第71話

文字数 5,774文字

「…一体、誰が、そんなことって?…」

 言いながら、私は、考えた…

 誰が、ウソを言っているのか、考えた…

 まずは、目の前の、佐藤ナナが、ウソを言っている可能性を考えた…

 この目の前の褐色の肌を持つ、佐藤ナナが、ウソを言っている可能性を考えた…

 私は、佐藤ナナのことは、よく知らない…

 あくまで、私が、五井記念病院に入院しているときに、私の担当看護師だっただけだ…

 彼女は、私より、9歳年下だが、真面目で、誠実な人柄に思えた…

 担当看護師としても、一生懸命、私の面倒を見てくれた…

 だから、好感度は、高い…

 だから、もしかしたら、私にウソを言っている…

 私を騙している可能性は、ゼロではないが、仮に、私を騙していても、私は、そのウソに気付いていない…

 いや、

 気付けないだろう…

 そして、それを思えば、あの菊池リンのときも同じだった…

 彼女、菊池リンは、五井家が、私に、つけたスパイ…

 私が、五井の血を引く人間かもしれないと、疑った五井の人間が、私の動静を見張るために、つけたスパイだった…

 が、

 私は、最後まで、それに、気付かなかった…

 いや、

 それは、今も同じかもしれない…

 ふと、思った…

 私、寿綾乃…

 いや、矢代綾子は、五井記念病院に入院した…

 それを、思えば、今回も、入院した、私の動静を探るために、スパイをつけても、おかしくはない…

 つまりは、五井記念病院に入院した私を見張るためにつけた、五井家のスパイ…

 それが、彼女、佐藤ナナの可能性もある…

 私は、今さらながら、その可能性に気付いた…

 なにしろ、彼女は、五井南家の血を引く人間…

 間違いなく、五井家の人間だ…

 いや、

 そこまで、考えて、気付いた…

 だが、だとしたら、どうして、私を見張る必要がある…

 菊池リンの場合は、私が、先代当主、諏訪野建造の娘だと、疑っていた…

 だから、それが事実ならば、私には、建造の財産を譲り受ける権利がある…

 それを、恐れたのだ…

 つまりは、私に財産分与の権利があり、それが、莫大なものになるため、はっきり言えば、私に一銭も渡したくなかったのだろう…

 いわば、五井家の財産が、私という五井家の人間以外の手に渡ることが、嫌だったのだろう…

 だが、佐藤ナナの場合はどうか?

 もし、この佐藤ナナが、私を見張るとしたら、それは、五井の内部対立が、背景にあるのでは?

 ふと、気付いた…

 私は、五井家当主、諏訪野伸明と、結婚するかもしれない女…

 すると、菊池リンが、私を見張るのとは、別の意味で、私の動静が、気になるというか…

 いわゆる、五井本家と対立する、五井の分家にとっては、気になる存在だ…

 なぜなら、私は、もしかしたら、諏訪野伸明と結婚するかもしれないからだ…

 五井本家の後継者であり、五井家当主である、伸明の妻となる女は、当然のことながら、分家にとっても、気になる存在…

 そのためには、どんな人間か、知るために、菊池リン同様、身近に、人間を配するに限る…

 スパイを置くに限る…

 しかも、それは、当たり前だが、五井家の人間の方が、心強い…

 金で雇えば、雇えないわけではないが、身内の方が、信用できるし、なにより、裏切りの可能性が、低い…

 だから、もしかしたら、この佐藤ナナが、本人が、気付かない間に、五井南家のスパイにされた可能性も否定できない…

 いや、

 すでに、私が、五井記念病院に入院して、私の担当看護師として、やって来たときに、仕組まれていた…

 そう、考えていい…

 彼女が、五井家の血を引くことで、五井記念病院に勤めた…

 これは、おそらく、養父の米倉平造の指示だろう…

 彼女、佐藤ナナが、日本で、看護師の道を目指すとでもいえば、五井家の人間ゆえに、五井記念病院を選ぶのは、当たり前…

 当たり前だ…

 いや、

 もしかしたら、彼女が、看護師を目指すことすら、米倉平造の指示の可能性もある…

 なぜなら、看護師は、手に職を得るのに、もっとも、手っ取り早い手段の一つだからだ…

 それに、看護師は、色々な人間と接することができる…

 五井の他の会社に就職させるよりは、その点で、有利…

 そこまで、考えた可能性がある…

 そして、五井記念病院…

 理事長は、冬馬…

 あの菊池冬馬だった…

 あの冬馬は、名ばかり理事長…

 理事長としての権限は、なきに等しいと言った…

 が、

 なきに等しいといっても、看護師の一人や二人、理事長の力で、雇うことは、できるだろう…

 現に、あの長谷川センセイは、菊池冬馬の誘いで、五井記念病院にやって来たと言っていた…

 つまりは、この佐藤ナナは、冬馬の権限で、五井記念病院にやって来た可能性が高い…

 が、

 問題は、そこではない…

 誰が、菊池冬馬に、この佐藤ナナを、五井記念病院に、入れたが、どうかだ…

 米倉平造か…

 冬馬の父、菊池重方(しげかた)か…

 それとも、他の五井の分家の人間か?

 わからない…

 しかし、その点が、もっとも、重要な点だ…

 「…佐藤さんは、一体、誰の誘いで、日本にやって来たの?…」

 「…それは、米倉さんです…」

 「…米倉って、米倉平造さん?…」

 「…ハイ…」

 「…それより、寿さん…一体、誰が、私が、伸明さんとの結婚を狙っているって、言ったんですか?…」

 「…それは…」

 言おうかどうか、迷った…

 「…誰ですか?…」

 佐藤ナナが、まっすぐな瞳で、私を凝視した…

 私は、なんだか、彼女にウソを言うのは、申し訳ない気がした…

 「…菊池さんよ…」

 「…菊池さん?…」

 「…菊池リン…五井家当主、諏訪野伸明の母、昭子さんの妹、和子さんの孫よ…」

 佐藤ナナの瞳が、驚きに、見開かれた…

 「…菊池リン?…」

 「…知っているの?…」

 「…名前は知ってます…ですが、直接、お会いしたことは…」

 「…ない…」

 「…ハイ…」

 私は、佐藤ナナの言葉に、考え込んだ…

 この佐藤ナナが、ウソを言っているのか?

 はたまた、本当のことを、言っているのか、わからなかったからだ…

 「…佐藤さんは、どうして、日本にやって来たの?…」

 「…それは、やはり、憧れというか…」

 「…憧れ?…」

 「…私は、父が、日本人です…だから…」

 短く言った…

 たしかに、そう言われれば、わかる…

 誰もが、まだ見ぬ父の姿を追って、父のいる国に行ってみたい…

 そう考えるのは、わかる…

 私でも、この佐藤ナナと、同じことをする可能性が高い…

 「…たまたま、私が米倉さんと知り合って…」

 「…」

 「…でも、ホントは、たまたまでは、なかったのかもしれない…」

 「…どういうこと?…」

 「…米倉さんは、人を介して、私に、日本に来るには、日本で、手に職を得るのが、一番と、言いました…それには、看護師が、手っ取り早い…いい病院も紹介できると…」

 …やっぱり…

 内心、思った…

 米倉平造の手引きか…

 そう、思った…

 「…私は、ただ、日本に来れれば、よかった…正直、職業なんて、なんでも、よかった…でも、観光ビザでは、長く日本にいられない…日本で、学ぶとなれば、就労ビザの方が長いし、有利だった…」

 私は、彼女の話を聞いて、ふと、思った…

 この佐藤ナナは、日本人ではない…

 なのに、五井本家の養女になれたのだろうか?

 いや、

 米倉平造の養女になれたのだろうか?

 「…佐藤さん…」

 「…なんですか?…」

 「…佐藤さんは、今、五井家の養女でしょ?…」

 「…ハイ…」

 「…失礼だけれども、外国人が、五井家…いえ、米倉さんの養女になれたの?…」

 「…それは、問題ありません…私の母と、養女とする米倉さんの許可があれば…」

 「…そう…」

 「…とにかく、私は、誰かの駒になるというか…利用されるのは、ゴメンです…」

 佐藤ナナが、強い口調で言った…

 「…五井の争いに巻き込まれるのは、ゴメンです…」

 「…五井の争い? …具体的には、どういう…」

 「…私も詳しくは知りません…ただ…」

 「…ただ…なに?…」

 「…私の意思を無視して、まるで、人身売買のように、取引されるのは、ゴメンです…」

 「…人身売買って?…」

 「…私が、五井南家だかの血を引くからといって、私の、意思を無視して、人身売買みたいに、五井家の養女にされるのは、ゴメンです…」

 「…でも、それは、佐藤さんの意思を無視しては、できないんじゃ…」

 「…たしかに、私にも、悪いことはあります…」

 佐藤ナナの口調が、トーンダウンした…

 「…でも、人身売買は、大げさにしても、まるで、電車や飛行機にでも、乗るように、次は、この切符を取ってあるから、この電車に乗ればいいよ、とでも、言うように、この日本にやって来ました…それが、真実です…」

 「…」

 「…でも、今になって、わかりました…」

 「…なにが、わかったの?…」

 「…私の意思…これを無視して、私をいいように使っている…」

 私は、彼女の言い分を聞きながら、なにかが、おかしいと、気付いた…

 彼女、佐藤ナナの言っていることに、間違いはない…

 全面的に指示するとは、言わないが、言い分は、理解できる…

 だが、だ…

 しかし、だ…

 なぜ、今になって、こんなことを、言い出すのだろう…

 それが、気になった…

 言い分は、理解できるが、なぜ、今になって、言い出したのだろうか?

 やはり、時間が経って、落ち着いてきたから、自分が、五井一族に使われていると、考えたのだろうか?

 それとも…

 それとも、誰かに入れ知恵されたのだろうか?

 知恵をつけられたのだろうか?

 ふと、思った…

 ベトナムから、やって来た純真無垢な少女…

 いかに、日本語が堪能とはいえ、日本に来れば、見たもの、聞くもの、驚きばかりだろう…

 昔と違って、ネットが発達した社会だから、ベトナムにいても、日本のことは、ある程度はわかる…

 だが、やはりというか、聞くのと、見るのは、違うというか…

 ネットで、情報を得るのと、体験するのは、違うということだ…

 それは、私にしても同じ…

 私が、佐藤ナナと同じ立場としても、やはり、同じ…

 ベトナムから、日本にやって来ても、わけがわからないだろう…

 しかも、

 しかも、だ…

 この佐藤ナナのスポンサーというか、庇護者のはずの、米倉平造は、あしながおじさんといった…

 あしながおじさん…

 要するに、金は出すが、口は出さないということ…

 一見、この佐藤ナナにとっては、いいことずくめのようだが、それでは、情報が得られない…

 変な例えかもしれないが、中学生や高校生の修学旅行といっしょで、あらかじめ、決められたコースをガイドの案内で、行くだけ…

 自分では、どこに行くかも知らないし、また、知っていなくても、まったく問題はない…

 ただ、黙って、ガイドに従えば、いいからだ…

 それと似ている…

 誰か、いる…

 私は、その事実に、気付いた…

 確信したと、言っていい…

 この佐藤ナナの背後に、誰かいる…

 だが、

 それが、誰だか、わからない…

 いや、

 わからないのではない…

 見当はつく…

 おそらく、五井家の人間…

 米倉平造が、あしながおじさんに徹すれば、この佐藤ナナを操ろうとまではしないだろう…

 だとすれば、五井家の人間しか、考えられない…

 もしや、五井南家の人間?

 考えた…

 その可能性が、高い…

 だが、五井南家はすでに、この佐藤ナナを、五井南家の血を引く人間ということで、五井本家に養女として、受け入れさせている…

 それを考えれば、五井南家に不利益はない…

 今さら、この佐藤ナナに、五井家の内紛の騒動の内幕を事細かく、説明する必要はない…

 だとすれば…

 だとすれば、考えられるのは、ただ一人…

 一人だけだ…

 「…菊池重方(しげかた)さん…」

 私は、突然、言った…

 「…佐藤さんの背後にいるのは、重方(しげかた)さんね…」

 私の言葉に、佐藤ナナのカラダが固まった…

 「…重方(しげかた)さんが、入れ知恵をつけたのね…」

 私の言葉に、

 「…」

 と、なにも言わなかった…

 無言だった…

 無言が、肯定を意味した…

 「…菊池重方(しげかた)…五井記念病院、菊池冬馬の父にして、現当主、諏訪野伸明の叔父…伸明の母、昭子さんの弟…」

 私は、説明した…

 「…そして、国会議員、大場派の重鎮にして、その大場派から、独立して、菊池派を立ち上げようとして、失敗…それを契機に、五井家から、追放された…前、五井東家当主…」

 私の言葉に、佐藤ナナは、微動だにしなかった…

 まるで、カラダが、固まったようだった…

 「…どう? …間違ってる?…」

 私の言葉に、

 「…」

 と、反応しない…

 が、

 彼女とは、真逆に、ピクッと、反応した人間がいた…

 私のいる位置からは、背中が見えるだけなので、顔はわからない…

 だが、明らかに、カラダが動いた…

 動揺したように、見えた…

 それは、たまたま、カラダが動いただけかもしれなかったが、私には、そうは、思えなかった…

 なにより、ここで、私と、佐藤ナナが、会う以上、佐藤ナナの背後にいれば、どうしても、私と佐藤ナナが、どういう会話をするのか、聞きたい…

 それが、人情だろう…

 果たして、自分の思い通り、佐藤ナナが、動いていてくれるのか、見届ける必要がある…

 私もまた、動揺した男の背中を見届けると、立ち上がった…

 私が、席を立つのを見て、

 「…あっ!…」

 と、小さな声を、佐藤ナナがあげた…

 「…寿さん…どこへ?…」

 私は、彼女の声を無視して、さっきのカラダが動いた男の席へ、行った…

 「…お久しぶりです…」

 私は、その男に、挨拶した…

 「…今日で、会うのは、二度目ですね…」

 男は、

 「…」

 と、なにも、答えなかった…

 「…冬馬…私の入院していた、五井記念病院の前理事長、菊池冬馬さんのお父様ですね…」

 私の問いに、男は、

 「…」

 と、無反応だった…

 「…寿…寿綾乃と申します…ぜひ、あちらの席で、ご一緒できませんか?…」

 私の誘いに、

 「…」

 と、言葉もなかった…

 「…それとも…」

 「…」

 「…それとも、重方(しげかた)さんの背後にいる方も、いっしょに、お呼びしますか?…」

 私の問いかけに、菊池重方(しげかた)の顔が、驚愕の表情になった…

 私は、黙って、その重方(しげかた)の表情を見ていた…

                
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