第83話

文字数 6,013文字

 私は、ジッと、冬馬を見ていた…

 すると、冬馬が、不思議そうな顔で、

 「…どうした?…」

 と、聞いた…

 私は、どう言おうか、迷ったが、

 「…冬馬さんって、案外いいひとなんですね…」

 と、言った…

 今の私にとって、最大の誉め言葉だった…

 が、

 その言葉を聞くと、

 「…いいひとか…」

 と、冬馬が笑った…

 「…なにか、おかしいですか?…」

 「…いいひとと呼ばれるのは、嬉しい…案外という言葉が、前になければ…」

 冬馬が、指摘する…

 私は、その言葉で、自分のミスに気付いた…

 たしかに、

 「…案外、いいひと…」

 と、言われて、喜ぶ人間は、あまりいない(苦笑)…

 「…薬のせいだ…」

 「…薬のせい?…」

 「…だから、アンタもわけのわからないことを、言い出す…」

 「…」

 「…クルマに戻ろう…」

 そう言って、歩き出した…

 私は、無言で、冬馬に従って、クルマに戻った…

 そして、クルマに、乗り込んで、言った…

 「…このクルマ…冬馬さんのですよね?…」

 「…どうして、そんなことを聞くんだ?…」

 「…なんだか、冬馬さんに似合わないような…」

 「…やっと、気付いたか?…」

 「…やっと?…」

 「…伸明さんに借りたんだ…このクルマに乗って、寿さんを誘えって…」

 「…ウソォ!…」

 私は、驚いた…

 まさか、あの伸明が…

 こんな趣味の悪いクルマに乗っていたなんて…

 だが、以前、会ったとき、伸明は、クルマ好きのようなことを、言っていた…

 だから、こんな真っ赤な趣味の悪いベンツに乗っていても、驚くことはないのかもしれない…

 私が、そう思うと、

 「…冗談だ…」

 と、冬馬が、笑った…

 「…アンタ…案外簡単に、ひとの言葉を信じるんだな…」

 その言葉に、呆気に取られた…

 「…冗談?…」

 「…かもな…」

 そう言って、冬馬が笑った…

 私は、

 「…ホントは、どっちなんですか?…」

 と、怒った…

 冗談か、本気か、わからなかったからだ…

 「…今度、伸明さんに会ったとき、聞いてくれ…」

 そう言って、冬馬にはぐらかされた…

 私は、頭に来たが、これ以上、聞くのは、止めた…

 どうせ、冬馬は、答えないに決まっている…

 それに…

 それに、今言ったのは、冬馬が、言った通り、冗談の可能性の方が、強かった…

 体調が、悪い私を目の当たりにして、冬馬が、冗談を言って、私を笑わせようとした可能性の方が、強かった…

 そう気付いた…

 そして、それ以上、私は、冬馬と車内で、おしゃべりをするのを、止めた…

 やはり、体力的にきつかったのだ…

 ぼんやりと、助手席で、座っているのが、今の私にとって、もっとも、楽だった…

 私は、助手席に座りながら、またも、ウトウトと、眠りに落ちた…


 「…さあ…着いたぞ…」

 私は、冬馬に肩を揺らされて、目覚めた…

 気が付くと、自宅のマンションの前だった…

 「…ここは…」

 「…アンタの自宅マンション前だ…」

 私は、冬馬の言葉で、ようやく我に返った…

 …そうだ…

 …今日は、この冬馬と、亡くなった、五井家先代当主、諏訪野建造の墓参りに行って来たんだ…

 それを思い出した…

 それから、大きく息をした…

 自分を落ち着かせるためだ…

 大きく深呼吸をすることで、目が覚めることを、意識した…

 「…冬馬さん…」

 「…なんだ?…」

 「…今日は、ありがとうございました…」

 私は、助手席で、キチンと冬馬に頭を下げた…

 「…いや、そんなこと、しなくていい…」

 冬馬は、不機嫌だった…

 「…そんな真似はしなくていい…」

 「…」

 「…さっきも言ったが、アンタの体調も考慮せず、今日、誘ったオレが悪い…だから、アンタに礼を言われる覚えはない…」

 冬馬がキッパリと、断言した…

 「…とにかく、体調に気を付けろ…生きてゆく限り、カラダは大事だ…」

 冬馬が、続ける…

 まるで、冬馬が、私の主治医のような感じだった…

 文字通り、心配していた…

 「…生きていれば、いいことも、たくさんある…それを信じて、生きることだ…」

 冬馬が、アドバイスを送った…

 それから、

 「…今日は、ありがとう…楽しかった…」

 冬馬が意外なことを、言った…

 私は、社交辞令で、

 「…私もです…」

 と、礼を言った…

 「…ありがとう…お世辞でも、そう言ってくれると、嬉しい…」

 「…そんなお世辞なんて…」

 「…とにかく、元気でいてくれ…」

 冬馬が、言った…

 私は、これ以上、冬馬と、お世辞を言い合っても、仕方がないので、クルマのドアを開けて、車外に出た…

 そして、

 「…今日は、本当にありがとうございました…」

 と、キチンと腰を折って、礼を言った…

 冬馬は、クルマの中から、軽く手を挙げると、クラクションを、一度鳴らして、走り去った…

 そして、その日、見た、冬馬の姿が、生前の彼を、最後に見た姿だった…

 数日後、冬馬が、自殺したと、諏訪野マミから連絡があった…


 私は、その連絡があったとき、一瞬、なにが、起こったのか、理解できなかった…

 突然、諏訪野マミから、連絡があり、

 「…お久しぶり、寿さん…」

 と、いう声がした…

 「…いえ、こちらこそ、お久しぶりです…」

 「…寿さん…これから、言うことを、よく聞いて…」

 「…ハイ…」

 言いながら、一体なんなんだろ?

 と、思った…

 随分、大げさ過ぎる…

 「…冬馬…菊池冬馬…」

 「…ハイ…冬馬さんが、なにか…」

 「…死んだわ…」

 「…エッ? …死んだ?…」

 思わず、素っ頓狂な声を上げた…

 「…そう…自殺した…」

 「…じ…じ、自殺?…」

 またも、素っ頓狂な声を上げた…

 いや、

 上げずには、いられなかった…

 まさか、冬馬が…

 いや、

 あの冬馬が…

 信じられない…

 っていうか、つい先日、会ったばかりだ…

 それが、自殺なんて…

 「…う…ウソでしょ?…」

 思わず、聞いた…

 「…ウソじゃない…」

 マミが、答える…

 「…寿さん…数日前に、冬馬に会ったでしょ?…」

 「…ハイ…会いました…」

 「…そのとき、冬馬…変じゃなかった?…」

 言われてみれば、たしかに変だった…

 以前とは、明らかに、印象が違った…

 「…冬馬は、行き場がなくなったの…」

 …行き場がなくなった?…

 …どういう意味だろ?…

 「…五井家に復帰の見通しも立たず、行き場がなくなった…それで…」

 「…でも…たしか、菊池さんと冬馬が、結婚して、五井東家に戻るはずじゃ…」

 「…それは、なくなった…以前も言ったけど、佐藤ナナさんに対抗して、リンちゃんが、伸明さんと、結婚すると、言い出した…だから、冬馬との結婚は、ボツ…なくなった…」

 「…」

 「…それで、五井への復帰が難しくなり…自分でも、どうしていいか、わからず…」

 「…」

 「…寿さん…知ってた?…」

 「…なにをですか?…」

 「…冬馬が、ずっと、寿さんを好きだったこと…」

 「…私を好き?…」

 大声を出した…

 「…そう…伸明さんと、冬馬は、同じ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…女の好み…」

 「…好み?…」

 「…キレイで、強い女が好き…自分にないものを持っているから…」

 「…」

 「…そして、寿さんは、昭子さんや和子さんに似ているから…」

 いつのまにか、マミの声が涙声に変わっていた…

 「…昭子さんは、強い…和子さんも…」

 「…」

 「…でも、伸明さんも、冬馬も、昭子さんや和子さんほど、強くはない…」

 「…」

 「…だから、憧れる…同時に、反発する…そして、なにより、惹かれる…」

 「…惹かれる?…」

 「…おそらく、無意識のうちに、惹かれるんだと思う…伸明さんと冬馬が、寿さんを好きだったのは、それが、理由…私も最初は、わからなかったけれども、だんだん、わかってきた…」

 以前、菊池重方(しげかた)が、言ったのと、同じだった…

 「…冬馬は、言っていた…初めて、寿さんを見たとき、息が止まるかと思ったと…」

 「…」

 「…それほど、衝撃的だったと…」

 「…」

 「…つまり、一目惚れ…」

 「…一目惚れ?…」

 「…救急車で、初めて、五井記念病院に運ばれた寿さんを、一目見て、恋に落ちたと…」

 「…」

 「…だから、最後に、寿さんと、短い時間だったけれども、デートができて、楽しかったと、言っていたわ…」

 …デート?…

 まさか…

 まさか、冬馬の本当の目的が、私とのデートとは、思わなかった…

 まさに、まさかだ…

 でも、冬馬が私を好きって…

 本当なのだろうか?

 とても、そうは、思えなかった…

 いつも、冷たい感じで、私に接していた…

 それが、違ったのは、あのときだけ…

 今、諏訪野マミが言った、冬馬とドライブしたときだった…

 もしかしたら…

 もしかしたら、あのときの冬馬の姿が、真の冬馬の姿だったのだろうか?

 あのとき、私に接した冬馬の姿が、本当の冬馬の姿だったのだろうか?

 私は、これまで、冬馬を誤解していたのだろうか?

 考えた…

 菊池冬馬…

 険のある目をした、いけ好かない男…

 嫌なヤツだった…

 私は、最初、会ったときから、そう思っていたし、それは、その後、何度会っても、その印象が変わることはなかった…

 ただ…

 ただ、この前、会ったときだけは、違った…

 妙に、冬馬が、優しかった…

 私は、冬馬は、嫌いだし、一目見れば、虫唾が走るとまでは、いわないが、好きではないことに変わりはなかった…

 だが、あのときだけは、違った…

 だから、あれが、もしかしたら、冬馬の真の姿…

 本当の姿だったのだろうか?

 考えた…

 「…寿さん…」

 マミの声が、スマホから、聞こえてきた…

 「…ハイ…」

 「…冬馬と、伸明さんは、似ている…」

 「…」

 「…二人とも、強いように見えて、思ったほど、強くはない…」

 「…」

 「…だから、本当に、強い人間に憧れる…そして、反発する…」

 「…」

 「…寿さんは、強い…だから、二人とも憧れる…」

 涙声で、マミが、言った…

 「…弱い男は、強い女に憧れる…」

 マミが、説明する…

 私は、マミが、伸明や冬馬のことを、弱いと、断言するのは、驚いたが、だから、二人が、私に憧れると、言ったのは、もう何度も聞いた…

 私自身は、そんなこと、あるわけないと、思い、話半分で、聞いていたが、こう何度も言われると、本当なのかも?…

 と、考え込んだ…

 現に、今、冬馬が自殺したと言った…

 自殺したのは、当然、弱いから…

 強い男は、自殺しない…

 当たり前のことだった…

 「…そして、寿さんは、強い女の典型…」

 「…」

 「…キレイで、強い…病気にも負けない…」

 「…」

 「…誰もが、寿さんに、憧れる…」

 マミが、涙声で、続けた…

 が、

 私は、それに、反発した…

 私が、強い?

 冗談じゃない!

 そう見えるだけだ!

 一体、私のどこが強いんだ?

 大声で、反論したくなった…

 そして、もし、私が、強く見えたのならば、それは、冬馬も、伸明も、ボンボンだから…

 金持ちのボンボンだから、私が、強く見えたんだろ?

 と、言いたくなった…

 所詮、私は、一般人…

 平民に過ぎない…

 生まれつき、お金には、縁がない…

 金持ちには、縁がない…

 金持ちには、無縁の女…

 そんな女だから、強くなれる…

 そういうことかもしれない…

 温室育ちのお坊ちゃまには、ない強さということかもしれない…

 私は、考えた…

 金持ちに生まれれば、弱いというわけではないが、ハングリーさに欠ける…

 お金の面で、困ることがないからだ…

 お金の苦労がないだけで、人生の苦労のひとつが、なくなる…

 生きてゆく上で、さまざまな困難が、誰の身の上にも生じるが、その最たるものが、お金の苦労だろう…

 なには、なくても、まずは、お金がなければ、生きてゆけないからだ…

 その一番の苦労というか、悩みが、ないことは、生きてゆく上で、実に大きい…

 が、

 その困難は、強さに、直結する…

 どんなことも、苦労することで、ひとは、強くなる…

 お金の苦労が、ないことは、嬉しいが、苦労をしないことで、強くなる機会が、ひとつ、減ったのかもしれない…

 が、

 ここまで、考えて、伸明の母、昭子と、その妹、和子のことを、考えた…

 二人とも、強い…

 まさに、猛女という言葉がふさわしい…

 だが、二人は、お金持ち…

 五井家の有力分家、五井東家出身のお嬢様だ…

 つまり、お金持ちに生まれたにもかかわらず、強い…

 ということは、どうだ?

 お金持ちが、必ずしも、弱いということはないかもしれない…

 生まれつき、強い人間は、強いし、弱い人間は、弱いというだけかもしれない…

 お金持ちか、否かという環境は、必ずしも、関係がないかもしれない…

 そんなことに、気付いた…

 そんなときだった…

 「…寿さん…」

 と、マミが、切迫した声をかけた…

 「…もしかしたら、伸明さんも、怪しいかも…」

 いきなり、言った…

 …怪しいって?…

 …一体、なにが、怪しいのだろう?…

 考えた…

 「…怪しいって、一体なにが?…」

 「…伸明さんのメンタル…」

 「…メンタル?…」

 「…冬馬の自殺は、伸明さんに、とって、大きなショックに違いない…だって、冬馬は、伸明さんの…」

 そこまで、言って、途切れた…

 「…伸明さんの…なんですか?…」

 私は、わざと言った…

 カマをかけたのだ…

 「…いえ、なんでもない…」

 慌てて、マミが、言った…

 私は、本当は、冬馬は、伸明の血が繋がった弟だろうと、言いたかったが、止めた…

 ここで、諏訪野マミを問い詰めても、仕方がないからだ…

 ただ、それよりも、今、諏訪野マミが、口走った伸明のメンタルが、気になった…

 たしかに、冬馬が、伸明の血が繋がった実の弟ならば、ショックが大きいだろう…

 が、

 それをいえば、以前、伸明と五井家当主の座を争った弟の秀樹も、自殺していた…

 伸明と違い、秀樹は、当主の座に執念を燃やしていた…

 が、

 当主になれないと知ると、すぐに自殺した…

 考えてみれば、脆(もろ)いというか…

 あれほど、伸明を目の敵にして、当主の座を欲していて、それが無理とわかると、呆気なく死んだ…

 まさに、エリートの持つ、ひ弱さだった…

 秀樹は、伸明と違い、背は低く、ルックスも、良くなかった…

 が、気位は高い…

 また、策士でもあった…

 その策士ぶりを、血の繋がった実の父親の先代当主、建造に嫌われていた…

 が、

 その策士ぶりにもかかわらず、ああも、呆気なく死んだのは、やはり、弱いからだろう…

 お金持ちゆえに、弱いからに違いない…

 が、

 だとすれば、どうだ?

 伸明は、本当に弱いのか?

 それとも、弱くないのか?

 考えた…

 冬馬の自殺が本当ならば、伸明は、秀樹に続いて、弟が、死んだことになる…

 それが、一体、伸明に、どんなメンタル面の影響を及ぼすのだろうか?

 それとも、及ぼさないのだろうか?

 疑問だった…

 わけがわからなかった…

 予想がつかなかった…

               

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