第18話
文字数 8,688文字
…菊池重方(しげかた)…
恐ろしい男だ…
私は、あらためて、思った…
あの女傑の昭子が警戒するのが、よくわかる…
私が、そんなことを、考えていると、近くで、ナオキが、ニヤニヤと、笑っていることに、気付いた…
「…どうしたの? ナオキ…その顔…なにが、嬉しいの?…」
「…綾乃さんの顔…」
「…私の顔?…」
「…綾乃さんは、敵というか、自分に立ち向かってくる相手が、強ければ、強いほど、燃えるというか…」
ナオキが、苦笑する…
「…そんなベッドに横たわったまま、まだ歩くこともできないのに、表情だけは、戦闘態勢といおうか…」
私は、ナオキの言葉に、
「…」
と、絶句した…
同時に、思った…
同じことを言う…
あの諏訪野マミと同じことを言う…
私の表情を見て、ナオキもまた同じことを言った…
つまりは、諏訪野マミも、藤原ナオキも、思うことは、同じ…
私、寿綾乃を見て、同じことを、思ったのだ…
…戦士?…
あるいは、
…戦闘員?…
つまり、戦いに、心躍らせる…
私自身は、そんな気持ちは、毛頭ないが、二人とも、同じように、私を評価するということは、やはり、誰の目にも、私、寿綾乃が、戦闘要員? だと、思うのかもしれない…
私自身は、そんなことは、思ったことはないが、私が、信頼する、身近な二人が、同じように、思っている以上、それが、私、寿綾乃という女の評価なのかもしれなかった…
はっきり言って、単純に、ひとを貶(おとし)める発言を連発して、他人の悪口ばかり口にしている、人間が、言えば、なにを言われようと、まったく気にしない…
歯牙にもかけない…
なぜなら、大抵は、そんな人間は、コンプレックスの塊の人間が、大半だからだ…
学歴が、低い…
ルックスが、悪い…
家が、貧乏…
いわゆる、誰が見ても、他人様から、劣っているのが、すぐにわかるコンプレックスを抱えている…
すると、自意識が過剰になる…
いや、
おそらくは、本心では、自分が、他人様よりも、劣っているのが、わかっているから、自分を守るべく、自分が、優れている点を周囲にアピールするか、他人の悪口を言い続けるしか、ないのかもしれない…
誰が、見ても、劣っている…
だが、
それを認めることが、嫌だ…
できない…
だから、自分は、優れていると、吹聴する…
が、
他人は、当然のことながら、誰も、その人間を評価しない…
評価するのは、同じように、コンプレックスを抱えた、仲間のみ…
まるで、傷を舐め合うがごとく、コンプレックスを抱えたもの同士集まる…
そんな人間が、なにを言おうと、私は、なにも気にしない…
否、
私のみならず、大半の人間が、気にしないであろう…
コンプレックスが、性格の悪さに繋がり、似たような仲間を作る…
いわゆる、劣った集団が出来上がる…
会社でいえば、藤原ナオキが、会社を立ち上げたITバブルのときのように、景気が良いときは、それでも、会社に入社できるが、景気が悪くなれば、すぐにオサラバ=リストラとなる…
誰が見ても、いっしょにいるのが、嫌だからだ…
そんな人間が、なにを言おうと、なにをしようと、大方の人間は、気にしないが、この二人は、違う…
諏訪野マミと、藤原ナオキは、違う…
私の信頼する、この二人が、私を、
…戦闘要員?…
と、認定した以上、私は、ずばり、戦闘要員? なのかも、しれなかった…
信頼する二人が、そう評価する以上、それを否定することが、できなかった…
私が、そんなことを、考えていると、
「…綾乃さん…怒った?…」
と、ナオキが、私の顔色を窺うように、訊いた…
「…いいえ…」
私は、言った…
「…ウソォ?…」
ナオキが笑う…
「…どうして、ウソなの?…」
「…綾乃さんの顔が、怒ってる…」
「…顔が?…」
私が、唖然としていると、
「…でも、ボクはその顔が好き…その表情が好き…」
「…私の怒った表情が好き?…」
「…その表情が凛々しくて、カッコイイ…まるで、戦場に赴く兵士みたい…」
「…なにを、バカなことを、言ってるの…戦場に赴くのは、男…藤原ナオキ…アナタの役割…私は、女だから、それを見守るのが、私の役割…」
私の言葉に、ナオキが笑った…
「…綾乃さんに、それは、無理…」
「…無理…どうして?…」
「…その表情…生き生きしている…」
「…どういうこと?…」
「…綾乃さんが、どう否定しようと、綾乃さんは、戦士…だから、トラブルに、心躍らせる…」
「…」
「…そして、皮肉なことに、そのトラブルが、目の前に起こることによって、綾乃さんの病が、よい方向に向かってる…」
「…どういう意味?…」
「…目の前で、トラブルが起きることで、いつまでも、ベッドの上で、寝ていちゃ、ダメだと、自分自身に言い聞かせ、それが綾乃さんの闘争本能に、火が付ける…」
ナオキの言葉に、私は、
「…」
と、唖然とした…
と、同時に気付いた…
言い得て妙…
まさに、言い得て妙だ…
たしかに、五井家の内紛を耳にしたことで、おおげさに言えば、私の闘争本能に火をつけた…
いつまでも、こんなところで、ベッドの上で、寝ているわけには、いられないと、感じた…
これは、事実…
紛れもない事実だ…
そして、その気持ちが、一刻も早く、退院したいという気持ちに変わった…
いや、
行きついたというか…
とにかく、こんなところで、いつまでも、グズグズしているわけには、いかないと、思った…
が、
まさか、そんな気持ちが、私の病を良い方向に向かわせるとは、思わなかった…
病=癌の方ではない…
むしろ、交通事故…
交通事故からの回復を言っているのだ…
とにかく、いつまでも、こんなところで、寝ているわけには、いかない…
現実は、まだベッドから起き上がることもできないが、気持ちだけは、上向いたというか…
目標が出来た…
それが、いい方向に作用するということだ…
私は、思った…
「…トラブルが、綾乃さんの病を回復させるのならば、もっと、トラブルが、続けばいい…五井家の内紛が、広がればいい…」
ナオキが、言う…
「…ナオキ…そんなことを言っちゃダメ…」
「…どうして?…」
「…他人様の不幸を願ってはダメ…人を呪わば穴二つという言葉があるように、因果応報というか…決して、良い結末を迎えない…」
私の言葉に、ナオキは、子供のように、シュンとした…
「…たしかに、綾乃さんの言う通り…我ながら、大人げなかった…」
ナオキが口走る…
「…申し訳ない…」
「…わかれば、いいの…それとも、なにか、諏訪野さんに、恨みでもあるの?…」
「…あるさ…」
「…どんな?…」
「…綾乃さんを、この僕から奪ってゆくこと…」
ナオキが、微笑みながら、言う…
これでは、その言葉が、本気か、どうか、わからなかった…
たとえ、本気でも、どこまで、本気だか、わからなかった…
「…また、冗談がうまくなったわね…」
「…いや、冗談じゃない…」
ナオキが、真顔になった…
「…でも、嫌じゃない…」
「…どういうこと?…」
「…綾乃さんが、諏訪野さんと、結ばれて、幸せになれば、こんなに嬉しいことはない…」
「…」
「…自分が、惚れた女が、幸せになる…それを願うのが、本物の男さ…」
ナオキが言う…
私は、その言葉に、グッときた…
文字通り、本心から言っているのが、わかったからだ…
「…ナオキ…アナタ、女心をくすぐるのが、うまくなったわ…」
「…どういたしまして…それは、テレビのおかげ…」
「…テレビのおかげ?…」
「…テレビで、キャスターを務めたおかげで、女にもてまくり…その結果、どう女の前で、いえば、カッコよく見せれるか、わかった…」
ニヤニヤ笑って言う…
しかし、私には、それがウソであることが、わかった…
ただ、それを指摘するのも、大人げない…
ナオキが、私を元気づけようとしているのが、一番の目的だと、わかっていた…
そして、私の心の動きも…
いい、悪いは、別にして、今、私の心は、諏訪野伸明に、向かっている…
自分でも、それを、止めることができない(苦笑)…
たしかに、藤原ナオキは、好きだが、それは、妻や、恋人という関係よりも、むしろ、同士というか、昔からの仲間といった感情から…
もはや、男女の感情ではない…
それに比べ、私が、諏訪野伸明に感じているのは、男女の関係…
ひらたく言えば、男として、諏訪野伸明を見ている…
それに対して、藤原ナオキは、仲間、あるいは、同士として、見ている…
その違いだ…
どちらも、私にとって、大切な人間であることには、変わりないが、やはり、どうしても、感情としては、仲間よりも、恋愛感情が、勝つというか(笑)…
優先するというか(笑)…
思えば、藤原ナオキとは、すでに、十代のときから、男女の関係にあった…
それを思えば、ナオキは、たしかに、大切な人間だが、今さらというのは、ある(笑)…
いわば、藤原ナオキは、私にとって、昔ながらのパートナーというか、男女の違いはあれども、もっとも当てはまる言葉でいえば、古女房ともいうべき存在(笑)…
ぶっちゃけ、使い古した古女房よりも、新しい方がいい…
その方が新鮮だ…
たとえ、年齢は同じでも、新しい方が新鮮に感じる…
はっきり言えば、その感情は否定できない…
それが、藤原ナオキと、諏訪野伸明の差…
恋愛感情においては、どうしても、古いものより、新しいものの方が、新鮮というか…
心惹かれることが大きい…
古い人間は、どんなによい人間でも、今さら感がある(苦笑)…
それは、どんな人間か、よく知っているからだ…
それに比べ、新しい人間は、まだどんな人間か、わからない…
だから、ときめく…
ドキドキする…
それが、恋愛の醍醐味…
恋愛の楽しみに他ならない…
まだ、どんな人間か、わからないから、ドキドキするのだ…
どんな人間か、わかってしまったら、ときめきは、ない…
あるのは、安定というか…
十分、信頼できる相手であれば、それは、恋から、結婚に変わる…
あるいは、結婚という形にならなくても、同居して、生活を始める…
大抵は、そういう展開になるのが、大半だ…
と、ここまで、考えて、気付いた…
と、言うことは、どうだ?
要するに、藤原ナオキと、諏訪野伸明を自分の中で、比べて、どうだ?
それは、簡単にいえば、新旧の違いに、他ならないと、私は、言っているに過ぎない…
恋愛は、優先順位というか…
順番というか…
つまりは、つねに、新しい方が、新鮮で、ときめくと言っているに過ぎない(笑)…
突き詰めれば、ただの新しもの好き…
昔から、恋愛を重ねる人間は、男女ともに、そういう傾向がある…
要するに、なんでも、新しいものの方が、ときめく…
興奮するのだ…
それは、究極のところ、男でも、女でも、誰でもいいから、新しい人間と、一夜を共にすることに、行きつく…
誰でも、いいから、それまで、寝たことのない男女と、寝る…
セックスをする…
詰まるところ、それが、目的…
それが、辿り着く先に過ぎないからだ…
一夜を共にすれば、目的を果たす…
あるいは、私が、諏訪野伸明に対する感情もそれに近いかもしれない…
私は、思った…
私は、まだ、諏訪野伸明と、寝ていない…
キスだけ…
それが、究極のところ、藤原ナオキとの違い…
藤原ナオキとは、すでに十代のときから、そういう関係だった…
男女の関係だった…
それを思えば、諏訪野伸明を私が、好きな理由は、まだ、彼と寝ていないから…
それが、本当の理由だろうか?
それが、まだ、私自身、気付いていない理由だろうか?
思った…
が、
当然、答えはわからない…
諏訪野伸明と、飽きるほど、カラダを重ねて、抱き合えば、わかるのか?
飽きるほど、セックスをすれば、わかるのか?
否…
藤原ナオキ同様、今度は、その人柄を知って、同志となる…
恋人関係でなく、同志となる…
そうなるのか?
わからない…
それを言えば、究極のところ、一夜限りの関係が、例えば、3年、5年と続いたに過ぎない…
なにを言いたいかと言えば、一夜で飽きるのか、3年で、飽きるのか、5年で、飽きるのかの違いに他ならない…
それが、恋愛なのか?
寿綾乃の恋愛なのか?
一方で、そうも、感じる…
セックスを目的として、繋がる関係に過ぎないのかもと、思う…
それが、恋なのかとも思う…
互いのカラダを重ねることが、恋の行きつく先なのかとも思う…
それを、思えば、なんとも陳腐といおうか…
まるで、いい歳をした男が、金に飽かせて、あっちの女、こっちの女と、寝ているのと、同じかも?
と、自分自身を思う…
自分自身を省みる…
それが、寿綾乃の恋なのかとも思う…
そして、それが、寿綾乃の恋とすれば、それは、なんとも安っぽく、哀れな恋だと、私は思う…
が、
同時に、それもあり、なのかとも思う…
なぜなら、私、寿綾乃は、そんな大層な人間ではないからだ…
立派な人間ではないからだ…
まだ、一夜を共にしていない男と、寝ることが、恋と思う、愚かな女なら、それもありなのかとも思う…
所詮、私は、その程度の人間に過ぎないからだ…
私は、傍らの藤原ナオキを見ながら、そんなことを、考えた…
そして、その日を境に、少しずつだが、私の体調が、見る見る回復した…
劇的に回復したとは、いえないが、ベッドから起き上がることができ、少しだが、松葉杖を使えば、歩けるようにもなった…
これは、奇跡…
おおげさに言えば、奇跡に近かった…
これまでは、ひとりでは、ベッドの上でも、起き上がることもできなかった…
上半身だけでも、起き上がるのに、ひとの手を必要としていた…
それが、自分一人の手で、ベッドから、降り、わずかだが、松葉杖をついて、歩けるようになったとき、思わず、私の目から、涙が、溢れ出た…
これは、自分でも意外だった…
まさか、こんなことで、自分が、泣くとは、思わなかった…
自分が、涙を流すとは、思わなかった…
「…まさに、鬼の目にも涙ですよね…」
と、傍らにいた、看護師の佐藤ナナが、からかった…
ひとりで、歩けたが、当たり前だが、介助者というか、傍らに付き添う人間がいた…
私の場合は、これも、当然のことながら、その介助者は、看護師の佐藤ナナだった…
なにしろ、彼女が、私の担当だからだ…
担当の看護師だからだ…
私が、転ばぬように、手を貸しながら、私は、ゆっくりと、病院の廊下を歩いた…
初めて、歩いたときは、得も言わぬ感動を覚えた…
当たり前だが、歩くことは、普通、誰でもできる…
それが、できなくなったときから、再び、できるようになった…
この嬉しさは、体験したものしか、わからない…
誰もが、できたことでも、自分ができなくなった…
その悔しさというか、驚きというか、こんなことも、自分はできなくなった…
それが、哀れというか、自分自身、納得できなかった…
いや、
納得できるまで、時間がかったというべきか…
が、
とにかく、歩けるようになった…
たとえ、数歩でも、自分の足で歩けるようになった…
その事実が嬉しかった…
その現実が、嬉しかった…
だから、傍らの看護師の佐藤ナナに、
「…鬼の目にも、涙ですね…」
と、からかわれても、全然、平気だった…
なにより、佐藤ナナが、愛くるしい…
その可憐な容貌というと、言い過ぎだが、肌は浅黒いが、目鼻立ちが、キリっと整った、華のある顔から、出た、可愛い声は、とても、私をからかうような感じには、聞こえなかった…
今さらながら、年齢は、大切だと思う…
若さは、大切だと思う…
佐藤ナナが、皮肉を言っても、嫌にならない…
これでは、まるで、私は、中年オヤジ…
腹の突き出た中年オヤジが、会社の若い女のコを見て、デレデレしているのと、いっしょだ(苦笑)…
つい、佐藤ナナを見ると、自分でも、そんな気持ちになる…
だから、若さというのは、羨ましい…
それが、あと何年続くか、わからないから、羨ましいのだ…
そんなことを、考えていると、
「…寿さん…」
と、佐藤ナナが、声をかけた…
「…なに?…」
「…寿さん…私を好きみたいですね?…」
佐藤ナナが、笑いながら、言う。
私は、佐藤ナナに、いきなり、そんなことを、言われて、驚いた…
が、
それは、本心…
否定できない…
しかし、どうして、佐藤ナナが、そう思うのか、謎だった…
だから、
「…佐藤さん、どうして、そう思うの?…」
と、訊いた…
「…それは、簡単ですよ…」
「…簡単って?…」
「…寿さん…私を見る目が、優しいんですよ…」
「…優しい?…」
「…まるで、歳の離れた妹かなにかのように、優しい目で、私を見ている…」
佐藤ナナが、ニヤニヤと、微笑みながら、説明する…
私は、その佐藤ナナの言葉に、
「…」
と、言葉もなかった…
文字通り、反論できなかった…
たしかに、私は、佐藤ナナが好き…
可愛いと思う…
それが、あからさまに、表情に出ているのだろう…
それは、否定できない…
「…だから、私も、寿さんが好き…」
「…私を好き?…」
「…誰だって、自分を好きな人間を、嫌いなひとは、いないでしょ?…」
佐藤ナナが、ニヤニヤ、笑う…
…たしかに、その通り…
…当たり前だ…
自分を好きな人間がいて、その人間を嫌いになる、人間は、普通いない…
わかりやすい例で言えば、男女の恋愛が、一番あてはまる…
男が、女が好き…
女が、男が好き…
と、あれども、誰かが、自分を好きと、言ってくれれば、まず大抵の人間は、悪い気はしない…
たとえ、言葉にせずとも、好きな態度を見せ、
「…あの男のひと…いつも、寿さんを見ている…きっと、寿さんを好きなのよ…」
と、でも、学校の友人でも、会社の同僚でも、私に告げれば、悪い気はしない…
いわゆる、ストーカーで、粘着質な人間は、ごめんだが、普通に、私を好きだという態度を示せば、悪い気はしない…
私が、それまで、その人間を、好きでも、なんでもなかったとしても、悪い気はしない…
これは、誰もが、同じだろう…
その通りだろう…
ただ、あまりにも、しつこいと、困りもの…
「…ボクと付き合って下さい…」
と、言われ、こちらに、その気がないにもかかわらず、いつまでも、しつこく付きまとわれたら、困る…
まあ、これも、また経験したものも、多いだろう(苦笑)…
私が、そんなことを、考えていると、
「…寿さんって、しっかりしているように見えて、意外と、わかりやすいというか、子供っぽいんですね…」
佐藤ナナが、思いもかけないことを、口にした…
…子どもっぽい?…
…どうして、私が、子供っぽいんだろう?…
「…佐藤さん…どうして、私が、子供っぽいの?…」
私のガチな質問に、佐藤ナナが、笑った…
「…だって、寿さん…簡単に、心が読める表情をするんだもの…」
「…心が読める?…」
「…私を可愛いと、思って見る表情が、すごく、わかりやいんですよ…寿さんって、落ち着いた大人の女性に見えますが、案外子供っぽいというか、わかりやすいひとなんだなって…」
思いがけない言葉だった…
まさか、私が、佐藤ナナを、愛くるしいと、思って見ていることが、彼女から見れば、そんなふうに、私を思っていたなんて、思わなかった…
考えなかった…
つくづく、人間は、わからない…
ただ、可愛いと、思って見ていた、佐藤ナナが、こんなにも、鋭く、頭の回転が、速い娘だとは、思わなかった…
佐藤ナナが、頭が良いのは、わかっている…
外国生まれにも、かかわらず、完璧な日本語を話す…
だから、頭がいいのは、わかる…
だが、学問における頭の良さと、洞察力というと、おおげさだが、日常、使う、頭の良さは、違う…
今、佐藤ナナが、いみじくも指摘したように、ちょっとした仕草で、相手の考えを、見抜くのが、日常の頭の良さ…
たとえば、会社で、いえば、上司がなにを望んでいるか、あらかじめ、推測して、仕事を進めるのが、日常に発揮する頭の良さに他ならない…
どんな人間も、誰が、なにを言うのか、日常、接していれば、大抵わかる…
誰が、なにを、気にするか、わかる…
だから、それに先んじて、上司が、なにをすれば、喜び、なにをすれば、失望するか、考え、行動することが、日常の頭の良さに他ならない…
私は、それを思った…
と、同時に、警戒した…
菊池リンを思い出したのだ…
思えば、菊池リンは、佐藤ナナと、まったく同じだった…
その愛くるしいキャラクターから、私は、彼女に好意を抱き、警戒することなく、彼女に接した…
その結果、私の行動は、容易に彼女に監視されることになった…
それを、思い出した…
…これでは、以前と同じになる…
…菊池リンのときと、同じになる…
私の頭の中で、緊急警報といおうか、サイレンのベルが鳴った(笑)…
この佐藤ナナは、菊池リンと同じく、頭がいい…
しかも、その頭の良さは、菊池リンと、同じく、その愛くるしい、顔の中に隠されている…
だから、容易に見抜けない…
油断すれば、あっさりと、こちらが、足元をすくわれかねない…
その事実に気付いた…
そう思えば、二度と同じ過ちは、繰り返さない…
私は、それを心に刻んで、彼女に接すことにした…
恐ろしい男だ…
私は、あらためて、思った…
あの女傑の昭子が警戒するのが、よくわかる…
私が、そんなことを、考えていると、近くで、ナオキが、ニヤニヤと、笑っていることに、気付いた…
「…どうしたの? ナオキ…その顔…なにが、嬉しいの?…」
「…綾乃さんの顔…」
「…私の顔?…」
「…綾乃さんは、敵というか、自分に立ち向かってくる相手が、強ければ、強いほど、燃えるというか…」
ナオキが、苦笑する…
「…そんなベッドに横たわったまま、まだ歩くこともできないのに、表情だけは、戦闘態勢といおうか…」
私は、ナオキの言葉に、
「…」
と、絶句した…
同時に、思った…
同じことを言う…
あの諏訪野マミと同じことを言う…
私の表情を見て、ナオキもまた同じことを言った…
つまりは、諏訪野マミも、藤原ナオキも、思うことは、同じ…
私、寿綾乃を見て、同じことを、思ったのだ…
…戦士?…
あるいは、
…戦闘員?…
つまり、戦いに、心躍らせる…
私自身は、そんな気持ちは、毛頭ないが、二人とも、同じように、私を評価するということは、やはり、誰の目にも、私、寿綾乃が、戦闘要員? だと、思うのかもしれない…
私自身は、そんなことは、思ったことはないが、私が、信頼する、身近な二人が、同じように、思っている以上、それが、私、寿綾乃という女の評価なのかもしれなかった…
はっきり言って、単純に、ひとを貶(おとし)める発言を連発して、他人の悪口ばかり口にしている、人間が、言えば、なにを言われようと、まったく気にしない…
歯牙にもかけない…
なぜなら、大抵は、そんな人間は、コンプレックスの塊の人間が、大半だからだ…
学歴が、低い…
ルックスが、悪い…
家が、貧乏…
いわゆる、誰が見ても、他人様から、劣っているのが、すぐにわかるコンプレックスを抱えている…
すると、自意識が過剰になる…
いや、
おそらくは、本心では、自分が、他人様よりも、劣っているのが、わかっているから、自分を守るべく、自分が、優れている点を周囲にアピールするか、他人の悪口を言い続けるしか、ないのかもしれない…
誰が、見ても、劣っている…
だが、
それを認めることが、嫌だ…
できない…
だから、自分は、優れていると、吹聴する…
が、
他人は、当然のことながら、誰も、その人間を評価しない…
評価するのは、同じように、コンプレックスを抱えた、仲間のみ…
まるで、傷を舐め合うがごとく、コンプレックスを抱えたもの同士集まる…
そんな人間が、なにを言おうと、私は、なにも気にしない…
否、
私のみならず、大半の人間が、気にしないであろう…
コンプレックスが、性格の悪さに繋がり、似たような仲間を作る…
いわゆる、劣った集団が出来上がる…
会社でいえば、藤原ナオキが、会社を立ち上げたITバブルのときのように、景気が良いときは、それでも、会社に入社できるが、景気が悪くなれば、すぐにオサラバ=リストラとなる…
誰が見ても、いっしょにいるのが、嫌だからだ…
そんな人間が、なにを言おうと、なにをしようと、大方の人間は、気にしないが、この二人は、違う…
諏訪野マミと、藤原ナオキは、違う…
私の信頼する、この二人が、私を、
…戦闘要員?…
と、認定した以上、私は、ずばり、戦闘要員? なのかも、しれなかった…
信頼する二人が、そう評価する以上、それを否定することが、できなかった…
私が、そんなことを、考えていると、
「…綾乃さん…怒った?…」
と、ナオキが、私の顔色を窺うように、訊いた…
「…いいえ…」
私は、言った…
「…ウソォ?…」
ナオキが笑う…
「…どうして、ウソなの?…」
「…綾乃さんの顔が、怒ってる…」
「…顔が?…」
私が、唖然としていると、
「…でも、ボクはその顔が好き…その表情が好き…」
「…私の怒った表情が好き?…」
「…その表情が凛々しくて、カッコイイ…まるで、戦場に赴く兵士みたい…」
「…なにを、バカなことを、言ってるの…戦場に赴くのは、男…藤原ナオキ…アナタの役割…私は、女だから、それを見守るのが、私の役割…」
私の言葉に、ナオキが笑った…
「…綾乃さんに、それは、無理…」
「…無理…どうして?…」
「…その表情…生き生きしている…」
「…どういうこと?…」
「…綾乃さんが、どう否定しようと、綾乃さんは、戦士…だから、トラブルに、心躍らせる…」
「…」
「…そして、皮肉なことに、そのトラブルが、目の前に起こることによって、綾乃さんの病が、よい方向に向かってる…」
「…どういう意味?…」
「…目の前で、トラブルが起きることで、いつまでも、ベッドの上で、寝ていちゃ、ダメだと、自分自身に言い聞かせ、それが綾乃さんの闘争本能に、火が付ける…」
ナオキの言葉に、私は、
「…」
と、唖然とした…
と、同時に気付いた…
言い得て妙…
まさに、言い得て妙だ…
たしかに、五井家の内紛を耳にしたことで、おおげさに言えば、私の闘争本能に火をつけた…
いつまでも、こんなところで、ベッドの上で、寝ているわけには、いられないと、感じた…
これは、事実…
紛れもない事実だ…
そして、その気持ちが、一刻も早く、退院したいという気持ちに変わった…
いや、
行きついたというか…
とにかく、こんなところで、いつまでも、グズグズしているわけには、いかないと、思った…
が、
まさか、そんな気持ちが、私の病を良い方向に向かわせるとは、思わなかった…
病=癌の方ではない…
むしろ、交通事故…
交通事故からの回復を言っているのだ…
とにかく、いつまでも、こんなところで、寝ているわけには、いかない…
現実は、まだベッドから起き上がることもできないが、気持ちだけは、上向いたというか…
目標が出来た…
それが、いい方向に作用するということだ…
私は、思った…
「…トラブルが、綾乃さんの病を回復させるのならば、もっと、トラブルが、続けばいい…五井家の内紛が、広がればいい…」
ナオキが、言う…
「…ナオキ…そんなことを言っちゃダメ…」
「…どうして?…」
「…他人様の不幸を願ってはダメ…人を呪わば穴二つという言葉があるように、因果応報というか…決して、良い結末を迎えない…」
私の言葉に、ナオキは、子供のように、シュンとした…
「…たしかに、綾乃さんの言う通り…我ながら、大人げなかった…」
ナオキが口走る…
「…申し訳ない…」
「…わかれば、いいの…それとも、なにか、諏訪野さんに、恨みでもあるの?…」
「…あるさ…」
「…どんな?…」
「…綾乃さんを、この僕から奪ってゆくこと…」
ナオキが、微笑みながら、言う…
これでは、その言葉が、本気か、どうか、わからなかった…
たとえ、本気でも、どこまで、本気だか、わからなかった…
「…また、冗談がうまくなったわね…」
「…いや、冗談じゃない…」
ナオキが、真顔になった…
「…でも、嫌じゃない…」
「…どういうこと?…」
「…綾乃さんが、諏訪野さんと、結ばれて、幸せになれば、こんなに嬉しいことはない…」
「…」
「…自分が、惚れた女が、幸せになる…それを願うのが、本物の男さ…」
ナオキが言う…
私は、その言葉に、グッときた…
文字通り、本心から言っているのが、わかったからだ…
「…ナオキ…アナタ、女心をくすぐるのが、うまくなったわ…」
「…どういたしまして…それは、テレビのおかげ…」
「…テレビのおかげ?…」
「…テレビで、キャスターを務めたおかげで、女にもてまくり…その結果、どう女の前で、いえば、カッコよく見せれるか、わかった…」
ニヤニヤ笑って言う…
しかし、私には、それがウソであることが、わかった…
ただ、それを指摘するのも、大人げない…
ナオキが、私を元気づけようとしているのが、一番の目的だと、わかっていた…
そして、私の心の動きも…
いい、悪いは、別にして、今、私の心は、諏訪野伸明に、向かっている…
自分でも、それを、止めることができない(苦笑)…
たしかに、藤原ナオキは、好きだが、それは、妻や、恋人という関係よりも、むしろ、同士というか、昔からの仲間といった感情から…
もはや、男女の感情ではない…
それに比べ、私が、諏訪野伸明に感じているのは、男女の関係…
ひらたく言えば、男として、諏訪野伸明を見ている…
それに対して、藤原ナオキは、仲間、あるいは、同士として、見ている…
その違いだ…
どちらも、私にとって、大切な人間であることには、変わりないが、やはり、どうしても、感情としては、仲間よりも、恋愛感情が、勝つというか(笑)…
優先するというか(笑)…
思えば、藤原ナオキとは、すでに、十代のときから、男女の関係にあった…
それを思えば、ナオキは、たしかに、大切な人間だが、今さらというのは、ある(笑)…
いわば、藤原ナオキは、私にとって、昔ながらのパートナーというか、男女の違いはあれども、もっとも当てはまる言葉でいえば、古女房ともいうべき存在(笑)…
ぶっちゃけ、使い古した古女房よりも、新しい方がいい…
その方が新鮮だ…
たとえ、年齢は同じでも、新しい方が新鮮に感じる…
はっきり言えば、その感情は否定できない…
それが、藤原ナオキと、諏訪野伸明の差…
恋愛感情においては、どうしても、古いものより、新しいものの方が、新鮮というか…
心惹かれることが大きい…
古い人間は、どんなによい人間でも、今さら感がある(苦笑)…
それは、どんな人間か、よく知っているからだ…
それに比べ、新しい人間は、まだどんな人間か、わからない…
だから、ときめく…
ドキドキする…
それが、恋愛の醍醐味…
恋愛の楽しみに他ならない…
まだ、どんな人間か、わからないから、ドキドキするのだ…
どんな人間か、わかってしまったら、ときめきは、ない…
あるのは、安定というか…
十分、信頼できる相手であれば、それは、恋から、結婚に変わる…
あるいは、結婚という形にならなくても、同居して、生活を始める…
大抵は、そういう展開になるのが、大半だ…
と、ここまで、考えて、気付いた…
と、言うことは、どうだ?
要するに、藤原ナオキと、諏訪野伸明を自分の中で、比べて、どうだ?
それは、簡単にいえば、新旧の違いに、他ならないと、私は、言っているに過ぎない…
恋愛は、優先順位というか…
順番というか…
つまりは、つねに、新しい方が、新鮮で、ときめくと言っているに過ぎない(笑)…
突き詰めれば、ただの新しもの好き…
昔から、恋愛を重ねる人間は、男女ともに、そういう傾向がある…
要するに、なんでも、新しいものの方が、ときめく…
興奮するのだ…
それは、究極のところ、男でも、女でも、誰でもいいから、新しい人間と、一夜を共にすることに、行きつく…
誰でも、いいから、それまで、寝たことのない男女と、寝る…
セックスをする…
詰まるところ、それが、目的…
それが、辿り着く先に過ぎないからだ…
一夜を共にすれば、目的を果たす…
あるいは、私が、諏訪野伸明に対する感情もそれに近いかもしれない…
私は、思った…
私は、まだ、諏訪野伸明と、寝ていない…
キスだけ…
それが、究極のところ、藤原ナオキとの違い…
藤原ナオキとは、すでに十代のときから、そういう関係だった…
男女の関係だった…
それを思えば、諏訪野伸明を私が、好きな理由は、まだ、彼と寝ていないから…
それが、本当の理由だろうか?
それが、まだ、私自身、気付いていない理由だろうか?
思った…
が、
当然、答えはわからない…
諏訪野伸明と、飽きるほど、カラダを重ねて、抱き合えば、わかるのか?
飽きるほど、セックスをすれば、わかるのか?
否…
藤原ナオキ同様、今度は、その人柄を知って、同志となる…
恋人関係でなく、同志となる…
そうなるのか?
わからない…
それを言えば、究極のところ、一夜限りの関係が、例えば、3年、5年と続いたに過ぎない…
なにを言いたいかと言えば、一夜で飽きるのか、3年で、飽きるのか、5年で、飽きるのかの違いに他ならない…
それが、恋愛なのか?
寿綾乃の恋愛なのか?
一方で、そうも、感じる…
セックスを目的として、繋がる関係に過ぎないのかもと、思う…
それが、恋なのかとも思う…
互いのカラダを重ねることが、恋の行きつく先なのかとも思う…
それを、思えば、なんとも陳腐といおうか…
まるで、いい歳をした男が、金に飽かせて、あっちの女、こっちの女と、寝ているのと、同じかも?
と、自分自身を思う…
自分自身を省みる…
それが、寿綾乃の恋なのかとも思う…
そして、それが、寿綾乃の恋とすれば、それは、なんとも安っぽく、哀れな恋だと、私は思う…
が、
同時に、それもあり、なのかとも思う…
なぜなら、私、寿綾乃は、そんな大層な人間ではないからだ…
立派な人間ではないからだ…
まだ、一夜を共にしていない男と、寝ることが、恋と思う、愚かな女なら、それもありなのかとも思う…
所詮、私は、その程度の人間に過ぎないからだ…
私は、傍らの藤原ナオキを見ながら、そんなことを、考えた…
そして、その日を境に、少しずつだが、私の体調が、見る見る回復した…
劇的に回復したとは、いえないが、ベッドから起き上がることができ、少しだが、松葉杖を使えば、歩けるようにもなった…
これは、奇跡…
おおげさに言えば、奇跡に近かった…
これまでは、ひとりでは、ベッドの上でも、起き上がることもできなかった…
上半身だけでも、起き上がるのに、ひとの手を必要としていた…
それが、自分一人の手で、ベッドから、降り、わずかだが、松葉杖をついて、歩けるようになったとき、思わず、私の目から、涙が、溢れ出た…
これは、自分でも意外だった…
まさか、こんなことで、自分が、泣くとは、思わなかった…
自分が、涙を流すとは、思わなかった…
「…まさに、鬼の目にも涙ですよね…」
と、傍らにいた、看護師の佐藤ナナが、からかった…
ひとりで、歩けたが、当たり前だが、介助者というか、傍らに付き添う人間がいた…
私の場合は、これも、当然のことながら、その介助者は、看護師の佐藤ナナだった…
なにしろ、彼女が、私の担当だからだ…
担当の看護師だからだ…
私が、転ばぬように、手を貸しながら、私は、ゆっくりと、病院の廊下を歩いた…
初めて、歩いたときは、得も言わぬ感動を覚えた…
当たり前だが、歩くことは、普通、誰でもできる…
それが、できなくなったときから、再び、できるようになった…
この嬉しさは、体験したものしか、わからない…
誰もが、できたことでも、自分ができなくなった…
その悔しさというか、驚きというか、こんなことも、自分はできなくなった…
それが、哀れというか、自分自身、納得できなかった…
いや、
納得できるまで、時間がかったというべきか…
が、
とにかく、歩けるようになった…
たとえ、数歩でも、自分の足で歩けるようになった…
その事実が嬉しかった…
その現実が、嬉しかった…
だから、傍らの看護師の佐藤ナナに、
「…鬼の目にも、涙ですね…」
と、からかわれても、全然、平気だった…
なにより、佐藤ナナが、愛くるしい…
その可憐な容貌というと、言い過ぎだが、肌は浅黒いが、目鼻立ちが、キリっと整った、華のある顔から、出た、可愛い声は、とても、私をからかうような感じには、聞こえなかった…
今さらながら、年齢は、大切だと思う…
若さは、大切だと思う…
佐藤ナナが、皮肉を言っても、嫌にならない…
これでは、まるで、私は、中年オヤジ…
腹の突き出た中年オヤジが、会社の若い女のコを見て、デレデレしているのと、いっしょだ(苦笑)…
つい、佐藤ナナを見ると、自分でも、そんな気持ちになる…
だから、若さというのは、羨ましい…
それが、あと何年続くか、わからないから、羨ましいのだ…
そんなことを、考えていると、
「…寿さん…」
と、佐藤ナナが、声をかけた…
「…なに?…」
「…寿さん…私を好きみたいですね?…」
佐藤ナナが、笑いながら、言う。
私は、佐藤ナナに、いきなり、そんなことを、言われて、驚いた…
が、
それは、本心…
否定できない…
しかし、どうして、佐藤ナナが、そう思うのか、謎だった…
だから、
「…佐藤さん、どうして、そう思うの?…」
と、訊いた…
「…それは、簡単ですよ…」
「…簡単って?…」
「…寿さん…私を見る目が、優しいんですよ…」
「…優しい?…」
「…まるで、歳の離れた妹かなにかのように、優しい目で、私を見ている…」
佐藤ナナが、ニヤニヤと、微笑みながら、説明する…
私は、その佐藤ナナの言葉に、
「…」
と、言葉もなかった…
文字通り、反論できなかった…
たしかに、私は、佐藤ナナが好き…
可愛いと思う…
それが、あからさまに、表情に出ているのだろう…
それは、否定できない…
「…だから、私も、寿さんが好き…」
「…私を好き?…」
「…誰だって、自分を好きな人間を、嫌いなひとは、いないでしょ?…」
佐藤ナナが、ニヤニヤ、笑う…
…たしかに、その通り…
…当たり前だ…
自分を好きな人間がいて、その人間を嫌いになる、人間は、普通いない…
わかりやすい例で言えば、男女の恋愛が、一番あてはまる…
男が、女が好き…
女が、男が好き…
と、あれども、誰かが、自分を好きと、言ってくれれば、まず大抵の人間は、悪い気はしない…
たとえ、言葉にせずとも、好きな態度を見せ、
「…あの男のひと…いつも、寿さんを見ている…きっと、寿さんを好きなのよ…」
と、でも、学校の友人でも、会社の同僚でも、私に告げれば、悪い気はしない…
いわゆる、ストーカーで、粘着質な人間は、ごめんだが、普通に、私を好きだという態度を示せば、悪い気はしない…
私が、それまで、その人間を、好きでも、なんでもなかったとしても、悪い気はしない…
これは、誰もが、同じだろう…
その通りだろう…
ただ、あまりにも、しつこいと、困りもの…
「…ボクと付き合って下さい…」
と、言われ、こちらに、その気がないにもかかわらず、いつまでも、しつこく付きまとわれたら、困る…
まあ、これも、また経験したものも、多いだろう(苦笑)…
私が、そんなことを、考えていると、
「…寿さんって、しっかりしているように見えて、意外と、わかりやすいというか、子供っぽいんですね…」
佐藤ナナが、思いもかけないことを、口にした…
…子どもっぽい?…
…どうして、私が、子供っぽいんだろう?…
「…佐藤さん…どうして、私が、子供っぽいの?…」
私のガチな質問に、佐藤ナナが、笑った…
「…だって、寿さん…簡単に、心が読める表情をするんだもの…」
「…心が読める?…」
「…私を可愛いと、思って見る表情が、すごく、わかりやいんですよ…寿さんって、落ち着いた大人の女性に見えますが、案外子供っぽいというか、わかりやすいひとなんだなって…」
思いがけない言葉だった…
まさか、私が、佐藤ナナを、愛くるしいと、思って見ていることが、彼女から見れば、そんなふうに、私を思っていたなんて、思わなかった…
考えなかった…
つくづく、人間は、わからない…
ただ、可愛いと、思って見ていた、佐藤ナナが、こんなにも、鋭く、頭の回転が、速い娘だとは、思わなかった…
佐藤ナナが、頭が良いのは、わかっている…
外国生まれにも、かかわらず、完璧な日本語を話す…
だから、頭がいいのは、わかる…
だが、学問における頭の良さと、洞察力というと、おおげさだが、日常、使う、頭の良さは、違う…
今、佐藤ナナが、いみじくも指摘したように、ちょっとした仕草で、相手の考えを、見抜くのが、日常の頭の良さ…
たとえば、会社で、いえば、上司がなにを望んでいるか、あらかじめ、推測して、仕事を進めるのが、日常に発揮する頭の良さに他ならない…
どんな人間も、誰が、なにを言うのか、日常、接していれば、大抵わかる…
誰が、なにを、気にするか、わかる…
だから、それに先んじて、上司が、なにをすれば、喜び、なにをすれば、失望するか、考え、行動することが、日常の頭の良さに他ならない…
私は、それを思った…
と、同時に、警戒した…
菊池リンを思い出したのだ…
思えば、菊池リンは、佐藤ナナと、まったく同じだった…
その愛くるしいキャラクターから、私は、彼女に好意を抱き、警戒することなく、彼女に接した…
その結果、私の行動は、容易に彼女に監視されることになった…
それを、思い出した…
…これでは、以前と同じになる…
…菊池リンのときと、同じになる…
私の頭の中で、緊急警報といおうか、サイレンのベルが鳴った(笑)…
この佐藤ナナは、菊池リンと同じく、頭がいい…
しかも、その頭の良さは、菊池リンと、同じく、その愛くるしい、顔の中に隠されている…
だから、容易に見抜けない…
油断すれば、あっさりと、こちらが、足元をすくわれかねない…
その事実に気付いた…
そう思えば、二度と同じ過ちは、繰り返さない…
私は、それを心に刻んで、彼女に接すことにした…