第71話
文字数 5,774文字
「…一体、誰が、そんなことって?…」
言いながら、私は、考えた…
誰が、ウソを言っているのか、考えた…
まずは、目の前の、佐藤ナナが、ウソを言っている可能性を考えた…
この目の前の褐色の肌を持つ、佐藤ナナが、ウソを言っている可能性を考えた…
私は、佐藤ナナのことは、よく知らない…
あくまで、私が、五井記念病院に入院しているときに、私の担当看護師だっただけだ…
彼女は、私より、9歳年下だが、真面目で、誠実な人柄に思えた…
担当看護師としても、一生懸命、私の面倒を見てくれた…
だから、好感度は、高い…
だから、もしかしたら、私にウソを言っている…
私を騙している可能性は、ゼロではないが、仮に、私を騙していても、私は、そのウソに気付いていない…
いや、
気付けないだろう…
そして、それを思えば、あの菊池リンのときも同じだった…
彼女、菊池リンは、五井家が、私に、つけたスパイ…
私が、五井の血を引く人間かもしれないと、疑った五井の人間が、私の動静を見張るために、つけたスパイだった…
が、
私は、最後まで、それに、気付かなかった…
いや、
それは、今も同じかもしれない…
ふと、思った…
私、寿綾乃…
いや、矢代綾子は、五井記念病院に入院した…
それを、思えば、今回も、入院した、私の動静を探るために、スパイをつけても、おかしくはない…
つまりは、五井記念病院に入院した私を見張るためにつけた、五井家のスパイ…
それが、彼女、佐藤ナナの可能性もある…
私は、今さらながら、その可能性に気付いた…
なにしろ、彼女は、五井南家の血を引く人間…
間違いなく、五井家の人間だ…
いや、
そこまで、考えて、気付いた…
だが、だとしたら、どうして、私を見張る必要がある…
菊池リンの場合は、私が、先代当主、諏訪野建造の娘だと、疑っていた…
だから、それが事実ならば、私には、建造の財産を譲り受ける権利がある…
それを、恐れたのだ…
つまりは、私に財産分与の権利があり、それが、莫大なものになるため、はっきり言えば、私に一銭も渡したくなかったのだろう…
いわば、五井家の財産が、私という五井家の人間以外の手に渡ることが、嫌だったのだろう…
だが、佐藤ナナの場合はどうか?
もし、この佐藤ナナが、私を見張るとしたら、それは、五井の内部対立が、背景にあるのでは?
ふと、気付いた…
私は、五井家当主、諏訪野伸明と、結婚するかもしれない女…
すると、菊池リンが、私を見張るのとは、別の意味で、私の動静が、気になるというか…
いわゆる、五井本家と対立する、五井の分家にとっては、気になる存在だ…
なぜなら、私は、もしかしたら、諏訪野伸明と結婚するかもしれないからだ…
五井本家の後継者であり、五井家当主である、伸明の妻となる女は、当然のことながら、分家にとっても、気になる存在…
そのためには、どんな人間か、知るために、菊池リン同様、身近に、人間を配するに限る…
スパイを置くに限る…
しかも、それは、当たり前だが、五井家の人間の方が、心強い…
金で雇えば、雇えないわけではないが、身内の方が、信用できるし、なにより、裏切りの可能性が、低い…
だから、もしかしたら、この佐藤ナナが、本人が、気付かない間に、五井南家のスパイにされた可能性も否定できない…
いや、
すでに、私が、五井記念病院に入院して、私の担当看護師として、やって来たときに、仕組まれていた…
そう、考えていい…
彼女が、五井家の血を引くことで、五井記念病院に勤めた…
これは、おそらく、養父の米倉平造の指示だろう…
彼女、佐藤ナナが、日本で、看護師の道を目指すとでもいえば、五井家の人間ゆえに、五井記念病院を選ぶのは、当たり前…
当たり前だ…
いや、
もしかしたら、彼女が、看護師を目指すことすら、米倉平造の指示の可能性もある…
なぜなら、看護師は、手に職を得るのに、もっとも、手っ取り早い手段の一つだからだ…
それに、看護師は、色々な人間と接することができる…
五井の他の会社に就職させるよりは、その点で、有利…
そこまで、考えた可能性がある…
そして、五井記念病院…
理事長は、冬馬…
あの菊池冬馬だった…
あの冬馬は、名ばかり理事長…
理事長としての権限は、なきに等しいと言った…
が、
なきに等しいといっても、看護師の一人や二人、理事長の力で、雇うことは、できるだろう…
現に、あの長谷川センセイは、菊池冬馬の誘いで、五井記念病院にやって来たと言っていた…
つまりは、この佐藤ナナは、冬馬の権限で、五井記念病院にやって来た可能性が高い…
が、
問題は、そこではない…
誰が、菊池冬馬に、この佐藤ナナを、五井記念病院に、入れたが、どうかだ…
米倉平造か…
冬馬の父、菊池重方(しげかた)か…
それとも、他の五井の分家の人間か?
わからない…
しかし、その点が、もっとも、重要な点だ…
「…佐藤さんは、一体、誰の誘いで、日本にやって来たの?…」
「…それは、米倉さんです…」
「…米倉って、米倉平造さん?…」
「…ハイ…」
「…それより、寿さん…一体、誰が、私が、伸明さんとの結婚を狙っているって、言ったんですか?…」
「…それは…」
言おうかどうか、迷った…
「…誰ですか?…」
佐藤ナナが、まっすぐな瞳で、私を凝視した…
私は、なんだか、彼女にウソを言うのは、申し訳ない気がした…
「…菊池さんよ…」
「…菊池さん?…」
「…菊池リン…五井家当主、諏訪野伸明の母、昭子さんの妹、和子さんの孫よ…」
佐藤ナナの瞳が、驚きに、見開かれた…
「…菊池リン?…」
「…知っているの?…」
「…名前は知ってます…ですが、直接、お会いしたことは…」
「…ない…」
「…ハイ…」
私は、佐藤ナナの言葉に、考え込んだ…
この佐藤ナナが、ウソを言っているのか?
はたまた、本当のことを、言っているのか、わからなかったからだ…
「…佐藤さんは、どうして、日本にやって来たの?…」
「…それは、やはり、憧れというか…」
「…憧れ?…」
「…私は、父が、日本人です…だから…」
短く言った…
たしかに、そう言われれば、わかる…
誰もが、まだ見ぬ父の姿を追って、父のいる国に行ってみたい…
そう考えるのは、わかる…
私でも、この佐藤ナナと、同じことをする可能性が高い…
「…たまたま、私が米倉さんと知り合って…」
「…」
「…でも、ホントは、たまたまでは、なかったのかもしれない…」
「…どういうこと?…」
「…米倉さんは、人を介して、私に、日本に来るには、日本で、手に職を得るのが、一番と、言いました…それには、看護師が、手っ取り早い…いい病院も紹介できると…」
…やっぱり…
内心、思った…
米倉平造の手引きか…
そう、思った…
「…私は、ただ、日本に来れれば、よかった…正直、職業なんて、なんでも、よかった…でも、観光ビザでは、長く日本にいられない…日本で、学ぶとなれば、就労ビザの方が長いし、有利だった…」
私は、彼女の話を聞いて、ふと、思った…
この佐藤ナナは、日本人ではない…
なのに、五井本家の養女になれたのだろうか?
いや、
米倉平造の養女になれたのだろうか?
「…佐藤さん…」
「…なんですか?…」
「…佐藤さんは、今、五井家の養女でしょ?…」
「…ハイ…」
「…失礼だけれども、外国人が、五井家…いえ、米倉さんの養女になれたの?…」
「…それは、問題ありません…私の母と、養女とする米倉さんの許可があれば…」
「…そう…」
「…とにかく、私は、誰かの駒になるというか…利用されるのは、ゴメンです…」
佐藤ナナが、強い口調で言った…
「…五井の争いに巻き込まれるのは、ゴメンです…」
「…五井の争い? …具体的には、どういう…」
「…私も詳しくは知りません…ただ…」
「…ただ…なに?…」
「…私の意思を無視して、まるで、人身売買のように、取引されるのは、ゴメンです…」
「…人身売買って?…」
「…私が、五井南家だかの血を引くからといって、私の、意思を無視して、人身売買みたいに、五井家の養女にされるのは、ゴメンです…」
「…でも、それは、佐藤さんの意思を無視しては、できないんじゃ…」
「…たしかに、私にも、悪いことはあります…」
佐藤ナナの口調が、トーンダウンした…
「…でも、人身売買は、大げさにしても、まるで、電車や飛行機にでも、乗るように、次は、この切符を取ってあるから、この電車に乗ればいいよ、とでも、言うように、この日本にやって来ました…それが、真実です…」
「…」
「…でも、今になって、わかりました…」
「…なにが、わかったの?…」
「…私の意思…これを無視して、私をいいように使っている…」
私は、彼女の言い分を聞きながら、なにかが、おかしいと、気付いた…
彼女、佐藤ナナの言っていることに、間違いはない…
全面的に指示するとは、言わないが、言い分は、理解できる…
だが、だ…
しかし、だ…
なぜ、今になって、こんなことを、言い出すのだろう…
それが、気になった…
言い分は、理解できるが、なぜ、今になって、言い出したのだろうか?
やはり、時間が経って、落ち着いてきたから、自分が、五井一族に使われていると、考えたのだろうか?
それとも…
それとも、誰かに入れ知恵されたのだろうか?
知恵をつけられたのだろうか?
ふと、思った…
ベトナムから、やって来た純真無垢な少女…
いかに、日本語が堪能とはいえ、日本に来れば、見たもの、聞くもの、驚きばかりだろう…
昔と違って、ネットが発達した社会だから、ベトナムにいても、日本のことは、ある程度はわかる…
だが、やはりというか、聞くのと、見るのは、違うというか…
ネットで、情報を得るのと、体験するのは、違うということだ…
それは、私にしても同じ…
私が、佐藤ナナと同じ立場としても、やはり、同じ…
ベトナムから、日本にやって来ても、わけがわからないだろう…
しかも、
しかも、だ…
この佐藤ナナのスポンサーというか、庇護者のはずの、米倉平造は、あしながおじさんといった…
あしながおじさん…
要するに、金は出すが、口は出さないということ…
一見、この佐藤ナナにとっては、いいことずくめのようだが、それでは、情報が得られない…
変な例えかもしれないが、中学生や高校生の修学旅行といっしょで、あらかじめ、決められたコースをガイドの案内で、行くだけ…
自分では、どこに行くかも知らないし、また、知っていなくても、まったく問題はない…
ただ、黙って、ガイドに従えば、いいからだ…
それと似ている…
誰か、いる…
私は、その事実に、気付いた…
確信したと、言っていい…
この佐藤ナナの背後に、誰かいる…
だが、
それが、誰だか、わからない…
いや、
わからないのではない…
見当はつく…
おそらく、五井家の人間…
米倉平造が、あしながおじさんに徹すれば、この佐藤ナナを操ろうとまではしないだろう…
だとすれば、五井家の人間しか、考えられない…
もしや、五井南家の人間?
考えた…
その可能性が、高い…
だが、五井南家はすでに、この佐藤ナナを、五井南家の血を引く人間ということで、五井本家に養女として、受け入れさせている…
それを考えれば、五井南家に不利益はない…
今さら、この佐藤ナナに、五井家の内紛の騒動の内幕を事細かく、説明する必要はない…
だとすれば…
だとすれば、考えられるのは、ただ一人…
一人だけだ…
「…菊池重方(しげかた)さん…」
私は、突然、言った…
「…佐藤さんの背後にいるのは、重方(しげかた)さんね…」
私の言葉に、佐藤ナナのカラダが固まった…
「…重方(しげかた)さんが、入れ知恵をつけたのね…」
私の言葉に、
「…」
と、なにも言わなかった…
無言だった…
無言が、肯定を意味した…
「…菊池重方(しげかた)…五井記念病院、菊池冬馬の父にして、現当主、諏訪野伸明の叔父…伸明の母、昭子さんの弟…」
私は、説明した…
「…そして、国会議員、大場派の重鎮にして、その大場派から、独立して、菊池派を立ち上げようとして、失敗…それを契機に、五井家から、追放された…前、五井東家当主…」
私の言葉に、佐藤ナナは、微動だにしなかった…
まるで、カラダが、固まったようだった…
「…どう? …間違ってる?…」
私の言葉に、
「…」
と、反応しない…
が、
彼女とは、真逆に、ピクッと、反応した人間がいた…
私のいる位置からは、背中が見えるだけなので、顔はわからない…
だが、明らかに、カラダが動いた…
動揺したように、見えた…
それは、たまたま、カラダが動いただけかもしれなかったが、私には、そうは、思えなかった…
なにより、ここで、私と、佐藤ナナが、会う以上、佐藤ナナの背後にいれば、どうしても、私と佐藤ナナが、どういう会話をするのか、聞きたい…
それが、人情だろう…
果たして、自分の思い通り、佐藤ナナが、動いていてくれるのか、見届ける必要がある…
私もまた、動揺した男の背中を見届けると、立ち上がった…
私が、席を立つのを見て、
「…あっ!…」
と、小さな声を、佐藤ナナがあげた…
「…寿さん…どこへ?…」
私は、彼女の声を無視して、さっきのカラダが動いた男の席へ、行った…
「…お久しぶりです…」
私は、その男に、挨拶した…
「…今日で、会うのは、二度目ですね…」
男は、
「…」
と、なにも、答えなかった…
「…冬馬…私の入院していた、五井記念病院の前理事長、菊池冬馬さんのお父様ですね…」
私の問いに、男は、
「…」
と、無反応だった…
「…寿…寿綾乃と申します…ぜひ、あちらの席で、ご一緒できませんか?…」
私の誘いに、
「…」
と、言葉もなかった…
「…それとも…」
「…」
「…それとも、重方(しげかた)さんの背後にいる方も、いっしょに、お呼びしますか?…」
私の問いかけに、菊池重方(しげかた)の顔が、驚愕の表情になった…
私は、黙って、その重方(しげかた)の表情を見ていた…
言いながら、私は、考えた…
誰が、ウソを言っているのか、考えた…
まずは、目の前の、佐藤ナナが、ウソを言っている可能性を考えた…
この目の前の褐色の肌を持つ、佐藤ナナが、ウソを言っている可能性を考えた…
私は、佐藤ナナのことは、よく知らない…
あくまで、私が、五井記念病院に入院しているときに、私の担当看護師だっただけだ…
彼女は、私より、9歳年下だが、真面目で、誠実な人柄に思えた…
担当看護師としても、一生懸命、私の面倒を見てくれた…
だから、好感度は、高い…
だから、もしかしたら、私にウソを言っている…
私を騙している可能性は、ゼロではないが、仮に、私を騙していても、私は、そのウソに気付いていない…
いや、
気付けないだろう…
そして、それを思えば、あの菊池リンのときも同じだった…
彼女、菊池リンは、五井家が、私に、つけたスパイ…
私が、五井の血を引く人間かもしれないと、疑った五井の人間が、私の動静を見張るために、つけたスパイだった…
が、
私は、最後まで、それに、気付かなかった…
いや、
それは、今も同じかもしれない…
ふと、思った…
私、寿綾乃…
いや、矢代綾子は、五井記念病院に入院した…
それを、思えば、今回も、入院した、私の動静を探るために、スパイをつけても、おかしくはない…
つまりは、五井記念病院に入院した私を見張るためにつけた、五井家のスパイ…
それが、彼女、佐藤ナナの可能性もある…
私は、今さらながら、その可能性に気付いた…
なにしろ、彼女は、五井南家の血を引く人間…
間違いなく、五井家の人間だ…
いや、
そこまで、考えて、気付いた…
だが、だとしたら、どうして、私を見張る必要がある…
菊池リンの場合は、私が、先代当主、諏訪野建造の娘だと、疑っていた…
だから、それが事実ならば、私には、建造の財産を譲り受ける権利がある…
それを、恐れたのだ…
つまりは、私に財産分与の権利があり、それが、莫大なものになるため、はっきり言えば、私に一銭も渡したくなかったのだろう…
いわば、五井家の財産が、私という五井家の人間以外の手に渡ることが、嫌だったのだろう…
だが、佐藤ナナの場合はどうか?
もし、この佐藤ナナが、私を見張るとしたら、それは、五井の内部対立が、背景にあるのでは?
ふと、気付いた…
私は、五井家当主、諏訪野伸明と、結婚するかもしれない女…
すると、菊池リンが、私を見張るのとは、別の意味で、私の動静が、気になるというか…
いわゆる、五井本家と対立する、五井の分家にとっては、気になる存在だ…
なぜなら、私は、もしかしたら、諏訪野伸明と結婚するかもしれないからだ…
五井本家の後継者であり、五井家当主である、伸明の妻となる女は、当然のことながら、分家にとっても、気になる存在…
そのためには、どんな人間か、知るために、菊池リン同様、身近に、人間を配するに限る…
スパイを置くに限る…
しかも、それは、当たり前だが、五井家の人間の方が、心強い…
金で雇えば、雇えないわけではないが、身内の方が、信用できるし、なにより、裏切りの可能性が、低い…
だから、もしかしたら、この佐藤ナナが、本人が、気付かない間に、五井南家のスパイにされた可能性も否定できない…
いや、
すでに、私が、五井記念病院に入院して、私の担当看護師として、やって来たときに、仕組まれていた…
そう、考えていい…
彼女が、五井家の血を引くことで、五井記念病院に勤めた…
これは、おそらく、養父の米倉平造の指示だろう…
彼女、佐藤ナナが、日本で、看護師の道を目指すとでもいえば、五井家の人間ゆえに、五井記念病院を選ぶのは、当たり前…
当たり前だ…
いや、
もしかしたら、彼女が、看護師を目指すことすら、米倉平造の指示の可能性もある…
なぜなら、看護師は、手に職を得るのに、もっとも、手っ取り早い手段の一つだからだ…
それに、看護師は、色々な人間と接することができる…
五井の他の会社に就職させるよりは、その点で、有利…
そこまで、考えた可能性がある…
そして、五井記念病院…
理事長は、冬馬…
あの菊池冬馬だった…
あの冬馬は、名ばかり理事長…
理事長としての権限は、なきに等しいと言った…
が、
なきに等しいといっても、看護師の一人や二人、理事長の力で、雇うことは、できるだろう…
現に、あの長谷川センセイは、菊池冬馬の誘いで、五井記念病院にやって来たと言っていた…
つまりは、この佐藤ナナは、冬馬の権限で、五井記念病院にやって来た可能性が高い…
が、
問題は、そこではない…
誰が、菊池冬馬に、この佐藤ナナを、五井記念病院に、入れたが、どうかだ…
米倉平造か…
冬馬の父、菊池重方(しげかた)か…
それとも、他の五井の分家の人間か?
わからない…
しかし、その点が、もっとも、重要な点だ…
「…佐藤さんは、一体、誰の誘いで、日本にやって来たの?…」
「…それは、米倉さんです…」
「…米倉って、米倉平造さん?…」
「…ハイ…」
「…それより、寿さん…一体、誰が、私が、伸明さんとの結婚を狙っているって、言ったんですか?…」
「…それは…」
言おうかどうか、迷った…
「…誰ですか?…」
佐藤ナナが、まっすぐな瞳で、私を凝視した…
私は、なんだか、彼女にウソを言うのは、申し訳ない気がした…
「…菊池さんよ…」
「…菊池さん?…」
「…菊池リン…五井家当主、諏訪野伸明の母、昭子さんの妹、和子さんの孫よ…」
佐藤ナナの瞳が、驚きに、見開かれた…
「…菊池リン?…」
「…知っているの?…」
「…名前は知ってます…ですが、直接、お会いしたことは…」
「…ない…」
「…ハイ…」
私は、佐藤ナナの言葉に、考え込んだ…
この佐藤ナナが、ウソを言っているのか?
はたまた、本当のことを、言っているのか、わからなかったからだ…
「…佐藤さんは、どうして、日本にやって来たの?…」
「…それは、やはり、憧れというか…」
「…憧れ?…」
「…私は、父が、日本人です…だから…」
短く言った…
たしかに、そう言われれば、わかる…
誰もが、まだ見ぬ父の姿を追って、父のいる国に行ってみたい…
そう考えるのは、わかる…
私でも、この佐藤ナナと、同じことをする可能性が高い…
「…たまたま、私が米倉さんと知り合って…」
「…」
「…でも、ホントは、たまたまでは、なかったのかもしれない…」
「…どういうこと?…」
「…米倉さんは、人を介して、私に、日本に来るには、日本で、手に職を得るのが、一番と、言いました…それには、看護師が、手っ取り早い…いい病院も紹介できると…」
…やっぱり…
内心、思った…
米倉平造の手引きか…
そう、思った…
「…私は、ただ、日本に来れれば、よかった…正直、職業なんて、なんでも、よかった…でも、観光ビザでは、長く日本にいられない…日本で、学ぶとなれば、就労ビザの方が長いし、有利だった…」
私は、彼女の話を聞いて、ふと、思った…
この佐藤ナナは、日本人ではない…
なのに、五井本家の養女になれたのだろうか?
いや、
米倉平造の養女になれたのだろうか?
「…佐藤さん…」
「…なんですか?…」
「…佐藤さんは、今、五井家の養女でしょ?…」
「…ハイ…」
「…失礼だけれども、外国人が、五井家…いえ、米倉さんの養女になれたの?…」
「…それは、問題ありません…私の母と、養女とする米倉さんの許可があれば…」
「…そう…」
「…とにかく、私は、誰かの駒になるというか…利用されるのは、ゴメンです…」
佐藤ナナが、強い口調で言った…
「…五井の争いに巻き込まれるのは、ゴメンです…」
「…五井の争い? …具体的には、どういう…」
「…私も詳しくは知りません…ただ…」
「…ただ…なに?…」
「…私の意思を無視して、まるで、人身売買のように、取引されるのは、ゴメンです…」
「…人身売買って?…」
「…私が、五井南家だかの血を引くからといって、私の、意思を無視して、人身売買みたいに、五井家の養女にされるのは、ゴメンです…」
「…でも、それは、佐藤さんの意思を無視しては、できないんじゃ…」
「…たしかに、私にも、悪いことはあります…」
佐藤ナナの口調が、トーンダウンした…
「…でも、人身売買は、大げさにしても、まるで、電車や飛行機にでも、乗るように、次は、この切符を取ってあるから、この電車に乗ればいいよ、とでも、言うように、この日本にやって来ました…それが、真実です…」
「…」
「…でも、今になって、わかりました…」
「…なにが、わかったの?…」
「…私の意思…これを無視して、私をいいように使っている…」
私は、彼女の言い分を聞きながら、なにかが、おかしいと、気付いた…
彼女、佐藤ナナの言っていることに、間違いはない…
全面的に指示するとは、言わないが、言い分は、理解できる…
だが、だ…
しかし、だ…
なぜ、今になって、こんなことを、言い出すのだろう…
それが、気になった…
言い分は、理解できるが、なぜ、今になって、言い出したのだろうか?
やはり、時間が経って、落ち着いてきたから、自分が、五井一族に使われていると、考えたのだろうか?
それとも…
それとも、誰かに入れ知恵されたのだろうか?
知恵をつけられたのだろうか?
ふと、思った…
ベトナムから、やって来た純真無垢な少女…
いかに、日本語が堪能とはいえ、日本に来れば、見たもの、聞くもの、驚きばかりだろう…
昔と違って、ネットが発達した社会だから、ベトナムにいても、日本のことは、ある程度はわかる…
だが、やはりというか、聞くのと、見るのは、違うというか…
ネットで、情報を得るのと、体験するのは、違うということだ…
それは、私にしても同じ…
私が、佐藤ナナと同じ立場としても、やはり、同じ…
ベトナムから、日本にやって来ても、わけがわからないだろう…
しかも、
しかも、だ…
この佐藤ナナのスポンサーというか、庇護者のはずの、米倉平造は、あしながおじさんといった…
あしながおじさん…
要するに、金は出すが、口は出さないということ…
一見、この佐藤ナナにとっては、いいことずくめのようだが、それでは、情報が得られない…
変な例えかもしれないが、中学生や高校生の修学旅行といっしょで、あらかじめ、決められたコースをガイドの案内で、行くだけ…
自分では、どこに行くかも知らないし、また、知っていなくても、まったく問題はない…
ただ、黙って、ガイドに従えば、いいからだ…
それと似ている…
誰か、いる…
私は、その事実に、気付いた…
確信したと、言っていい…
この佐藤ナナの背後に、誰かいる…
だが、
それが、誰だか、わからない…
いや、
わからないのではない…
見当はつく…
おそらく、五井家の人間…
米倉平造が、あしながおじさんに徹すれば、この佐藤ナナを操ろうとまではしないだろう…
だとすれば、五井家の人間しか、考えられない…
もしや、五井南家の人間?
考えた…
その可能性が、高い…
だが、五井南家はすでに、この佐藤ナナを、五井南家の血を引く人間ということで、五井本家に養女として、受け入れさせている…
それを考えれば、五井南家に不利益はない…
今さら、この佐藤ナナに、五井家の内紛の騒動の内幕を事細かく、説明する必要はない…
だとすれば…
だとすれば、考えられるのは、ただ一人…
一人だけだ…
「…菊池重方(しげかた)さん…」
私は、突然、言った…
「…佐藤さんの背後にいるのは、重方(しげかた)さんね…」
私の言葉に、佐藤ナナのカラダが固まった…
「…重方(しげかた)さんが、入れ知恵をつけたのね…」
私の言葉に、
「…」
と、なにも言わなかった…
無言だった…
無言が、肯定を意味した…
「…菊池重方(しげかた)…五井記念病院、菊池冬馬の父にして、現当主、諏訪野伸明の叔父…伸明の母、昭子さんの弟…」
私は、説明した…
「…そして、国会議員、大場派の重鎮にして、その大場派から、独立して、菊池派を立ち上げようとして、失敗…それを契機に、五井家から、追放された…前、五井東家当主…」
私の言葉に、佐藤ナナは、微動だにしなかった…
まるで、カラダが、固まったようだった…
「…どう? …間違ってる?…」
私の言葉に、
「…」
と、反応しない…
が、
彼女とは、真逆に、ピクッと、反応した人間がいた…
私のいる位置からは、背中が見えるだけなので、顔はわからない…
だが、明らかに、カラダが動いた…
動揺したように、見えた…
それは、たまたま、カラダが動いただけかもしれなかったが、私には、そうは、思えなかった…
なにより、ここで、私と、佐藤ナナが、会う以上、佐藤ナナの背後にいれば、どうしても、私と佐藤ナナが、どういう会話をするのか、聞きたい…
それが、人情だろう…
果たして、自分の思い通り、佐藤ナナが、動いていてくれるのか、見届ける必要がある…
私もまた、動揺した男の背中を見届けると、立ち上がった…
私が、席を立つのを見て、
「…あっ!…」
と、小さな声を、佐藤ナナがあげた…
「…寿さん…どこへ?…」
私は、彼女の声を無視して、さっきのカラダが動いた男の席へ、行った…
「…お久しぶりです…」
私は、その男に、挨拶した…
「…今日で、会うのは、二度目ですね…」
男は、
「…」
と、なにも、答えなかった…
「…冬馬…私の入院していた、五井記念病院の前理事長、菊池冬馬さんのお父様ですね…」
私の問いに、男は、
「…」
と、無反応だった…
「…寿…寿綾乃と申します…ぜひ、あちらの席で、ご一緒できませんか?…」
私の誘いに、
「…」
と、言葉もなかった…
「…それとも…」
「…」
「…それとも、重方(しげかた)さんの背後にいる方も、いっしょに、お呼びしますか?…」
私の問いかけに、菊池重方(しげかた)の顔が、驚愕の表情になった…
私は、黙って、その重方(しげかた)の表情を見ていた…