第20話

文字数 9,494文字

 …私が、人質?…

 …そんなバカな?…

 あらためて、思った…

 あの理事長の菊池冬馬が、私を人質に取りたいのは、わかる…

 しかし、いくらなんでも、担当医が、退院してもいい、と、言ってるのなら、それに反対はできないのではないか?

 そう思った…

 なにより、そんなことをすれば、噂になる…

 噂?

 それを言えば、今現在、菊池冬馬自身が、この病院の理事長を解任されるかもしれないと、いう噂が、病院内で、流れていると、この佐藤ナナが言っていた…

 もし、それが事実ならば、私の退院を阻止するような真似をすれば、余計に、あの、ゴッドマザー、諏訪野伸明の母、昭子を怒らせることになるのではないか?

 私は、思った…

 そう、思ったときだった…

 長谷川センセイが、

 「…それは、ブラフだと思う…」

 と、いいづらそうに言った…

 「…ブラフ?…」

 私は、訊いた…

 「…つまり、はったり?…」

 「…はったりって、寿さんを人質に取るのが、はったりってことですか?…」

 今度は、佐藤ナナが、訊いた…

 「…その通り…」

 長谷川センセイが、答える…

 「…ボクも、この病院に勤務する、勤務医だ…冬馬が、五井家から、追放されるかもしれないという噂は、聞いた…」

 「…」

 「…でも、だから、だろう…寿さんを、人質に取るという、噂を、流したのかもしれない…いわば、そうすることで、五井家を牽制したともいえる…」

 「…」

 「…冬馬もバカじゃない…五井家あっての、菊池冬馬だということは、わかっているだろう…五井家を出れば、ただの一般人だ…」

 長谷川センセイが、断言する…

 私は、その言葉を聞きながら、その通りだろうと、思った…

 菊池冬馬もバカじゃない…

 自分の力は、わかっているに違いない…

 現に今、長谷川センセイが、言ったことと、同じことを、この病室で、あの昭子の前で、言ったではないか?

 私は、それを思い出した…

 「…だから、冬馬は、五井家を追放されたくないから、わざと、今、寿さんは、自分の手のひらの上にいると、言いたいんじゃないかな…かといって、どうこうすることもできない…変な話、核兵器を持っていても、使えないのと同じ…あくまで、ボクは、核兵器を持っていると、脅しているに過ぎない…実際に使うことはできない…核兵器を使えば、下手をすれば、人類が滅ぶ…それと同じで、寿さんに、実際に、理事長の権限で、なにかすれば、すぐに、五井家から、理事長を解任される…それが、わかっているから、あくまで、ブラウ…脅し…寿さんが、自分が理事長を務める病院に入院していることを、忘れるな、とでも、言いたいに過ぎないと、思う…」

 長谷川センセイが、考えながら、言った…

 私は、その言葉に共感した…

 たしかに、長谷川センセイの言う通りだろう…

 下手に私に手を出すことはできない…

 だが、今現在は、自分の支配下にあるとでも、言いたいのかもしれない…

 それが、先日、偶然、廊下で、会った際のあの表情に、すべてが、凝縮されているのかもしれない…

 あの憎々しげに、私を見ていた表情に、凝縮していたのかもしれない…

 私は、あらためて、思った…

 そして、気付いた…

 このまま、いけば、私は、もしかしたら、諏訪野伸明と結婚して、五井家に入るかもしれない…

 かたや、冬馬は、五井家を追放されるかもしれない…

 そんな危機感が、あの、廊下で出会ったときに、現れていたのではないか?

 自分が劣勢に立たされているがゆえに、余計に私を見下したのかも?

 弱い人間が、ことさら、自分を強く見せようとするのと、同じで、わざと、私を見下して見ることで、自分の優位性を示したかったのではないか?

 私は、その事実に気付いた…

 いずれにしろ、真相は、わからない…

 単純に、冬馬の性格が、悪いだけということもあるかもしれない(笑)…

 あくまで、私が、思ったのは、可能性に過ぎない…

 私が、考えていると、

 「…冬馬は…」

 と、長谷川センセイが、口を挟んだ…

 「…アイツは、プライドが高い…でも、そのプライドの源泉は、自分が、五井家の人間であること…それが、すべてだ…」

 「…すべて?…」

 「…誰だって、そうだが、ある程度の年齢になれば、自分の能力は、わかる…たとえば、自分が、女にモテるとか、モテないかは、中学生にでもなれば、大抵は、わかるが、勉強の方は、そうじゃない…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…中学生じゃ、あまりにも、世界が狭いというか…高校に入って、全国模試をして、その中で、何番ぐらいの位置にいるか…そして、その後、実際、どんな大学に入ったのかで、自分の立ち位置がわかるというか…」

 「…」

 「…ボクも、冬馬も、いわゆる一流大学を出たけれども、上には上がいるというか…別に、東大や京大に入ったわけでもないけれど、大学に行けば、当たり前だが、自分より、頭のいい人間は、ごまんといる…」

 「…」

 「…ボクも、そうだが、冬馬も同じく、そんな現実を思い知ったというか…すると、冬馬には、五井家しか、なくなる…金持ちのお坊ちゃまという肩書しか、なくなる…それが、唯一のよりどころというか…」

 「…」

 「…誰にも、誇れるもので、実際、誰もが、その位置に遠く及ばない…それが、五井家…そして、五井家の人間で、いることが、冬馬のプライドのよりどころとなる…だから、今、その五井家から、追い出されるかもしれないことが、冬馬にとって、何物にも代えがたいショックに違いない…」

 「…」

 「…冬馬もまた凡人だ…自分が、凡人であることがわかっているからこそ、五井家にしがみつく…自分の能力をわかっているからこそ、五井家のブランドを失いたくないんだろう…」

 長谷川センセイが、冬馬の胸の内を代弁した…

 私には、長谷川センセイの言うことが、よくわかった…

 菊池冬馬は、私、寿綾乃と同じく32歳…

 32歳にでもなれば、大抵は、自分の能力がわかる…

 社会での立ち位置がわかる…

 普通の人間ならば、どんな高校を出て、どんな大学を出て、どんな会社に就職するかで、その後の人生が、なんとなく、想像がつく…

 今現在、リストラなどの不安要素を考えれば、きりがないが、それでも、会社に入って、数年すれば、自分が、社内で、出世コースに乗っているかどうかぐらいは、わかる…

 わからない人間がいるとすれば、それは、よほど、間抜けな人間だろう…

 そんなことを、経験して、誰もが、なんとなく自分の実力がわかってくる…

 そういうものだ…

 ただ、やはり、運、不運というものは、誰もがある…

 わかりやすい例でいえば、一流の大学を出ても、いい会社に入社できず、社会で、くすぶっている者もいれば、たいした大学を出ずとも、思いがけず出世する者も、稀にいる…

 そういった場合、共通するのは、仕事が自分に合うこと…

 そして、職場の雰囲気が、自分に合うことに他ならない…

 うまく、自分に合うことで、自分の能力を生かすことができる…

 自分の能力を引き出すことができる…

 仕事が、勉強と違う最大の要因は、環境にある…

 勉強は、基本、家で、自分一人が、やれば、いいが、仕事は、職場で、大勢の人間と、いっしょにやるのが、大半だ…

 そして、職場の人間を束ね、リーダーになる…

 いくら、勉強ができても、人を束ねられない人間は、いるし、それができない人間に、その役割を求められたら、それは、その人間にとって、悲劇に他ならない…

 要するに、適材適所…

 うまく自分に合う職場と、巡り会い、自分の能力を生かす、仕事に就けるか、否か…

 それは、運に過ぎない…

 誰もが、凡人…

 天才はいない…

 出世する人間は、頭の良さもさることながら、運もまたいい…

 自分の能力を最大限、生かせる、職場、そして、仕事に巡り合ったともいえる…

 そして、そんな幸運な人間は、一握りに、過ぎない…

 だから、出世できる…

 社会で、活躍できるということだ…

 私、寿綾乃は、32歳で、決して、多くの会社を渡り歩いたわけでもない…

 だが、

 そんな私でも、その程度のことは、わかる…

 ただ、出世も、運…

 運に過ぎない…

 途中で、リストラされ、それまでいた会社では、偉くなっても、他社では、使えないと、烙印を押される人間もまた、枚挙にいとまがない…

 要するに、それまで、自分のいた、部署や、仕事、そして、職場が、その人間にうまくあっていたから、能力を発揮できただけで、リストラされ、他社に鞍替えしたときに、仕事や、職場の雰囲気が、どうしても、自分に、なじめない場合が、多々ある…

 要するに、運が尽きたのだ…

 そうなれば、当然、他社で、その人間が、評価されるはずもない…

 結局、転職した会社を、自分から、辞めるか、お払い箱=リストラされるか、あるいは、その会社で、埋もれた会社生活を送るかの、いずれかだろう…

 私は、思った…

 そして、菊池冬馬もまた、その現実を知っているのだろう…

 冬馬自身は、お金持ちのボンボンに過ぎないが、友人、知人から、色々な話を聞いているだろう…

 32歳にもなった男が、そんなことも、わからないとは、思えない…

 また、それが、わからないほど、愚かとは、思えない…

 もし、それが、わからないのであれば、この病院の理事長など、任せられないに違いない…

 ひとの口に戸は立てられない…

 菊池冬馬が、無能ならば、無能であることが、噂になり、五井家の耳に入るに違いない…

 そうなれば、やはり、理事長を解任するしか、なくなるだろう…

 五井記念病院という、世に知られた病院の理事長が、無能では、五井の名前に、傷が付くというものだからだ…

 そんなことを、考えていると、

 「…冬馬にとって、寿さんの存在は、特別なんだと思う…」

 と、長谷川センセイが言った…

 「…特別?…」

 「…今も言ったように、冬馬は、今、首筋が寒い…いつ、自分が、五井家から、追い出されるのか、わからない…かといって、冬馬の力では、どうすることもできない…その中で、唯一といっていいことが、寿さんの入院する、病院の理事長だということ…この理事長という立場を使って、寿さんを人質に取ることが、アイツができる、ただひとつのことだと思う…」

 長谷川センセイが、説明した…

 たしかに、長谷川センセイのいうことは、わかった…

 だが、やはりというか…

 私が、あの菊池冬馬の切り札が、私ということが、気に入らなかった…

 いや、

 許せなかった…

 あの菊池冬馬は、なにが、あっても、好きになれる人間ではなかった…

 そんな菊池冬馬の切り札が、私では、納得できない…

 よりによって、大嫌いな人間の切り札に自分が、なっているのだ…

 この現実が、許せなかった…

 しかし、どうして、この長谷川センセイは、菊池冬馬と親しいのだろう…

 謎だった…

 長谷川センセイは、長身のイケメンで、人柄もいい…

 それが、どう見ても、一癖も二癖もある、冬馬と親しいのは、文字通り、謎だった…

 だから、

 「…長谷川センセイは、冬馬理事長と、学生時代から、親しかったんですか?…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 「…いや、冬馬とは、学生時代は、それほど、親しい間柄じゃなかった…」

 長谷川センセイが、意外な事実を口にした…

 「…親しくなったのは、ここ数年だ…」

 「…ここ数年? …ですか?…」

 「…おそらく、冬馬が、人づてに、ボクの噂を聞いたからだろう…」

 「…どういうことですか?…」

 「…ボクは、自分で言うのも、なんだが、ちょっとばかり、腕がいいと、評判なんだ…きっと、それを聞きつけた、大学時代の友人が、冬馬に頼まれて、ボクと冬馬を会わせ、冬馬は、ボクを、この病院にスカウトした…おそらく、冬馬は、自分の実績を作りたかったに違いない…」

 「…実績?…」

 「…この病院の理事長を任された以上、なにか、しなければ、ならない…なにか、目に見える形で、実績を残さなければ、ならない…それが、一番、簡単で、誰の目にも、わかりやすいのは、世間に名の知れた、優秀な医者をスカウトすること…あの病院は、名医ばかり揃えていると、業界で、話題になる…冬馬は、それを狙ったんだと思う…現に、ボク以外にも、冬馬にスカウトされて、この病院に勤めた勤務医は何人もいる…」

 長谷川センセイは、言った…

 その説明で、冬馬の必死さが、わかった…

 やはり、というか、ただの帽子ではない…

 帽子=神輿(みこし)ではない…

 仮に、帽子であれ、ただの帽子であることに、強い反発があるのだろう…

 五井一族ゆえに、この病院の理事長になれた…

 それは、わかっているが、やはり、それだけでは、嫌なのだろう…

 だから、スカウトに力を入れる…

 それが、もっとも、簡単で、しかも、目に見える実績作りができるからだろう…

 私は、思った…

 と、なると、どうだ?

 つまりは、菊池冬馬は、それほど、この五井記念病院の理事長という職に、こだわっている…

 力を入れている…

 執着しているといえる…

 だとすれば、そんな冬馬が、簡単に、理事長の座を手放すとは、思えない…

 私は、気付いた…

 「…冬馬は、簡単には、この病院の理事長の座から、降りないと思う…」

 私が、思っていることと、同じことを、長谷川センセイが、言った…

 私は、黙って、長谷川センセイを見た…

 そして、

 「…やはり、センセイは、そう思いますか?…」

 と、長谷川センセイに聞いた…

 「…残念ながら…」

 長谷川センセイは、短く、答える。

 「…冬馬にとって、五井家の人間であること…そして、なにより、この五井記念病院の理事長であるということが、自分のすべてなんだと思う…世間に知られた大病院の理事長であること…それが、自分のプライドをなによりも、満足させることなんだと思う…」

 「…」

 「…だから、簡単には、この病院の理事長の座を、誰にも明け渡さないと、思う…寿さんを、自分のテリトリーである、五井記念病院から、退院させないと思う…」

 長谷川センセイは、断言した…

 私は、その長谷川センセイの意見に激しく同意した…

 私は、長谷川センセイを、黙って見た…

 すると、なぜか、同じように、長谷川先生を、佐藤ナナが、無言で、見ていることに、気付いた…

 しかも、

 しかも、だ…

 その視線は、愛情とは、違う…

 かといって、憎しみというのでもない…

 ただ、見ていたと、言ってもいいのかもしれない…

 ただ、鑑賞している感じだった…

 いわゆる、感情が、こもった感じではなかった…

 その佐藤ナナの表情を見て、私は、ふと、疑問を感じた…

 佐藤ナナは、それまで、純粋に、長谷川センセイを好きだと思っていた…

 が、

 今の表情を見る限り、それも怪しい…

 一体、なぜ?

 私は、思った…

 が、当たり前だが、それを、佐藤ナナに聞くわけには、いかなかった…

 いずれにしろ、遠からず、そのわけもわかるかもしれない…

 私は、思った…

 結局、その日は、それだけで、終わった…

 「…とにかく、寿さんの回復ぶりには、驚かされる…ボクも、毎日、ここへ、やって来ることはできませんが、この佐藤さんと、リハビリをして、一刻も早く、退院できるように頑張ってください…」

 と、長谷川センセイが、言った…

 そして、そう言った後に、

 「…これでは、さっきの発言と、矛盾しますね…」

 と、笑った…

 これには、私も苦笑せざるを得なかった…

 「…まあ、とにかく、リハビリは、頑張ってください…寿さんが、退院できるか、どうかは、関係なく、リハビリは、大切です…ベッドの上で、寝ているだけでは、体力は、回復しませんから…」

 長谷川センセイの言葉に、

 「…それは、わかってます…」

 と、返答した…

 私の言葉に、

 「…ですよね…」

 と、長谷川センセイは、相槌を打った…

 それから、安心したように、病室を出て行った…

 その長谷川センセイの後に、佐藤ナナが、続いた…


 政界では、大場小太郎が、騒がれていた…

 今秋には、大きな選挙がある…

 その選挙の焦点が、大場小太郎だった…

 だから、今、テレビに映っていた…

 私は、病室で、ひとり、テレビを見ていた…

 これまでは、ベッドの上で、ひとりで、起き上がることもできなかったから、テレビも見れなかった…

 しかし、今は、違う…

 ひとりでも、松葉杖を使えば、歩くことができる…

 そこまで、回復した…

 大場小太郎は、長らく、自民党のプリンスと呼ばれ、いずれは、総理になる器の人物と、見られていた…

 ただ、統率力が、弱い…

 いわゆる、ひ弱なエリートの典型だった…

 頭も良く、ルックスもいい…

 背も高く、いわゆる、すべてを持って生まれた人間だった…

 にもかかわらず、金持ち特有というか、エリート特有のひ弱さがあった…

 それを思えば、すべてを持って生まれた人間はいない…

 今さらながら、考える…

 大場小太郎は、長らく、自民党のプリンスと、言われながら、世間的な知名度は、今一つだった…

 いわゆる、イケメンだが、華がない…

 政界は、芸能界に似ている…

 どちらも、人気商売…

 大衆に支持されて、ナンボの世界だ…

 大場小太郎は、その中にあって、華がない=存在感がなかった…

 言葉は悪いが、周囲に埋もれてしまう人物だった…

 しかしながら、そんな大場小太郎を見ると、安心するというか…

 大場小太郎を見ると、つくづく、すべてを持って、生まれた人間はいないと、安心する…

 これは、私のひがみだろうか?

 庶民である、私のひがみだろうか?

 考える…

 私が、そんな思いで、病室で、ひとり、テレビを見ていると、突然、

 「…失礼します…」

 という声がして、長身の男が、部屋に入って来た…

 私は、その人物を見て、驚いた…

 部屋に入って来たのは、諏訪野伸明だった…

 まさか、諏訪野伸明が、前触れもなく、いきなり、私の病室にやって来るとは、思いもよらなかった…

 驚きだった…

 「…こんにちは…」

 少し照れ臭そうに、諏訪野伸明が言った…

 「…いきなり、やって来て、スイマセン…」

 頭を下げて、私に詫びた…

 「…とんでも、ありません…」

 私は、言いながら、テレビを消そうとした…

 が、

諏訪野伸明は、そのテレビに映った大場小太郎を見て、

 「…大場先生ですか…」

 と、言った…

 だから、テレビを消すのを止めた…

 「…ご存知なんですか?…」

 「…ハイ…叔父が、大場さんの派閥の代議士で…」

 「…菊池重方(しげかた)さん、ですよね?…」

 「…ご存知だったんですか?…」

 今度は、諏訪野伸明が、同じことを言った…

 だから、私も、諏訪野伸明同様、

 「…ハイ…」

 と、答えた…

 「…そうですか?…」

 私の返事に、諏訪野伸明は、意味深だった…

 「…でしたら、この病院の理事長、菊池冬馬が、その菊池重方(しげかた)の息子であることは、知ってますね…」

 「…お母様から伺いました…」

 「…母から?…」

 「…一度、病室に来て頂いて、そのときに、理事長も…」

 「…冬馬が?…」

 驚いた様子だった…

 「…伸明さんは、お母様から、お聞きにならなかったんですか?…」

 「…ハイ…」

 意気消沈した様子だった…

 「…最近、母とは、あまり…」

 私は、その言葉で、今日、私に会いに来た理由がわかった気がした…

 おそらく、諏訪野伸明の周辺の様子がキナ臭くなってきたに違いない…

 それゆえ、居心地が悪く、リフレッシュする意味で、私の元へやって来たに違いなかった…

 私、寿綾乃と会うことが、諏訪野伸明にとって、なによりの息抜きになるに違いなかった…

 私は、テレビ画面に映った、大場小太郎を見て、

 「…大場先生が、なにやら関わって来るみたいですね…」

 と、曖昧に告げた…

 私の言葉に、

 「…そこまで、ご存知だったんですか?…」

 と、諏訪野伸明が、絶句した…

 そして、私同様、テレビの中の大場小太郎に視線を向けた…

 「…叔父の菊池重方(しげかた)は、大場先生から、大場派を奪おうとしている…」

 諏訪野伸明が、ゆっくりと、言った…

 「…ですが、大場先生は、バカじゃない…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…すでに、母に、叔父の…重方(しげかた)の処遇を相談している…」

 「…相談?…」

 「…要するに、五井家が、叔父の重方(しげかた)を、どうするか、見ているんです…」

 「…それは、どういう?…」

 「…五井家が、重方(しげかた)を支えるのか、それとも、五井家から、重方(しげかた)を追放するのか? …どっちにするか、大場先生は、母に問うたのだと思います…」

 …そうか?…

 …そういうことか?…

 私は、今さらながら、気付いた…

 それゆえ、伸明の母、昭子は、私の元へやって来たときに、

 「…重方(しげかた)は、追放するしかない…」

 と、言ったに違いない…

 彼女の中で、すべて、決定したあとだったに違いない…

 すべてを決めて、やって来た…

 だから、私に会いに来たに違いない…

 ということは、どうだ?

 それだけ、手ごわい?

 それだけ、重方(しげかた)が、手ごわいのではないだろうか?

 簡単に、重方(しげかた)を、追放できるのならば、悩みはしないのではないか?

 私は、思った…

 追放するのに、躊躇するのは、可愛いか、手ごわいか、だ…

 だが、あのときの昭子の態度から察するに、重方(しげかた)に、愛情を注いでいるようには、思えない…

 となると、手ごわいと、見るのが、普通…

 そう、考えるのが、妥当だ…

 菊池重方(しげかた)は、手ごわい…

 まあ、もっとも、大場派を奪うか、大場派から、独立して、菊池派を立ち上げようと、画策しているぐらいだ…

 菊池重方(しげかた)が、弱いはずはない…

 もし、そんなに菊池重方(しげかた)が、弱いのならば、自分の派閥を立ち上げようとは、思わない…

 自分の派閥を、作ろうとは、思わない…

 なぜなら、そんなことをしても、誰も、自分にひとがついてこないからだ…

 自分にひとがついてくる…

 そんな自信が、自分にあるから、派閥を作ろうとしているに違いない…

 また、その自信が、過信ではなく、事実に違いない…

 真実に違いない…

 まさか、六十を過ぎた男が、そこまで、自分の力を誤解しているとは、思えない…

 そこまで、愚かとは、到底、思えない…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…母は、すでに、叔父を見捨てました…」

 と、伸明は、言った…

 私は、その言葉に、驚かなかった…

 「…リン…菊池リンちゃんを…海外にいた、彼女を帰国させたことで、母を激怒させました…」

 伸明が言う。

 そして、私の顔を見て、

 「…寿さん…驚かないんですね?…」

 と、意外そうに、言った…

 「…諏訪野マミさんから、聞きました…」

 私は、答える…

 「…マミから?…」

 伸明は、絶句した…

 「…そうですか…」

 伸明は、心底、参った様子だった…

 「…やはり、それは、菊池重方(しげかた)さんが、糸を引いているんですか?…」

 私の言葉に、伸明が、驚いた…

 「…寿さんは、なにもかも、知ってるんですね…」

 が、

 私は、その言葉に、

 「…」

 と、なにも言わなかった…

 「…ただ、その一件で、母と、和子叔母様の仲が怪しくなって…」

 と、驚きの展開を語った…

 五井家の内紛の正体が、おぼろげながら、見えてきた…

 いや、

 おぼろげではない…

 すでに、わかっていた内紛の状態が、さらに悪化して、広まってゆく、感じだった…

               

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み