第64話

文字数 2,277文字

 収蔵庫の中は思いのほか明るく、かび臭い独特のにおいが鼻をついた。見上げれば天井がなく、青空がそのまま見えていた。もちろんそれも魔法で、本当に天井がないわけではなく、青空には法印(タウ)がきらきらと並んでいた。
 そして周りには見上げるほどの本棚がずらりと並んでいて、どの本も、背表紙がなかったり破れたりした古いものばかりだった。あとは小汚い箱がいくつも重ねられた棚も多くある。

「確か、サリー文書は一番奥の方にあったはずなんだ」
 奥へ進むと、分厚い大型本の並ぶ本棚が多い区域があり、その本当に一番奥にサリー文書全二十六巻があった。それは分厚い革表紙の本ではあったが、相当に古びてあちこち破れていた。

 シノワはひとまず鞄を下ろすと、中からまた法印(タウ)の書かれた紙を取り出してガゼルにわたす。ガゼルはそれを慎重に微妙な角度で並べてゆき、シノワをふり返った。シノワがうなずいて法印(タウ)の上に手を乗せると、ガゼルもその上にまあるい手を重ねて、もう一度うなずきあった。

「シャルクハフト」

 シノワの言葉とともにまばゆい光が散って、視界がぐにゃりと渦巻き、シノワは仰向けに倒れ込んだが、そのおかしな感覚に目を回しそうになった。

「うん、いい感じだ」
 そう言ってガゼルは手のひらをにぎったり開いたりした。床に倒れ込んでいたシノワは起き上がろうともがいたが、その何とも言えない手応えのなさに、床でじたばたもがいた。
「うわあ、なんですか、これ。すごく変な感じです!」
 ガゼルはふふっと笑って、転がったまま、もがいているクマをつまんで起こしてやった。

「クマの気持ちがわかったかい?」
 そう言ってガゼルはシノワの顔で不敵な笑みを浮かべた。そう、今度はシノワとガゼルの中身を入れ替えたのである。
「僕はそんな笑い方しませんよ」
 自分の顔が、自分の見たことのない様子で動くのは、なんだかすごく奇妙な感じがした。
「すごい。全然魔力がない! 今の魔法で使い果たしたんだね。こんなんじゃ、火を灯すだけでも一苦労だ」ガゼルは楽しげに言う。
「一般人の気持ちがわかりましたか?」
「そうだね。よくわかった。すごく面白いよ」
 ガゼルは本当に楽しそうに言ったが、シノワはなんとなく面白くなくて内心口を尖らせる。

「さて、急ごう。君の魔力だと、入れ替わっていられるのも持って二時間ってところだ」ガゼルはまた手をにぎったり開いたりして、指先を弾くと小さな光が散ったがすぐに消えた。「この感じ……君はたぶんテュールのエレメントに属してるね。剣を持つ君にはぴったりだ」
「僕も修行すれば、魔法の剣を打てるってことですか?」
「魔法を封じるのが惜しくなってきたかい?」
「まさか。そんなのには惑わされませんよ。さあ、さっさと文字を探してください」
 シノワはどうにかこうにか立ち上がって見せ、ガゼルはそれに笑いながらサリー文書を何冊か取り出した。

 クマの体は思ったよりつかみ所がなく、体がふわふわしているからか、何に触ってもあまり実感がない。中途半端に触れた感覚があるのが気持ち悪いし、首が回るように作られていないので、どの方向にも顔を向けづらかった。
 初日はしょげかえっていたくせに、今日はもう、こんな体で紙きれを持ち上げていたガゼルにシノワは舌を巻いた。

 そしてシノワの顔をしたガゼルは、アレフが隠し部屋でしていたように、床に紙を広げるとものすごい勢いで文字を書き写していった。
 ガゼルの開いているサリー文書は本当に原本であるらしく、全てが手書きだった。あちこちかすれて読みづらく、インクがにじんでいる所も多くあった。サリー文書は歴史の授業で必ず習う百科事典だが、サリーという人物が一人で書いたといわれている。確か六百年以上前に書かれたもののはずで、読める状態で残っているだけでもすごいことなのかもしれない。六百年前は、まだ印刷技術や紙自体があまり一般的ではなく、その頃には竹を細く割って綴った書物が多かったはずだが、サリー文書は動物の皮を使った羊皮紙に書かれているようだった。

 ガゼルの開いているページをのぞき込むと、なるほど、法印(タウ)に使われているのと同じような文字が並び、その横に細かなテサの文字で説明が書かれていた。どうやらクシナの巻らしかった。

「ガゼル、法印(タウ)の文字って、もしかしてクシナの文字なんですか?」
 クシナとは、クリフォード前司祭の作った国境の結界を解いて、攻めるとか攻めないとか言っているラスカーを挟んで東にある国の名である。テサの民がこの【中の大陸(テルリア)】に渡ってくる前まで、現在のテサもラスカーも、クシナの一部だったという。
「そうだよ。今は少し形が変わってしまったものもあるけど、大体はクシナの文字をそのまま使ってるんだ」
「じゃあ、魔法って、元々はテサじゃなくてクシナのものってことですか?」
 ガゼルはせわしなく文字を書き付けながら、にやりとする。
「そういうこと。初代司祭の時代、我々テサの民はクシナの文化の中に無理矢理入り込んだんだ。だから、テサ独自のものだと思っているものでも、実はクシナの影響を大きく受けてるものがたくさんある。特にテサの魔法は、初代司祭が【中の大陸(テルリア)】で使われてた魔法の技術を足がかりにして築き上げた体系だから、文字がそのまま法印(タウ)に組み込まれてるのさ」

 シノワはどうにかふわふわした足を動かして、ガゼルの膝とサリー文書との間に入り込むと、ガゼルの見ているページを一緒に眺めた。どうやら植物の項目らしく、いろいろな文字とともに、植物の特徴や育つ場所などが書かれていた。それぞれに花や葉の絵も描かれていた。
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