第86話

文字数 5,644文字

 …冬馬の自殺の真相…

 それは、実母の昭子に見捨てられたからではないか?

 私は、そう思った…

 昭子は、自分の腹を痛めた子供…

 伸明と冬馬を、秤にかけて、伸明を取った…
 
 それが、真相だろうと、気付いた…

 そして、それが、真相ならば、冬馬の落胆もわかる…

 冬馬が、落胆して、自殺したのも、わかる…

 なにより、そう考えるのが、一番納得できた…


 そして、そんなことを、考えながら、数日、経った、ある日、スマホの電話が鳴った…

 スマホの表示画面に出た番号は、見知らぬ番号だった…

 私は、出るか、否か、一瞬、悩んだが、でることに決めた…

 最近は、以前に比べて、大胆というか…

 あまり、物事を考えなくなっている(苦笑)…

 以前に、比べて、慎重では、なくなっている…

 これは、一体なぜか?

 死んだ冬馬に言わせれば、薬のせいというだろう…

 抗がん剤のせいというだろう…

 もちろん、それもあるかもしれない…

 が、

 それ以上に、ひとつは、私の年齢…

 32歳になり、行動が、オバサン臭くなったというか…

 羞恥心が、なくなったとまでは、いわないが、行動が、大胆になった…

 これは、誰しも、同じだろう…

 中学生の女のコが、恥ずかしがることが、30を超えた女は、恥ずかしがらない…

 そういうことだ(笑)…

 そして、もう一つ…

 私の寿命…

 大げさに、言わずとも、私は、後何年生きれるか、わからない…

 それを意識することで、大げさにいえば、怖いものなしになった…

 後何年生きれるか、わからないものが、怖がっていても、仕方がない…

 どうせ、ウン年後は、この世にいないのだ…

 そう考えると、大胆になった…

 慎重さがなくなった…

 私は、そんなことを、考えながら、電話に出た…

 「…ハイ…寿です…」

 「…寿さんですか?…」

 「…ハイ…そうです…」

 「…諏訪野…諏訪野昭子と申します…諏訪野伸明の母です…ご無沙汰しています…」

 …エッ?…

 …伸明さんの母親?…

 …諏訪野昭子?…

 あまりにも、意外といえば、意外な相手だった…

 同時に、気付いた…

 冬馬の死だ…

 菊池冬馬の死だ…

 もし、私の予想通り、冬馬が、昭子の実の息子ならば、今、私に電話がかかってきても、おかしくはない…

 なぜなら、諏訪野マミいわく、冬馬は、私に惚れていた…

 いや、

 冬馬だけではない…

 伸明も私に惹かれていたと言っていた…

 これは、諏訪野マミだけではなく、菊池重方(しげかた)も同じ…

 同じことを、言っていた…

 私は、今、諏訪野昭子の電話を受けながら、それを、思い出していた…

 「…寿さん…」

 「…ハイ…」

 「…お元気?…」

 「…ハイ…」

 と、繰り返した…

 「…元気です…」

 とは、言わなかった…

 元気ではないからだ…

 電話の向こうの昭子は、それをすぐに、察したらしく、

 「…体調が、優れないようね…」

 と、聞いた…

 が、

 私は、それに対して、

 「…」

 と、なにも、言わなかった…

 無言が、肯定を意味した…

 だから、電話の向こうの昭子も、

 「…体調が、優れないのに、申し訳ない…」

 と、私に詫びた…

 私は、反射的に、

 「…とんでもありません…」

 と、詫びた…

 わざわざ、昭子が、私風情に電話をかけてくるとは、思わなかったし、相手が、昭子とわかると、どうしても、態度が卑屈になるというか(笑)…

 皇族を相手にしているわけではないが、一歩引いてしまう…

 「…寿さん…」

 「…なんでしょうか?…」

 「…アナタには、随分、ご迷惑をおかけして、申し訳ない…」

 意外な言葉だった…

 「…そんな迷惑なんて…」

 これも、反射的に出た…

 これまでの経緯を見ると、たしかに、迷惑そのものだが、さすがに、それは、口に出せない(苦笑)…

 なにより、私の残された時間の中で、いかに、諏訪野伸明に、藤原ナオキの面倒をみて、もらうか?

 それが、重要だった…

 だから、たしかに、迷惑は、迷惑だが、やはり、諏訪野伸明と、知り会えたことは、大きい…

 五井家当主と知り合えたことは、大きい…

 私は、さんざ、利用されたかもしれないが、その見返りに、ナオキの面倒を見てくれと、伸明に言いたかった…

 昭子に言いたかった…

 が、

 さすがに、それを今、この場で、言うわけには、いかない…

 だから、

 「…」

 と、黙った…

 いや、

 黙ったのは、それだけが、理由ではない…

 今、この電話は、昭子から、かかってきた…

 当然、昭子が、なんらかの目的で、私に電話をかけてきたに違いない…

 だから、黙っていれば、当然、昭子の方から、その目的を語る…

 そう思っていると、昭子から、

 「…寿さん…一度、お会いしたのだけれども…」

 と、提案を受けた…

 やはりというか…

 そうきたかと、思った…

 ある意味、予想通りというか…

 この昭子のことだ…

 もしかしたら、今さら死んだ冬馬について、アレコレ、私に語ることは、ないかもしれない…

 そう、考えを変えた…

 死んだ人間は、いらないというと、言い過ぎだが、すでに終わったこと…

 わざわざ、私に会って、冬馬について、アレコレ、語ることは、ありえないかもしれない…

 この昭子は、五井の女帝…

 前五井家当主、建造の妻であり、現当主、伸明の産みの母親でもある…

 過去にとらわれず、ひたすら、未来を行く…

 そんなイメージがある…

 誰しも過去にとらわれないことは、ありえないが、あえて、過去を振り返らないのだろう…

 過去を振り返って、あのとき、こうしていればとか、ああしていれば、よかったと、思うことは、誰しもあることだが、それは、あくまで、思い出話…

 なにを、言っても、無駄だからだ…

 私は、それを思った…

 「…では、どこで?…」

 私は、聞いた…

 「…どこで、お会いすれば…」

 私が、聞くと、

 「…私の家に…」

 と、昭子が言った…

 「…昭子さんの家ですか?…」

 私は、つい、素っ頓狂な声を上げた…

 「…そう、伸明の生家に…」

 昭子が、付け加える…

 私は、今まで、伸明の家に行ったことは、なかった…

 実は、これが、私が、一番、引っかかったことだった…

 結婚を前提とする交際をしていて、相手の家に一度も招かれたことがないことなど、普通は、ありえない…

 男も女も、最低でも一度は、結婚前に、相手の家を、訪れるものだ…

 しかし、

 例えば、東京の会社で、お互いが、働いていて、片方が、地方出身者だとすれば、その限りではない…

 例えば、自分が、東京出身で、相手が、北海道出身者だとすれば、簡単に、結婚前に、相手の家族の家を訪れることは、不可能だからだ…

 が、

 伸明は、違う…

 当たり前だが、東京出身…

 そして、今、私、寿綾乃も、当たり前だが、東京にいる…

 東京暮らし…

 その東京暮らしの私に、一度たりとも、実家に連れて行ったことのない、伸明に、疑念を抱いたのは、当たり前だ…

 いや、

 当たり前ではないかもしれない…

 なぜ、当たり前ではないかもしれないかと、問われれば、私が、そもそも、伸明に恋をしていたか、どうかも、怪しいからだ…

 恋が成立していたか、どうかも怪しいからだ…

 その根底には、おそらく、私が、容易に、ひとを好きになれない人間ということがある…

 恋ができない人間ということがある…

 これは、最近、わかった(苦笑)…

 私は、藤原ナオキと、すでに、高校生の頃に、男女の関係だったが、それが、恋かどうかといえば、微妙だった(笑)…

 振り返れば、恋といっても、いいが、いわば、お子ちゃまの恋…

 成人男女の、大人の恋愛ではない…

 もっと軽いものだった…

 なにを言いたいかといえば、恋は、もっと盲目的なものと、言いたいからだ…

 そこに、邪念というか、損得は、存在しない…

 恋は、よく言われるが、炎のように燃えるものだからだ…

 しかし、私には、それがない…

 だから、冷静に相手を見れる…

 冷静に、相手を評価することができる…

 相手に溺れることがないからだ…

 だから、伸明が、私を自宅に招かないことを、疑念に思った…

 恋ができない女だから、伸明の目的が、別にあるのでは? と、見抜いたのかもしれない…

 だから、伸明の例を上げるまでもなく、たやすく相手に騙されないことは、いいが、裏を返せば、誰も好きになれない女…

 唯一、好きになれたのは、ナオキだけ…

 これは、まさに、偶然…

 偶然だった…

 そんなたやすくひとを好きになれない女が、唯一好きになった男…

 それが、藤原ナオキだった…

 私は、そんなことを、考えた…

 そして、それを思ったとき、私が、伸明を好きだと感じたことは、恋ではないのかもしれないと、気付いた…

 どうしても、伸明の持っている肩書…

 五井家当主の肩書に目がくらむというか…

 伸明に憧れる気持ちはあるが、それは、例えば、伸明が、真っ赤なフェラーリに乗っていて、それを持てる財力のある伸明に惚れているようなものだからだ…

 もし、伸明がなにもなければ、憧れない…

 なにも、持ってなければ、憧れないのではないか?

 今さらながら、思った…

 その点、ナオキの場合は、憧れる気持ちうんぬんは、なかったが、出会った当初から、気が合った…

 ウマが合った…

 そういうことだ…

 その延長で、男女の関係になり、ナオキが、成功した現在でも、その関係の延長が、続いているとでもいえば、いいのだろうか?

 だから、恋というより、気が付けば、お互いが、ある意味、自然に、男女の関係になったというのが、正しいのかもしれない…

 気が付けば、なんとなく、男女の関係になったのが、正しいのかもしれない…

 そして、そこにもまた、恋はない…

 あるのは、成り行きというか…

 気が付けば、そうなっていたというのが、正しい…

 そして、それが、答えなのかもしれない…

それが、寿綾乃の恋の答えかもしれない…

 私は、思った…

 そんなことを考えていると、

 「…寿さん…では、私の家に、来て頂ける?…」

 と、昭子が、言った…

 「…昭子さんの家?…」

 繰り返した…

 そして、すぐに、

 「…場所がわかりません…」

 と、告げた…

 事実、場所がわからない…

 どこに、住んでいるか、わからなかった…

 「…いえ、寿さんは、知っているはず…」

 …私が、知っているはず?…

 どういうことだろうか?

 私は、考えた…

 「…それは、一体?…」

 「…以前、寿さんは、リンちゃんの家に行ったことがあるでしょ?…」

 思い出した…

 たしかに、リン…

 菊池リンの家には、行ったことがある…

 だが、それが、一体、どうしたというのだろう?

 「…ウチは、リンちゃんの家の隣よ…」

 「…隣?…」

 思わず、大声を出した…

 「…亡くなった主人の建造と、リンちゃんの祖父の弟の義春さんは、兄弟だから…お隣同士…」

 さもありなん…

 言われてみれば、当たり前のこと…

 よくあることだった…

 まして、二人は、大金持ち…

 大金持ちの兄弟だ…

 別段、仲が良くなくても、例えば、一つの土地を分け合って、それぞれ家を建てるとか、あったかもしれない…

 私は、納得した…

 「…だから、寿さんは、覚えてるはず…」

 たしかに、忘れるはずがなかった…

 たしか、あれは、成城学園の一角にあった…

 私が、あんな高級住宅地に足を踏み入れるのは、初めての経験だった…

 大きな家が、ズラリと、立ち並ぶ…

 しかも、

 しかも、だ…

 それぞれの敷地には、柵がない…

 塀がない…

 敷地が広いからだ…

 何百坪もあるから、柵がない…

 塀がない…

あるのは、芝生の敷かれた広い庭と、大きな家…

 芝生の敷かれた広々とした敷地に、家が建つ…

 それだけだ…

 それが、日本有数の高級住宅地の光景だった…

 一体、こんなところに家を建てるのは、いくらかかるんだ?

 きっと、金額を知れば、目の玉が飛び出る金額だろう…

 私は、思った…

 そして、あの高級住宅地を目の当たりにしたとき、私は、あらためて、人間は、平等ではないと、思った…

 こんな家に住むことができる人間は、数えるほど…

 自分の力か、親や祖父母の力か、いざしらず、こんな高級住宅地に住める幸運を得ることは、ありえないことだからだ…

 ごく一部の人間が、そんな幸運を得ることができる…

 私は、あのとき、そう思った…

 ただし、だからといって、そこに住む人間が、幸福かどうかは、わからない…

 お金があれば、幸福であるとは、限らないからだ…

 ただ、恵まれて、生まれてきたのは、明らか…

 普通、誰もが、できない生活をしていることは、明らかだからだ…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…寿さん…」

 と、昭子が言った…

 「…ハイ…なんでしょうか?…」

 「…せっかく、寿さんに来て頂くのだから、クルマをそちらに向かわせます…」

 「…」

 「…ですから、寿さんの都合のよい日を言って下さい…」

 …私の都合の良い日?…

 …いきなり、言われても…

 いや、

 そもそも、都合の良い日も、悪い日も、私には、なかった…

 今は、自宅療養中…

 極力、自宅から、出歩かないことを、心がけている…

 なぜなら、あの冬馬と会ったとき、私は、体調が悪化した…

 だから、正直、自宅を出るのは、怖い…

 躊躇する…

 が、

 やはり、それでは、なにもできない…

 なにより、伸明に、ナオキのことを、頼みたかった…

 いや、

 伸明でなくとも、よい…

 昭子でもいい…

 ナオキのことを、頼みたかった…

 それを思えば、今、昭子の申し出を断ることはできない…

 いや、

 断るどころか、渡りに船…

 誰か、五井一族の誰かに、ナオキのことを、頼みたかった…

 それが、今、幸か不幸か、昭子から、電話があった…

 ウチに来ないかと、誘われた…

 だから、この申し出を断ることなんか、できるはずもなかった…

 私は、

 「…ぜひ、お伺いします…日にちは、そちらの都合の良い日で、結構です…」

 と、告げた…

 私にできる唯一のこと…

 藤原ナオキの今後を、五井に頼みたかった…

               
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