第10話
文字数 8,811文字
無用の恨みを買ったかもしれない…
佐藤ナナと、長谷川センセイが、私の診察を終えて、病室を出るときに、佐藤ナナが、再び、私に射るような視線を浴びせることで、あらためて、気付いた…
無用の恨みは、買わないに限る…
敵は、作らないに、限る…
それは、人間関係の鉄則…
人間関係の基本だ…
そんな、当たり前のことを、忘れていたわけじゃないが、つい、調子に乗ったというか…
長谷川センセイをからかい過ぎた…
しかも、その長谷川センセイを好きな佐藤ナナの前で、長谷川センセイをからかったのは、まずかった…
あの可愛らしい、佐藤ナナが、射るような視線で、私を見た…
一体、なぜ?
なぜ、こんなことを、したんだろう?
自分でも、不思議だった…
私、寿綾乃は、人一倍、人間関係に気を付けて、生きてきたつもりだ…
なぜなら、私は、天涯孤独の身…
ずっと、高校時代から、一人で、生きてきた…
だから、人一倍、人間関係に気を付けてきたつもりだった…
無用の敵を作らない…
ライバルを作らない…
それが、私の生きる基本だった…
それが、入院したことで、崩れたというか…
まるで、ホルモンのバランスが崩れたように、これまで、気を付けていたことに、気をつけなくなった…
やはり、これは、私、寿綾乃が、もはや、秘密を抱える身ではなくなったことが、大きいのかもしれない…
私は、思った…
以前は、私の正体が知られることに、神経質なまでに、気を付けていた…
ちょうど、それは、仮面ライダーや、ウルトラマンの正体が、知られることを、恐れるように、気を付けていた…
しかし、ユリコが、私の正体を、暴露した…
その結果、私が、寿綾乃を自称する女に過ぎないことが、バレた…
それで、肩の荷が下りたというか…
内心、いつ、バレるか、常に怯えていた…
その怯えがなくなった…
私の正体は、すでにバレた…
だから、気にする必要が、なくなった…
それゆえ、警戒心がなくなり、私の行動が、変化したというのが、真実なのかもしれない…
ふと、思った…
誰にも、言えない、大きな秘密を抱えた状態から、その秘密がバレる…
だから、もはや、なにも、怖いものはない…
それゆえ、心に余裕が生まれ、行動が変化したのだろう…
しかし、それにしても、我ながら、調子に乗り過ぎたのかもしれない…
なにしろ、あの佐藤ナナが、まるで、私をライバル視するように、射るような視線を、私に浴びせるとは、思わなかった…
あんな、可愛い顔をした女のコが、私を睨みつけるとは、思わなかった…
と、ここまで、考えて、ふと、気付いた…
諏訪野伸明のことだ…
当然のことながら、諏訪野伸明は、私の正体について、すでに知っているに違いない…
にもかかわらず、それについて、一度も言及しなかった…
それは、やはり、諏訪野伸明の優しさなのだろう…
それを思えば、藤原ナオキも、また、同じ…
私の正体について、なにも、語っていない…
それは、ちょうど、仮面ライダーや、ウルトラマンの正体が、わかっても、言及しないのと、同じだった…
私は、優しさの中にいる…
あらためて、思った…
あらためて、気付いた…
なりすまし…
あらためて、考える…
私の本当の名前は、矢代綾子…
寿綾乃ではない…
それに、気付いたのは、藤原ナオキの前妻、藤原ユリコだった…
ユリコが、私の正体を探るため、出身地に行き、調べたのだ…
私は、うまくやってきたつもりだった…
抜け目なく、立ち回ったつもりだった…
しかし、それがいけなかった…
自分で言うのも、なんだが、私は、傍から見て、頼りがいがあるらしい(笑)…
一人で、生きてゆけると、思われてるらしい(笑)…
私自身は、そんなこと、まったく考えたこともないが、そうらしい(笑)…
そして、お金にも、執着がない(笑)…
そう見られてるらしい(笑)…
そして、そんな私が、結果的に、藤原ユリコから、夫のナオキを奪った…
それが、誤算の始まり…
私自身は、ユリコから、ナオキを奪うつもりは、なかったが、そうは言っても、それは、言い訳…
後の祭りに過ぎない…
結果的に、私はユリコのいた位置についた…
藤原ナオキの実質的な妻であり、ジュン君の母親という位置に、だ…
だが、
なぜ、私が、そんなことをするのか、ユリコは、訝った…
疑問に感じた…
お金にも、男にも、執着しない、私が、ユリコから、ナオキを奪った…
それが、不思議で仕方がなかったのだ…
しかし、私にも事情があった…
私も聖人君子ではない…
生きてゆくには、お金が必要…
まして、ひとりぼっちの私は、自分で稼がなくてはならない…
藤原ナオキは、身近に頼れる存在だった…
それが、一番の原因だった…
しかし、それをユリコは、不審に思った…
その結果、ユリコは、私の故郷を探り出し、私が、従妹の綾乃と入れ替わったことを、確信した…
死んだのは、矢代綾乃…
生きているのは、矢代綾子…
だが、それを逆にして、役所に届け、故郷を後にした…
理由は、簡単…
綾乃は、五井一族の血を引く娘だった…
片や、私は、平凡…
なにも、なかった…
だから、死んだのは、綾乃ではなく、綾子とした…
そして、故郷にいれば、それがバレるから、上京した…
それが、寿綾乃の真実だった…
矢代姓だった母が死に、親戚の寿姓を名乗った…
それが、寿綾乃の誕生だった…
私は、それを考えた…
そして、綾乃を名乗ることで、やがて、莫大な遺産が手に入るかもしれないが、同時に、五井一族の騒動に巻き込まれることを、母は危惧していた…
誰もが、見ず知らずの人間が現れて、
「…私は、五井家の一族の娘です…だから、遺産を下さい…」
とでも、言えば、仰天する…
同時に、争いに巻き込まれるに決まっている…
一族のお金を巡るゴタゴタに巻き込まれることに決まっている…
それを、察知した母は、強い男を探しなさいと、私に遺言した…
この場合の強さとは、当然のことながら、腕力ではない…
お金を持っている男…
社会的地位を持っている男に、他ならない…
お金持ちの争いに巻き込まれることがわかっている以上、自分を守ってくれる、別のお金持ちの男を探すのが、一番だからだ…
それを死ぬ間際、母は私に伝えた…
そして、それが、私が、五井一族と繋がりを持つ、端緒になった…
そして、今、すでに、私が、五井一族と、なんの血縁関係がないことがわかったにも、かかわらず、相変わらず、その五井一族と繋がっている…
それを思えば、実に不思議…
不思議な関係だった…
五井家の若き当主、諏訪野伸明を介して、五井記念病院に入院している…
本当ならば、泥棒ではないが、私を犯罪者扱いしても、おかしくはないにも、関わらず、それをしない…
まあ、私としても、五井家の財産を積極的に獲りに行ったわけでも、なんでもなかったからかもしれない…
ただ、母は死ぬ間際に、私が、お金持ちの一族の争いに巻き込まれるかも、と仄めかしただけだ…
ハッキリと、五井の名前は、口にしなかった…
ただ、母は、私、綾子は平凡だが、従妹の綾乃は、お金持ちの血を引く娘…
だから、綾子が死んだことにして、綾乃が生きていることにすれば、私に将来、有利に違いない…
それが、母が、私に残すことができる、唯一のことだったのかもしれない…
そして、その結果、私は、こうして、五井一族の知己を得た…
五井家の若き当主、諏訪野伸明に気に入られた…
これは、まさに僥倖(ぎょうこう)…
ありえないことだった…
そして、一方で、私は、いみじくも、母が予言したように、五井一族のゴタゴタに巻き込まれてる…
すでに、私が、五井家の人間でないとわかったにもかかわらず、相変わらず、巻き込まれている…
これは、皮肉でなくて、なんだろう?…
まさに、寿綾乃を名乗った天罰…
見方によっては、天罰に他ならなった…
菊池リンの祖母…諏訪野和子が、見舞いにやって来たのは、それから、数日、経ってからだった…
諏訪野和子…
以前、一度会っただけだが、女傑だった…
私、寿綾乃など、及びもしない、女傑だった…
五井一族は、実は、女が動かしている…
以前、会ったとき、彼女は、そう言った…
歴史は、夜、作られるという映画の題名ではないが、犯罪の陰に女ありという言葉と、同じく、実は、表に立つのが、男でも、実質は、女が陰で、男を動かしている…
あるいは、男を操っているという例は歴史をひもとくもなく、枚挙にいとまがない…
近いところでは、ルーマニアのチャウシェスク元大統領が、妻のエレナの言いなりだったのが、良い例だろう…
私は、彼女の来訪に、驚いたが、同時に、以前、私が、彼女と会ったときに、私を評して、
「…寿さん…アナタには、五井の血が流れている…」
と、言ったことを、思い出していた…
私が、一人で生きて行ける強い女であることを、見て、同じように、強い、五井の女の血が、流れていると、思ったのだ…
それは、彼女の間違いだったが、彼女が、私を評価してくれたことに、間違いはなかった…
だから、そんな彼女が、私の見舞いに来たのには、驚いた…
同時に、怯えた…
一体、なにを目的に、やって来たのだろう?
そう、考えたからだ…
ただの見舞いにやって来たわけでは、当然、ない…
目的がある…
私は、病人なので、当たり前だが、体力がない…
だから、昼夜を問わず、寝ていることが多い…
だから、ふと、周囲に、ひとの気配を感じて、目が覚めた…
すると、和子が、座っていた…
私は、驚くと、同時に、怯えた…
和子の実力は、わかっている…
…一体、なんのために?…
…なにを目的に、私の元にやって来たのか?…
頭を巡らせながら、
「…お久しぶりです…」
と、言って、ベッドから、起き上がろうとした…
今の私の体力では、ベッドの上で、起き上がるのが、限界…
まだ、歩くこともできない…
たとえ、杖を使っても、無理…
が、
和子は、そんな私を見かねてか、
「…そのままで…」
と、言って、ベッドから、起き上がろうとする、私を制した…
それから、
「…初めまして…」
と、挨拶した…
…初めまして?…
一体、どういうことだろう?
私は、考えた…
今、目の前にいる、70代の高齢の女性は、諏訪野和子…
一度、会っただけだが、間違いはない…
覚えている…
それが、どうして、初めまして、なんだろう?
私は、思った…
だから、
「…以前、一度ですが、お会いしてます…」
と、私が、抗議? すると、
「…私は、諏訪野伸明の母、昭子です…寿さん、いつも、息子がお世話になっております…」
と、ベッドに横になったままの私に、腰を折って、丁寧に、頭を下げた…
「…諏訪野さんのお母様?…」
私は、驚いた…
同時に、気付いた…
容姿が、妹の和子に、そっくり…
瓜二つだ…
これは、彼女たちを知らなければ、間違いなく、騙されるというか…
同一人物だと、思われる…
それほど、似ている…
と、ここまで、考えて、それは、和子に一度しか、会ってないからだ、と、思った…
考えを変えた…
もしも、日常で、頻繁に出会う環境ならば、すぐに違いがわかるかもしれない…
誰もが、人形のように、瓜二つの人間は、いない…
人間は、どこか、違うものだ…
以前、アメリカの高齢の双子の姉妹が、若い頃に、互いのボーイフレンドと、姉妹が、入れ替わって、デートして、相手のボーイフレンドが、最後まで、気付かなかったと、笑ったが、それは、相手が若いから…
やはり、少しでも、年齢を重ねてくれば、姿形は、よく似ていても、なんとなく違いに気付くはずだ…
私は、思った…
思いながら、
「…そうでしたか…失礼しました…寿…寿綾乃と申します…初めまして…」
と、挨拶した…
「…間違えるのは、無理もありません…妹の和子とは、双子…外見もこの通り、そっくり…」
と、笑った…
「…双子?…」
「…そう…一卵性双生児の…」
昭子が告げる…
そして、その言い方を聞いて、たしかに、和子とは、別人だと、わかった…
なぜなら、昭子は、柔らかい…
物腰が、妹の和子と違って、柔らかい…
妹の和子は、一度会っただけだが、女傑…
女傑と言う言葉が似合う、女だった…
てきぱきとした物言いで、態度も堂々としていた…
しかし、今、目の前に現れた、昭子は、和子とは、真逆…
外見こそ、瓜二つだが、中身が、真逆…
おっとりとしている…
だから、昭子と名乗ったのが、ウソではないと、私は確信した…
そして、同時に、以前から、私は、一度、この昭子と会いたかったと、思っていたのを、思い出した…
菊池リンの祖母…和子とは、一度だけだが、会った…
和子は、先代当主、諏訪野建造の弟の義春の妻だった女…
義春は、兄、建造の死去と共に、建造の後に、当主になることを、目論んで、それが、潰えると、自殺して、世を去った…
が、和子は、その死に辛辣だった…
そもそも器ではないにもかかわらず、五井家の当主を目指したと、笑った…
つまりは、それほどの女傑だったということだ…
そして、私は、その和子よりも、この昭子に会いたかった…
亡くなった、建造の妻であり、諏訪野伸明の母…
それが、どんな女性だか、知りたかった…
それが、今、目の前に現れた…
感無量というと、大げさだが、やはり、感動した…
ずっと、以前から、会いたかった、その女性が、今、目の前に現れた…
なんといっていいか、わからなかった…
言葉もなかった…
私は、つい、彼女を凝視してしまった…
それは、彼女もまた同じだった…
昭子もまた、私を凝視していた…
私を観察していた…
私を値踏みしていた…
そして、お互いが、すぐに、お互いを観察していることに、気付いた…
値踏みしていることに気付いたことで、少し恥ずかしくなったというか…
照れ笑いを浮かべて、
「…あらあら…なんだか、お見合いみたいになっちゃったわね…」
と、昭子が笑った…
「…ホント、その通りですね…」
と、私も、笑った…
笑うことで、お互い、肝胆相照らす仲になったといえば、言い過ぎだが、緊張はなくなった…
「…一度、お会いしたかった…」
昭子が言った…
「…私も、です…」
私も答える…
「…和子が、寿さんについて、言ってました…」
「…なにをでしょうか?…」
「…あのような女性が、五井家にやって来るのはありがたいと…」
最大限の誉め言葉だった…
まさか、そんな誉め言葉をもらえるとは、思わなかった…
私は、ただ、
「…ありがとうございます…」
と、言った…
「…ですが、私は…」
「…病気のことね…」
と、昭子は、さばさばした口調で言った…
「…気にすることないと言ってしまえば、他人事に過ぎない…でも、生きている限り、諦めては、ダメ…」
「…」
「…希望を捨ててはダメ…」
昭子が、私を励ました…
私の目にうっすらと、涙が流れた…
見ず知らずの人間といっては、なんだが、初対面の人間に、こんなに励まされるとは、思わなかった…
「…アナタの病気のことは、伸明から、聞いてます…」
「…伸明さんから…」
「…ええ…」
「…でしたら、お母様から、言って頂けないでしょうか?…」
「…なにをですか?…」
「…伸明さんも、私を見舞いに来る時間があるなら、もっと、別のいいひとを探す時間にあてて欲しいと…」
私の言葉に、昭子は、
「…」
と、絶句した…
どう答えて、いいか、わからなかったのかも、しれない…
それから、しばらくして、
「…伸明もいいひとに、巡り会った…」
と、口を開いた…
「…ひとは、出会い…どんなに偉くても、どんなに頭が良くても、いいひとに、巡り会わなければ、人生はダメ…楽しめない…」
「…」
「…伸明もいいひとに、巡り会えた…」
「…でも、私の命は…」
「…それと、これとは、話が別です…ひとは、出会い…よいひとと巡り会わなければ、生きている意味がありません…」
穏やかな物言いだが、しっかりと断言した…
「…出会いというのは、男女を問わずです…ひとは、平等ではありません…少しでも、優れた人と出会い、援助、あるいは、応援してもらう…それが、どれほど、大切か、わからないひとは、この世の中に大勢います…でも、それは、単純に、そのような経験をしていないから…そのような方の人生は残念です…」
昭子が力を込める…
私は、それを聞いて、
…同じだ…
と、思った。
昭子の妹の和子と、同じ…
物腰は和子と違って柔らかいが、中身は同じ…
しっかりとしている…
同じように、女傑という言葉が似合う…
私は、思った…
「…寿綾乃さん…」
「…ハイ…」
「…伸明をよろしくお願いします…」
昭子が私に向かって、頭を下げた…
「…とんでも、ありません…」
私は、恐縮した…
まさか、いきなり、諏訪野伸明の母に頭を下げられるとは、思わなかったからだ…
まさに、想定外…
想定外の出来事だった…
…一体、どうすれば?…
…一体、なにを言えば?…
考えた…
それから、
「…私は、五井一族の血を引く者では…」
と、言いかけた…
まさか、私の正体は、わかっているに違いない…
だが、
万が一ということは、ある…
だから、確かめた…
確かめずには、いられなかった…
「…それは、わかってます…」
穏やかに、答える…
「…ですが、私は…」
私が、なおも、言いかけると、
「…寿さん…」
「…ハイ…」
「…伸明が、言いませんでしたか?…」
「…なにを、でしょうか?…」
「…五井一族の歴史は、争いの歴史だと…」
「…」
私は、答えようがなかった…
たしかに、諏訪野伸明は、今の昭子が言ったように、五井一族の歴史は、争いの歴史だと、私に言った…
金持ちの争いの歴史だと…
私は、それを思い出した…
「…覚えがあるようね…」
昭子が私の反応を見て、言った…
「…だから、寿さん…アナタが、五井一族の血を引こうが、引くまいが、私には、なんの関係もありません…それは、伸明も同じ…」
「…」
「…優れた異性が目の前に現れて、自分を好きになって、くれる…これほど、嬉しいことは、男でも、女でも、滅多にありません…」
「…」
「…さっきも言いましたが、ひとは出会い…出会いが、すべてです…どんな美男美女に生まれようが、出会いがない、男女は、多いです…歳を取って、あと二十年、若く生まれて、彼と付き合いたかった…彼女と付き合いたかったと、いうのは、誰にもある話です…」
「…」
「…でも、伸明は、四十代で、寿さんに会った…これは、僥倖(ぎょうこう)…大げさにいえば、天が伸明に与えた僥倖(ぎょうこう)です…これを無駄にすれば、天にツバすることになります…」
私は、彼女の話を聞きながら、以前、伸明が、私に話したことを、思い出した…
伸明もやはり、ルックスで、苦労したらしい(苦笑)…
諏訪野伸明は、長身のイケメン…
それは、学生時代から、同じ…
しかも、並みはずれたお金持ち…
それゆえ、学生時代、友達ができにくかった、と、以前、私に告白した…
金持ちの家に生まれたから、と、常に陰口を叩かれるから、わざと、ボロいクルマに乗る…
すると、
「…アイツは、ホントは、物凄いお金持ちなのに、わざと、あんなボロいクルマに乗って、嫌みなヤツだ…」
と、周囲から、陰口を叩かれる…
ファッションも同じ…
ファッションにこだわらない、安ぼったい服を着れば、金持ちのくせに、貧乏人のフリをしていると、言われ、
真逆に、ブランドで、身を固めたファッションで、決めれば、金持ちが金にあかせて、服を買ってと、陰口を叩かれる…
つまりは、なにをしようと叩かれる…
伸明が、なにをしようと、叩かれる…
要するに、伸明が、気に入らないからだ…
抜きん出て、金持ちの伸明が気に入らない…
それが、理由…
伸明が、なにかしたのではなく、金持ちのボンボンであることが、気に入らない…
そして、気に入らない原因は、嫉妬…
ルックスが良く、お金持ち…
誰もが、羨むものを、持って、いる…
自分にないものを、持っている…
それが、気に入らない…
なにも持たない人間が、持っている人間を妬む…
攻撃する…
残念ながら、それが、現実…
悲しいかな、そんな人間が、世の中、ごまんといる…
それゆえ、人間関係に疲れたのだろう…
やはり、伸明と同じように、ルックスで、周囲から、妬まれた経験を持つ、私に、親近感を覚えたのかもしれない…
やはり、私も、このルックスゆえに、周囲から妬まれた経験がある…
美人には、美人の悩み…
お金持ちには、お金持ちの悩みがある…
共通するのは、周囲からの嫉妬…
その嫉妬に、どうやって、対処してきたか?
その嫉妬に、どうやって、向き合って、生きてきたか?
諏訪野伸明は、私、寿綾乃の中にそれを見たのだろう…
似た者同士…
その言葉が、一番、似合う…
お金とルックスの違いはあれども、周囲から、嫉妬される…
その経験を積んできたことを、見抜いたのだろう…
私は、思った…
が、それを、考えたとき、
「…この後、伸明は、寿さんの力が必要になるかもしれません…」
と、意味深なことを言った…
「…どういうことですか?…」
「…伸明は、今、五井家の内紛に悩んでます…ご存知ですね…」
「…ハイ…承知してます…」
「…そして、その内紛の主は、私の実家、五井東家です…これも、ご承知ですか?…」
「…ハイ…」
「…なら、話が早い…五井東家の当主、菊池重方(しげかた)は、私の弟…私と、和子の弟です…そして、重方(しげかた)の息子が、この五井記念病院の理事長、菊池冬馬…私の甥に当たります…」
仰天の事実を言った…
まさに青天のへきれき…
天が割れたような衝撃だった…
佐藤ナナと、長谷川センセイが、私の診察を終えて、病室を出るときに、佐藤ナナが、再び、私に射るような視線を浴びせることで、あらためて、気付いた…
無用の恨みは、買わないに限る…
敵は、作らないに、限る…
それは、人間関係の鉄則…
人間関係の基本だ…
そんな、当たり前のことを、忘れていたわけじゃないが、つい、調子に乗ったというか…
長谷川センセイをからかい過ぎた…
しかも、その長谷川センセイを好きな佐藤ナナの前で、長谷川センセイをからかったのは、まずかった…
あの可愛らしい、佐藤ナナが、射るような視線で、私を見た…
一体、なぜ?
なぜ、こんなことを、したんだろう?
自分でも、不思議だった…
私、寿綾乃は、人一倍、人間関係に気を付けて、生きてきたつもりだ…
なぜなら、私は、天涯孤独の身…
ずっと、高校時代から、一人で、生きてきた…
だから、人一倍、人間関係に気を付けてきたつもりだった…
無用の敵を作らない…
ライバルを作らない…
それが、私の生きる基本だった…
それが、入院したことで、崩れたというか…
まるで、ホルモンのバランスが崩れたように、これまで、気を付けていたことに、気をつけなくなった…
やはり、これは、私、寿綾乃が、もはや、秘密を抱える身ではなくなったことが、大きいのかもしれない…
私は、思った…
以前は、私の正体が知られることに、神経質なまでに、気を付けていた…
ちょうど、それは、仮面ライダーや、ウルトラマンの正体が、知られることを、恐れるように、気を付けていた…
しかし、ユリコが、私の正体を、暴露した…
その結果、私が、寿綾乃を自称する女に過ぎないことが、バレた…
それで、肩の荷が下りたというか…
内心、いつ、バレるか、常に怯えていた…
その怯えがなくなった…
私の正体は、すでにバレた…
だから、気にする必要が、なくなった…
それゆえ、警戒心がなくなり、私の行動が、変化したというのが、真実なのかもしれない…
ふと、思った…
誰にも、言えない、大きな秘密を抱えた状態から、その秘密がバレる…
だから、もはや、なにも、怖いものはない…
それゆえ、心に余裕が生まれ、行動が変化したのだろう…
しかし、それにしても、我ながら、調子に乗り過ぎたのかもしれない…
なにしろ、あの佐藤ナナが、まるで、私をライバル視するように、射るような視線を、私に浴びせるとは、思わなかった…
あんな、可愛い顔をした女のコが、私を睨みつけるとは、思わなかった…
と、ここまで、考えて、ふと、気付いた…
諏訪野伸明のことだ…
当然のことながら、諏訪野伸明は、私の正体について、すでに知っているに違いない…
にもかかわらず、それについて、一度も言及しなかった…
それは、やはり、諏訪野伸明の優しさなのだろう…
それを思えば、藤原ナオキも、また、同じ…
私の正体について、なにも、語っていない…
それは、ちょうど、仮面ライダーや、ウルトラマンの正体が、わかっても、言及しないのと、同じだった…
私は、優しさの中にいる…
あらためて、思った…
あらためて、気付いた…
なりすまし…
あらためて、考える…
私の本当の名前は、矢代綾子…
寿綾乃ではない…
それに、気付いたのは、藤原ナオキの前妻、藤原ユリコだった…
ユリコが、私の正体を探るため、出身地に行き、調べたのだ…
私は、うまくやってきたつもりだった…
抜け目なく、立ち回ったつもりだった…
しかし、それがいけなかった…
自分で言うのも、なんだが、私は、傍から見て、頼りがいがあるらしい(笑)…
一人で、生きてゆけると、思われてるらしい(笑)…
私自身は、そんなこと、まったく考えたこともないが、そうらしい(笑)…
そして、お金にも、執着がない(笑)…
そう見られてるらしい(笑)…
そして、そんな私が、結果的に、藤原ユリコから、夫のナオキを奪った…
それが、誤算の始まり…
私自身は、ユリコから、ナオキを奪うつもりは、なかったが、そうは言っても、それは、言い訳…
後の祭りに過ぎない…
結果的に、私はユリコのいた位置についた…
藤原ナオキの実質的な妻であり、ジュン君の母親という位置に、だ…
だが、
なぜ、私が、そんなことをするのか、ユリコは、訝った…
疑問に感じた…
お金にも、男にも、執着しない、私が、ユリコから、ナオキを奪った…
それが、不思議で仕方がなかったのだ…
しかし、私にも事情があった…
私も聖人君子ではない…
生きてゆくには、お金が必要…
まして、ひとりぼっちの私は、自分で稼がなくてはならない…
藤原ナオキは、身近に頼れる存在だった…
それが、一番の原因だった…
しかし、それをユリコは、不審に思った…
その結果、ユリコは、私の故郷を探り出し、私が、従妹の綾乃と入れ替わったことを、確信した…
死んだのは、矢代綾乃…
生きているのは、矢代綾子…
だが、それを逆にして、役所に届け、故郷を後にした…
理由は、簡単…
綾乃は、五井一族の血を引く娘だった…
片や、私は、平凡…
なにも、なかった…
だから、死んだのは、綾乃ではなく、綾子とした…
そして、故郷にいれば、それがバレるから、上京した…
それが、寿綾乃の真実だった…
矢代姓だった母が死に、親戚の寿姓を名乗った…
それが、寿綾乃の誕生だった…
私は、それを考えた…
そして、綾乃を名乗ることで、やがて、莫大な遺産が手に入るかもしれないが、同時に、五井一族の騒動に巻き込まれることを、母は危惧していた…
誰もが、見ず知らずの人間が現れて、
「…私は、五井家の一族の娘です…だから、遺産を下さい…」
とでも、言えば、仰天する…
同時に、争いに巻き込まれるに決まっている…
一族のお金を巡るゴタゴタに巻き込まれることに決まっている…
それを、察知した母は、強い男を探しなさいと、私に遺言した…
この場合の強さとは、当然のことながら、腕力ではない…
お金を持っている男…
社会的地位を持っている男に、他ならない…
お金持ちの争いに巻き込まれることがわかっている以上、自分を守ってくれる、別のお金持ちの男を探すのが、一番だからだ…
それを死ぬ間際、母は私に伝えた…
そして、それが、私が、五井一族と繋がりを持つ、端緒になった…
そして、今、すでに、私が、五井一族と、なんの血縁関係がないことがわかったにも、かかわらず、相変わらず、その五井一族と繋がっている…
それを思えば、実に不思議…
不思議な関係だった…
五井家の若き当主、諏訪野伸明を介して、五井記念病院に入院している…
本当ならば、泥棒ではないが、私を犯罪者扱いしても、おかしくはないにも、関わらず、それをしない…
まあ、私としても、五井家の財産を積極的に獲りに行ったわけでも、なんでもなかったからかもしれない…
ただ、母は死ぬ間際に、私が、お金持ちの一族の争いに巻き込まれるかも、と仄めかしただけだ…
ハッキリと、五井の名前は、口にしなかった…
ただ、母は、私、綾子は平凡だが、従妹の綾乃は、お金持ちの血を引く娘…
だから、綾子が死んだことにして、綾乃が生きていることにすれば、私に将来、有利に違いない…
それが、母が、私に残すことができる、唯一のことだったのかもしれない…
そして、その結果、私は、こうして、五井一族の知己を得た…
五井家の若き当主、諏訪野伸明に気に入られた…
これは、まさに僥倖(ぎょうこう)…
ありえないことだった…
そして、一方で、私は、いみじくも、母が予言したように、五井一族のゴタゴタに巻き込まれてる…
すでに、私が、五井家の人間でないとわかったにもかかわらず、相変わらず、巻き込まれている…
これは、皮肉でなくて、なんだろう?…
まさに、寿綾乃を名乗った天罰…
見方によっては、天罰に他ならなった…
菊池リンの祖母…諏訪野和子が、見舞いにやって来たのは、それから、数日、経ってからだった…
諏訪野和子…
以前、一度会っただけだが、女傑だった…
私、寿綾乃など、及びもしない、女傑だった…
五井一族は、実は、女が動かしている…
以前、会ったとき、彼女は、そう言った…
歴史は、夜、作られるという映画の題名ではないが、犯罪の陰に女ありという言葉と、同じく、実は、表に立つのが、男でも、実質は、女が陰で、男を動かしている…
あるいは、男を操っているという例は歴史をひもとくもなく、枚挙にいとまがない…
近いところでは、ルーマニアのチャウシェスク元大統領が、妻のエレナの言いなりだったのが、良い例だろう…
私は、彼女の来訪に、驚いたが、同時に、以前、私が、彼女と会ったときに、私を評して、
「…寿さん…アナタには、五井の血が流れている…」
と、言ったことを、思い出していた…
私が、一人で生きて行ける強い女であることを、見て、同じように、強い、五井の女の血が、流れていると、思ったのだ…
それは、彼女の間違いだったが、彼女が、私を評価してくれたことに、間違いはなかった…
だから、そんな彼女が、私の見舞いに来たのには、驚いた…
同時に、怯えた…
一体、なにを目的に、やって来たのだろう?
そう、考えたからだ…
ただの見舞いにやって来たわけでは、当然、ない…
目的がある…
私は、病人なので、当たり前だが、体力がない…
だから、昼夜を問わず、寝ていることが多い…
だから、ふと、周囲に、ひとの気配を感じて、目が覚めた…
すると、和子が、座っていた…
私は、驚くと、同時に、怯えた…
和子の実力は、わかっている…
…一体、なんのために?…
…なにを目的に、私の元にやって来たのか?…
頭を巡らせながら、
「…お久しぶりです…」
と、言って、ベッドから、起き上がろうとした…
今の私の体力では、ベッドの上で、起き上がるのが、限界…
まだ、歩くこともできない…
たとえ、杖を使っても、無理…
が、
和子は、そんな私を見かねてか、
「…そのままで…」
と、言って、ベッドから、起き上がろうとする、私を制した…
それから、
「…初めまして…」
と、挨拶した…
…初めまして?…
一体、どういうことだろう?
私は、考えた…
今、目の前にいる、70代の高齢の女性は、諏訪野和子…
一度、会っただけだが、間違いはない…
覚えている…
それが、どうして、初めまして、なんだろう?
私は、思った…
だから、
「…以前、一度ですが、お会いしてます…」
と、私が、抗議? すると、
「…私は、諏訪野伸明の母、昭子です…寿さん、いつも、息子がお世話になっております…」
と、ベッドに横になったままの私に、腰を折って、丁寧に、頭を下げた…
「…諏訪野さんのお母様?…」
私は、驚いた…
同時に、気付いた…
容姿が、妹の和子に、そっくり…
瓜二つだ…
これは、彼女たちを知らなければ、間違いなく、騙されるというか…
同一人物だと、思われる…
それほど、似ている…
と、ここまで、考えて、それは、和子に一度しか、会ってないからだ、と、思った…
考えを変えた…
もしも、日常で、頻繁に出会う環境ならば、すぐに違いがわかるかもしれない…
誰もが、人形のように、瓜二つの人間は、いない…
人間は、どこか、違うものだ…
以前、アメリカの高齢の双子の姉妹が、若い頃に、互いのボーイフレンドと、姉妹が、入れ替わって、デートして、相手のボーイフレンドが、最後まで、気付かなかったと、笑ったが、それは、相手が若いから…
やはり、少しでも、年齢を重ねてくれば、姿形は、よく似ていても、なんとなく違いに気付くはずだ…
私は、思った…
思いながら、
「…そうでしたか…失礼しました…寿…寿綾乃と申します…初めまして…」
と、挨拶した…
「…間違えるのは、無理もありません…妹の和子とは、双子…外見もこの通り、そっくり…」
と、笑った…
「…双子?…」
「…そう…一卵性双生児の…」
昭子が告げる…
そして、その言い方を聞いて、たしかに、和子とは、別人だと、わかった…
なぜなら、昭子は、柔らかい…
物腰が、妹の和子と違って、柔らかい…
妹の和子は、一度会っただけだが、女傑…
女傑と言う言葉が似合う、女だった…
てきぱきとした物言いで、態度も堂々としていた…
しかし、今、目の前に現れた、昭子は、和子とは、真逆…
外見こそ、瓜二つだが、中身が、真逆…
おっとりとしている…
だから、昭子と名乗ったのが、ウソではないと、私は確信した…
そして、同時に、以前から、私は、一度、この昭子と会いたかったと、思っていたのを、思い出した…
菊池リンの祖母…和子とは、一度だけだが、会った…
和子は、先代当主、諏訪野建造の弟の義春の妻だった女…
義春は、兄、建造の死去と共に、建造の後に、当主になることを、目論んで、それが、潰えると、自殺して、世を去った…
が、和子は、その死に辛辣だった…
そもそも器ではないにもかかわらず、五井家の当主を目指したと、笑った…
つまりは、それほどの女傑だったということだ…
そして、私は、その和子よりも、この昭子に会いたかった…
亡くなった、建造の妻であり、諏訪野伸明の母…
それが、どんな女性だか、知りたかった…
それが、今、目の前に現れた…
感無量というと、大げさだが、やはり、感動した…
ずっと、以前から、会いたかった、その女性が、今、目の前に現れた…
なんといっていいか、わからなかった…
言葉もなかった…
私は、つい、彼女を凝視してしまった…
それは、彼女もまた同じだった…
昭子もまた、私を凝視していた…
私を観察していた…
私を値踏みしていた…
そして、お互いが、すぐに、お互いを観察していることに、気付いた…
値踏みしていることに気付いたことで、少し恥ずかしくなったというか…
照れ笑いを浮かべて、
「…あらあら…なんだか、お見合いみたいになっちゃったわね…」
と、昭子が笑った…
「…ホント、その通りですね…」
と、私も、笑った…
笑うことで、お互い、肝胆相照らす仲になったといえば、言い過ぎだが、緊張はなくなった…
「…一度、お会いしたかった…」
昭子が言った…
「…私も、です…」
私も答える…
「…和子が、寿さんについて、言ってました…」
「…なにをでしょうか?…」
「…あのような女性が、五井家にやって来るのはありがたいと…」
最大限の誉め言葉だった…
まさか、そんな誉め言葉をもらえるとは、思わなかった…
私は、ただ、
「…ありがとうございます…」
と、言った…
「…ですが、私は…」
「…病気のことね…」
と、昭子は、さばさばした口調で言った…
「…気にすることないと言ってしまえば、他人事に過ぎない…でも、生きている限り、諦めては、ダメ…」
「…」
「…希望を捨ててはダメ…」
昭子が、私を励ました…
私の目にうっすらと、涙が流れた…
見ず知らずの人間といっては、なんだが、初対面の人間に、こんなに励まされるとは、思わなかった…
「…アナタの病気のことは、伸明から、聞いてます…」
「…伸明さんから…」
「…ええ…」
「…でしたら、お母様から、言って頂けないでしょうか?…」
「…なにをですか?…」
「…伸明さんも、私を見舞いに来る時間があるなら、もっと、別のいいひとを探す時間にあてて欲しいと…」
私の言葉に、昭子は、
「…」
と、絶句した…
どう答えて、いいか、わからなかったのかも、しれない…
それから、しばらくして、
「…伸明もいいひとに、巡り会った…」
と、口を開いた…
「…ひとは、出会い…どんなに偉くても、どんなに頭が良くても、いいひとに、巡り会わなければ、人生はダメ…楽しめない…」
「…」
「…伸明もいいひとに、巡り会えた…」
「…でも、私の命は…」
「…それと、これとは、話が別です…ひとは、出会い…よいひとと巡り会わなければ、生きている意味がありません…」
穏やかな物言いだが、しっかりと断言した…
「…出会いというのは、男女を問わずです…ひとは、平等ではありません…少しでも、優れた人と出会い、援助、あるいは、応援してもらう…それが、どれほど、大切か、わからないひとは、この世の中に大勢います…でも、それは、単純に、そのような経験をしていないから…そのような方の人生は残念です…」
昭子が力を込める…
私は、それを聞いて、
…同じだ…
と、思った。
昭子の妹の和子と、同じ…
物腰は和子と違って柔らかいが、中身は同じ…
しっかりとしている…
同じように、女傑という言葉が似合う…
私は、思った…
「…寿綾乃さん…」
「…ハイ…」
「…伸明をよろしくお願いします…」
昭子が私に向かって、頭を下げた…
「…とんでも、ありません…」
私は、恐縮した…
まさか、いきなり、諏訪野伸明の母に頭を下げられるとは、思わなかったからだ…
まさに、想定外…
想定外の出来事だった…
…一体、どうすれば?…
…一体、なにを言えば?…
考えた…
それから、
「…私は、五井一族の血を引く者では…」
と、言いかけた…
まさか、私の正体は、わかっているに違いない…
だが、
万が一ということは、ある…
だから、確かめた…
確かめずには、いられなかった…
「…それは、わかってます…」
穏やかに、答える…
「…ですが、私は…」
私が、なおも、言いかけると、
「…寿さん…」
「…ハイ…」
「…伸明が、言いませんでしたか?…」
「…なにを、でしょうか?…」
「…五井一族の歴史は、争いの歴史だと…」
「…」
私は、答えようがなかった…
たしかに、諏訪野伸明は、今の昭子が言ったように、五井一族の歴史は、争いの歴史だと、私に言った…
金持ちの争いの歴史だと…
私は、それを思い出した…
「…覚えがあるようね…」
昭子が私の反応を見て、言った…
「…だから、寿さん…アナタが、五井一族の血を引こうが、引くまいが、私には、なんの関係もありません…それは、伸明も同じ…」
「…」
「…優れた異性が目の前に現れて、自分を好きになって、くれる…これほど、嬉しいことは、男でも、女でも、滅多にありません…」
「…」
「…さっきも言いましたが、ひとは出会い…出会いが、すべてです…どんな美男美女に生まれようが、出会いがない、男女は、多いです…歳を取って、あと二十年、若く生まれて、彼と付き合いたかった…彼女と付き合いたかったと、いうのは、誰にもある話です…」
「…」
「…でも、伸明は、四十代で、寿さんに会った…これは、僥倖(ぎょうこう)…大げさにいえば、天が伸明に与えた僥倖(ぎょうこう)です…これを無駄にすれば、天にツバすることになります…」
私は、彼女の話を聞きながら、以前、伸明が、私に話したことを、思い出した…
伸明もやはり、ルックスで、苦労したらしい(苦笑)…
諏訪野伸明は、長身のイケメン…
それは、学生時代から、同じ…
しかも、並みはずれたお金持ち…
それゆえ、学生時代、友達ができにくかった、と、以前、私に告白した…
金持ちの家に生まれたから、と、常に陰口を叩かれるから、わざと、ボロいクルマに乗る…
すると、
「…アイツは、ホントは、物凄いお金持ちなのに、わざと、あんなボロいクルマに乗って、嫌みなヤツだ…」
と、周囲から、陰口を叩かれる…
ファッションも同じ…
ファッションにこだわらない、安ぼったい服を着れば、金持ちのくせに、貧乏人のフリをしていると、言われ、
真逆に、ブランドで、身を固めたファッションで、決めれば、金持ちが金にあかせて、服を買ってと、陰口を叩かれる…
つまりは、なにをしようと叩かれる…
伸明が、なにをしようと、叩かれる…
要するに、伸明が、気に入らないからだ…
抜きん出て、金持ちの伸明が気に入らない…
それが、理由…
伸明が、なにかしたのではなく、金持ちのボンボンであることが、気に入らない…
そして、気に入らない原因は、嫉妬…
ルックスが良く、お金持ち…
誰もが、羨むものを、持って、いる…
自分にないものを、持っている…
それが、気に入らない…
なにも持たない人間が、持っている人間を妬む…
攻撃する…
残念ながら、それが、現実…
悲しいかな、そんな人間が、世の中、ごまんといる…
それゆえ、人間関係に疲れたのだろう…
やはり、伸明と同じように、ルックスで、周囲から、妬まれた経験を持つ、私に、親近感を覚えたのかもしれない…
やはり、私も、このルックスゆえに、周囲から妬まれた経験がある…
美人には、美人の悩み…
お金持ちには、お金持ちの悩みがある…
共通するのは、周囲からの嫉妬…
その嫉妬に、どうやって、対処してきたか?
その嫉妬に、どうやって、向き合って、生きてきたか?
諏訪野伸明は、私、寿綾乃の中にそれを見たのだろう…
似た者同士…
その言葉が、一番、似合う…
お金とルックスの違いはあれども、周囲から、嫉妬される…
その経験を積んできたことを、見抜いたのだろう…
私は、思った…
が、それを、考えたとき、
「…この後、伸明は、寿さんの力が必要になるかもしれません…」
と、意味深なことを言った…
「…どういうことですか?…」
「…伸明は、今、五井家の内紛に悩んでます…ご存知ですね…」
「…ハイ…承知してます…」
「…そして、その内紛の主は、私の実家、五井東家です…これも、ご承知ですか?…」
「…ハイ…」
「…なら、話が早い…五井東家の当主、菊池重方(しげかた)は、私の弟…私と、和子の弟です…そして、重方(しげかた)の息子が、この五井記念病院の理事長、菊池冬馬…私の甥に当たります…」
仰天の事実を言った…
まさに青天のへきれき…
天が割れたような衝撃だった…