第28話

文字数 9,112文字

 私は、窓際で、外の、マスコミ関係者と、思われる人間を、見ながら、ナオキに、呟いた…

 「…ナオキ…あのひとたちを、呼んだのは、その米倉かしら?…」

 「…どういう意味?…」

 「…なんと言っていいか、わからないけれども、なんか、もっと裏があるような…」

 「…裏?…」

 「…そもそも、重方(しげかた)さんは、どうして、追放されたのかしら?…」

 「…それは、重方(しげかた)氏が、自民党で、菊池派を立ち上げようとしたり、伸明さんを、追放して、自分が、五井家の当主になろうとするからだろ…」

 「…でも、さっきも言ったように、なにか、きっかけがなければ、そんなこと、しようと、思わなかったでしょ?…」

 「…それは、米倉兵造の口車に乗ったから…」

 「…でも、その米倉兵造の背後に誰か、いても、いいんじゃないの?…」

 「…どういう意味? 米倉兵造もまた、誰かに操られていたとでも、言うの?…」

 「…菊池重方(しげかた)さん…実は、先日、会ったの?…」

 「…重方(しげかた)氏に、綾乃さんが?…」

 ナオキが、驚いた…

 「…少なくとも、バカじゃないわ…」

 「…どういうこと?…」

 「…米倉兵造の口車に乗って、五井家の当主になりたいと、思ったかもしれないけれども、中身のない人間じゃない…」

 「…」

 「…少なくとも、私よりは上…優れている…」

 「…どうして、綾乃さんに、そんなことがわかるの?…」

 「…菊池リン…」

 「…リンちゃん?…」

 「…彼女が、私に差し向けた五井家のスパイだったことを、知っていた…」

 「…」

 「…そして、私の正体も…」

 「…綾乃さんの正体?…」

 「…私が、寿綾乃を名乗る女であり、本名は、矢代綾子だということ…そして、それを知らなかった建造さんが、私を血の繋がった自分の娘だと密かに疑っていたこと…それゆえ、菊池リンを使って、私の動静を見張っていたこと…その他諸々を知っていた…」

 「…」

 「…だから、少なくとも、無能な人間ではない…」

 「…だったら、どうして、五井家は、重方(しげかた)氏を追放しようとしたんだ?…」

 「…おそらくは、伸明さんの邪魔になるから…」

 「…諏訪野さんの?…」

 「…重方(しげかた)氏は、たぶん、無能ではないが、尻が軽いと言うか…」

 「…どういう意味?…」

 「…だって、簡単に、米倉平造の口車に乗って、五井家の当主になりたいと、思う人間でしょ? 女じゃないけれども、尻が軽すぎるというか…」

 「…」

 「…きっと、そんな人間を、五井家から、追い出したかったんじゃないのかな…」

 私の発言に、

 「…」

 と、ナオキは、黙った…

 それから、私同様、窓際から、外に集まったマスコミ関係者を眺めながら、言った…

 「…ということは、まだまだ、これから、ひと騒動ありそうだな…」

 「…ひと騒動どころか、いくつも、騒動があるに決まっている…」

 私は、笑った…

 「…どうして、綾乃さんに、それがわかるの?…」

 「…重方(しげかた)氏が、無能じゃないからよ…」

 「…」

 「…当然、反撃してくる…」

 「…」

 「…さっき、ナオキが言った、五井家を追放されることを、裁判に訴えると言ったのは、序の口…まだまだ、なにをするか、わからない…」

 「…」

 と、ナオキは、黙った…

 が、

 それから、しばらくして、

 「…怖いね…」

 と、笑った…

 「…怖い? …なにが、怖いの?…」

 「…女の勘…綾乃さんの勘さ…」

 「…私の勘?…」

 「…これから、起こる騒動を予見している…」

 「…私じゃなくても、誰でも、それぐらいは、わかる…」

 私は、笑った…

 「…たしかに、そうかもしれない…でも、重方(しげかた)氏が、無能か、どうか、短時間、接しただけで、見抜けるのは、綾乃さんの能力だと思う…」

 「…」

 「…少なくとも、このバトルは、すぐには、決着がつかないんじゃないかな…」

 「…どういう意味?…」

 「…重方(しげかた)氏が、無能じゃないとすれば、当然、反撃の手を打つはずさ…」

 「…」

 「…それに、重方(しげかた)氏の出身母体である、五井東家…これに、力を貸す、他の五井家の分家があっても、おかしくはない…」

 「…」

 「…五井の分家は、十三家…それぞれが、独立している…重方(しげかた)氏に加担して、五井本家を乗っ取ろうとする、他の分家がいても、おかしくはない…」

 「…」

 「…と、まあ、五井家のみ見ても、騒動は、終わらないかもしれない…さらには、政界…重方(しげかた)氏は、自民党で、大場派の幹部だった…人脈がまったくないとは、思えない…さらには、財界…米倉平造は、食わせ者だ…得体の知れない人物とまでは、いわないが、その力量は、侮れない…果たして、五井家は、その米倉平造と、どう折り合いをつけるのか…」

 私は、ナオキの言葉に、唖然とした…

 まさか、ナオキが、そこまで、言うとは、思わなかったからだ…

 「…つまりは、もしかしたら、今回、重方(しげかた)氏を追放することで、五井家は、パンドラの箱を開けてしまったかもしれないということさ…」

 「…パンドラの箱…」

 「…重方(しげかた)氏を追放するのは、いい…でも、それをすることで、なにが、起こるのか、正確に見極められなかった可能性もある…」

 「…」

 「…ヤクザの親分でも、国家の指導者でも、同じさ…スナイパーというか、殺し屋を使って、殺すのはいい…でも、その後、どうなるか?…」

 「…どういうこと?…」

 「…ヤクザでいえば、トップを殺されれば、面子が立たないから、敵対する暴力団同士の血みどろの戦いになる…国家も同じ…下手をすれば、戦争になりかねかい…」

 「…」

 「…だから、重方(しげかた)氏を追放するにしても、五井家は、果たして、そこまで、考えて、手を打ったのか? 甚だ、疑問だ…」

 「…ナオキ…アナタに、どうして、それが、わかるの?…」

 「…今、この窓の下から見える、マスコミ関係者…彼らが、ここに集まってるのが、その証拠さ…」

 「…」

 「…仮に重方(しげかた)氏を追放するにしても、もっとうまくやれば、マスコミもここには、来なかっただろう…」

 たしかに、言われてみれば、ナオキの言う通りだった…

 これは、見方を変えれば、昭子の焦りの表れかもしれない…

 私は、とっさに、気付いた…

 もっと、時間をかけて、うまくやる方法が、あっただろうに、失敗した可能性が高い…

 それとも、これは、織り込み済みなのだろうか?

 ふと、思った…

 仮に、重方(しげかた)が、それほど、無能でないことを、知っているのならば、重方(しげかた)氏を追放するような真似をすれば、下手をすれば、返り血を浴びかねない…

 それほどの危険がある…

 にもかかわらず、もしや、それがわかっていても、重方(しげかた)氏を追放するとすれば、このまま、放っておけば、伸明の今後に影を落とすと見るのが、普通…

 ならば、今のうちに、重方(しげかた)を、排除しようとしたのかもしれない…

 私は、思った…


 結局、その日は、そのままで、ナオキは、帰った…

 私は、ナオキが帰ったあとも、五井家の騒動のことを、考え続けていた…

 たしかに、おかしい…

 重方(しげかた)は、無能なようなことを、昭子も、そして、重方(しげかた)の息子の、冬馬も言っていたが、決して、無能な人物とは、思えなかった…

 そして、それを考えれば、謎がある…

 一体、どうして、重方(しげかた)を、無能呼ばわりするのか?

 その謎だ…

 私は、考える…

 そして、そこから導き出される答えのヒントは、無能であると思わせることで、どんなメリットがあるか、どうかということかもしれない…

 …それを考えた…

 つまりは、相手を過小評価することで、どんなメリットがあるか、否かだ…

 そのメリットは、おそらく、相手にケンカを仕掛けやすいということなのではないか?

 要するに、相手が弱いと思えるから、
 
 オレなら、勝てる…

 アタシなら、勝てる…

 と、考える…

 そして、その結果、ケンカになっても、簡単に勝てないか、下手をすれば、負ける…

 そういうことだ…

 つまりは、昭子は、重方(しげかた)の能力を見誤ったわけではない…

 もしかしたら、重方(しげかた)の能力は低いと、周囲に吹聴することで、真逆に、重方(しげかた)を、追放する協力者を得ようとしたのではないか?

 ふと、気付いた…

 誰もが、アイツは、強い、

 手ごわいと、わかっている相手にケンカを売るバカはいない…

 自分より、弱い…

 あるいは、

 自分ならば、ケンカをしても勝てると、思うから、ケンカをするのだ…

 最初から、勝てない相手にケンカは、売らない…

 つまり、アイツは、弱いと周囲に吹聴することで、容易に、仲間を集めやすくなるということだ…

 この際の仲間というのは、いっしょに、重方(しげかた)を、追放することに、協力する仲間…

 真逆にいえば、仲間を得なければ、重方(しげかた)に、対抗できないということだ…

 私は、思った…

 結局、病院の外に集まったマスコミ関係者も、いつのまにか、いなくなった…

 当たり前だが、冬馬は、コメントは、一切しなかった…

 代わりに、といえば、いいのか、警察がやって来た(笑)…

 なにより、ここは、五井記念病院…

 緊急時の救急車等が出入りする、病院だ…

 マスコミ関係者が、集まっては、迷惑この上ない…

 下手をすれば、救急車で、運ばれてくる、病人の生死に関わるかもしれない…

 だから、警察のひとたちに、説得されて、マスコミ関係者は、渋々、引き下がった…

 が、

 この様子は、当然、テレビのワイドショーで、放送された…

 この放送を見た、一般の視聴者の中には、警察が言うように、病院にマスコミ関係者が集まることに、批判をしたものもいた…

 緊急車両の搬送に邪魔になるかもしれないからだ…

 しかしながら、それ以上に話題になったというか、最大の功績は、テレビに、五井記念病院が、映ったことだった…

 五井記念病院の、圧倒的に巨大な建物が、テレビに映った…

 そして、その五井記念病院の理事長の父親が、五井家から、追放されることが、発表された…

 五井記念病院の巨大な建物が、五井の力を表していた…

 五井家の力を表していた…

 いかに、お金を持っているか?…

 いかに、権力を持っているか?…

 それを表していた…

 といっても、普通は、なにか、目に映るものが、なければ、わかりづらい…

真逆に言えば、目に映るものがあれば、誰にもわかりやすい…

 目に映るもの=それが、この五井記念病院だった…

 この病院の建物が、テレビに映ることで、それまで、五井を知るものが、なかったものでも、否が応でも、五井の力を知ることになった…

 その結果、世間の耳目を集めることになった…

 あんな巨大な病院の理事長をしている一族の内紛ということで、誰もが、注目することになった…

 それが、今回の一番の功績だった(笑)…


 その日は、そんなことを、考えて、終わったが、次の日に、担当の看護師の佐藤ナナと、
連れ立って、リハビリルームに向かうときに、偶然、病院の廊下で、理事長の菊池冬馬と会った…

 私は、軽く、会釈して、その場をやり過ごそうとした…

 だが、思いがけず、冬馬が、私を呼び止めた…

 「…寿さん…」

 「…ハイ…」

 まさか、冬馬が、私に声をかけてくるとは、思わなかった…

 私は、身構えた…

 一体、菊池冬馬は、なにを、私に話しかけてくるのだろうか?

 「…先日は、父が、お世話になりました…」

 いきなり、冬馬が言った…

 まさに、ボクシングでいえば、いきなりジャブを繰り出されたようなもの…

 思いもかけない攻撃だった…

この前の、私と、冬馬の父の重方(しげかた)との密会? を目撃したと、報告したも同然だったからだ…

 やはり、あの場で、見ていたのは、冬馬だったのか?

 あらためて、思った…

 と、同時に、私は、一瞬、どう言えば、いいか、悩んだ…

が、

 「…いえ…」

 と、軽く頭を下げるだけにした…

 それが、一番、無難と言うか…

 ありきたりだが、無難な対応と、思えたからだ…

 当然、冬馬もまた、なにか、無難な対応を見せるかと、思った…

 が、

 違った…

 「…寿綾乃…」

 いきなり、私の名前を呼び捨てにした…

 「…アンタには、つくづくイライラさせられる…」

 …イライラ?…

 どういう意味?

 私は、驚いた…

 まさか、菊池冬馬の口から、イライラさせられると、いう言葉が、出てくるとは、思わなかったからだ…

 が、

 言葉は、悪いが、その言葉が、私の闘志に火をつけたというか…

 カッと、頭に血が上った…

 「…イライラ? …なにに、イライラするんですか?…」

 私は松葉杖を付きながら、冬馬に食ってかかった…

 まさに、傍から見れば、コメディ…

 コメディ=喜劇だ…

 松葉杖を付いた女が、長身の白衣を着た、男と、やりあってるのだ…

 普通に考えれば、とても、私に、勝ち目がないに決まっている…

 自分でも、それが、わかっているが、自分でも、自分を止めることができなかった(苦笑)…

 傍から見れば、見世物…

 まるで、見世物扱いされるに、決まっている…

 それが、自分でも、十分わかっているにも、かかわらず、自分を止めることができなかった(笑)…

 「…答えてください…」

 私が、怒って、長身の冬馬に、食ってかかると、

 「…ちょっと、寿さん…止めて…」

 と、傍らの佐藤ナナが、私の服を引っ張った…

 が、

 私は、それを無視した…

 自分でも、呆れるぐらい、冬馬の言葉に頭にきていた…

 「…一体、私のどこが、イライラするんですか?…」

 「…寿綾乃…アンタの存在そのものが、イライラするんだ…」

 冬馬が、ぶちまけた…

 「…存在そのもの?…」

 私は、頭に来たが、

 …さもありなん…

 と、納得するものが、あった…

 それを言えば、私自身も、この菊池冬馬の存在に、イライラさせられていた…

 要するに、お互いが、お互いを気に入らないのだ…

 「…寿綾乃…アンタのおかげで、伸明さんは、リンちゃんと、結婚できなかった…」

 意外なことを、口にした…

 「…父も、アンタのせいで…」

 「…私のせい?…」

 「…そう…アンタのせいで、五井家から、追い出された…」

 「…」

 「…アンタは、つくづく疫病神だ…」

 冬馬が、昂った感情のまま、一気に、私に、吐き出した…

 「…そして、その疫病神が、ボクが、理事長を務める病院に入院してる…正直、顔も見たくない…」

 「…顔も見たくない?…」

 それは、こっちのセリフだった…

 「…だったら、この病院の理事長をお辞めになればいい…」

 思わず、私は、言った…

 「…五井家の昭子さんに言って、辞めれば、いい…」

 私が、言うと、

 「…やはり、それを持ち出したな…」

 と、冬馬が、我が意を得たと、ばかりに、言った…

 「…寿綾乃…アンタの目論見は、わかっている…」

 「…なにが、わかってるんですか?…」

 「…アンタは、ボクをこの病院から、追い出すのが、役割だ…」

 「…この病院から、追い出す?…」

 「…昨日、この病院が、テレビに映った…」

 「…それが、どうしたんですか?…」

 「…アレで、ボクが、この五井記念病院で、身の置き所がなくなった…」

 「…どうして、ですか?…」

 「…父の追放が、ここまで、騒がれて、ボクが、のうのうと、この病院の理事長の座に居続けられるとは、思わない…」

 …それでか?…

 私は、気付いた…

 ここで、私とやりあえば、当たり前だが、この騒動が、伸明なり昭子なりの耳に入るに決まっている…

 それを承知で、冬馬は、私を相手にケンカを売っているのだ…

 いや、

 やけのやんぱちというか、自暴自棄になっているのだ…

 どうせ、自分は、近々、五井家を追放されるに決まっている…

 あのテレビの放送で、それが、わかったから、一言、この病院を去る前に、私に、文句を言いたかったに違いない…

 が、

 それに気付くと、なんだか、冬馬が哀れに思えてきた…

 私の怒りも急激にトーンダウンした…

 それまでは、まるで、やる気まんまんで、リングに上がっていたのが、急速に、やる気がなくなった…

 それと、似ていた…

 「…どうした、寿綾乃?…」

 冬馬が訊いた…

 「…なぜ、黙ってる?…」

 「…敗者にかける言葉はありません…」

 私は言った…

 「…敗者?…」

 「…だって、そうでしょ? 冬馬さん…アナタは、五井を追い出されるかもしれないと、わかったから、この衆人環視の中で、私にケンカを売った…少しでも、世間の耳目を引くためです…」

 私の言葉通り、この病院の廊下で、少なからぬ人数の人間が、足を止めて、私と冬馬のやりとりを見ていた…

 「…どうせ、五井家を追放されるなら、少しでも話題になりたい…そのために、今、ここで、わざと、私にケンカを売った…これが、マスコミに知れれば、五井記念病院の理事長、菊池冬馬が、病院の廊下で、ケンカを売った相手は、誰かということになる…」

 「…」

 「…そして、その相手は、五井家当主、諏訪野伸明と結婚するかもしれない女…これ以上、話題作りとしては、最適な相手はいない…」

 私の言葉に、冬馬は、

 「…」

 と、沈黙した…

 「…自分の理事長からの退任と軌を一にして、私をわざとケンカを売って、伸明さんや、昭子さんに、傷をつけようとするのは、あまり賢明な手段とは、思えませんね…」

 私の言葉に、冬馬は、

 「…」

 と、沈黙したままだった…

 「…冬馬さん…」
 
 私は、沈黙を続ける冬馬に、声をかけた…

 「…負けを認めるのは、簡単です…」

 「…」

 「…だから、簡単じゃない道を選ぶのが、冬馬さんらしいんじゃないんですか?…」

 私の言葉に、冬馬が、苦笑した…

 「…なにもかも、お見通しということか…」

 私は、答案の言葉に、

 「…」

 と、なにも、答えなかった…

 「…たしかに、あの昭子さんに気に入られるだけのことはある…」

 「…」

 「…あの策士のばばあに…」

 そう言うと、踵を返して、歩きだした…

 思わず、

 「…エッ?…」

 と、言いたいほど、呆気なく、この場を去った…

 私が、松葉杖をついてなければ、

 「…なにか、言いたいことはないの?…」

 と、走って、冬馬に追いついて、聞きたいほどだった…

 が、

 それは、できなかった…

 そして、なにより、ぐるりと、周囲を見渡すと、この廊下で、私と、冬馬のやりとりを見ていた人間の多さに、驚いた…

 あらためて、思った…

 優に、二十人は、超えてる…

 いや、

 三十人は、超えてるかもしれない…

 これでは、まるで、テレビや映画のロケ現場のようだ…

 よくぞ、これだけのギャラリーに気付かず、冬馬と言い争いになったものだ…

 我ながら、驚いたというか…

 つくづく自分は、周囲の状況を見る力がないと実感した…

 これだけのギャラリーに見られてることに、気付けば、さすがに、いかに、私とて、公然と、この場で、冬馬にケンカを売らなかった(苦笑)…

 つくづく自分の思慮のなさに、唖然とする(苦笑)…

 自分のバカさ加減に、唖然とした…

 そして、それは、佐藤ナナも同じだったようだ…

 「…寿さん…驚きました…」

 佐藤ナナが言った…

 「…まさか、廊下で、理事長にケンカを売るなんて、思いませんでした…」

 私は、佐藤ナナの言葉に、どう言っていいか、わからなかった…

 だから、

 「…」

 と、沈黙した…

 「…寿さんって、落ち着いた見かけによらず、案外、ケンカっぱやいんですね…」

 「…ケンカっぱやい?…」

 「…だって、そうでしょう…こんな病院の廊下で、理事長とやり合うなんて…」

 言われて見れば、まさにその通り…

 言葉もなかった…

 「…まさか、こんな場所で、寿さんが、理事長とケンカするなんて、思いませんでした…」

 佐藤ナナが、繰り返す…

 私は、返す返すも、言葉もなかった…

 「…ひとは、見かけによらないものです…」

 佐藤ナナが、ダメ出しをした…

 私は、苦笑するしかなかった…

 「…でも、そんな寿さんが、好きです…」

 「…私が好き?…」

 思いもよらない言葉だった…

 「…今まで、寿さんは、完璧な人間と思ってました…」

 「…完璧な人間?…」

 「…だって、一般人にもかかわらず、あの藤原ナオキ氏の秘書で、五井家当主の諏訪野伸明さんの、お嫁さん候補…」

 「…」

 「…しかも、クルマに轢かれて、意識不明で、この病院に運び込まれたにも、かかわらず、三か月もすると、松葉杖をついて、歩いている…」

 「…」

 「…まさに、スーパーウーマンです…」

 佐藤ナナが、感嘆した…

 私は、一瞬、佐藤ナナが、私をからかっているのかと、思った…

 皮肉っているのかと、思った…

 だが、

 そうでは、なかった…

 真剣だった…

 「…そんな、スーパーウーマンの寿さんでも、こんな一面があるのかと思うと、なんだか、安心して…」

 佐藤ナナが、苦笑する…

 私は、

 「…」

 と、言葉もなかった…

 私が、つい、頭にきて、本能の赴くまま、菊池冬馬とやりあったことを、この佐藤ナナが、そんなふうに、感じたとは、思わなかった…

 そして、次に、佐藤ナナが、もっと、意外なことを言った…

 「…寿さん…」

 「…なに?…」

 「…理事長は、案外、寿さんを好きなのかもしれないですよ…」

 「…私を好き?…」

 …そんなバカな?…

 私は、内心、吹き出す寸前だった…

 「…佐藤さん…好きな女に、公然とケンカを売る男が、どこの世界にいるの?…」

 「…それですよ…」

 「…それって?…」

 「…好きの反対は、なにか、知ってますか?…」

 「…嫌いじゃないの?…」

 「…違います…」

 「…違う?…」

 「…好きの反対は、無関心です…」

 「…無関心?…」

 「…つまり、興味がないってことです…」

 佐藤ナナが、断言した…

 「…じゃ、嫌いは、なんなの?…」

 「…好きの次に、興味があるってことです…」

 「…興味がある?…」

 「…心底、嫌いな人間には、誰も、興味を持ちませんよ…」

 言われてみれば、その通りだった…

 「…好きでなくとも、理事長は、寿さんに、興味は持ってる証拠です…」

 「…興味は、持ってる?…」

 「…だって、五井家当主夫人になるかもしれない、女じゃないですか? 寿さんは…どんな女か、興味を持つのが、普通です…」

 佐藤ナナが、笑った…

 言われてみれば、これも、その通り…

 その通りだった…

 そして、気が付くと、いつのまにか、周囲のギャラリーは、いなくなっていた…

 これも当たり前だった…

                

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み