第13話

文字数 8,548文字

 佐藤ナナが、怒りを込めて、私を睨んだ…

 褐色の肌が、怒りで、上気した…

 赤くなった…

 私は、ベッドの上で、佐藤ナナの顔を見ながら、つくづく、キレイだと、思った…

 私、寿綾乃は、32歳…

 対する、佐藤ナナは、22歳…

 だから、若い…

 そして、日本人と、東南アジア系のハーフということで、華やか…

 色は浅黒いが、純粋な日本人にはない、華やかさがある…

 だから、

 「…キレイ…」

 と、つい、呟いた…

 「…佐藤さんって、本当に、キレイで、可愛らしい…」

 私は、言った…

 「…私も、佐藤さんのように、なりたい…」

 思わず、言った…

 「…私のように、なりたい?…」

 佐藤ナナが、私の言葉に、驚いた…

 「…ウソォ?…」

 「…ホントよ…」

 「…どうしてですか?…」

 佐藤ナナが、まるで、今にも、私に殴りかかるような、感じで、ケンカを売るように、聞いた…

 「…どうしてって?…」

 「…どうして、私のように、なりたいんですか?…」

 「…若いから…」

 私は、佐藤ナナの質問に、答えた…

 「…若くて、健康だから…」

 私が、答えると、佐藤ナナが、黙った…

 佐藤ナナは、看護師…

 そして、私は、病人だ…

 当たり前だが、病人は、健康な人間に憧れる…

 佐藤ナナは、それに、気付いたのだ…

 「…佐藤さん…」

 「…ハイ…」

 「…もっと、自分に自信を持ちなさい…」

 「…自信?…」

 「…アナタは、若く…そして、美しい…たしかに、肌は、浅黒いかもしれないけど、純粋な日本人でも、アナタのように、キレイな女のコは、いない…なにより、華やか…それが、アナタの武器になる…」

 「…武器?…」

 「…つまり、他人様よりも、秀でたものを、持っているということ…ルックスでも、学歴でもいい…他人様よりも、明らかに優れたものを持って生まれた人間は、決して、多くはない…」

 「…」

 「…でも、佐藤さん…アナタには、それがある…だから、もっと、自分に自信を持つこと…」

 「…」

 「…仮に、この長谷川センセイに、私と、佐藤さんのどっちを、恋人に選べと、言われれば、私が、長谷川センセイなら、躊躇うことなく、佐藤さんを選ぶ…」

 「…どうして、私を?…」

 「…バカね…誰でも、若い方が、いいに決まっているでしょ?…」

 私は、笑った…

 「…そうですよね…長谷川センセイ?…」

 私の問いかけに、長谷川センセイは、困った顔になった…

 「…それは…」

 と、言ったが、後が続かなかった…

 答えは、わかっている…

 若い方が、いいと言いたいが、さすがに、それはできないのだろう…

 「…佐藤さん…」

 「…ハイ…」

 「…アナタは、美人で、若いのだから、もっと、自分に自信を持ちなさい…若さは、歳を取れば、なくなるけど、美人であるという事実は、歳を取っても、変わらない…」

 「…」

 「…佐藤さんは、来日して、数年だというけど、母国でも、美人だったんでしょ?…」

 「…それは…」

 佐藤ナナが、言い淀んだ…

 さすがに、自分の口から、自分は、母国でも、美人だったとは、言えないに違いない…

 私が、言い終えると、長谷川センセイが、嘆息した…

 「…まったく、寿さんには、驚かされる…」

 長谷川センセイが、口を開いた…

 「…病人で、ベッドの上に寝ている身なのに、まるで、ボクや、佐藤さんの教師のようだ…」

 「…そんな大げさな…」

 「…いえ、大げさでは、ありません…」

 長谷川センセイが、即答する…

 「…冬馬が…アイツが、寿さんは、しっかりした女性だからと、言っていたが、まさか、これほどとは?…」

 「…冬馬さんが?…」

 「…ええ…冬馬は、五井家のお坊ちゃま…さっきも言ったように、五井家の人間に頼まれて、寿さんの面倒を見るように、ボクに依頼しました…そのときに、きっと、寿さんのことを、聞いていたんでしょ?…」

 「…私の、どんなことを?…」

 「…美人で、強い…」

 長谷川センセイが、即答した…

 「…それだけです…」

 至極、真面目な表情で、語った…

 「…そんな、ひとを、まるで、怪獣のように…」

 私が、抗議すると、

 「…でも、美人と言いましたよ…」

 佐藤ナナが、口を挟んだ…

 「…強いは、いらない…」

 私は、佐藤ナナの方を見て、答えた…

 「…美人と言われるのは、嬉しい…でも、強いは、いらない…必要ない…それは、テレビや映画の特撮ヒロインに任せておけばいい…」

 私が、言うと、佐藤ナナが、黙った…

 これは、長谷川センセイも同じだった…

 だから、私は、とっさに、

 「…冗談よ…冗談…」

 と、笑った…

 「…冗談?…」

 佐藤ナナが、呟き、長谷川センセイと、顔を見合わせた…

 「…そんなに、深刻な顔をしないで…」

 私は、笑った…

 だが、正直、あまり効果はなかった…

 どうやら、私は、自分が、思っている以上に、強い=怖い女だと思われてるらしい…

 これは、自分でも、意外だった…

 私は、怖い人間でも、なんでもない…

 普通の人間だ…

 それが、まるで、二人は、怪獣かなにかのように、腫れものに触るような感じで、私を見ていた…

 正直、戸惑った…

 これでは、冗談ひとつ言えない…

 私が、冗談を言ったつもりでも、相手が冗談と受け取れなければ、それは、冗談にならない…

 結局、この日の診察は、その後、たいして、言葉も交わさず、淡々と、終わった…

 
 ただ、収穫はあった…

 私が、佐藤ナナに、自信を持ちなさいと、言ったことだ…

 佐藤ナナは、この病室を去るときに、射るような視線で、私を見なかった…

 これが、収穫だった…

 私は、佐藤ナナのご機嫌を取るために、佐藤ナナに自信を持ちなさいと言ったわけでは、ないが、結果的に、功を奏したということか?

 私は、思った…

 なにより、私は、佐藤ナナが嫌いではない…

 むしろ、好きだった…

 これは、初対面のときから…

 誰でも、そうだが、初対面のときに、相手に好意を感じたときは、大抵、相手も、自分に好意を抱いてくれるものだ…

 真逆に、初対面のときから、嫌なヤツだと、思った相手は、大抵、その相手も、自分を嫌なヤツだと思っている可能性が高い…

 そして、それは、経験と性格による…

 自分が、生きてきて、なんとなく、コイツは、苦手だ、とか、嫌いだとかは、経験で、わかる…

 また、自分の性格…

 これも、大事だ…

 性格が、まったく合わないのに、仲良くなれるはずがないからだ…

 そして、学歴…

 わかりやすい例えで、言えば、東大にいく優秀な学生が、偏差値40の工業高校卒の人間と親友ということは、ありえない…

 あるとすれば、それは、ファンタジー…
 
 現実ではない、ドラマや漫画の中だけに、存在するファンタジーだ(笑)…

 東大にいく学生が、全員同じ性格ではないだろうが、言い悪いは、別にして、通常、頭がこれほど違うと、親友にはなれない…

 これを否定する人間は、いないだろう…

 要するに、私は、初対面のときから、佐藤ナナが好きだった…

 だから、佐藤ナナに嫌われたくなかった…

 そして、今日、佐藤ナナに、自分に自信を持ちなさいと、言ったことで、佐藤ナナが、私を好きになってくれれば、これほど、嬉しいことはなかった…

 私は、思った…

 誰でも、自分が、好きな人間には、自分を好きになってもらいたいものだ…

 それが、当たり前だ…

 思えば、諏訪野伸明も、そう…

 初対面のときから、なんとなく惹かれた…

 それは、伸明も、同じだろう…

 伸明と、私は、まだ、正確には、男女の仲になっていない…

 まだ、キス止まり…

 キスをしただけ…

 だが、それで、十分だ…

 セックスをすれば、お互いにわかりあえる…

 そんなことは、ありえない(笑)…

 以前、会社の同僚の男性が、別の年下の男性の同僚が、ひとりの同僚の女性ばかり、見ているのを見て、

 「…なに、あの娘(コ)のこと、好きなの? …なんなら、紹介してあげてもいいよ…でも、オレも、どんな娘(コ)か、よく知らないんだよな…」

 と、言っていたのを、聞いたことがあった…

 そのとき、

 …うまいことをいう…

 と、感嘆したものだ…

 なぜなら、その男性の同僚は、その娘(コ)と、よく話していた…

 つまり、気の合う仲間というか…

 気の合う、友人というか…

 傍目にも、そういう関係だった…

 しかしながら、その同僚の口から、出た言葉は、

 「…オレも、どんな娘(コ)なのか、よく知らないんだよな…」

 と、言う言葉だった…

 これは、ウソではあるまい…

 会社で、休み時間に、たわいもない、おしゃべりをする…

 その程度の関係に過ぎない…

 だから、本当は、どんな性格の娘か、わからないと、言いたかったのだろう…

 なにより、その男性は、妻帯者だった…

 すでに、結婚していた…

 だから、かもしれない…

 会社で、雑談をしているぐらいの仲では、本当の性格は、わからない…

 いっしょに、暮らしてみて、初めて、どんな人間か、わかる…

 そう言いたかったのかもしれない…

 また、その男性自身、例えば、奥さんと付き合ってるときと、実際に結婚して、いっしょに暮したときでは、わからなかったことが、たぶんにあったのだろう…

 誰でも、そうだが、いっしょに暮して、初めて、わかることというのは、案外多いものだ…

 たとえ、三年、五年、付き合おうと、たまに、デートして、ホテルに行くぐらいの関係では、どんな人間か、お互いに、わからない…

 猫を被っているとまでは、言わないが、互いに、相手の嫌がる姿は、見せないに決まっているからだ…

 もっとも、それを言えば、私と諏訪野伸明も同じ…

 セックスは、おろか、いっしょに暮したこともない…

 だから、本当は、どんな人間か、わからない…

 お互いに、素の姿を見せていないのかもしれない…

 ただ、やはり、気が合うというのは、たしか…

 そもそも、気が合わなければ、男女とも、ホテルには、いかないし、いっしょに暮らすことはない…

 気が合っても、いっしょに、暮らして、初めてわかることが、多々ある…

 それを考えれば、私と諏訪野伸明も、いっしょに暮せば、あるいは、互いに、

…こんなはずではなかった!…

と、思うことが、あるかもしれない…

私は、考える…

そして、いつのまにか、私は、菊池冬馬のことを、思った…

菊池冬馬のことを、考えた…

なぜなら、長谷川センセイが、

「…冬馬は、学生時代から、なにも変わってない…」

と、断言したからだ…

だから、信頼できると…

「…少なくとも、この病院で見た、冬馬と、プライべートで見かけた冬馬が、別人のように、違うことはない…」

とも、付け加えた…

世の中には、そんな人間が、ごまんといるからだ…

会社では、善人を装い、いつも、ニコニコ笑っている人間が、家庭では、会社の同僚の悪口ばかり言っているような例は、誰でも、聞いたことがあるだろう…

だが、長谷川センセイは、菊池冬馬は、そんな人間ではない、と、断言した…

が、私から見れば、一言で言って、

…虫の空かない男だった…

あの険のある目が、頂けない…

人間は、目…

詰まるところ、目に尽きる…

目の善し悪しが、すべて…

険のある目では、好きになれない…

若い女性タレントを見ても、いずれも、人気のある女性は、目に惹かれる…

目に好感を持つ…

広瀬すず、しかり…

元MNBの山本彩(さやか)、しかり…

誰もが、その目に魅了される…

いわば、目が心の窓というか…

どうしても、その目を見て、その人間の心持ちというか、性格を推測してしまう…

目は口ほどにものを言う…

どんな性格か、目を見れば、わかるということだ…

だから、菊池冬馬の険のある目を見て、私は、どうしても、好きになれなかった…

菊池冬馬の目を見てわかることは、生まれてから、これまで、たいした苦労もしてこなかったボンボンのお坊ちゃまというところか…

それゆえ、三十歳を過ぎても、目に険がある…

別の言い方をすれば、三十歳も過ぎれば、ひとは、丸くなる人間が、ほとんど…

学生時代は、成績が、優秀で、世間で、一流と呼ばれた大学を出て、有名な会社に入社しても、周囲に、自分より、優秀な人間が、いっぱいいたり、仕事が、合わなかったりで、大げさにいえば、挫折するというか…

世間を知るというか…

自分の力の限界を知る…

それゆえ、目に険がなくなる…

別の言い方をすれば、大人になるということだ…

学生時代の突っ張った、心が、なくなってくる…

しかし、あの菊池冬馬には、そんな経験がなかったに違いない…

金持ちの家に生まれ、自分の一族の経営する大病院の理事長になる…

その過程で、紆余曲折もなにもない、順風満帆な人生…

これまで、挫折知らずの人生を歩んで来たに違いない…

それゆえ、子供時代、そのまま…

学生時代そのまま…

いつまでも、大人になりきれない男…

ピーターパンのような男が出来上がる…

外見は、歳を取るが、中身は、子供のとき、そのまま…

成長が、まるでない…

世間の辛酸を舐める苦労をしていないから、成長がないのだ…

普通は、会社に入社すれば、上司や同僚に揉まれる…

よく言われることだが、たとえ東大を出ても、会社で、いい成績を取れるかは、わからない…

よい評価を得られるかは、わからない…

仕事は、勉強ではない…

たとえば、ある営業で、偏差値50の大学を出たものと、東大を出たものが、同じ仕事をすれば、東大卒の人間が、偏差値50の大学を出た人間より、はるかに優れた成績を残すことはありえないし、負ける可能性もある…

仕事=学校の勉強ではないからだ…

そういった、ある意味、理不尽な社会のありようを目の当たりにして、ひとは、大人になると言おうか…

大抵は、そんな経験をして、大人になってゆく…

それゆえ、学生時代の角が取れ、丸くなる…

それゆえ、目の険が取れる…

心が、丸くなるからだ…

だが、そんな経験は、菊池冬馬には、なかったのだろう…

そえゆえ、学生時代と変わらない…

と、ここまで、考えて、諏訪野伸明のことを、考えた…

では、諏訪野伸明は、どうだったのだろう?

考えた…

菊池冬馬が、お坊ちゃまならば、諏訪野伸明は、それ以上のお坊ちゃま…

諏訪野伸明は、五井家本家のお坊ちゃま…

片や、

菊池冬馬は、五井家傍流の、五井東家のお坊ちゃまだ…

だが、諏訪野伸明は、菊池冬馬とは、まるで、違う…

目に険はないし、威張ることもない…

これは、やはり、生まれ持った性格の違いが大きいのかもしれない…

あの伸明の母、昭子も、

「…冬馬さんは、重方(しげかた)そっくり…」

と、呟いた…

つまりは、菊池冬馬の父、重方(しげかた)氏も、冬馬そっくりの性格なのだろう…

それに比べ、諏訪野伸明が、温厚なのは、生まれ持った性格と、やはり、父親の建造氏と、血が繋がってない負い目からだったのかもしれない…

それゆえ、上を目指さない…

上昇志向がない人間だった…

真逆に、伸明の父親違いの弟、秀樹は、上昇志向の塊だった…

これは、一体、なぜなのか?

考える…

やはり、これは、秀樹という人間の生まれ持った性格に起因するだろう…

また、秀樹は、兄、伸明に、コンプレックスを持っていたのかもしれなかった…

伸明は、長身で、イケメン…

片や、

秀樹は、背が低く、容姿も平凡だった…

一目見て、二人が、血が繋がった兄弟とは、思えない…

事実、二人は、父親が違っていた…

だから、普通に考えれば、二人が兄弟であることに、最初から違和感を持っていても、良かった…

それが、見抜けなかったのは、やはり、私の能力の低さだろう…

寿綾乃という女の能力の低さだろう…

今さらながら、考える…

話を元に、戻そう…

伸明は、自分が、父、建造の血を引く人間ではないことを知っていたが、弟の秀樹は、そうではなかった…

純粋に、父母ともに、同じだと、思っていた…

だから、最初から、血が繋がってない事実を、秀樹が知っていれば、別の展開があったかもしれない…

二人は、五井家の次期当主の座を巡るライバルだった…

しかしながら、最初から、伸明が、父、建造の実子でないことを、秀樹が知っていれば、伸明は、五井家当主の座を辞退したかもしれなかった…

何度も言うが、伸明は、欲がないからだ…

いや、

違うかもしれない…

伸明は、それでいいかもしれないが、父の建造が、秀樹を次期当主にすることは、許さなかったに違いない…

それは、建造の妻、昭子も同じ…

自分の腹を痛めた息子にもかかわらず、秀樹を認めなかった…

強すぎる欲ゆえに、当主の座に就けば、無用の争いを産むと、判断したのだ…

それは、夫の建造同様だった…

血が繋がった実の息子にも、かかわらず、秀樹の両親は、ともに、秀樹を認めていなかったということになる…

あるいは、秀樹自身、それに、気付いていた可能性もある…

なぜなら、建造は、秀樹は策士だと、何度も、私と、藤原ナオキに言っていた…

策士=策を弄すると…

あるいは、秀樹は、自分の実力を知っていたのかもしれない…

今さらながら、思う…

実力がある人間は、正々堂々と振る舞う…

自分に自信があるからだ…

自分の能力に自信を持っているからだ…

しかしながら、それがないから、策を弄する…

正々堂々と戦えば、勝てないことを、誰よりも、自分自身が知っているからだ…

余談になるが、戦国時代の武田信玄という武将は、現代でいえば、イメージ戦略の達人だったそうだ…

作家の加来耕三氏が言っている…

決して強くない甲斐の兵士をあたかも、強兵のように宣伝する天才だった…

信玄の戦いは、事前に、戦う相手のお膝元に、あることないこと、吹き込むことから、始まったそうだ…

敵の戦国大名に兄弟がいれば、互いに相手の悪口を言っていると、根も葉もない噂話を、間者を使って、仕掛ける…

それによって、敵の家中に内紛を生じさせ、それを利用して、敵に攻撃を仕掛ける…

相手が、一枚岩でないから、本来の力を発揮できない…

その隙を突いた…

それは、卑怯な手だが、なにより、自分たちが、強くないと、思っていたから…

だから、正々堂々と戦うことは、できない…

それでは、勝てないからだ…

そして、その勝利をことさら大きく宣伝した…

風林火山の旗の元、一致団結する強兵というイメージだ…

だが、それは、あくまで、イメージ…

現実は、そこまで、強くなかった…

加来耕三氏に言わせれば、信玄は、もっとも、部下を殺させない武将だったという…

どういうことかというと、甲斐は兵士も少ない…

だから、殺させることはできない…

有名な信玄の隠し湯は、兵士の傷を癒すためのものだったそうだ…

兵を損なわせないために、強兵のイメージを作り上げ、自分たちが、出向けば、敵が、怯えて、逃げ出したり、怯えて、普段の実力を出せない…

それが、信玄の狙いだった…

そうすれば、簡単に戦に勝てるからだ…

ただ、信玄の誤算は、自分たちが強いと、自分の部下たちが、本気で信じてしまったことにあるそうだ…

それゆえ、信玄亡き後、息子の勝頼が、長篠の戦いで、織田、徳川の連合軍と対峙して、大敗した…

それは、自分たちが、本当は弱かったことを知らなかったからだそうだ…

ガチンコの戦いをして、自分たちが勝てなかった…

それが、両者の力の差を示していた…

なお、最新の研究では、長篠の戦いでは、鉄砲は、なかったと言われている…

つまりは、槍を主流にした、従来同士の戦いで、武田は、織田、徳川の連合軍に遠く及ばなかったのが、現実だった…

結局は、信玄の作ったイメージ戦略に、敵のみならず、味方までも、騙されてしまったのが、真相だった…

思えば、これ以上の皮肉はない…

まさに、策士策に溺れる、だ…

あるいは、これは、秀樹も、同じだったかもしれない…

自分に、さしたる能力もないから、策を弄する…

そして、その結果、どうにもならない事態に、追い込まれ、自殺してしまった…

正々堂々と、兄の伸明と、当主の座を争えないから、策を弄した…

そして、その結果、どうにもならないことが、わかっても、兄に、謝罪することが、できなかった…

あるいは、自分勝手に、兄の伸明が、自分を許さないと思ったのだろうか?

いや、

兄ではない…

自分の母、昭子や、叔母の和子たちが、許さないと、思ったのかもしれない…

反乱の芽は、潰さなければ、ならない…

昭子は、自分の弟の重方(しげかた)を、評して、そう言った…

そう、断言した…

五井の歴史は、争いの歴史…

親、兄弟の骨肉の争いの歴史だと…

先祖は皆、五井を守るために、反乱の芽を潰してきたと、語った…

それゆえ、自分たちも、五井を守るために、反乱の芽を潰さなければ、ならないと…

そして、それは、秀樹に対しても、同様だったろう…

なにより、秀樹は、父、建造、母、昭子ともに、秀樹の能力を認めてなかった…

そんな秀樹が、当主の座を目指すのは、愚の骨頂…

もはや、笑い話だ…

だから、秀樹は、生きていても、母や、叔母から、五井家から、追放されたに違いない…

私は、それを思った…

そして、それを、考えたとき、菊池冬馬の父、重方(しげかた)とは、どんな人物だろうと、思った…

身近な一族が、非業の死を遂げたといえば、大げさだが、五井家の当主の座を目指して、挫折して、自殺する…

そんな最期を間近に見ても、なお、五井家の当主の座を目指す…

菊池重方(しげかた)とは、どんな人間なのか?

あらためて、思った…

               
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