第66話

文字数 7,373文字

 「…狙う? …伸明さんを?…」

 思わず、素っ頓狂な声を上げた…

 自分でも、自分の声に驚いた…

 ビックリした…

 思わず、周囲を見た…

 私の声に驚いて、周囲の人間が、私を見ていないのか、心配になったからだ…

 誰も見ていなかった…

 おそらくは、驚いたと思うが、さすがに、私を見るのは、マズいと思ったのかもしれない…

 私は、勝手に、そう思った…

 それから、

 「…狙うって、どういうこと?…」

 と、菊池リンに、向き直って、聞いた…

 「…言葉通りの意味です…」

 「…言葉通りって…誘惑でもしたの?…」

 「…いえ、もっと、直接です…」

 「…直接って?…」

 「…ずばり、伸明さんと、結婚したいって、昭子さんに、言ったらしいです…」

 「…結婚って?…」

 絶句した…

 まさか…

 まさか、結婚なんて、言葉が、ここで、出るとは、思えなかった…

 あの佐藤ナナが、伸明さんと結婚したいなんて、言い出すとは、思わなかった…

 と、同時に気付いた…

 和子の態度だ…

 この菊池リンの祖母、和子が、佐藤ナナに、当惑していた…

 彼女は、読めないと、当惑していた…

 私は、あのとき、なぜ、和子が、当惑していたか、わからなかった…

 単に、育った文化の違い…

 日本とベトナムの文化の違い…

 あるいは、生い立ちのみならず、佐藤ナナが、どんな人物か、知らないから、警戒していた…

 そう、思った…

 日本人もベトナム人も関係なく、それまで、見知った人間でなければ、そもそも、どんな人間か、わからない…

 だが、誰も、佐藤ナナを知らない…

 だから、彼女を恐れたというか、警戒したと思った…

 そして、文化の違い…

 例えば、日本に生まれ、育てば、皇族の人間と知り合っても、距離を置くというか…

 自分とは、立場が、違う人間…

 自分とは、身分が、違う人間と、思う…

 だから、距離を置く…

 相手=皇族の方が、どう思うか、わからないからだ…

 一般人が、なれなれしく接すれば、

「…無礼なヤツ!…」

と、一喝されるかもしれない…

 ところが、他の国に育った人間は、違うかもしれない…

 皇族と知り合っても、気が合えば、お互いに、フランクに友人として接する…

 それが、当たり前と思うかもしれない…

 そもそも、育った背景が違えば、それが、変に、思わないかもしれない…

 そして、それこそが、異文化…

 異なる国で、育ったということだ…

 だから、和子は、それを恐れたと、思った…

 ただ、それは、あくまで、私の予想というか…

 日本と違う国で、育ったから、どういう行動を取るか、読めないからだと、思った…

 が、

 しかしながら、すでに、それを、行動に移していたとは、思わなかった…

 さすがに、そんなことは、考えもしなかった…

 だから、私は、ただただ唖然とした…

 言葉もなかった…

 私が、驚いて、絶句するのを、見てから、

 「…でも、昭子さんが、それを許さなかった…」

 と、菊池リンが言った…

 「…結婚は、無理…受け入れられないと、突っぱねたんです…」

 「…」

 「…その代わりに、五井本家の養女とする…昭子さんが、そう提案して、あの佐藤ナナは、渋々、その提案を飲んだそうです…」

 菊池リンが、語る…

 私は、あまりにも、意外な展開に言葉もなかった…

 まさか…

 佐藤ナナが…

 あの佐藤ナナが、伸明さんとの結婚を狙うとは、考えても、見なかった…

 たしかに、思い起こせば、佐藤ナナは、私が、諏訪野伸明さんと付き合ったり、藤原ナオキの秘書だったりしたことを知って、私を羨んだ…

 が、

 しかし、それは、誰でもあること…

 日本人でも、誰でも、あることだと、思う…

 私が、もし、佐藤ナナでも、同じ…

 身近な人間が、大金持ちの御曹司とか、テレビで、よく見る会社経営者と知り合いだったりすれば、羨むに違いない…

 要するに、違いは、態度に出すか否か…

 言葉に出すか否かの違いだけだ…

 私は、考える…

 「…だから、私は、伸明さんと、結婚しようと思ったんです…」

 菊池リンが、意外なことを、言い出した…

 「…いくら、五井南家の血を引くからって、いきなり現れて、伸明さんと結婚したいなんて、言い出すなんて、あんまりです…」

 菊池リンが、怒る…

 「…物事には、順番というか、立場があります…身分があります…いきなり、現れて、アレは許せないです…」

 菊池リンが、激怒する…

 そう言われれば、菊池リンが、怒るのも、わかる気がする…

 佐藤ナナは、突然、五井家に現れた…

 それが、いきなり、現れて、伸明さんと結婚したいと言い出す…

 誰もが、唖然とする…

 その行動に、驚愕する…

 「…五井の人間は、五井家の人間と結婚する…それが、五井の原則です…あの女は、それを知って、逆手に取ったんです…」

 「…逆手に取った…」

 「…五井の血を引けば、五井の当主とでも、結婚できる…そう思ったんです…」

 私は、菊池リンの言葉に、呆気に取られた…

 たしかに、そう言われれば、わかる…

 理屈に合っている…

 五井の人間は、五井の人間と結婚する…

 理由は、一族の血をこれ以上、薄めないためだ…

 五井の歴史は400年…

 すでに創業者から、すれば、今の五井十三家は、ほぼ他人…

 他人に近いほど、一族とは名ばかりで、血が薄い…

 だから、一族同士結婚して、血を濃くして、団結しなければ、ならない…

 そうしなければ、ますます血が薄くなり、他人に近い関係になってしまい、団結力に乏しくなるからだ…

 それでなくとも、五井は、団結力に乏しいと、世間から言われてきた…

 いわば、一族がバラバラ…

 そのバラバラの理由の一つに、血の薄さがあるのは、否めない…

 400年と歴史があるだけ、一族の血の繋がりは、薄い…

 だから、どうしても、団結心に欠ける…

 これは、ある意味、仕方のないことだ…

 私は、思った…

 だから、その団結心を増すために、一族を一つにまとめるためにも、一族同士の結婚を推奨する…

 一族の者同士が、結婚すれば、親戚となる…

 そうなれば、身近な関係になり、一族が、まとまると、考えるからだ…

 当たり前のことだった…

 誰でも、考えることだった…

 が、

 しかし、

 あの佐藤ナナが、それを逆手に取って、伸明と結婚したいと、言い出すとは、思わなかった…

 あまりにも、予想外の行動に呆気に取られた…

 大胆というか…

 それこそが、若さなのかもしれなかった…

 23歳という、若さなのかもしれなかった…

 32歳の私には、できない行動…

 また、仮に、私が、23歳でも、できない行動だった…

 なぜなら、私とは、キャラが違う…

 それがすべてだった…

 仮に、私が、23歳で、そんな行動を取れば、周囲の人間が、驚くし、なにより、私自身が、ビックリする…

 だから、そんな行動を取るはずもなかった…

 また、一歩引いてみると、そんな行動を取る、佐藤ナナを見て、羨ましくもあった…

 なぜなら、自分には、決して、できない行動だからだ…

 私、寿綾乃には、できない行動だからだ…

 それは、仮に、今の乃木坂のアイドルを見ても、同じ…

 大勢の若い女のコが、歌っていても、私が、入れば、不自然と言われるに違いない…

 歳が同じでも、なにか、落ち着いた感じの女が、いっしょに中に入って、歌っている…

 全然、似合わない…

 そう言われるに、決まっている…

 私は、そんなことを、考えた…

 が、

 この眼前の菊池リンにとっては、違う…

 なにが、違うと言われれば、似ているのだ…

 菊池リンと、佐藤ナナ…

 肌の色の違いは、あるが、キャラが似ている…

 共に、愛くるしく、誰からも、愛されるキャラ…

 私と、菊池リンや、佐藤ナナを比べると、キャラが、まるで、違うから、競争にならない…

 ライバルにならない…

 私が好きか?

 あるいは、

 菊池リンや、佐藤ナナが、好きか?

 これは、単純に、好みの問題になる…

 タイプが、違い過ぎるからだ…

 しかしながら、菊池リンと、佐藤ナナは、同じタイプ…

 キャラが、もろにかぶる…

 だから、余計に、ライバル心を抱くのだろう…

 それは、傍目から見ても、わかるし、理解できる…

 「…あの女は、許せない!…」

 と、罵る、菊池リンの気持ちはわかる…

 だが、

 やはりというか、以前から、彼女、菊池リンを知る私から見れば、違和感があった…

 理屈では、わかるが、どうしても、以前から見知った菊池リンの姿…

 愛くるしく、頼りない姿を知っている私から、見れば、違和感があった…

 私が、そんなことを、ずっと考えていると、

 「…綾乃さんは…」

 と、菊池リンが、語りかけた…

 「…ズルいです…」

 「…ズルい? …どうして?…」

 「…さっきも言いましたが、伸明さんとの関係がいい例です…決して、自分からは、連絡しない…だから、伸明さんから、すれば、焦らされます…」

 「…それは、菊池さんの誤解よ…」

 「…誤解?…」

 「…さっきも言ったように、私と伸明さんは、身分が違う…だから、私から、気安く連絡できない…」

 「…」

 「…菊池さんが、思うよりも、とても、大きな壁が、私と伸明さんの間には、あるの…」

 「…だったら、別れれば…」

 菊池リンが、言った…

 「…綾乃さんから、ハッキリと、別れを切り出せば…」

 「…それはできない…」

 「…どうして、できないんですか?…」

 「…私の野心…」

 「…綾乃さんの野心?…」

 「…せっかく、諏訪野さんのような大金持ちの御曹司と知り合った…それを、自分から、別れることはできない…」

 「…綾乃さんでも?…」

 「…そう…私でも…っていうか、菊池さんは、私を買いかぶり過ぎよ…」

 「…買いかぶり過ぎ?…」

 「…実力以上に、高く、見ている…私よりも、菊池さんの方が、若いし、可愛いし、学歴だって、高い…おまけに、大金持ちの一族…いわば、すべてにおいて、私より優れている…それが、私なんかに張り合うっていうか…ホントは、アナタは、私なんか、相手にしちゃダメ…」

 「…ダメ?…」

 「…もっと、優れた人間と付き合いなさい…」

 「…優れたって、どんな?…」

 「…学歴でも、ルックスでも、人間性でも、なんでもいい…自分より、優れた人間…自分から見て、なにか一つでも、優れている…尊敬できる人間と付き合いなさい…それが、いずれ、菊池さんの財産になる…」

 「…財産?…」

 「…生きていれば、さまざまな人間と出会う…そして、その人間と会ったとき、かつて、見知った人間と比べることができる…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…イケメンだったり、美人だったり、ルックスのいい人間だったら、無意識のうちに、過去に知ったルックスのいい人間と、比べることができる…学歴だったら、例えば、東大卒のひとと、日大卒のひとを知っていれば、どう違うか、わかる…だから、他の人間と、接して、なんとなく、学歴が、わかってくる…」

 「…」

 「…私は、菊池さんと違って、大学も出ていない…でも、社長、藤原ナオキさんが、頭が良かったから、社長に聞けば、そういうことを教えてくれた…」

 「…」

 「…だから、いつのまにか、誰かと誰かが、話していれば、そのひとが、高卒か、大卒か、あるいは、大学ならば、六大学レベルか、それ以下か、なんとなく、わかるようになってきた…」

 「…」

 「…そして、それが、私の財産…たぶん、菊池さんが、まだ、できないこと…」

 「…」

 「…でも、菊池さんなら、同じように、できる…それも、私よりも、もっと短い時間で…」

 「…どうして、できるんですか?…」

 「…環境…」

 「…環境って?…」

 「…菊池さんは、お金持ち…周囲に、頭のいい人間もごまんといる…だから、いつのまにか、それが、わかってくる…」

 「…」

 「…自分の置かれた位置…その恵まれたポジションを生かすこと…」

 「…生かす?…」

 「…それが、菊池さんの人生になる…そして、それこそが、アナタが今、ライバル視する佐藤ナナさんが、手を伸ばしても、決して、得られないポジション…」

 「…」

 「…生まれつき、お金のある家に生まれて、周囲に皆、頭のいい人間がいる…その中で、育つことが、どういう影響を及ぼすか、よく考えなさい…」

 私が、言うと、菊池リンが、考え込んだ…

 佐藤ナナが、絶対、勝てないこと…

 それは、この菊池リンが、五井家に生まれたこと…

 それに尽きる…

 五井家に生まれ、育つ…

 金持ちの家に生まれ、育つ、だ…

 そんな金持ちの家の環境に育つことが、今の菊池リンを作った…

 仮に、同じ能力を持って、生まれても、育った環境によって、性格は、異なってくるだろう…

 とりわけ、金銭的な感覚は、違ってくる…

 そういうことだ…

 あの佐藤ナナが、どういう環境で、育ったかは、わからないが、普通に考えれば、一般の家庭だろう…

 そうでなければ、私が、諏訪野伸明や、藤原ナオキと、知り合いであることを、知って、私を妬むわけがない…

 おそらくは、平凡な家庭に生まれたゆえに、お金持ちの有名人を知っている、私を妬んだのだ…

 私は、そう思った…

 だから、私は、菊池リンに、

 「…佐藤さんは、アナタとは、ステージが違うの…」

 と、諭した…

 「…ステージ?…」

 「…この場合は、社会的地位ね…だから、仮に、佐藤さんが、伸明さんと、結婚しても、無理…苦労すると思う…」

 「…どうして、無理なんですか?…」

 「…生まれ育った環境が、違い過ぎる…」

 「…」

 「…仮にアナタが、伸明さんと結婚すれば、伸明さんと、菊池さんは、20歳ぐらい歳は離れているけれども、育った環境は、同じだから、話は合うし、共通の知人もいっぱいいると思う…それに比べ、佐藤さんは、すべてが、違う…」

 「…」

 「…だから、伸明さんとは、話が合わなくなり、やがて、別れると思う…」

 言いながら、なんだか、佐藤ナナの話ではなく、自分自身のことを、言っているような気分になった…

 佐藤ナナではなく、私、寿綾乃のことを、言っている気分になった…

 私と、諏訪野伸明は、すべてが、違う…

 重なるところがない…

 共通するところがない…

 片や、お金持ち…

 片や、一般人…

 どこにでもいる、家庭出身だ…

 こんな二人が、結婚して、うまくいくのだろうか?

 否…

 うまくいくはずがない…

 ひとのことは、散々、説教して、自分自身のことになると、からきし、わからない…

 まったく、自分を省みることもない…

 つくづく、自分は、ダメな人間だと思った…

 すると、言葉が出なくなった…

 一言も、発せなくなった…

 それに、気付いた、菊池リンが、

 「…どうしたんですか?…」

 と、聞いてきた…

 不思議だったのだろう…

 私は、どう言おうか、一瞬、迷ったが、

 「…なんだか、自分のことを、言っている気がして…」

 と、呟いた…

 「…綾乃さんのこと?…」

 「…そう…私のこと…佐藤さんについて、語るのは、私について、語るのと、同じ…」

 「…同じ?…どういうことですか?…」

 「…身分違いの恋…それを、今、私が、実践している…」


 「…身分違い…」

 「…平凡な私が、大金持ちの御曹司と交際している…でも、ホントは、それは、ただの夢…テレビでも映画でも、漫画でも、よくあるテーマだけれども、大抵は、結婚で終わり…でも、結婚はゴールじゃない…身分違いの者同士が、結婚して、生活する…そこにあるのは、ただの日常…それが、延々と続く…でも、果たして、そんなに身分違いの者同士が結婚して、うまくいくのか? 甚だ疑問ね…」

 「…」

 「…だから、私が、菊池さんに言っていることは、つくづく矛盾しているなって…」

 「…どうして、矛盾しているんですか?…」

 「…他人様のことは、散々あげつらい、自分のことは、頬かむり…そんな人間は、ゴメン…私が、もっとも嫌う人間…でも、いつのまにか、自分が、そうなっていた…」

 「…」

 「…ホント、情けない…」

 私が、自分の信条を吐露すると、目の前の菊池リンが、黙った…

 それから、少し間を置いて、

 「…綾乃さんは、自分に厳しすぎます…」

 と、言った…

 「…どうして、厳しいの?…」

 「…夢を見るのは、自由です…」

 「…自由?…」

 「…叶わない夢でも、見るのは、自由です…どんな夢でも、見るのは、そのひとの自由…他人様に迷惑をかけなきゃ、いいだけです…」

 菊池リンが、言った…

 私は、菊池リンの言葉に、彼女の信条が、見て取れる気がした…

 諏訪野伸明と、結婚したいといったことだけではない…

 おそらくは、私よりはるかに頭がよく、現実を知っている…

 だから、自分のできること、できないことの区別がついている…

 にも、かかわらず、夢を諦めきれない…

 だから、ある意味、矛盾している…

 できること、できないことが、わかっているくせに、できないことを、やろうとする…

 だから、もしかしたら、この菊池リンの中で、諏訪野伸明との結婚は、できないことと、思っているのかもしれない…

 なぜなら、歳が二十歳も違う…

 早ければ、親子ほど、歳が違う…

 それが、どんなことか、よくわかっているのかもしれない…

 年齢が違えば、考え方も違う…

 育ってきた時代も違う…

 だから、同じ本、同じ映画を見ても、同じように、楽しめない…

 世代が、違うから、面白いと思うものが、違う…

 仮に、この菊池リンも、今の諏訪野伸明と同じ42歳になれば、同じ本を読み、同じ映画を見て、面白いと思うかもしれない…

 だが、今は、無理…

 できない…

 もしかしたら、それをわかっているのかもしれない…

 だが、あの佐藤ナナが、伸明にちょっかいを出すのが、悔しく、許せないと、思って、伸明と、結婚すると、勝手に言い出したのかもしれない…

 私は、考えた…

 そして、その日は、それで、別れた…

 それ以上、話題が続かなかったことが大きい…

 菊池リンにとって、敵=ライバルは、佐藤ナナであって、私ではないからかもしれない…

 本当は、今現在、伸明と交際しているのは、私なのだから、ライバルは、私なのだが、彼女には、違うのだろう…

 私は、そんなふうに思った…


 そして、その数日後、仰天のニュースが、私の目に飛び込んだ…

 諏訪野伸明と、佐藤ナナの婚約が、発表されたのだ…

                
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