第11話
文字数 7,849文字
…菊池冬馬の叔母?…
私にとって、この事実が、なにより、驚きだった…
と、なると、どうだ?
と、なると、菊池冬馬は、諏訪野伸明の従弟(いとこ)ということになる…
菊池冬馬の父、国会議員、菊池重方(しげかた)は、この諏訪野昭子の弟…
ゆえに、菊池冬馬は、諏訪野伸明の母方の従弟(いとこ)ということになる…
私は仰天した…
と、同時に、以前、諏訪野伸明が、
「…冬馬は…」
と、親しげに呼んでいたことを、思い出した…
たしかに、従弟(いとこ)ならば、子供の頃からの知り合い…
いっしょに、遊んだこともあるかもしれない…
いや、
遊んだというのは、正しい表現ではないかもしれない…
諏訪野伸明と、菊池冬馬は、10歳も歳が離れている…
子供の頃、遊んでやった…
面倒を見てやった…
という表現が、正しいのかもしれない…
いずれにしろ、諏訪野伸明は、子供の頃から、菊池冬馬を知っていたわけだ…
私は、考える…
諏訪野伸明が、
「…冬馬…」
と、親しげに呼ぶ以上、菊池冬馬が、諏訪野伸明と、近い関係であることは、想像できた…
だが、私の予想以上に近過ぎたというか…
まさか、伸明の母の実家、五井東家が、昔でいえば、謀反を起こした…
あるいは、反旗を翻したことは、知っていたが、その反旗を翻した張本人が、自分の母の弟だとは、想像もつかなかった…
まさに、伸明の苦悩が察しられた…
以前は、半分だが、血を分けた、自分の弟や、自分の父方の叔父…父の弟が、五井家の当主の座を巡って、争った…
そして、今度は、母方の叔父や、従弟(いとこ)…
まさに、常に争いがある…
五井家は、常に争いの歴史…
内紛の歴史であると、伸明が、苦笑したが、それは、事実…
それは、過去だけではない、現代でも、延々と続く、事実だった…
あらためて、それを思った…
その現実を思った…
が、
それを知っても、この眼前の伸明の母は、動じることは、なかった…
それを、思えば、やはり、女傑…
この眼前の伸明の母も、物腰は、柔らかいが、妹の和子同様、紛れもない、女傑だった…
「…男は、権力を握ると、金が欲しくなる…」
昭子が、ポツリと、漏らした…
「…国会議員で満足すれば、いいものを、今度は、五井家の当主の座を狙う…つくづく、人間の欲には、際限もない…」
昭子が笑った…
「…バカな男…」
そう、自分の弟を評した…
自分の弟、国会議員、菊池重方(しげかた)を、評した…
「…和子も笑っていた…」
「…菊池さんのおばあさまも…」
「…ええ、バカな弟を持ったと…」
さもありなん…
いかにも、あの和子が言いそうな言葉だった…
自分の弟とはいえ、辛辣…
辛辣の一言だった…
「…出来もしない夢を見、できもしないことを大言壮語する…和子の場合は、可哀そうだけど、夫の義春さんもそうだった…それに、今度は、弟の重方(しげかた)…つくづく、可哀そうというか…」
昭子が、嘆息する…
「…バカな旦那と、バカな弟に囲まれて、運の悪さを嘆いていても、おかしくはない…でも、まあ、和子は強い…そんなことに、めげる女ではない…」
「…」
「…それに比べると、私は、恵まれている…夫の建造は、私が、すでに、伸明を身籠っていることを知っていたにも、かかわらず、私と結婚して、伸明を、自分の血が繋がった実の子供と同じく、可愛がってくれた…いえ、血が繋がった、実の息子の秀樹以上に、伸明を可愛がってくれた…これには、感謝しても、しきれない…ひとは、つくづく出会いに尽きる…」
昭子がしみじみと言った…
私は、昭子の、この出会いということが、いかにひとにとって、重要なことなのか、繰り返し、言っていることが、昭子の体験を元にした言葉だと気付いた…
自分自身が、体験したことで、その重要性に気付いたということだろう…
ひとは、誰でも体験…
体験に勝る、経験はない…
たとえば、ひとに聞いたり、本を読んだりして、なにかを、知ることは、できる…
しかしながら、その体験がなければ、それは、あくまで耳学問に過ぎない…
たとえば、バブルを経験した世代の人間が、今の若い学生に、
「…バブル時代は、こうだったんだよ…」
と、説明する…
しかしながら、聞いた学生は、
「…ああ、そうだったんだ…」
と、思うことは、あっても、やはりピンと来ないことはあるに違いない…
それは、自分が、直接、体験していないからだ…
経験していないからだ…
これは、戦争もまた同じ…
いかに、戦争の悲惨さを訴えても、話としては、理解できるが、やはり、どうしても、体験が伴わない限り、いまひとつ、実感として、湧かないというか…
これは、すべて、どんなことも、同じだ…
私が、昭子の話を聞きながら、そんなことを、考えていると、
「…建造は、同じ一族…同じ五井一族…幼いときから、知っていた…でも、私は、恵まれた…いかに、同じ一族で、幼い頃から知っていても、すでに伸明を身籠った私を、知らないフリをして、結婚してくれる男は、普通、いない…私は、つくづく、夫に恵まれた…」
と、昭子が続けた…
「…それに、比べると、和子は、不幸…夫と、弟が、凡庸で、野心家…つくつく、運がない…」
私は、昭子の言葉に、どう返答していいか、わからなかったので、
「…」
と、黙っていた…
「…運命は、つくづく残酷…」
「…残酷? …どうして、ですか?…」
「…私と、和子は、一卵性姉妹…そして、建造と、義春さんも、血の繋がった実の兄弟…だから、私が、義春さんと結婚して、和子が、建造と結婚する可能性もあった…」
「…」
「…だから、残酷…そうなれば、和子も旦那に恵まれた…義春さんには、失礼だけど、建造と、義春さんでは、月とすっぽんとまでは、いわないけど、能力や器に差があった…もっとも、私が、妊娠して、それを知っても、知らないフリをして、私と結婚する度量は、義春さんにはない…だから、私が、義春さんと結婚する可能性は、ゼロ…なかった…だから、私たち姉妹が、入れ替わって、それぞれ、建造と義春さんと、結婚する可能性はなかったということね…」
昭子が笑った…
私は、それを聞きながら、やはり、この眼前の昭子は、女傑…
妹の和子同様、女傑だと確信した…
そんな普通ならば、口にできないことを、あっけらかんと、口にする…
やはり、ただ者ではない…
私が、そう考えたときだった…
いきなり、病室の扉が開いて、ひとりの男が、病室に入って来た…
「…叔母様…」
病室に入ったか、入らないかで、その声が聞こえた…
要するに、
「…叔母様…」
と、言いながら、この病室に入って来たのだ…
私は、その男を一目見て、誰だか、わかった…
その男とは、初対面…
会ったことは、一度もない…
にもかかわらず、顔を知っていた…
なぜなら、この病室に、顔写真が、貼ってあったからだ…
そして、その人物こそ、今も、この昭子が、口にしていた、実弟の菊池重方(しげかた)の息子、菊池冬馬だった…
「…叔母様…お久しぶり…」
この病室に入って来て、昭子の姿を確かめると、もう一度、叔母様と、繰り返した…
そんな、菊池冬馬を、昭子は、一喝した…
「…冬馬さん…いきなり、失礼ですよ…」
昭子が、これまでの柔らかな物腰から、一転して、強い口調で、冬馬を叱った…
「…失礼? …どうして、失礼なんですか? 叔母様?…」
「…寿さんに、ご挨拶するのが、先でしょう…」
すると、あろうことか、冬馬は、シュンとした…
まるで、子供…
親に叱られた、幼稚園児か、なにかのようだった…
長身で、イケメン…
私と同じ三十代前半で、どんな男なのか、ずっと知りたかった…
それが、会ってみると、まるで、小さな子供というか…
その険のある、男らしい顔に似合わず、子供っぽい言動の男だった…
つくづく写真では、わからない…
写真では、長身で、落ち着いて見える…
しかし、いざ、会ってみると、子供っぽい…
が、こんなことは、世の中、ありふれている…
「…叔母様…スイマセン…」
菊池冬馬が、謝った…
が、
昭子の怒りは、収まらなかった…
「…冬馬さん…謝るのは、私ではなく、寿さんにでしょ? …この病室の主は、寿さん…冬馬さん…アナタは、今、いきなり、寿さんの許可も得ず、入って来たの…大の大人が、それで、いいと、思っているの?…」
冬馬は、昭子の言葉に、
「…」
と、沈黙した…
反論ができなかった…
「…たしかに、アナタは、この五井記念病院の理事長かもしれない…でも、それは、アナタが、五井一族だから…だから、この病院の理事長になれた…でも、その年齢では、名ばかり…肩書だけ…それをいつも、肝に銘じて、行動しなさい…」
昭子は、容赦なかった…
物腰は柔らかいが、言った言葉は、容赦なかった…
菊池冬馬は、無言のまま、床を向いて、ジッと、昭子の言葉を聞いていた…
「…わかったの? 冬馬さん?…」
「…ハイ…」
菊池冬馬が、床を睨んだまま、答えた…
「…冬馬さん…返事をするときは、相手の顔を見て…床を睨んだままでは、ダメ…」
昭子に促されて、顔を上げ、渋々、昭子の顔を見た…
それは、まるで、すねた、子供のような表情だった…
「…ハイ…」
「…冬馬さん…でしたら、次に、なにをするのか、わかりますね…」
「…」
「…きちんと、寿さんに、謝りなさい…」
「…」
「…寿さんは、伸明の妻となる女性です…アナタも、今後、付き合ってゆくことになります…」
…私が、伸明さんの妻となる女性?…
傍らで聞いていた、私が、驚いた…
心底、ビックリした…
まさか、伸明の母、昭子の口から、そんな言葉が出るとは、思わなかった…
「…伸明さんの妻?…」
菊池冬馬自身も、私同様、驚いた様子だった…
「…リンちゃんから、この病院に入院させてくれと、頼まれたから、病室を用意したけど、そこまでの関係とは…」
冬馬が絶句した…
そして、その言葉に、私もまた、
「…」
と、絶句した…
事実、私も、この癌という病がなければ、諏訪野伸明との結婚を夢見るかもしれない…
いや、
癌という病がなくても、それは、無理…
私と諏訪野伸明とは、身分が違う…
片や、日本中に知れた五井一族の若き当主…
片や、無名の一般人…
そもそも、生まれた環境が、まるで、違うのだ…
江戸時代でいえば、徳川御三家の大名と、農民の娘が結婚するようなもの…
そもそも、ありえないことだからだ…
「…冬馬さん…寿さんに、謝るのは、どうしたの?…」
昭子が、促した…
すると、それまで、シュンとしていた菊池冬馬が、シャキッとして、
「…寿さん…申し訳ありませんでした…」
と、直利不動で、頭を下げた…
まるで、軍隊で、上官に頭を下げるようだった…
見ようによっては、思わず、プッと吹き出しかねない光景だった…
だが、
相手は、真面目だった…
真剣な表情で、私、寿綾乃に頭を下げた…
これは、驚きだったし、私にとって、居心地が悪かった…
こんなことを、されることは、なかったし、なにより、自分より、身分の高い人間に、このような真似をされて、愉快な気持ちになる人間では、私はなかったということだ…
「…もう、止めてください…」
私は言った…
「…私は、この病院の理事長に頭を下げられるような、偉い人間では、ありません…ただの患者です…」
私は、抗議した…
「…お願いです…そんな真似はしないで、下さい…」
と、懇願した…
菊池冬馬が、驚きの目で、私を見た…
ビックリした表情で、私を見た…
そして、私は、諏訪野昭子を見た…
昭子もまた、冬馬の反応を見ていることに、気付いた…
それから、冬馬は、ニヤリとした…
明らかに、ニヤリと、笑ったのだ…
「…叔母様もひとが悪い…」
冬馬は、顔を上げると、笑いながら、言った…
…ひとが悪い?…
…どういうことだ?…
「…ボクに、わざわざ、こんな真似をさせて…」
冬馬が告白する。
…こんな真似?…
…どういう意味だ?…
私は、昭子を見た…
昭子は、笑っていた…
「…冬馬さん…ありがとう…よく、できました…」
私は、意味がわからなかった…
…まさか?…
…まさか? 昭子が、冬馬にこんな真似をさせたのか?…
…ピンときた…
「…この病院の理事長である、アナタが、頭を下げれば、寿さんが、やめて下さい、と、言うのは、わかってました…」
昭子が告白する…
「…ただ、どう言うか、知りたかった…寿さんが、自分は、偉い人間ではないと、言うのを、聞いて、ホッとしました…」
「…どういうことでしょうか?…」
「…ひとは、とっさに、発した言葉に、本音が出るものです…いくら、普段、偉そうな言葉や、偉そうな態度を取る人間でも、とっさに、想定外の事態に陥ったとき、その人間の本性が出ます…」
「…」
「…一番は、寿さんには、失礼ですが、やはり、病気になったとき…自分は、癌だと知らされて、パニックになる人間は、多いでしょう? …でも、寿さんは、違う…」
「…私は、違う? どう、違うんですか?…」
「…寿さんは、受け止める…なにもかも…」
「…」
「…現実を受け止める…」
…買いかぶり過ぎです…
私は、言いたかった…
たしかに、この昭子が言うのは、間違ってない…
ただ、それは、私には、家族がいないから…
天涯孤独の身だから…
それが、一番の理由…
愛する家族も、守るべき家族も、私には、いない…
藤原ナオキは、かつて、同居した、恋人だった…
そして、藤原ナオキの息子と思われていた、ジュン君とは、ジュン君が、幼いときから、私は、最近まで、いっしょに暮していた…
しかしながら、二人とも、私にとって、家族と呼べるものではない…
呼べるとすれば、疑似家族…
家族のようなもの、とでも、呼べば、いいのだろうか?
しかし、私にとって、本当の意味で、家族ではなかった…
それが、わかったのは、私が、医者から、末期がんだと告げられたとき…
普通ならば、真っ先に、家族のことを、考える…
私が、今、死んだら、残されたものは、どうなる?
誰もが、真っ先に、考える…
だが、私には、それが、なかった…
私が、医者から、末期がんだと告げられて、最初に、考えたのは、私が死んでも、誰も困らないという真実だった…
これには、我ながら、拍子抜けすると、同時に、なんだか、肩の荷が下りた気分だった…
ジュン君は、頼りないが、二十歳になった…
これからは、自分一人の力で、生きてゆけるだろう…
ナオキは、FK興産の社長…
すでに、私が、力を貸すような存在ではない…
ナオキとは、男女関係は、基本的に、終わっている…
ただ、ジュン君を介しての仲だった…
公では、私は、ナオキの秘書だったが、これも、私以外の誰でもできる仕事…
ならば、私は、必要とされない…
いや、必要とされないのではなく、絶対に必要とまではいえない存在だと、自分自身の価値に気付いたのが、真相なのかもしれない…
つまり、家族と呼べるほどの堅固な関係ではない…
それゆえ、今、自分が、死んでも、誰も困らない…
それが、わかったから、余計に、冷静に、自分の死を受け入れることができたというべきか?
そして、それは、ジュン君が、自分が、藤原ナオキの血が繋がった息子ではなく、また私、寿綾乃もまた、寿綾乃を自称する女だと、菊池リンを通じて、知らされて、ジュン君は、パニックになって、FK興産を退社して、歩いていた私をクルマで、轢き殺そうとした…
私は、その後、この五井記念病院に、運ばれた…
それから、考えた…
やはり、ジュン君にとって、私は、家族では、なかったということだ…
本当の家族ならば、私をひき殺そうとするはずがないからだ…
皮肉にも、あの一件で、やはり、私は、天涯孤独の身だと思い知らされた…
そして、天涯孤独の身ゆえ、自分を冷静に観察できた…
失うものが、なにもないゆえの、強さだった…
それが、寿綾乃の強さ…
強さの源泉だったのかもしれない…
ひとは、大切な家族がいるから、強くなれる…
守るべき、大切な家族がいるから、頑張れる…
それも一面の真実に違いない…
だが、私のように、天涯孤独の身ゆえ、頼れる存在が、なにもないゆえの強さというものもある…
なにもないから、自分が、しっかりするしかない…
末期がんだと医者に告げられても、うろたえたり、パニックになってる暇はない…
なにしろ、頼れるのは、自分だけだからだ…
しかし、それを見て、この昭子は、私が強い人間だと思ったとしたら、笑止…
笑止千万だ…
頼れるものがないから、自分が、しっかり、しなければ、ならないだけだったからだ…
そう、考えたとき、
「…寿さん…」
と、昭子が、口を開いた…
「…強さというのは、環境によって、できる強さと、生来の強さがあります…」
「…どういうことでしょうか?…」
「…勉強をすれば、誰でも、東大に入れるわけではないということです…」
「…」
「…ひとは、生まれながら、頭の良しあしが決まってます…勉強すれば、誰でも、東大に入れるわけはない…それが、一番わかりやすい例えです…」
私は、この昭子がなにを言おうとしているか、わかった…
「…寿さんは、自分の環境が、自分を強くしたと思われるかもしれませんが、それは、半分正しく、半分間違ってます…同じ体験をしても、誰もが、寿綾乃になれるわけでは、ありません…勉強をすれば、誰でも、東大に入れるというわけではないのと、同じく、半分は、努力…そして、もう半分は、生まれ持った才能…これが、答えです…」
私は、なんと言っていいか、わからなかった…
それゆえ、
「…」
と、黙った…
昭子もまた、話し終えると、黙って、私を見た…
奇妙な沈黙が辺りを支配した…
その沈黙を破ったのが、他ならぬ、菊池冬馬だった…
「…叔母様は、相変わらず、しっかりしているというか…物腰は柔らかいが、和子叔母様よりも、強い…」
冬馬が笑った…
「…和子叔母様もよく言ってました…姉は、一見すると、私よりも、おとなしく見えるけど、実際は、私より、ずっと強いと…」
…和子より、強い!…
私は、驚いた…
あの女傑と思われた、諏訪野和子よりも、この姉の昭子の方が、強い…
その事実に驚いた…
「…あらあら、冬馬さん、そんなことは…」
「…そんなことはないと言いたいんでしょうけど、これは、事実です…」
「…」
「…それに、この病室に来る前に、私のいる、理事長室に来て、一芝居打ってくれと、私に命じることも、和子叔母様は、しません…和子叔母様は、直情型…何事も、はっきりとする…そんな悠長なことはしません…」
冬馬が言う…
だが、この冬馬が、言う、悠長という言葉は、間違っている…
悠長ではなく、策士…
策を弄しているのだ…
この病室を訪れる前に、菊池冬馬のいる、理事長室に行って、事前に、菊池冬馬と、打ち合わせた後に、ここへやって来た…
そこで、菊池冬馬にどう振る舞うか、指示した…
その指示した内容通り、この冬馬が、演じたのだろう…
そして、私、寿綾乃が、どう出るか?
試したのだろう…
やはり、抜け目ない…
紛れもない、五井家の女傑…
この歳まで、ただ、のんべんだらりと、生きてきたわけでない…
あらためて、思った…
そして、そう考えると、アドナレナリンが、全身を駆け巡ると言おうか…
私、寿綾乃の野生が、目覚めた(笑)…
野生というと、些か、大げさだが、本来の自分に戻った気がした…
元の寿綾乃に戻った気がした…
いまだ、体力はない…
この通り、病院のベッドの上に寝ているだけ…
ただ、気持ちだけは、蘇った気がした…
この病院に入院する前の、以前の私に戻れた気がした…
ようやく、元の私に戻った気がした…
私にとって、この事実が、なにより、驚きだった…
と、なると、どうだ?
と、なると、菊池冬馬は、諏訪野伸明の従弟(いとこ)ということになる…
菊池冬馬の父、国会議員、菊池重方(しげかた)は、この諏訪野昭子の弟…
ゆえに、菊池冬馬は、諏訪野伸明の母方の従弟(いとこ)ということになる…
私は仰天した…
と、同時に、以前、諏訪野伸明が、
「…冬馬は…」
と、親しげに呼んでいたことを、思い出した…
たしかに、従弟(いとこ)ならば、子供の頃からの知り合い…
いっしょに、遊んだこともあるかもしれない…
いや、
遊んだというのは、正しい表現ではないかもしれない…
諏訪野伸明と、菊池冬馬は、10歳も歳が離れている…
子供の頃、遊んでやった…
面倒を見てやった…
という表現が、正しいのかもしれない…
いずれにしろ、諏訪野伸明は、子供の頃から、菊池冬馬を知っていたわけだ…
私は、考える…
諏訪野伸明が、
「…冬馬…」
と、親しげに呼ぶ以上、菊池冬馬が、諏訪野伸明と、近い関係であることは、想像できた…
だが、私の予想以上に近過ぎたというか…
まさか、伸明の母の実家、五井東家が、昔でいえば、謀反を起こした…
あるいは、反旗を翻したことは、知っていたが、その反旗を翻した張本人が、自分の母の弟だとは、想像もつかなかった…
まさに、伸明の苦悩が察しられた…
以前は、半分だが、血を分けた、自分の弟や、自分の父方の叔父…父の弟が、五井家の当主の座を巡って、争った…
そして、今度は、母方の叔父や、従弟(いとこ)…
まさに、常に争いがある…
五井家は、常に争いの歴史…
内紛の歴史であると、伸明が、苦笑したが、それは、事実…
それは、過去だけではない、現代でも、延々と続く、事実だった…
あらためて、それを思った…
その現実を思った…
が、
それを知っても、この眼前の伸明の母は、動じることは、なかった…
それを、思えば、やはり、女傑…
この眼前の伸明の母も、物腰は、柔らかいが、妹の和子同様、紛れもない、女傑だった…
「…男は、権力を握ると、金が欲しくなる…」
昭子が、ポツリと、漏らした…
「…国会議員で満足すれば、いいものを、今度は、五井家の当主の座を狙う…つくづく、人間の欲には、際限もない…」
昭子が笑った…
「…バカな男…」
そう、自分の弟を評した…
自分の弟、国会議員、菊池重方(しげかた)を、評した…
「…和子も笑っていた…」
「…菊池さんのおばあさまも…」
「…ええ、バカな弟を持ったと…」
さもありなん…
いかにも、あの和子が言いそうな言葉だった…
自分の弟とはいえ、辛辣…
辛辣の一言だった…
「…出来もしない夢を見、できもしないことを大言壮語する…和子の場合は、可哀そうだけど、夫の義春さんもそうだった…それに、今度は、弟の重方(しげかた)…つくづく、可哀そうというか…」
昭子が、嘆息する…
「…バカな旦那と、バカな弟に囲まれて、運の悪さを嘆いていても、おかしくはない…でも、まあ、和子は強い…そんなことに、めげる女ではない…」
「…」
「…それに比べると、私は、恵まれている…夫の建造は、私が、すでに、伸明を身籠っていることを知っていたにも、かかわらず、私と結婚して、伸明を、自分の血が繋がった実の子供と同じく、可愛がってくれた…いえ、血が繋がった、実の息子の秀樹以上に、伸明を可愛がってくれた…これには、感謝しても、しきれない…ひとは、つくづく出会いに尽きる…」
昭子がしみじみと言った…
私は、昭子の、この出会いということが、いかにひとにとって、重要なことなのか、繰り返し、言っていることが、昭子の体験を元にした言葉だと気付いた…
自分自身が、体験したことで、その重要性に気付いたということだろう…
ひとは、誰でも体験…
体験に勝る、経験はない…
たとえば、ひとに聞いたり、本を読んだりして、なにかを、知ることは、できる…
しかしながら、その体験がなければ、それは、あくまで耳学問に過ぎない…
たとえば、バブルを経験した世代の人間が、今の若い学生に、
「…バブル時代は、こうだったんだよ…」
と、説明する…
しかしながら、聞いた学生は、
「…ああ、そうだったんだ…」
と、思うことは、あっても、やはりピンと来ないことはあるに違いない…
それは、自分が、直接、体験していないからだ…
経験していないからだ…
これは、戦争もまた同じ…
いかに、戦争の悲惨さを訴えても、話としては、理解できるが、やはり、どうしても、体験が伴わない限り、いまひとつ、実感として、湧かないというか…
これは、すべて、どんなことも、同じだ…
私が、昭子の話を聞きながら、そんなことを、考えていると、
「…建造は、同じ一族…同じ五井一族…幼いときから、知っていた…でも、私は、恵まれた…いかに、同じ一族で、幼い頃から知っていても、すでに伸明を身籠った私を、知らないフリをして、結婚してくれる男は、普通、いない…私は、つくづく、夫に恵まれた…」
と、昭子が続けた…
「…それに、比べると、和子は、不幸…夫と、弟が、凡庸で、野心家…つくつく、運がない…」
私は、昭子の言葉に、どう返答していいか、わからなかったので、
「…」
と、黙っていた…
「…運命は、つくづく残酷…」
「…残酷? …どうして、ですか?…」
「…私と、和子は、一卵性姉妹…そして、建造と、義春さんも、血の繋がった実の兄弟…だから、私が、義春さんと結婚して、和子が、建造と結婚する可能性もあった…」
「…」
「…だから、残酷…そうなれば、和子も旦那に恵まれた…義春さんには、失礼だけど、建造と、義春さんでは、月とすっぽんとまでは、いわないけど、能力や器に差があった…もっとも、私が、妊娠して、それを知っても、知らないフリをして、私と結婚する度量は、義春さんにはない…だから、私が、義春さんと結婚する可能性は、ゼロ…なかった…だから、私たち姉妹が、入れ替わって、それぞれ、建造と義春さんと、結婚する可能性はなかったということね…」
昭子が笑った…
私は、それを聞きながら、やはり、この眼前の昭子は、女傑…
妹の和子同様、女傑だと確信した…
そんな普通ならば、口にできないことを、あっけらかんと、口にする…
やはり、ただ者ではない…
私が、そう考えたときだった…
いきなり、病室の扉が開いて、ひとりの男が、病室に入って来た…
「…叔母様…」
病室に入ったか、入らないかで、その声が聞こえた…
要するに、
「…叔母様…」
と、言いながら、この病室に入って来たのだ…
私は、その男を一目見て、誰だか、わかった…
その男とは、初対面…
会ったことは、一度もない…
にもかかわらず、顔を知っていた…
なぜなら、この病室に、顔写真が、貼ってあったからだ…
そして、その人物こそ、今も、この昭子が、口にしていた、実弟の菊池重方(しげかた)の息子、菊池冬馬だった…
「…叔母様…お久しぶり…」
この病室に入って来て、昭子の姿を確かめると、もう一度、叔母様と、繰り返した…
そんな、菊池冬馬を、昭子は、一喝した…
「…冬馬さん…いきなり、失礼ですよ…」
昭子が、これまでの柔らかな物腰から、一転して、強い口調で、冬馬を叱った…
「…失礼? …どうして、失礼なんですか? 叔母様?…」
「…寿さんに、ご挨拶するのが、先でしょう…」
すると、あろうことか、冬馬は、シュンとした…
まるで、子供…
親に叱られた、幼稚園児か、なにかのようだった…
長身で、イケメン…
私と同じ三十代前半で、どんな男なのか、ずっと知りたかった…
それが、会ってみると、まるで、小さな子供というか…
その険のある、男らしい顔に似合わず、子供っぽい言動の男だった…
つくづく写真では、わからない…
写真では、長身で、落ち着いて見える…
しかし、いざ、会ってみると、子供っぽい…
が、こんなことは、世の中、ありふれている…
「…叔母様…スイマセン…」
菊池冬馬が、謝った…
が、
昭子の怒りは、収まらなかった…
「…冬馬さん…謝るのは、私ではなく、寿さんにでしょ? …この病室の主は、寿さん…冬馬さん…アナタは、今、いきなり、寿さんの許可も得ず、入って来たの…大の大人が、それで、いいと、思っているの?…」
冬馬は、昭子の言葉に、
「…」
と、沈黙した…
反論ができなかった…
「…たしかに、アナタは、この五井記念病院の理事長かもしれない…でも、それは、アナタが、五井一族だから…だから、この病院の理事長になれた…でも、その年齢では、名ばかり…肩書だけ…それをいつも、肝に銘じて、行動しなさい…」
昭子は、容赦なかった…
物腰は柔らかいが、言った言葉は、容赦なかった…
菊池冬馬は、無言のまま、床を向いて、ジッと、昭子の言葉を聞いていた…
「…わかったの? 冬馬さん?…」
「…ハイ…」
菊池冬馬が、床を睨んだまま、答えた…
「…冬馬さん…返事をするときは、相手の顔を見て…床を睨んだままでは、ダメ…」
昭子に促されて、顔を上げ、渋々、昭子の顔を見た…
それは、まるで、すねた、子供のような表情だった…
「…ハイ…」
「…冬馬さん…でしたら、次に、なにをするのか、わかりますね…」
「…」
「…きちんと、寿さんに、謝りなさい…」
「…」
「…寿さんは、伸明の妻となる女性です…アナタも、今後、付き合ってゆくことになります…」
…私が、伸明さんの妻となる女性?…
傍らで聞いていた、私が、驚いた…
心底、ビックリした…
まさか、伸明の母、昭子の口から、そんな言葉が出るとは、思わなかった…
「…伸明さんの妻?…」
菊池冬馬自身も、私同様、驚いた様子だった…
「…リンちゃんから、この病院に入院させてくれと、頼まれたから、病室を用意したけど、そこまでの関係とは…」
冬馬が絶句した…
そして、その言葉に、私もまた、
「…」
と、絶句した…
事実、私も、この癌という病がなければ、諏訪野伸明との結婚を夢見るかもしれない…
いや、
癌という病がなくても、それは、無理…
私と諏訪野伸明とは、身分が違う…
片や、日本中に知れた五井一族の若き当主…
片や、無名の一般人…
そもそも、生まれた環境が、まるで、違うのだ…
江戸時代でいえば、徳川御三家の大名と、農民の娘が結婚するようなもの…
そもそも、ありえないことだからだ…
「…冬馬さん…寿さんに、謝るのは、どうしたの?…」
昭子が、促した…
すると、それまで、シュンとしていた菊池冬馬が、シャキッとして、
「…寿さん…申し訳ありませんでした…」
と、直利不動で、頭を下げた…
まるで、軍隊で、上官に頭を下げるようだった…
見ようによっては、思わず、プッと吹き出しかねない光景だった…
だが、
相手は、真面目だった…
真剣な表情で、私、寿綾乃に頭を下げた…
これは、驚きだったし、私にとって、居心地が悪かった…
こんなことを、されることは、なかったし、なにより、自分より、身分の高い人間に、このような真似をされて、愉快な気持ちになる人間では、私はなかったということだ…
「…もう、止めてください…」
私は言った…
「…私は、この病院の理事長に頭を下げられるような、偉い人間では、ありません…ただの患者です…」
私は、抗議した…
「…お願いです…そんな真似はしないで、下さい…」
と、懇願した…
菊池冬馬が、驚きの目で、私を見た…
ビックリした表情で、私を見た…
そして、私は、諏訪野昭子を見た…
昭子もまた、冬馬の反応を見ていることに、気付いた…
それから、冬馬は、ニヤリとした…
明らかに、ニヤリと、笑ったのだ…
「…叔母様もひとが悪い…」
冬馬は、顔を上げると、笑いながら、言った…
…ひとが悪い?…
…どういうことだ?…
「…ボクに、わざわざ、こんな真似をさせて…」
冬馬が告白する。
…こんな真似?…
…どういう意味だ?…
私は、昭子を見た…
昭子は、笑っていた…
「…冬馬さん…ありがとう…よく、できました…」
私は、意味がわからなかった…
…まさか?…
…まさか? 昭子が、冬馬にこんな真似をさせたのか?…
…ピンときた…
「…この病院の理事長である、アナタが、頭を下げれば、寿さんが、やめて下さい、と、言うのは、わかってました…」
昭子が告白する…
「…ただ、どう言うか、知りたかった…寿さんが、自分は、偉い人間ではないと、言うのを、聞いて、ホッとしました…」
「…どういうことでしょうか?…」
「…ひとは、とっさに、発した言葉に、本音が出るものです…いくら、普段、偉そうな言葉や、偉そうな態度を取る人間でも、とっさに、想定外の事態に陥ったとき、その人間の本性が出ます…」
「…」
「…一番は、寿さんには、失礼ですが、やはり、病気になったとき…自分は、癌だと知らされて、パニックになる人間は、多いでしょう? …でも、寿さんは、違う…」
「…私は、違う? どう、違うんですか?…」
「…寿さんは、受け止める…なにもかも…」
「…」
「…現実を受け止める…」
…買いかぶり過ぎです…
私は、言いたかった…
たしかに、この昭子が言うのは、間違ってない…
ただ、それは、私には、家族がいないから…
天涯孤独の身だから…
それが、一番の理由…
愛する家族も、守るべき家族も、私には、いない…
藤原ナオキは、かつて、同居した、恋人だった…
そして、藤原ナオキの息子と思われていた、ジュン君とは、ジュン君が、幼いときから、私は、最近まで、いっしょに暮していた…
しかしながら、二人とも、私にとって、家族と呼べるものではない…
呼べるとすれば、疑似家族…
家族のようなもの、とでも、呼べば、いいのだろうか?
しかし、私にとって、本当の意味で、家族ではなかった…
それが、わかったのは、私が、医者から、末期がんだと告げられたとき…
普通ならば、真っ先に、家族のことを、考える…
私が、今、死んだら、残されたものは、どうなる?
誰もが、真っ先に、考える…
だが、私には、それが、なかった…
私が、医者から、末期がんだと告げられて、最初に、考えたのは、私が死んでも、誰も困らないという真実だった…
これには、我ながら、拍子抜けすると、同時に、なんだか、肩の荷が下りた気分だった…
ジュン君は、頼りないが、二十歳になった…
これからは、自分一人の力で、生きてゆけるだろう…
ナオキは、FK興産の社長…
すでに、私が、力を貸すような存在ではない…
ナオキとは、男女関係は、基本的に、終わっている…
ただ、ジュン君を介しての仲だった…
公では、私は、ナオキの秘書だったが、これも、私以外の誰でもできる仕事…
ならば、私は、必要とされない…
いや、必要とされないのではなく、絶対に必要とまではいえない存在だと、自分自身の価値に気付いたのが、真相なのかもしれない…
つまり、家族と呼べるほどの堅固な関係ではない…
それゆえ、今、自分が、死んでも、誰も困らない…
それが、わかったから、余計に、冷静に、自分の死を受け入れることができたというべきか?
そして、それは、ジュン君が、自分が、藤原ナオキの血が繋がった息子ではなく、また私、寿綾乃もまた、寿綾乃を自称する女だと、菊池リンを通じて、知らされて、ジュン君は、パニックになって、FK興産を退社して、歩いていた私をクルマで、轢き殺そうとした…
私は、その後、この五井記念病院に、運ばれた…
それから、考えた…
やはり、ジュン君にとって、私は、家族では、なかったということだ…
本当の家族ならば、私をひき殺そうとするはずがないからだ…
皮肉にも、あの一件で、やはり、私は、天涯孤独の身だと思い知らされた…
そして、天涯孤独の身ゆえ、自分を冷静に観察できた…
失うものが、なにもないゆえの、強さだった…
それが、寿綾乃の強さ…
強さの源泉だったのかもしれない…
ひとは、大切な家族がいるから、強くなれる…
守るべき、大切な家族がいるから、頑張れる…
それも一面の真実に違いない…
だが、私のように、天涯孤独の身ゆえ、頼れる存在が、なにもないゆえの強さというものもある…
なにもないから、自分が、しっかりするしかない…
末期がんだと医者に告げられても、うろたえたり、パニックになってる暇はない…
なにしろ、頼れるのは、自分だけだからだ…
しかし、それを見て、この昭子は、私が強い人間だと思ったとしたら、笑止…
笑止千万だ…
頼れるものがないから、自分が、しっかり、しなければ、ならないだけだったからだ…
そう、考えたとき、
「…寿さん…」
と、昭子が、口を開いた…
「…強さというのは、環境によって、できる強さと、生来の強さがあります…」
「…どういうことでしょうか?…」
「…勉強をすれば、誰でも、東大に入れるわけではないということです…」
「…」
「…ひとは、生まれながら、頭の良しあしが決まってます…勉強すれば、誰でも、東大に入れるわけはない…それが、一番わかりやすい例えです…」
私は、この昭子がなにを言おうとしているか、わかった…
「…寿さんは、自分の環境が、自分を強くしたと思われるかもしれませんが、それは、半分正しく、半分間違ってます…同じ体験をしても、誰もが、寿綾乃になれるわけでは、ありません…勉強をすれば、誰でも、東大に入れるというわけではないのと、同じく、半分は、努力…そして、もう半分は、生まれ持った才能…これが、答えです…」
私は、なんと言っていいか、わからなかった…
それゆえ、
「…」
と、黙った…
昭子もまた、話し終えると、黙って、私を見た…
奇妙な沈黙が辺りを支配した…
その沈黙を破ったのが、他ならぬ、菊池冬馬だった…
「…叔母様は、相変わらず、しっかりしているというか…物腰は柔らかいが、和子叔母様よりも、強い…」
冬馬が笑った…
「…和子叔母様もよく言ってました…姉は、一見すると、私よりも、おとなしく見えるけど、実際は、私より、ずっと強いと…」
…和子より、強い!…
私は、驚いた…
あの女傑と思われた、諏訪野和子よりも、この姉の昭子の方が、強い…
その事実に驚いた…
「…あらあら、冬馬さん、そんなことは…」
「…そんなことはないと言いたいんでしょうけど、これは、事実です…」
「…」
「…それに、この病室に来る前に、私のいる、理事長室に来て、一芝居打ってくれと、私に命じることも、和子叔母様は、しません…和子叔母様は、直情型…何事も、はっきりとする…そんな悠長なことはしません…」
冬馬が言う…
だが、この冬馬が、言う、悠長という言葉は、間違っている…
悠長ではなく、策士…
策を弄しているのだ…
この病室を訪れる前に、菊池冬馬のいる、理事長室に行って、事前に、菊池冬馬と、打ち合わせた後に、ここへやって来た…
そこで、菊池冬馬にどう振る舞うか、指示した…
その指示した内容通り、この冬馬が、演じたのだろう…
そして、私、寿綾乃が、どう出るか?
試したのだろう…
やはり、抜け目ない…
紛れもない、五井家の女傑…
この歳まで、ただ、のんべんだらりと、生きてきたわけでない…
あらためて、思った…
そして、そう考えると、アドナレナリンが、全身を駆け巡ると言おうか…
私、寿綾乃の野生が、目覚めた(笑)…
野生というと、些か、大げさだが、本来の自分に戻った気がした…
元の寿綾乃に戻った気がした…
いまだ、体力はない…
この通り、病院のベッドの上に寝ているだけ…
ただ、気持ちだけは、蘇った気がした…
この病院に入院する前の、以前の私に戻れた気がした…
ようやく、元の私に戻った気がした…