路を使うと法庁の事務所に知らせが届くしね。どうやって行くつもりなんだい?」とジーナ。
 ガゼルはチチッと舌打ちをする。
「私のハシゴを使えばすぐだよ。私の法衣(ウルムス)のポケットの中に入ってる」
 なるほど、とシノワ思ったが……
「ポケットに入るんなら、どうしてそうやって運んでくれなかったんですか!」
 旅の間中ほとんどシノワが荷車に乗せて運んでいたのである。
「まあまあ、今は細かいことはいいだろ」
 シノワはまだ納得がいかなかったが、ガゼルの法衣のポケットに手を突っ込むと、何か小さな固い物に指先が触れる。それをつまんで取り出すと、ポケットから外へ出るとともにハシゴは元の大きさを取り戻し、シノワは重みによろめいてハシゴを抱えたまま尻餅をついた。
「大丈夫かい?」
 シノワは少しいまいましそうに顔をしかめつつ、ハシゴを壁に立てかけた。
「僕の家の物置にハシゴをかける穴はありますけど、どうやって王都へハシゴをかけますか?」
 このガゼルのハシゴは、かけた本人の最も行きたい場所に繋がるハシゴなのだが、シノワは王都にはほとんど行ったことがない。
「私にも無理だよ」とジーナ。
「私もこの手じゃハシゴはかけられないし、正直王都に行きたくはない。仕方ないから彼を呼ぼう」
 数時間後、ジーナの作った扉から姿を見せたのは、とてもそわそわと落ち着かない様子のベオークだった。
「し、司祭、あの、本当に、困ります……」
 ベオークは隠し部屋へ入ると、別に誰かが聞いているわけでもないのに、小声になって言った。
「助かるよ、ベオーク」
 ガゼルはニカッと笑っていそうな口ぶりで言った。
 ベオークは更に困り果てた顔で、額の汗をハンカチで拭った。
「今、この時間は、私、とても忙しいんですよ。ご存じでしょう? 三日も休暇を取ったので、仕事は溜まっていますし、こうして抜け出すのもとても気を遣うのですが」
「知ってるよ。だからこそ君を呼んだんだ」それを聞くとベオークは、えぇ、と情けない声を出した。「シノワ、準備はいいかい?」
「はい。僕の方は大丈夫です」
 シノワはクロードに借りた糊の利いたシャツと、かっちりとした上着をまとって、髪をきれいに整え、あらかじめ用意していた鞄を肩から斜めにさげていた。そしてガゼルを机の上からつまみ上げ、その鞄に入れようとすると、ガゼルがじたばたと暴れる。
「待て待て、鞄じゃなくてポケットに入れてくれ」
 シノワはあからさまに嫌そうな顔をした。クマはポケットに入りはするが、どうしても頭は外へ出てしまう大きさがある。
「嫌ですよ。ポケットにクマを入れて行くなんて」 
「君は私に鞄の布地にずっと目をこすりつけながら行けって言うのかい?」
「鼻でつっかえますよ」
「鼻はこすれてもいいって言うのか」
 シノワは更に嫌そうに眉を寄せたが、確かに狭い鞄に押し込んで、鼻や目をすりつけながら行くのも少しかわいそうな気がして、不承不承クマを上着の胸ポケットに入れた。
「あの、シノワ君、その格好……それに、その法衣(ウルムス)はどういうつもりです?」
 置いてけぼりになっているベオークが、シノワが腕に抱えている薄い緑の法衣(ウルムス)を見ながら不安げにたずねた。

 三人は誰にも見つからないようこっそりと、シノワの家の物置までやって来ると、メイドのルイや母のマンナにも見つからないように、こそこそと中へ入っていった。そして、シノワはハシゴをベオークにわたすと、彼は緊張した面持ちでごくりと生唾を飲み込んだ。
「確かに、僕は今、かなり、とても、王都に戻りたいですが、本当に王都にハシゴがかかるかはわかりませんよ」
「大丈夫だよ。君の真面目さはよくわかってる」
 ガゼルがシノワのポケットから手をふる。ガゼルは王都へのハシゴをかけさせるために、わざわざ仕事の忙しい時間にベオークを呼んだのである。
 シノワが物置の二階へ続く穴にかかっていたハシゴをはずすと、ベオークはまた額の汗をハンカチで拭い、持っていたガゼルのハシゴをおそるおそる穴に差し入れる。かすかに光が散って、魔法がかかったことを確認すると、ベオークはゆっくりとハシゴを登っていったが、穴の出口を少し見ると血相を変えて降りてきた。
「ダメです、司祭。法庁の事務室にそのまま通じてしまいました」
 ガゼルはやれやれと肩をすくめると、「仕方ない」とシノワに目配せする。
 シノワが持っていたガゼルの法衣(ウルムス)を上着の上から羽織ると、ベオークはみるみる青ざめた。
「む、む、無理ですよ、司祭」
「大丈夫。君なら何とかできるよ」
「そんな無茶な。上司だっているんですよ」
「いいから行きたまえ」
「でも……」
「これは命令だ、ベオーク。君の上司の上司は、私だ」
 ベオークはぎくりと体を強ばらせると、何度も汗を拭ってから、ハシゴに手をかける。なんだか見ているこっちが緊張するような様子だったが、ベオークはあわてふためいていてもきっちり仕事をこなす妙な才能があるのだと、ガゼルがこっそり説明した。そのベオークの後を追って、シノワもハシゴを登っていった。
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