第42話

文字数 3,723文字

「今日は君、ずいぶん食い下がったね。その調子だ」
「はい」とシノワは素直に嬉しそうな顔をした。
「でも、ここからが正念場かな。カノの痛い腹を探らなくちゃいけないからね」
「息子さんのことですか? 縁を切ったようなことをおっしゃってましたが」
「一人息子なんだ。そう簡単に縁を切ったりするもんか」
「その息子さんのことが反対の理由なんですか?」
「それを確かめる必要がある」
 カノは優しい人なんだよ、とガゼルは半ば独り言のように言った。

「まあ、今日のところはひとまず宿を探そう」
 そう言ってガゼルが空を見上げると、日もずいぶん傾いて、西の空が赤く色づき始めていた。

 カルムはシノワの予想に反して、とても静かな街だった。アナシでガゼルにこれからは大変だと脅かされていたし、炎の魔法使いの街なのだから、賑やかで騒がしく、酒場では毎日のように殴り合いのケンカが……などという想像をして、シノワはずいぶん身構えていたのだった。
 しかしそれを言うと、火山だって普通の山に見えることもある、とガゼルは恐ろしいことを言った。

 この町にはガゼルが言った通り平屋建ての家が多く、二階があってもハシゴではなく階段で上がる作りになっているようだった。どの壁も白く塗られていて、扉や窓枠は赤いことが多い。同じテサの国内でも、地域によっていろいろな特徴があるものだと、シノワは面白く思った。

 そしてこのカルムでは、炎の神(ケン)が信仰されていて、住民の多くが炎の神(ケン)の信者なのだという。
 テサのほとんどの地域では、星の塔で【星】に願い事をする習慣はあっても、神をあがめるという習慣のある場所がほとんどないので、炎の神(ケン)というのが、シノワにはいまいちどういう存在なのかわからなかった。そんなシノワに、ガゼルは「定期的に集まって、カノの長い話を聞く会があるだけだよ」と雑な説明をした。

 宿を探して広場にさしかかった時には、空は夕焼け色に変わっていた。石畳があかがね色の日の光を照り返している。広場の真ん中には大きな篝火がいくつも灯されていて、ぱちぱちと火のはぜる音が聞こえていた。シノワはその前で足を止める。

「これって、魔法の火ですか? ふつうの火(、、、、、)ですか?」
「これはふつうの火だよ。炎の神(ケン)は魔法の火には宿らないんだってさ。だから、大事な行事の日とか一年の初めの日に、魔法の火を使うのは火を汚すって言って、嫌がるんだ」
「火って汚れるんですか?」
 シノワが小首をかしげると、ガゼルも、さあ、と肩をすくめた。
「汚れた火を使うとどうなるのかは知らないけど、ともかく、カルムでは魔法の火は正式な火として扱われないんだよ」
「もし行事のある日に、うっかり魔法で火を点けてしまったらどうするんですか?」
「鍛冶師にお願いして、汚れてない火を分けてもらうのさ」
「どうして鍛冶師なんですか?」
「鍛冶師は絶対に魔法の火を使わないからだよ」
 へえ、とシノワは篝火をまじまじと見る。シノワには、何度見ても魔法で灯した火との違いがわからないのだった。ガゼルが言うには、微妙に色が違うらしいのだが。

「わりと魔法使いの街でも、魔法を使っちゃいけない所があるんですね」
 テュールでも誓約(ファーン)の時の魔法は禁止されていたし、アナシでもジーナは少しも魔法を使わないで畑の世話をしていた。
「なかなかいい着眼点だよ、シノワ」
 楽しそうに言ってガゼルがシノワをふり返ったとき、不意に厳しい表情になり、空を切るように杖を横へ払った。それに弾かれたらしい魔法が散って、辺りに七色の光が舞った。

「何ですか?」
 何事かとシノワが辺りを見回すと、ガゼルはシノワの腕を引いて走り始めた。その後ろを数人の人影が追ってくる。
「さて、覚えてるかな。跳ぶぞ!」
「またですか!」
 シノワがあわてた声を出した時には、もう二人は空中にいた。さえぎる物のなくなった視界で、傾いた日の光が目にまぶしい。
「どうして毎回こんなに高く跳び上がるんですか!」
「どうしてって、下で魔法を使うと、いろいろ巻き込んでしまうじゃないか」
 ガゼルなりに理屈があるらしい。

 落ちるイメージを必死にふりはらいながら、シノワはガゼルの法衣(ウルムス)をつかむ。
「相手はみんな魔法使いだ。クロワの商人よりちょっと手強いぞ」
 なんだか楽しげに言って、ガゼルは下降し始めたシノワの腕をつかみ直すと、ふたたび口を開いた。そこからザッと水の流れる音が響き、すさまじい水の流れがどこからともなく現れ、すぐそこまで迫っていた炎を呑み込む。
 その波の上を、ぴょんぴょんと跳ねて進むガゼルに手を引かれながら、シノワは後ろを追ってくる人影をふり返った。人影は三つ。そしてその誰もが暗い色の外套をまとっていて、深くかぶったフードに阻まれて表情が見えない。
「いったい何なんですか?」
「私が聞きたいよ。魔法使いが司祭に向かってくるなんて、どういう了見なんだ」

 ラグズ・イーサ

 腹の奥が凍り付きそうな静かな声が、ガゼルの口からこぼれたと思った時には、二人を追っていた三人は氷に包まれて動きを止めていた。そしてゆるゆると落下し始め、ゴツン、ゴトンと大きな音を立てて地面に落ちた。
 それを追って二人は波を伝って下りていき、地面に降り立つとガゼルは凍り付いた三人を一瞥し、パチンと指を鳴らす。すると彼らを包んでいた氷が砕け、意識を失った三人は地面に横たわった。それに短く息をつくと、ガゼルはシノワをかばうように自分の後ろに押し込んで、カツンと石畳を叩くように杖をつく。その視線の先に、一人の男が立っていた。

 背の高い、がっしりと体つきのいい男だったが、やはり深くかぶったフードにさえぎられて表情まではうかがえない。

「さすがは司祭。一瞬でしたね」
「君は何がしたいんだ」
「確かに、魔法の使い方は天才的。選択、間合い、精度、どれをとっても完璧。呪文(アンスール)を使っても、それを防ぐ隙を与えない」
 しかし、と言って男は一歩踏み出す。と、すさまじい炎が巻き起こる。クロワでガゼルが喚んだ炎よりも巨大で、その熱風だけで燃えてしまえそうだった。それにガゼルがふたたび水を喚んで防ぐと、男の静かだが良く透る声がした。

「あなたの魔法には完全な秩序がある」そう言って男はガゼルが作った水の壁に手を突くと、それをぐっとにぎる。「しかし、こちらは秩序を超えたんだ」

 その言葉に導かれるように魔法の砕ける光がほとばしり、そこにできた穴から無数の虫がわき出て、ガゼルの水を飲み込んだ。そして次の瞬間、すさまじい爆発音が響き、ガゼルは巻き起こった暴風に吹き飛ばされて、街路樹に打ち付けられた。

「いった……」
 うめくように言って、したたかに打った後頭部に手をやる。目を開くとそこには薄暗くなった町並みが元あったようにあり、先ほどの男たちやシノワの姿が消えていた。
「まいった、命がけだな……」
 つぶやくように言うと額に何かがバシッと当たって、ガゼルはふと我に返った。見ればロンが目の前にいた。

 彼は怒っているようで、ガゼルの目の前でバタバタしながら、ぼんやりするなというようなことを言った。シノワのことを心配しているらしい。
「君は思いのほかシノワが気に入ってるんだな。手紙を頼んだときはあんなに意地悪を言ったのに」
 ガゼルがニヤリとすると、ロンはしっぽの先で、ガゼルの額をなおもビシビシやりながら、シノワのなで方はお前よりうまいんだとか何とか言った。
「わかったわかった、しっかりするよ」
 魔法を返されるなどということは本当に久しぶりのことで、実際にはクリフォード以外に魔法を返されたことはなかった。

 よいしょと立ち上がって腰を伸ばすと、法衣(ウルムス)に付いたホコリを払う。そののんびりした様子にロンはイライラと彼の周りを飛び回った。
「大丈夫だ。こんなこともあろうかと、シノワには守りを付けておいたし、さっきそれが発動しなかったということは、彼にシノワを傷つけるつもりはないってことだ」
 そうなると、とガゼルは息をつく。
 シノワを無傷で連れ帰りたかったということは、人質にでもするつもりか。となると、さっきの男は、恐らく最も魔法封じを止めたい人物。カノ家当主の一人息子、クロム・カノ。

 ふむ、とガゼルはアゴに手をやり、少し考えるようなそぶりをしてからロンをふり返る。
「ロン、シノワの様子を見に行ってくれないか?」
 ロンはあからさまに嫌そうにヒゲを下げた。
「助け出してこいとは言わないよ。だけど、君ならシノワの気配を追って探し出すのなんてわけないだろう? 私はシノワより君の居所の方が探しやすい。それにシノワも見知らぬ所に突然さらわれて心細い思いをしてるはずだよ。私が行くまで、君が一緒にいてくれればきっとシノワも安心するよ」
 ロンは、むむっ、と渋い顔をする。
「大丈夫。私もすぐ行く。ただ、私は玄関を蹴破って行くつもりはないから、ちょっと時間がかかるかもしれないけど」
 ね、とガゼルが首をかしげてみせると、ロンは不承不承うなずいて夕暮れの空に溶けて消えた。それを見送るとガゼルは小さく息をついて、夕暮れの町並みに向かって歩き出す。

──秩序を超えたんだ。

 先ほどの男の言葉に、ガゼルはめずらしく険しい表情になった。
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