第53話

文字数 7,121文字

 …オマエは、ボクの弟って?…

 一体全体、どういうこと?

 私は、驚いた…

 あの菊池冬馬が、伸明の弟って、一体?…

 菊池冬馬は、伸明の母、昭子の弟である、菊池重方(しげかた)の息子…

 つまりは、冬馬は、伸明の従弟に当たる…

 それが、一体、なぜ、弟なんだろ?

 私は、思った…

 だから、これは、聞くべきなのか?

 それとも、聞いてはまずいのか?

 スルーすべきか?

 考えた…

 が、

 結局、聞くことは、諦めた…

 伸明は、今、冷静で、いられない…

 普通の状態でないからだ…

 このタイミングで、伸明に、

 「…どうして、冬馬さんが、伸明さんの弟なんですか?…」

 と、聞けば、伸明が、なんと答えるか、わからない…

 ひょっとして、

 「…こんなときに、そんな質問は、しないで、下さい…デリカシーのない女だな!…」

 と、私に向かって、逆切れするかもしれない…

 誰だって、落ち込んで、悩んでいるときに、変な言葉を投げかければ、頭にくる…

 そういうことだ…

 だから、私は、

 「…」

 と、黙った…

 あえて、聞かなかったことにした…

 その方が後々、トラブルになる心配がないからだ…

 だから、私が、あえて、なにも言わずに黙っていると、伸明の方から、

 「…ちょっと、スイマセン…また、今度、電話します…寿さん、冬馬のこと、知らせてくださって、ありがとうございます…」

 そう言って、一方的に、電話を切った…

 私は、驚いたが、当たり前のことだった…

 すでに、これ以上、私と、電話を続けても、得るものは、なにもない…

 それよりも、他の人間と連絡を取って、冬馬の様子を探るのが、一番に違いない…

 冬馬が、自殺未遂を起こして、五井記念病院に入院しているのは、わかったが、具体的な症状は、わからないに違いない…

 だから、さまざまな関係者と連絡を取って、情報を得ることが、大切に違いない…

 そう思った…

 そして、なぜ、冬馬が、自殺未遂を起こしたのか?

 冷静に考えた…

 あまりにも、意外な展開だったからだ…

 冬馬は、五井家を追放されたにも、かかわらず、五井家に戻れた…

 それまでは、五井東家の御曹司…

 次の五井東家当主になる人物だった…

 しかしながら、従来評判が悪かったのと、同時に、父の重方(しげかた)が、自民党で、菊池派を立ち上げようとして、失敗…

 それが、伸明の母、昭子の逆鱗に触れ、父子共々、五井家から、追い出された…

 が、

 なぜか、冬馬だけ、五井家に復帰できた…

 といっても、以前とは、立場が違う…

 以前は、五井東家の御曹司だったが、戻っては、これたが、今度は、五井東家の入り婿…

 五井東家は、菊池リンが、継ぎ、その菊池リンと、結婚することで、彼女の夫となり、五井家に返り咲いた…

 ただし、当主は、菊池リン…

 菊池冬馬ではない…

 つまり、復帰はできても、当主としての権限は、失ったわけだ…

 となると、やはり、菊池冬馬が、自殺した原因は、これだろうか?

 せっかく、五井家に復帰はできても、やはり、これでは、嫌だったのだろうか?

 それとも、なにか、他に理由があるのだろうか?

 わからない…

 情報が少なすぎる…

 あまりにも、情報が、少なすぎる…

 これでは、正しい答えを得られない…

 そういうことだ…

 私は、悩んだが、いくら考えても、答えが出るものでも、なんでもなかった…

 元々、情報が少なすぎる…

 手元に、情報が少なすぎれば、真相を知ることはできない…

 推理をすることができない…

 パズルが少なければ、いくら悩んでも、パズルは、できあがらない…

正解を得られない…

 そういうことだ…

 それに、なにより、私は、五井一族でも、なんでもない…

 たとえ、菊池冬馬が、死んだとしても、私に、関係はない…

 そういうことだ…

 元々、冬馬と、私は、親しい間柄でも、なんでもない…

 私は、そう思った…

 が、

 そうではない…

 と、気付いた…

 冬馬が、死ねば、菊池リンは、フリー…

 今現在、冬馬と、菊池リンが、正式に、結婚しているか、どうかは、わからない…

 だが、菊池リンは、五井東家を継ぎ、本来、五井東家の後継者だった、冬馬は、菊池リンと、結婚することで、五井東家に戻れることになった…

 ただし、以前は、五井東家の次期当主…

 今度は、五井東家の当主の夫として、だ…

 断じて、当主ではない…

 あくまで、当主の夫という立ち位置…

 だから、それが、気に入らないので、自殺未遂を起こした可能性もある…

 いや、問題は、冬馬が、自殺未遂を起こしたことではない…

 冬馬と、菊池リンが、正式に、籍を入れているか否かは、わからないが、仮に冬馬が、死ねば、菊池リンは、フリー…

 諏訪野伸明と結婚することだって、できるということだ…

 つまり、こんなことは、言いたくないが、菊池リンは、私のライバルになる可能性が、あるということだ…

 だとすれば、最初に戻った?

 私は、考えた…

 以前は、伸明と、死んだ弟の秀樹は、共に、菊池リンを狙っていた…

 なぜなら、五井一族は、一族同士の結婚が、前提…

 五井の歴史は400年…

 一族同士で、結婚しなければ、血が薄くなってしまうからだ…

 一族とはいえ、先祖は、400年前…

 もはや、血の薄さでいえば、他人に近い…

 だから、一族の結束を固める意味でも、同じ一族同士での結婚を推奨する…

 当たり前のことだった…

 そして、五井本家の御曹司である、諏訪野伸明、秀樹兄弟の結婚相手は、一族内では、菊池リンしか該当者がいなかった…

 未婚で、二十歳を過ぎている女は、菊池リンしかいなかった…

 だから、伸明、秀樹兄弟は、菊池リンを狙った…

 そういうことだ…

 そして、伸明の弟、秀樹は、菊池リンと自分が結婚できないことを知ると、自ら、命を絶った…

 もはや、兄の伸明と、五井家当主の座をかけた争いに勝てないと、思ったからだ…

 が、

 結局、伸明は、菊池リンを選ばなかった…

 にもかかわらず、伸明は、五井家の当主の座に就いた…

 理由は、簡単…

 他に、当主の座に就くにふさわしい人材がいなかったからだ…

 前当主、建造の弟、義春が、建造の死後、当主の座を狙っていたが、自分が会長を務める、五井の関連会社の粉飾決算が、バレて、それで、追い込まれ、自殺してしまった…

 当主になるに当たり、自分が、会長を務める五井の関連会社が、赤字では、就任が、無理と思った義春は、粉飾決算に走った…

 それが、世間に暴露されて、逮捕され、追い込まれ、自殺してしまった…

 それゆえ、当主の候補者が、いなくなり、すんなりと、伸明が、五井家の当主の座に就くことができた…

 いわば、消去法というか…

 ライバルが、勝手にコケた末の当主就任だった…

 が、

 それゆえ、伸明は、ある意味、自由になれた…

 本当なら、菊池リンと結婚しなければ、当主になる資格がなかったにも、かかわらず、当主になれた…

 だから、伸明もそうだが、伸明の母、昭子もまた、私と、菊池リンを比べて、

 「…寿さんの方が適任…」

 と、断言した…

 つまりは、すでに、伸明は、五井家当主の座に就いた…

 だから、今さら、菊池リンを、伸明と結婚させなければ、ならない理由がなくなった…

 そういうことだ…

 が、

 それは、あくまで、伸明や、昭子の立場から、見た場合…

 五井本家から、見た場合に過ぎない…

 菊池リンは、五井東家当主の座に就いたかもしれないが、本音では、どう思っているか、わからない…

 五井東家の当主では、不満かもしれないからだ…

 本当は、伸明と結婚して、本家の当主夫人になりたいかもしれないからだ…

 私が、なぜ、そう思ったかと言うと、以前、私を見て、

 「…食えない女…」

 と、私を、菊池リンが、痛烈に批判したことがあったからだ…

 罵倒したといっていいかもしれない…

 そのときは、なぜ、菊池リンが、そう言ったのかは、わからなかったが、後日、五井記念病院に私が、入院したときの、担当看護師の佐藤ナナが、実は、五井南家の人間であることが、明らかになって、わかった…

 つまりは、佐藤ナナは、立場上、菊池リンと、同格ということになる…

 その佐藤ナナの正体を、私が、事前に知っていたに違いないと、疑念を持ったのだ…

 これは、一体なにを意味するのか?

 普通に考えれば、佐藤ナナに対して、菊池リンが、ライバル心を持っていることに他ならない…

 対抗心を持っていることに他ならない…

 なぜなら、菊池リンは、五井東家…

 佐藤ナナは、五井南家…

 出身は、同格…

 が、

 佐藤ナナは、その後、五井本家で、昭子の養女となることが、決まった…

 だから、佐藤ナナは、当主である、伸明の妹ということになり、事実上、菊池リンよりも、格が上ということになった…

 これは、菊池リンのプライドをいたく傷つけたことは、容易に、想像がつく…

 すると、菊池リンは、この先、どう行動するだろう?

 ふと、思った…

 もしかして?

 もしかして?

 諏訪野伸明との結婚に踏み切るのではないだろうか?

 漠然と、そう思った…

 そうすれば、菊池リンは、佐藤ナナに勝つことができる…

 突然、五井家に現れ、五井本家の養女となり、事実上、自分より、地位が上になった佐藤ナナを見て、誰もが、菊池リンの立場に立てば、面白いはずがない…

 しかも、

 しかも、だ…

 二人は、似ている…

 年齢、ルックスともに、似ている…

 共に、愛くるしく、頼りないキャラ…

 いや、

 佐藤ナナは、菊池リンよりも、ベトナム人とのハーフなので、目鼻立ちがしっかりしていて、華やかな美人だ…

 ただし、同じように、愛くるしい…

 また、佐藤ナナは、菊池リンに比べ、しっかりしている…

 同じように愛くるしいが、菊池リンほど、頼りなくはない…

 つまりは、二人を比べれば、佐藤ナナの方が、菊池リンよりも上ということになる…

 そう考えれば、余計に、菊池リンが、面白いはずがない…

 だから、五井家で、佐藤ナナよりも、地位が上になるために、諏訪野伸明との結婚を画策しても、おかしくはない…

 そう思った…

 これまでは、菊池リンは、諏訪野伸明との結婚を嫌がった…

 年齢が、二十歳近く離れているからだ…

 しかし、状況が変わった…

 そして、状況が変われば、ひとの気持ちも変わる…

 そう考えても、おかしくはない…

 以前の菊池リンは、上昇志向とは、無縁の存在…

 お金持ちの、かわいいお嬢様だった…

 が、

 状況が、違えば、ひとは、変わる…

 いつまでも、ただの可愛らしいお嬢様ではいられない…

 そういうことだ…

 ただ、普通は、5年、10年と、ゆっくりと時間をかけて、変わってゆくのが、今回は、短期間に状況が変わったから、それに対応して、短期間に、人格が変わった…

 そういうことだろう…

 何度もいうが、いつまでも、かわいいお嬢様では、いられない…

 二十歳のときは、それでいいが、三十歳、四十歳と、歳を取っても、中身が、同じでは、ただのバカだと思われかねない(笑)…

 極端な話、40歳になって、二十歳のときと、同じ視点で、物事を捉えられては、堪ったものではない…

 そういうことだ…

 菊池リンは、おそらく、佐藤ナナの存在が、彼女を変えたのだろう…

 自分と似た、存在の佐藤ナナ…

 仮に、私が、菊池リンでも、佐藤ナナの存在が、明らかになれば、動揺する…

 正常な感覚ではいられないかもしれない…

 それゆえ、自分でも、それまで、思ってもみない感情が、内から湧き上がってくる可能性がある…

 ずばり、佐藤ナナに対する対抗心…

 嫉妬の感情が、沸き起こっても、おかしくはない…

 と、ここまで、考えて、思い出した…

 だったら、一体なぜ、あのとき、菊池冬馬と、諏訪野マミは、私に、伸明との結婚を辞退してくれと、言いに来たか? ということだ…

 私は、考える…

 あのとき、菊池冬馬と、諏訪野マミは、佐藤ナナと、伸明の結婚を前提として、私に身を引いてくれ、と、頼んだ…

 佐藤ナナは、五井南家の出身だった…

 だから、佐藤ナナが、伸明と結婚することで、五井本家と、五井南家が、仲良くなる…

 ありていに、いえば、接近するというか…

 今の五井家は、五井本家と五井東家が、仕切っている…

 が、

 それは、五井十三家の中の二家…

 たった二家が、一族を仕切っている…

 これでは、他の十一家が、面白いはずがない…

 だから、反乱の火種ができる…

 米倉平造は、そこを突いた…

 だから、五井本家と、五井東家は、他の分家を味方に引き入れようとした…

 味方に引き入れる=親戚になる=血縁関係を結ぶ、だ…

 本来、いないと思われていた、佐藤ナナが、現れたことで、五井南家は、本家と縁戚関係を持つことができた…

 そして、あの時点では、佐藤ナナと、伸明が、結婚すると、諏訪野マミと、菊池冬馬は、思っていた…

 いや、

 確信していたといっていい…

 だから、私に、対して、

 「…伸明さんから、身を引いてくれ…」

 と、頼んできた…

 が、

 実際は、佐藤ナナは、伸明の妹となった…

 伸明の母、昭子の養女となることで、伸明の義理の妹になった…

 だから、五井本家と五井南家は、縁戚関係を結ぶことができた…

 しかしながら、菊池冬馬と、諏訪野マミは、佐藤ナナと、伸明が結婚するものと、考えていた…

 少なくとも、結婚する前提であったから、私に、

 「…伸明さんと、別れて…」

 と、言ってきたんだと、思う…

 と、すると、どうだ?

 なぜ、あのとき、諏訪野マミと、菊池冬馬が、私に、

 「…伸明さんと、別れて…」

 と、言ってきたのか?

 当たり前だが、誰かに頼まれてではないか?

 普通に考えて、諏訪野マミと、菊池冬馬が、勝手にしたとは、思えない…

 誰かに頼まれたから、した…

 そういうことだ…

 そして、普通に考えれば、その依頼者は、伸明の母、昭子の可能性が高い…

 五井家当主の諏訪野伸明の母、昭子の可能性が高い…

 なにより、昭子は、菊池冬馬の血の繋がった叔母であり、諏訪野マミにとっては、義理の母とも呼べる存在…

 諏訪野マミの母、五十鈴(いすず)は、亡くなった、昭子の夫であり、前五井家当主、建造の愛人だった…

 だから、伸明と、マミは、厳密には、血が繋がってない兄妹だ…

 兄の伸明は、父の建造と血が繋がってない…

 その建造の愛人の子供が、マミだからだ…

 しかしながら、マミの母、五十鈴(いすず)と、昭子の仲は、悪くないと聞いた…

 昭子は、女傑…

 そして、マミの母、五十鈴(いすず)もそれは、同じ…

 どちらの女も、小さなことを、気にする女ではない…

 そんな諸々の関係を頭の中で、整理すれば、やはりというか、あのとき、マミと冬馬の二人が、私に、

 「…伸明と、別れてくれ…」

 と、言わせたのは、あの昭子以外いなかった…

 つまりは、あの時点では、昭子は、伸明と、佐藤ナナを結婚させる腹積もりだったということだ…

 しかしながら、結果は、養女…

 伸明の妻ではなく、妹ということになった…

 これは、一体、どういうことか?

 普通に考えれば、伸明あるいは、佐藤ナナのどちらかが、結婚を嫌がったということだ…

 だとすれば、どちらが、結婚を嫌がったか?

 普通に考えれば、伸明の可能性が高い…

 なぜなら、伸明は、五井家当主…

 佐藤ナナよりも、立場が上だ…

 これが、一般人ならば、佐藤ナナが、断った可能性も高い…

 まだ、二十二、三歳の女が、二十歳近く、歳の離れた男との結婚を勧められ、承諾するはずが、ないからだ…

 しかし、佐藤ナナは、無名の一般人だった…

 いわば、財力に差がありすぎる…

 だから、普通に考えて、佐藤ナナから、伸明との結婚を断ったとは、考えにくい…

 なにより、佐藤ナナは、私が、諏訪野伸明や、藤原ナオキと親しく交際していると、わかると、嫉妬した…

 お金持ちのイケメンと、知り合いの私が、羨ましかったからだ…

 そんな佐藤ナナが、諏訪野伸明との結婚をちらつかされれば、自分から、断るとは、考えにくい…

 たとえ、二十歳ぐらい歳が離れていても、結婚を承諾するのではないか? と、思われる…

 だから、仮に、昭子が、伸明と佐藤ナナの結婚を望んでいても、伸明の方から、断った可能性が高い…

 と、

 ここまで、考えて気付いた…

 ならば、それは、菊池冬馬の自殺未遂になにか、関係があるのか否かと、いうことだ…

 いや、

 そうではない…

 問題は、そもそも、どうして、冬馬が、自殺未遂を起こしたか、だ…

 その過程で、以前、冬馬とマミが、二人で、私に、

 「…伸明さんから、身を引いて欲しい…」

 と、言われた…

 それを思い出したに過ぎない…

 大切なのは、冬馬が、なぜ、自殺未遂を起こしたか、だ…

 私が、そんなことを考えていると、スマホのベルが鳴った…

 …一体、誰からだろう?…

 考えながら、スマホに表示された名前を見る…

 …諏訪野マミ…

 からだった…

 思いがけない名前だった…

 同時に、今、もっとも、会いたい…

 いや、

 合わずとも、話したい人物だった…

 なぜなら、もしかしたら、マミは、冬馬の自殺の原因を知っているかもしれないからだ…

 私は、そんなことを、考えながら、スマホを持った…

 「…ハイ、寿です…」

 「…寿さん?…諏訪野マミです…」

 明らかに、スマホの向こう側から、見知った諏訪野マミの声が聞こえてきた…

 一体、これから、諏訪野マミは、どんなことを、言うのだろう?

 それを、考えると、胸がドキドキしてきた…

 「…寿さん…」

 と、諏訪野マミが、続けた…

 「…アナタ、ズルいわ…」

 思いがけない、諏訪野マミの言葉が、スマホの向こう側から、聞こえてきた…

                
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