第71話

文字数 2,238文字

「どうして彼らは君のことを知ってるのかな」
 シノワの胸ポケットからガゼルが言った。
「僕の方を見て追ってきてるような気がしてましたが、気のせいじゃなかったんですね」
 シノワは走りながら手のひらに写し取った地図を確認するが、もう自分がどこの小道を走っているのか見当が付かない。どっちを向いても同じ建物にしか見えない。角を曲がると、前にまた数人の男たちが現れた。とっさにきびすを返すと、その後ろにも男たちが迫る。
 シノワは急いで辺りを見回し、手近にあった雨樋(あまどい)に取り付いて登り始めた。幸いその建物には屋上があり、上までよじ登ると、シノワはすらりと剣を抜き、「ごめんなさい」と謝りながら雨樋を切り落とす。すると、登りかけていた男たちの一団が地面へと崩れ落ちていった。しかし、すぐにまた何かの(つる)のような植物が生い茂り始める。
「何やってるんだ。逃げるぞ!」いつの間にか屋上に登ってきていたアレフがシノワを引いて走り出す。「まったく。既にユル家のやつらに網を張られてるのはどういうことなんだ」
 先ほどから追ってきている男たちは、法衣を身につけてはいないが、唐突に植物を生い茂らせるところから見て、ユル家の魔法使いには間違いなかった。
「ガゼル、【星】の気配はありますか?」
「わりと近いぞ」
「どっちですか?」
「東だ」
「東って?」
 めちゃくちゃに走って、もう西も東もわからない。
 こっちだ、と地図を見ようとした腕をアレフにつかまれ、引っ張られるままに視界が傾き、バランスを崩したシノワは石畳へ向かって落下する。
「うわあっ!」
 バシャン
 水音と共に、シノワは石畳ではなく水の中に落ちた。ジタバタと水面に顔を出したところで不意に体が軽くなり、シノワはどすんと尻餅をついた。見れば水などどこにもなく、ただびしょ濡れのシノワが石畳の上にへたり込んでいて、同じくびしょ濡れのアレフがすぐそばに立っていた。アレフは大きく息をつくと、パチンと指を鳴らす。すると風が吹き通った感覚と共に、服が風をはらんで乾いてしまった。何がなんだかわからなかったが、アレフの魔法らしい。手をつかんでシノワを立ち上がらせると、アレフはあらためて辺りを見回した。
 シノワも一緒に見回すが、獅子(シン)の姿もロンの姿も見当たらない。
「そこの路地を右へ入って、突き当たりの建物の上だ」
 ガゼルがシノワの胸ポケットから、まあるい手で路地の奥を指し示した。指し示す手をたどった先を見やると、何か黒い塊が屋根と屋根の合間をちらりとよぎった。
「あっ! あそこにいる」
 見れば、ガゼルが指し示した建物の屋根に、黒い塊がゆらゆらと奇妙な動きをしているのが見え、シノワはハッと息を呑む。獅子は白くて細長いものに噛み付いてぶら下がっている。
「ロンだ! ああ、かわいそうに!」
 獅子はロンの尻尾に噛み付いていて、ロンがふり払おうとしてゆらゆら揺れているのだった。
 シノワは急いで鞄からランタンを取り出す。アレフが学院長の箱を真似て改良を加えた、【星】と獅子を捕まえるための檻である。
「ロン! こっちだ!」
 ガゼルが叫ぶと、ロンは悲しげな鳴き声を上げてから、ゆらゆらとこちらへ向かい始める。しかし、こちらの姿に気がついた獅子が口を離し、ひょいと屋根の上に飛び降りてしまった。
「あっ! こら、待て!」
 アレフが獅子を追って走り出し、シノワもそれに続いて駆け出すと、ロンが勢いよく飛んできてシノワにぶつかって止まった。そしてピイピイ言いながら、シノワの服の中に潜り込んで丸まってしまった。
「ロン、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。(ペオース)はそんなにやわじゃないよ」
 ガゼルが笑って言ったが、ロンは何も返事をせず、シノワはシャツの上からロンをなでてやった。
 獅子は屋根の上を駆けてゆき、屋根が途切れると、驚くほど跳び上がって向こう側の屋根へと飛び移って逃げる。
「やっぱり、猫を捕まえるようにはいかないか」
 アレフはポケットに手を突っ込むと、そこから何か細長い物をつかみ出す。それがみるみる伸びて杖の形になった。そして獅子が跳び上がる瞬間を待ってから、杖をかまえる。
 アネモス
 呪文と共に、ビョウと強い風が巻き起こり、獅子はバランスを崩して路地の石畳に落ちてきた。しかし、まるで猫のようにくるりと回って上手に着地すると、獅子はまた走り出し、アレフはいまいましそうに舌打ちをしてそれを追った。
 シノワもそれに続いて走りかけたが、ふと足を止める。
「アレフさん!」
 ふり返ったアレフに、シノワは胸ポケットに入っていたクマを彼に向かって力一杯投げた。アレフは驚いたようだったが、何とか腕を伸ばしてクマを受け止めた。
「僕は反対側から回り込みます!」
「道はわかるのか?」
「大丈夫! ロンに見つけ出してもらいます!」
 手をふって見せ、シノワはアレフとは反対側の路地へと走って行った。
「ロン、お願い。手伝って」
 首元からシャツの中に手を突っ込んで、まだ丸まっているロンをつかみ出す。
 ロンは嫌そうにヒゲを下げ、尻尾を持ち上げてシノワに見せた。そこには小さな歯形が付いていた。
「今度噛まれそうになったら、僕が助けてあげるよ」
 そう言ってシノワは、剣の柄頭をぽんぽんと叩いて見せる。
 それでもロンは下がったヒゲを持ち上げてくれなかったが、不承不承といった風に路地の先を尻尾で指し示した。
「ありがとう!」
 シノワが走り出すと、ロンはシノワの手の中から抜け出して、ついてこいという風にシノワの前を飛んでいった。
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