第9話
文字数 9,791文字
…菊池冬馬…
やはり、この病院の理事長、菊池冬馬が、キーパーソン…
今、私の入院する、五井記念病院の理事長、菊池冬馬が、五井家の内紛の主役の一人に、違いない…
私は、考える…
同時に、
会ってみたい…
見てみたい…
と、思った…
どんな人間か、この目で、確かめてみたい…
そう、思った…
五井家当主の、諏訪野伸明さんと、まだ意識の回復していない、私、寿綾乃を見舞いに来たぐらいなのだから、いずれ、この病室にやって来ることで、あろうことは、容易に、想像できる…
ただ、やはり、早い方が、いい…
どんな人間か、この目で、見てみたい、と思った…
そう、考えていると、
「…実は、ボクも、この菊池冬馬氏に、会ってるかもしれないんだ…」
と、傍らの藤原ナオキが、意外なことを、言った…
「…会ってる? 菊池冬馬さんに?…」
言いながら、それは、
「…それって、やはり、この病院で、まだ意識を回復していない、私の見舞いにやって来たとき?…」
と、聞いた…
「…それもある…」
ナオキが、即答する…
「…でも、それ以前に、どこかで、会った気がするんだ…」
ナオキが、考え込みながら、言う…
「…どこ? …どこで?…」
「…わからない…」
ナオキは、首を横に振った…
「…たぶん、確信はないが、経営者同士の集いというか、若手経営者の集まりか、なにか、パーティーの席だったと、思う…」
ナオキが、告白する…
「…綾乃さんも、知ってるように、ああいう集まりでは、とにかくいろんなひとと、出会う…ボクも最初の頃は、もらった名刺を大切に保管したり、自分でも、いろんな人間に、名刺を配った…でも、じきに、そんなことはしなくなった…変な話、パーティーで、知り会った人間は、パーティーで知り合ったに過ぎない…」
「…どういうこと?…」
「…要するに、顔見世というか、名刺を交換するだけだ…大抵が、仕事に繋がらないし、そもそも、一度会っただけで、互いに、どんな人間かもわからない…だから、その後、仕事に繋がらない…どんなひとなのって、ひとに聞かれても、答えることができない…だから、ひとに紹介することができない…」
「…」
「…だから、それがわかって、ボクは、パーティーに出席するのは、止めた…」
ナオキが説明する…
たしかに、ナオキが言うことは、わかる…
私は、藤原ナオキがFK興産を創業する前から、知っている…
藤原ナオキが、FK興産を創業したときは、ITバブル全盛期…
ちょうど、あのホリエモンが、ライブドアで、世の中を席捲した時期だ…
誰もが、ITを使って、会社を立ち上げて、一儲けしようとした時代…
多くの人間が、会社を創業した…
そして、勉強会と称して、さまざまな飲み会が発生したのも、この時代の真実…
酒を飲むことで、見知らぬ者同士が、仲良くなれる…
その意味で、酒は、人間関係の構築に欠かせないものだった…
酔って、くだらない話をすることで、仲良くなれる…
だが、所詮は、酒を介して、知り会っただけ…
本当は、相手のことがよくわからない…
だから、信用できない…
そんなことがわかって、藤原ナオキは、いわゆる、同業者の集まりに、顔を出すことは、止めた…
当時、そう、私に、告白した…
私は、それを思い出した…
が、
おかしいというか…
その時代の話では、年齢が合わない…
菊池冬馬は、三十代前半…
藤原ナオキよりも、十歳は若い…
だから、今言った、パーティーで、知り会ったのならば、創業当時のパーティーではない…
むしろ、最近…
どこかのパーティーで、知り会ったのだろう…
藤原ナオキは、FK興産という会社の創業社長であり、従業員は、千人を超える…
同時に、テレビのキャスターを務める…
その爽やかなルックスから、起用されたのだ…
だから、世間に顔が知られている…
そして、今は、創業当時とは、違う意味で、パーティーに顔を出さなければ、ならない立場になった…
要するに、売れないタレントのギャラ飲みと、同じ…
売れないタレントが、パーティーに出席することで、ギャラを得る…
つまりは、パーティーに出席することが、仕事…
たとえ、売れないタレントでも、若く、きれいな女のコが、パーティーに出席すれば、そのパーティーが華やかになる…
それと、同じで、世間に名の知れた、ルックスのいい、藤原ナオキが、パーティーに顔を出すことで、おおげさにいえば、パーティーの格が上がるというか…
目玉になる…
だから、藤原ナオキに、パーティーに出席の依頼が、引きも切らなかった…
が、
ナオキ自身に、パーティーに興味はなかった…
だから、厳選した…
どうしても、断れない人間からの依頼以外は、滅多にパーティーに顔を出さなくなった…
だから、最近のパーティーで、菊池冬馬に知り会ったに決まっている…
また、ナオキが、世間的な知名度も得て、出席するパーティーは、当然のことながら、他の出席者も、立派な経歴の持ち主だった…
これを、考えれば、最近というか、ここ数年のパーティーで、菊池冬馬に出会ってるに決まっている…
私は、あらためて、そんなことに、気付いた…
そして、同時に、気付いた…
ならば、菊池冬馬は、どうなのか?
ということだ…
藤原ナオキと会ったときに、以前、会ったことに、菊池冬馬は、気付いたか、否か…
謎があるというか…
興味がある…
私が、そんなことを、考えていると、
「…パーティーというのは、所詮、顔見世に過ぎない…」
と、藤原ナオキが、自嘲気味に笑った…
「…菊池冬馬氏のことは、わからないが、諏訪野さんのように、生まれながらの金持ちと、ボクとでは、育った環境が、違い過ぎる…」
「…」
「…パーティーで、知り会った程度の間柄で、ビジネスは展開できない…それをいえば、できれば、学生時代に知り合った人間が、一番信用できるというか…つまるところ、仲良くできる…」
「…どういうこと?…」
「…ほら、ひとは誰でも、子供の頃に知り合った人間と、一番打ち解けることができる…大人になって、会社や仕事の関係で、知り会った人間よりも、信頼できるというか…たとえ、性格が悪い人間でも、アイツは、ああいう人間だから、の一言で、納得する場合が、多々あるというか…」
「…ナオキ、アナタ、なにが言いたいの?…」
「…つまりは、生まれ…」
「…生まれ?…」
「…金持ちは、金持ちの集まる名門の学校に進学する…周りは、みんな金持ち…そこで、横の繋がりができる…だから、大人になって、なにか、困ったときや、仕事の関係で、悩んだときも、その金持ちのネットワークが生きるというか…いわゆる有力者同士繋がっている…」
ナオキが、呟く…
私は、藤原ナオキが、そのような発言をすることを、初めて、見た…
やはり、コンプレックスというか…
一般人が成功しただけに、生まれつきの金持ちとの差をまざまざと見せられたことが、何度もあるのだろう…
埋めがたい差があるのだろう…
会社を経営することで、知った現実を、口にしたに過ぎないかもしれないが、やはり、それは、痛かった…
藤原ナオキが、自らの限界を口にしたのと、同じだからだ…
私も、藤原ナオキも、元は、一般人…
金持ちでも、なんでもない…
詰まるところ、生まれが違うことで、出てくる限界もある…
いかに金を得ようと、所詮は、成り上がり…
生まれながらの金持ちとは、違う…
生まれながらの金持ちとは、政界の麻生太郎元首相のように、金持ちのネットワークを持っている…
金持ちの家に生まれ、金持ちが集まる学校に進学する…
そうすることで、エスタブリッシュメントというか、階層が確立する…
いわゆる、金持ち=上級国民が出来上がる…
世界の富の44%を、わずか、1%の金持ちが、持っている(トマ・ピケティ)…
それが、現実だ…
残念ながら、その現実を否定することは、できない…
「…ボクは、金持ちになりたかったわけじゃない…」
ナオキが、突然、言った…
「…ただ、ビジネスをしたかっただけだ…」
ナオキが、続ける…
「…自分で、事業をしたかった…それで、創業当時は、ユリコがいて、彼女が、有能だった…ボクの右腕として、ボクが、思っていたというか、期待していたよりも、はるかに、優秀だった…ユリコ以外にも、綾乃さんや、その他のスタッフのおかげで、成功した…でも、成功うんぬんを別にすれば、ボクは、ただ事業をしたかっただけで、成功うんぬんは、考えてなかったというか…とにかく、好きなことをしたかっただけだ…」
ナオキが、激白する…
ナオキの言うことは、いわゆる、世間で、成功した人間は、誰もが、言っていることだ…
私は、思った…
成功が目的ではない…
結果的に、成功した…
これが、答え…
好きなことに、一生懸命、没頭していたら、成功した…
誰もが、口にするセリフ…
好きなことだから、一生懸命になれる…
好きなことだから、人一倍、夢中になれる…
好きなことだから、より力を発揮できる…
つまり、これが、成功する基本条件だろう…
好きなことだから、より力を発揮できる…
これが、なにより前提にある…
そして、だからといって、成功できる人間は、ごく少数…
成功は、極端にいえば、偶然…
神様に選ばれた人間に過ぎない…
大部分は、華やかな成功とは、無縁だからだ…
「…ただ、その限界も知った…」
ナオキが続ける…
「…諏訪野さんのような昔からの金持ちを知ると、自分の置かれた状況が、まるで、違うことがわかる…」
「…」
「…ボクのように、テレビに出て、そこそこ世間的な知名度を得ても、人脈がまるで、違う…生まれながらの金持ちには、彼らしか知らないネットワークといおうか…」
「…」
「…だが、それを妬んでも仕方がない…彼らは、極端にいえば、この国の貴族だ…生まれながらの上級国民だ…ボク程度の人間が、そこそこ成功しても、相手にもされない…」
ナオキが、苦笑する…
「…ただ…」
ナオキが、言葉に、力を込めた…
「…そんな上級国民の諏訪野さんに出会ったのは、綾乃さんにとって、この上ない僥倖(ぎょうこう)だ…なぜなら、諏訪野さんは、ボクにはない、金持ちのネットワークを持っている…」
「…」
「…この病院に入院出来て、腕のいい医者を担当につけることができたのは、諏訪野さんのおかげだ…ボクの力では、この五井記念病院に、綾乃さんを入院させることは、できるかもしれないが、腕のいい医者を、綾乃さんの担当にすることは、たぶん、できない…」
「…」
「…そして、綾乃さんには、なにより、その僥倖(ぎょうこう)を、生かして欲しい…」
「…生かす? …どういうこと?…」
「…長生きをして欲しい…」
「…長生きって? なにを?…私は、癌なのよ…」
「…それでも、だ…綾乃さんが、一日でも、一分、一秒でも、長く生きることが、その僥倖(ぎょうこう)を生かすことに繋がる…この病院に入院して、名医に見て、もらうことで、少しでも、命を繋ぐことができる…」
「…なにをバカな…」
と、私が、言いかけると、傍らのナオキが、泣いていることに気付いた…
「…お願いだ…綾乃さん…この僥倖(ぎょうこう)を生かしてくれ…」
ナオキが、絞り出すような声で、言った…
私は、どう言っていいか、わからなかった…
と、同時に、
…自分は、こんなに大事にされてるんだ…
と、今さらながら、思った…
傍らの藤原ナオキに、こんなに大事に思われてる…
それを思うと、悪い気はしなかった…
自分のために、泣いてくれる…
自分のために、涙を流してくれる…
そんな人間が、一人でもいることに、あらためて、感謝した…
そして、
「…私にとっての僥倖(ぎょうこう)は、ナオキ、アナタと知り合ったことなの…」
と、言ってやりたかった…
お金もなにもない、天涯孤独、ひとりぼっちの、私、寿綾乃が、これまで、生きてこれたのは、藤原ナオキ、アナタと知り会うことができたから…
そう言ってやりたかった…
しかし、それを口にすることはできなかった…
それを口にするのは、私も恥ずかしいし、なにより、ナオキ自身が、それを嫌がる…
そして、それを嫌がる藤原ナオキだからこそ、かえって、信頼できた…
自分自身が称賛されることを、なにより嫌う人間こそ、当たり前だが、信頼できた…
そんな人間と、知り会うことができたことが、私、寿綾乃の僥倖(ぎょうこう)だと、あらためて、思った…
「…寿さん…具合はどうですか?…」
ナオキが、帰った後に、ほどなく、担当の長谷川センセイが、あの看護師の佐藤ナナといっしょに、やって来た…
「…大丈夫です…」
私は、ベッドに横たわりながら、答えた…
長谷川センセイは、幾分、緊張した面持ちだった…
やはり、背後に、佐藤ナナを従えているからかもしれない…
前回、佐藤ナナから、
「…センセイ…寿さんが、好きなんでしょう?…」
と、からかわれた…
それで、余計に、私を意識したのかもしれない…
長谷川センセイが、私を好きなのか、どうかは、わからないが、たとえば、それまで、あまり意識しなくても、周囲の人間から、
「…好きなんでしょ?…」
と、思われてることを知れば、やはり、意識してしまう…
真相は、そんなところじゃないかなとも、思う…
ただ、私にとって、この長谷川センセイは、特別…
別格だ…
なぜなら、私の裸を見られている…
全裸を見られている…
男女関係がなくて、私の全裸を見られた男性は、たぶん、この長谷川センセイが、初めて…
子供時代のジュン君とは、よくいっしょに、お風呂に入ったが、ジュン君は、男とはいえ、子供…
れっきとした成人男子で、男女関係がないにもかかわらず、裸を見られたのは、この長谷川センセイが初めてだ…
かといって、恥ずかしいとか、なにかは、なにもない…
これは、やはり、相手が医者だから、だろう…
医者に裸を見られたから、恥ずかしいとは、思わない…
それは、相手が年下であれ、年上であっても、同じ…
医者という立場の人間が、患者の裸を見るのは、当たり前だからだ…
しかし、それは、患者としての立場…
医者としての立場から、見れば、また違うかもしれない…
ただ、やはり、医者としての立場ならば、どんな美人の裸を見ても、ときめかないのではないか?
職業上、老若男女を問わず、患者の裸を見ることは、見慣れている…
そう思った…
そして、そう思ったとき、あのユリコに、
「…裸を見られました…スッポンポンの裸を見られました…」
と、言って、からかったことを、思い出した…
ユリコが、この長谷川センセイを、気になっていることを、知って、からかってみたくなった…
ユリコは、イケメン好き…
もちろん、イケメン好きとはいえ、イケメンならば、誰でもいいわけではないだろう…
男でも女でも、ルックスが良い人間を好きな男でも女でも、ルックスが良ければ、誰でも、好きだということは、ありえない…
通常、会ったことのない有名人…
テレビで見る芸能人の、ルックスが良い男女でも、やはり、好きではない人間がいる…
当たり前のことだ…
単純に、この長谷川センセイが、ユリコのタイプなんだろう…
そう思うと、ついニヤリとした…
口元がほころんだ…
が、それを見て、看護師の佐藤ナナが、
「…センセイ…寿さんが、笑ってますよ…」
と、いきなり、言った…
すると、長谷川センセイが、困惑した…
それまで、いささか、緊張した面持ちで、私のカラダを調べていた長谷川センセイの顔が、真っ赤になった…
まるで、電気が付いたように、紅潮した…
「…きっと、長谷川センセイが、寿さんを、好きだから、からかってるんですよ…」
佐藤ナナが、長谷川センセイをからかう…
しかし、今度は、顔を紅潮させた長谷川センセイが反撃した…
「…いや、ボクが、寿さんを、人一倍熱心に診察するのは、冬馬に頼まれて…」
思いがけない名前が出た…
「…冬馬って、この病院の理事長の菊池冬馬さん?…」
私は、聞いた…
まさか、この長谷川センセイから、菊池冬馬の名前が出るとは、思わなかったからだ…
「…冬馬は、学生時代からの友人で…アイツに頼まれて…」
「…学生時代の友人?…」
唖然とした…
まさか、この長谷川センセイと、菊池冬馬が、そんな関係だとは、思わなかった…
同時に、当たり前かも、とも思った…
菊池冬馬は、五井一族…
当たり前だが、お金持ち…
そして、それは、この長谷川センセイも同じに違いない…
当たり前だが、医者になるには、お金がかかる…
頭がよいことは、もちろんだが、お金が、必要になる…
そのお金をたやすく用意できるのは、やはり、実家が裕福な証拠…
お金持ちの証拠だからだ…
そして、お金持ちだから、お金持ちの子息が集う有名校に進学する…
だから、菊池冬馬と、知り会ったのだろう…
私は、思った…
「…冬馬に頼まれたから…」
長谷川センセイは、繰り返す…
私は、驚きで、絶句のあまり、言葉も出ず、黙って、長谷川センセイを見たが、それは、看護師の佐藤ナナも同じだった…
「…長谷川センセイが、理事長の友達だったなんて…」
驚きに、目を見張った…
佐藤ナナの浅黒いが、愛くるしい顔が、驚きに満ち溢れていた…
「…そんな…すごい…」
佐藤ナナが、口走った…
が、
長谷川センセイは、冷静だった…
「…そんな…すごくも、なにも、ないよ…佐藤さん…」
長谷川センセイが、言う。
「…佐藤さんは、冬馬が、この病院の理事長だから、すごいと思ってるんだろうけど…」
佐藤ナナは、長谷川センセイの問いかけに、
「…」
と、無言だった…
「…でも、ボクにとっては、学生時代の友人に過ぎない…」
「…」
「…だから、偉くとも、なんともない…」
長谷川センセイが笑った…
たしかに、長谷川センセイの言う通りだろう…
学生時代に知り合った人間が、どれほど、偉かろうと、あまり、偉い人間とは、思わない…
たとえば、学生時代の友人が、キムタクや、小泉進次郎のように、有名になっても、それ以前の無名時代の姿を知ってるからだ…
それと、同じだろう…
「…アイツに頼まれたから、寿さんの担当になった…それだけです…」
長谷川センセイが、私のカラダを診断しながら、言った…
私は、その言葉に、ちょっと落胆した…
やはり、私を好きだとか?
そんなことを、言ってもらいたかった(笑)…
事務的に、淡々と、事実を告げられると、落胆するというか…
気落ちする…
だから、
「…残念ですね…」
私は、言った…
「…残念? …なにが、残念なんですか?…」
「…せっかく、私の担当になったのだから、私を好きになって欲しかったです…」
と、わざと、言った…
菊池冬馬から、頼まれたから、私の担当になった…
と、淡々と語る、長谷川センセイに、皮肉を言ってやりたかった…
やはり、自分を好きだと思っていた男が、実は、好きでも、なんでもないと、目の前で、宣言されると、誰もが、いい気はしない…
極端な場合は、復讐したくなるというか…
邪魔したくなる(笑)…
事実、男でも女でも、好きな相手に告白して、けんもほろろに、断られて、以後、その相手の悪口を周囲に言いふらすようになったと、いう話は、よく聞く…
好きが、嫌いになった好例だ(笑)…
女の場合は、あの女は、男好きで、いろんな男とやりまくっているとか、根も葉もない噂を立てられる(苦笑)…
そういう例が多い…
そして、これが、仕事の関係者だと、さらに厄介になる…
仕事上、どうしても、関わらざるを得ない人間が、相手では、困る…
常に、仕事を邪魔される…
あるいは、仕事で、自分だけ、重要な連絡がされないとか…
とにかく、追い込まれる…
そういう話は、よく聞く…
だが、私の場合は、ちょっぴり、皮肉を言っただけ…
だから、可愛いものだ…
だが、私の言葉は、思いがけず、予想外の反応をもたらした…
「…いえ…ボクは…その…寿さんを、嫌いだと、言ったわけでは…」
長谷川センセイが、ちょっと、ドキマキした感じで、言った…
しかも、顔を赤らめて、だ…
これには、私も慌てた…
まさに、想定外…
想定外の反応だった…
私を好きじゃないようなことを言ったので、あえて、私を好きだといってもらいたかったと、長谷川センセイをからかった…
しかし、その結果、長谷川センセイが、実は、私を好きなようなことを、言いだした…
今度は、私が慌てる番…
どうして、いいか、わからなかった…
長谷川センセイをからかったつもりが、しっぺ返しが来た…
そんな感じだった…
が、
それを救ったのが、佐藤ナナだった…
「…センセイ…ここは、病室です…女を口説く場所じゃありませんよ…」
と、いきなり、怒り出した…
「…女を口説く? …ボクは、そんなつもりじゃ…」
長谷川センセイが、慌てた…
「…ここは、病室…長谷川センセイは、医者…そして、寿さんは、患者です…お二人とも、自分の立場をわきまえて、行動して下さい…」
佐藤ナナが、プンプンと怒った感じで、言った…
「…そ…それは、わかっている…」
長谷川センセイが、言い訳した…
「…ボ、ボクは、医者で…寿さんは、患者…」
「…わかってないから、言ったんです…」
佐藤ナナが、怒った…
明らかに、激怒していた…
「…長谷川センセイ…女を口説くのなら、どこか、別の場所で、やってください…ここは、病院…病室です…女を口説く場所じゃ、ありません…」
佐藤ナナが、血相を変えた…
その佐藤ナナの言葉に、長谷川センセイは、明らかに、ひるんだ…
怯えたといってもいい…
「…わ…わかってる…ボ、ボクは、わかってるつもりだ…」
しどろもどろの言葉で、返答した…
「…わかってるつもりなら、病室で、患者相手に、口説くような言葉は、言わないんじゃないんですか?…」
「…ボ、ボクが、いつ、寿さんを口説いた?…」
今度は、長谷川センセイが、激怒した…
「…ボ、ボクは、そ、そんなこと、した覚えはないぞ…」
「…した覚えは、ないって?…たった今、寿さん、相手にしたじゃないですか? ウソを言わないで下さい…」
「…いつ、寿さんを、ボクが、口説いた?…」
「…今…たった今です…」
佐藤ナナが、怒鳴った…
「…ボクは、そんなことはしていない…」
今度は、長谷川センセイが、怒鳴り返した…
なんだか、痴話げんかの様相になってきた…
だが、このままでは、両者とも、収まりがつかないに違いない…
「…お二人とも、仲がいいんですね…」
と、私が、二人に、声をかけた…
二人は、口論を止めて、ビックリした顔で、私を見た…
「…そんな恋人同士のお二人のお邪魔をして、申し訳ありません…でも、患者は、私ですし…」
本当は、二人の争いの原因を作ったのは、私だが、そんなことは、おくびにも出さずに、口を出した…
自分に都合の悪いことは、口に出さないに限る(笑)…
さすがに、二人とも、私の顔を見て、バツが悪くなったのか、言い争いをしなくなった…
「…センセイ…診察を続けてください…」
私は、長谷川センセイに、お願いした…
長谷川センセイは、これまでとは、一転して、真面目な表情で、診察を始めた…
私は、ホッとした…
これで、二人の騒動に終止符を打てると、思ったからだ…
しかし、
さにあらず…
射るような視線を感じた…
視線の主は、佐藤ナナ…
私が、長谷川センセイをからかったのが、許せないに違いない…
明らかに憎々しげに、私を睨んでいた…
…面倒なことになった…
私が仕掛けたにも、かかわらず、そう思った(苦笑)…
もしかしたら、無用に、敵を作ったかもしれなかったからだ…
私は、謝ろうとも、思ったが、長谷川センセイが、いっしょにいては、かえって、マズいと思った…
かえって、話がややこしく、なりかねない…
だから、今度、佐藤ナナが、検診にひとりで、やって来たときに、謝ろうと、心に決めた…
佐藤ナナの射るような視線を感じながら、そう心に決めた…
やはり、この病院の理事長、菊池冬馬が、キーパーソン…
今、私の入院する、五井記念病院の理事長、菊池冬馬が、五井家の内紛の主役の一人に、違いない…
私は、考える…
同時に、
会ってみたい…
見てみたい…
と、思った…
どんな人間か、この目で、確かめてみたい…
そう、思った…
五井家当主の、諏訪野伸明さんと、まだ意識の回復していない、私、寿綾乃を見舞いに来たぐらいなのだから、いずれ、この病室にやって来ることで、あろうことは、容易に、想像できる…
ただ、やはり、早い方が、いい…
どんな人間か、この目で、見てみたい、と思った…
そう、考えていると、
「…実は、ボクも、この菊池冬馬氏に、会ってるかもしれないんだ…」
と、傍らの藤原ナオキが、意外なことを、言った…
「…会ってる? 菊池冬馬さんに?…」
言いながら、それは、
「…それって、やはり、この病院で、まだ意識を回復していない、私の見舞いにやって来たとき?…」
と、聞いた…
「…それもある…」
ナオキが、即答する…
「…でも、それ以前に、どこかで、会った気がするんだ…」
ナオキが、考え込みながら、言う…
「…どこ? …どこで?…」
「…わからない…」
ナオキは、首を横に振った…
「…たぶん、確信はないが、経営者同士の集いというか、若手経営者の集まりか、なにか、パーティーの席だったと、思う…」
ナオキが、告白する…
「…綾乃さんも、知ってるように、ああいう集まりでは、とにかくいろんなひとと、出会う…ボクも最初の頃は、もらった名刺を大切に保管したり、自分でも、いろんな人間に、名刺を配った…でも、じきに、そんなことはしなくなった…変な話、パーティーで、知り会った人間は、パーティーで知り合ったに過ぎない…」
「…どういうこと?…」
「…要するに、顔見世というか、名刺を交換するだけだ…大抵が、仕事に繋がらないし、そもそも、一度会っただけで、互いに、どんな人間かもわからない…だから、その後、仕事に繋がらない…どんなひとなのって、ひとに聞かれても、答えることができない…だから、ひとに紹介することができない…」
「…」
「…だから、それがわかって、ボクは、パーティーに出席するのは、止めた…」
ナオキが説明する…
たしかに、ナオキが言うことは、わかる…
私は、藤原ナオキがFK興産を創業する前から、知っている…
藤原ナオキが、FK興産を創業したときは、ITバブル全盛期…
ちょうど、あのホリエモンが、ライブドアで、世の中を席捲した時期だ…
誰もが、ITを使って、会社を立ち上げて、一儲けしようとした時代…
多くの人間が、会社を創業した…
そして、勉強会と称して、さまざまな飲み会が発生したのも、この時代の真実…
酒を飲むことで、見知らぬ者同士が、仲良くなれる…
その意味で、酒は、人間関係の構築に欠かせないものだった…
酔って、くだらない話をすることで、仲良くなれる…
だが、所詮は、酒を介して、知り会っただけ…
本当は、相手のことがよくわからない…
だから、信用できない…
そんなことがわかって、藤原ナオキは、いわゆる、同業者の集まりに、顔を出すことは、止めた…
当時、そう、私に、告白した…
私は、それを思い出した…
が、
おかしいというか…
その時代の話では、年齢が合わない…
菊池冬馬は、三十代前半…
藤原ナオキよりも、十歳は若い…
だから、今言った、パーティーで、知り会ったのならば、創業当時のパーティーではない…
むしろ、最近…
どこかのパーティーで、知り会ったのだろう…
藤原ナオキは、FK興産という会社の創業社長であり、従業員は、千人を超える…
同時に、テレビのキャスターを務める…
その爽やかなルックスから、起用されたのだ…
だから、世間に顔が知られている…
そして、今は、創業当時とは、違う意味で、パーティーに顔を出さなければ、ならない立場になった…
要するに、売れないタレントのギャラ飲みと、同じ…
売れないタレントが、パーティーに出席することで、ギャラを得る…
つまりは、パーティーに出席することが、仕事…
たとえ、売れないタレントでも、若く、きれいな女のコが、パーティーに出席すれば、そのパーティーが華やかになる…
それと、同じで、世間に名の知れた、ルックスのいい、藤原ナオキが、パーティーに顔を出すことで、おおげさにいえば、パーティーの格が上がるというか…
目玉になる…
だから、藤原ナオキに、パーティーに出席の依頼が、引きも切らなかった…
が、
ナオキ自身に、パーティーに興味はなかった…
だから、厳選した…
どうしても、断れない人間からの依頼以外は、滅多にパーティーに顔を出さなくなった…
だから、最近のパーティーで、菊池冬馬に知り会ったに決まっている…
また、ナオキが、世間的な知名度も得て、出席するパーティーは、当然のことながら、他の出席者も、立派な経歴の持ち主だった…
これを、考えれば、最近というか、ここ数年のパーティーで、菊池冬馬に出会ってるに決まっている…
私は、あらためて、そんなことに、気付いた…
そして、同時に、気付いた…
ならば、菊池冬馬は、どうなのか?
ということだ…
藤原ナオキと会ったときに、以前、会ったことに、菊池冬馬は、気付いたか、否か…
謎があるというか…
興味がある…
私が、そんなことを、考えていると、
「…パーティーというのは、所詮、顔見世に過ぎない…」
と、藤原ナオキが、自嘲気味に笑った…
「…菊池冬馬氏のことは、わからないが、諏訪野さんのように、生まれながらの金持ちと、ボクとでは、育った環境が、違い過ぎる…」
「…」
「…パーティーで、知り会った程度の間柄で、ビジネスは展開できない…それをいえば、できれば、学生時代に知り合った人間が、一番信用できるというか…つまるところ、仲良くできる…」
「…どういうこと?…」
「…ほら、ひとは誰でも、子供の頃に知り合った人間と、一番打ち解けることができる…大人になって、会社や仕事の関係で、知り会った人間よりも、信頼できるというか…たとえ、性格が悪い人間でも、アイツは、ああいう人間だから、の一言で、納得する場合が、多々あるというか…」
「…ナオキ、アナタ、なにが言いたいの?…」
「…つまりは、生まれ…」
「…生まれ?…」
「…金持ちは、金持ちの集まる名門の学校に進学する…周りは、みんな金持ち…そこで、横の繋がりができる…だから、大人になって、なにか、困ったときや、仕事の関係で、悩んだときも、その金持ちのネットワークが生きるというか…いわゆる有力者同士繋がっている…」
ナオキが、呟く…
私は、藤原ナオキが、そのような発言をすることを、初めて、見た…
やはり、コンプレックスというか…
一般人が成功しただけに、生まれつきの金持ちとの差をまざまざと見せられたことが、何度もあるのだろう…
埋めがたい差があるのだろう…
会社を経営することで、知った現実を、口にしたに過ぎないかもしれないが、やはり、それは、痛かった…
藤原ナオキが、自らの限界を口にしたのと、同じだからだ…
私も、藤原ナオキも、元は、一般人…
金持ちでも、なんでもない…
詰まるところ、生まれが違うことで、出てくる限界もある…
いかに金を得ようと、所詮は、成り上がり…
生まれながらの金持ちとは、違う…
生まれながらの金持ちとは、政界の麻生太郎元首相のように、金持ちのネットワークを持っている…
金持ちの家に生まれ、金持ちが集まる学校に進学する…
そうすることで、エスタブリッシュメントというか、階層が確立する…
いわゆる、金持ち=上級国民が出来上がる…
世界の富の44%を、わずか、1%の金持ちが、持っている(トマ・ピケティ)…
それが、現実だ…
残念ながら、その現実を否定することは、できない…
「…ボクは、金持ちになりたかったわけじゃない…」
ナオキが、突然、言った…
「…ただ、ビジネスをしたかっただけだ…」
ナオキが、続ける…
「…自分で、事業をしたかった…それで、創業当時は、ユリコがいて、彼女が、有能だった…ボクの右腕として、ボクが、思っていたというか、期待していたよりも、はるかに、優秀だった…ユリコ以外にも、綾乃さんや、その他のスタッフのおかげで、成功した…でも、成功うんぬんを別にすれば、ボクは、ただ事業をしたかっただけで、成功うんぬんは、考えてなかったというか…とにかく、好きなことをしたかっただけだ…」
ナオキが、激白する…
ナオキの言うことは、いわゆる、世間で、成功した人間は、誰もが、言っていることだ…
私は、思った…
成功が目的ではない…
結果的に、成功した…
これが、答え…
好きなことに、一生懸命、没頭していたら、成功した…
誰もが、口にするセリフ…
好きなことだから、一生懸命になれる…
好きなことだから、人一倍、夢中になれる…
好きなことだから、より力を発揮できる…
つまり、これが、成功する基本条件だろう…
好きなことだから、より力を発揮できる…
これが、なにより前提にある…
そして、だからといって、成功できる人間は、ごく少数…
成功は、極端にいえば、偶然…
神様に選ばれた人間に過ぎない…
大部分は、華やかな成功とは、無縁だからだ…
「…ただ、その限界も知った…」
ナオキが続ける…
「…諏訪野さんのような昔からの金持ちを知ると、自分の置かれた状況が、まるで、違うことがわかる…」
「…」
「…ボクのように、テレビに出て、そこそこ世間的な知名度を得ても、人脈がまるで、違う…生まれながらの金持ちには、彼らしか知らないネットワークといおうか…」
「…」
「…だが、それを妬んでも仕方がない…彼らは、極端にいえば、この国の貴族だ…生まれながらの上級国民だ…ボク程度の人間が、そこそこ成功しても、相手にもされない…」
ナオキが、苦笑する…
「…ただ…」
ナオキが、言葉に、力を込めた…
「…そんな上級国民の諏訪野さんに出会ったのは、綾乃さんにとって、この上ない僥倖(ぎょうこう)だ…なぜなら、諏訪野さんは、ボクにはない、金持ちのネットワークを持っている…」
「…」
「…この病院に入院出来て、腕のいい医者を担当につけることができたのは、諏訪野さんのおかげだ…ボクの力では、この五井記念病院に、綾乃さんを入院させることは、できるかもしれないが、腕のいい医者を、綾乃さんの担当にすることは、たぶん、できない…」
「…」
「…そして、綾乃さんには、なにより、その僥倖(ぎょうこう)を、生かして欲しい…」
「…生かす? …どういうこと?…」
「…長生きをして欲しい…」
「…長生きって? なにを?…私は、癌なのよ…」
「…それでも、だ…綾乃さんが、一日でも、一分、一秒でも、長く生きることが、その僥倖(ぎょうこう)を生かすことに繋がる…この病院に入院して、名医に見て、もらうことで、少しでも、命を繋ぐことができる…」
「…なにをバカな…」
と、私が、言いかけると、傍らのナオキが、泣いていることに気付いた…
「…お願いだ…綾乃さん…この僥倖(ぎょうこう)を生かしてくれ…」
ナオキが、絞り出すような声で、言った…
私は、どう言っていいか、わからなかった…
と、同時に、
…自分は、こんなに大事にされてるんだ…
と、今さらながら、思った…
傍らの藤原ナオキに、こんなに大事に思われてる…
それを思うと、悪い気はしなかった…
自分のために、泣いてくれる…
自分のために、涙を流してくれる…
そんな人間が、一人でもいることに、あらためて、感謝した…
そして、
「…私にとっての僥倖(ぎょうこう)は、ナオキ、アナタと知り合ったことなの…」
と、言ってやりたかった…
お金もなにもない、天涯孤独、ひとりぼっちの、私、寿綾乃が、これまで、生きてこれたのは、藤原ナオキ、アナタと知り会うことができたから…
そう言ってやりたかった…
しかし、それを口にすることはできなかった…
それを口にするのは、私も恥ずかしいし、なにより、ナオキ自身が、それを嫌がる…
そして、それを嫌がる藤原ナオキだからこそ、かえって、信頼できた…
自分自身が称賛されることを、なにより嫌う人間こそ、当たり前だが、信頼できた…
そんな人間と、知り会うことができたことが、私、寿綾乃の僥倖(ぎょうこう)だと、あらためて、思った…
「…寿さん…具合はどうですか?…」
ナオキが、帰った後に、ほどなく、担当の長谷川センセイが、あの看護師の佐藤ナナといっしょに、やって来た…
「…大丈夫です…」
私は、ベッドに横たわりながら、答えた…
長谷川センセイは、幾分、緊張した面持ちだった…
やはり、背後に、佐藤ナナを従えているからかもしれない…
前回、佐藤ナナから、
「…センセイ…寿さんが、好きなんでしょう?…」
と、からかわれた…
それで、余計に、私を意識したのかもしれない…
長谷川センセイが、私を好きなのか、どうかは、わからないが、たとえば、それまで、あまり意識しなくても、周囲の人間から、
「…好きなんでしょ?…」
と、思われてることを知れば、やはり、意識してしまう…
真相は、そんなところじゃないかなとも、思う…
ただ、私にとって、この長谷川センセイは、特別…
別格だ…
なぜなら、私の裸を見られている…
全裸を見られている…
男女関係がなくて、私の全裸を見られた男性は、たぶん、この長谷川センセイが、初めて…
子供時代のジュン君とは、よくいっしょに、お風呂に入ったが、ジュン君は、男とはいえ、子供…
れっきとした成人男子で、男女関係がないにもかかわらず、裸を見られたのは、この長谷川センセイが初めてだ…
かといって、恥ずかしいとか、なにかは、なにもない…
これは、やはり、相手が医者だから、だろう…
医者に裸を見られたから、恥ずかしいとは、思わない…
それは、相手が年下であれ、年上であっても、同じ…
医者という立場の人間が、患者の裸を見るのは、当たり前だからだ…
しかし、それは、患者としての立場…
医者としての立場から、見れば、また違うかもしれない…
ただ、やはり、医者としての立場ならば、どんな美人の裸を見ても、ときめかないのではないか?
職業上、老若男女を問わず、患者の裸を見ることは、見慣れている…
そう思った…
そして、そう思ったとき、あのユリコに、
「…裸を見られました…スッポンポンの裸を見られました…」
と、言って、からかったことを、思い出した…
ユリコが、この長谷川センセイを、気になっていることを、知って、からかってみたくなった…
ユリコは、イケメン好き…
もちろん、イケメン好きとはいえ、イケメンならば、誰でもいいわけではないだろう…
男でも女でも、ルックスが良い人間を好きな男でも女でも、ルックスが良ければ、誰でも、好きだということは、ありえない…
通常、会ったことのない有名人…
テレビで見る芸能人の、ルックスが良い男女でも、やはり、好きではない人間がいる…
当たり前のことだ…
単純に、この長谷川センセイが、ユリコのタイプなんだろう…
そう思うと、ついニヤリとした…
口元がほころんだ…
が、それを見て、看護師の佐藤ナナが、
「…センセイ…寿さんが、笑ってますよ…」
と、いきなり、言った…
すると、長谷川センセイが、困惑した…
それまで、いささか、緊張した面持ちで、私のカラダを調べていた長谷川センセイの顔が、真っ赤になった…
まるで、電気が付いたように、紅潮した…
「…きっと、長谷川センセイが、寿さんを、好きだから、からかってるんですよ…」
佐藤ナナが、長谷川センセイをからかう…
しかし、今度は、顔を紅潮させた長谷川センセイが反撃した…
「…いや、ボクが、寿さんを、人一倍熱心に診察するのは、冬馬に頼まれて…」
思いがけない名前が出た…
「…冬馬って、この病院の理事長の菊池冬馬さん?…」
私は、聞いた…
まさか、この長谷川センセイから、菊池冬馬の名前が出るとは、思わなかったからだ…
「…冬馬は、学生時代からの友人で…アイツに頼まれて…」
「…学生時代の友人?…」
唖然とした…
まさか、この長谷川センセイと、菊池冬馬が、そんな関係だとは、思わなかった…
同時に、当たり前かも、とも思った…
菊池冬馬は、五井一族…
当たり前だが、お金持ち…
そして、それは、この長谷川センセイも同じに違いない…
当たり前だが、医者になるには、お金がかかる…
頭がよいことは、もちろんだが、お金が、必要になる…
そのお金をたやすく用意できるのは、やはり、実家が裕福な証拠…
お金持ちの証拠だからだ…
そして、お金持ちだから、お金持ちの子息が集う有名校に進学する…
だから、菊池冬馬と、知り会ったのだろう…
私は、思った…
「…冬馬に頼まれたから…」
長谷川センセイは、繰り返す…
私は、驚きで、絶句のあまり、言葉も出ず、黙って、長谷川センセイを見たが、それは、看護師の佐藤ナナも同じだった…
「…長谷川センセイが、理事長の友達だったなんて…」
驚きに、目を見張った…
佐藤ナナの浅黒いが、愛くるしい顔が、驚きに満ち溢れていた…
「…そんな…すごい…」
佐藤ナナが、口走った…
が、
長谷川センセイは、冷静だった…
「…そんな…すごくも、なにも、ないよ…佐藤さん…」
長谷川センセイが、言う。
「…佐藤さんは、冬馬が、この病院の理事長だから、すごいと思ってるんだろうけど…」
佐藤ナナは、長谷川センセイの問いかけに、
「…」
と、無言だった…
「…でも、ボクにとっては、学生時代の友人に過ぎない…」
「…」
「…だから、偉くとも、なんともない…」
長谷川センセイが笑った…
たしかに、長谷川センセイの言う通りだろう…
学生時代に知り合った人間が、どれほど、偉かろうと、あまり、偉い人間とは、思わない…
たとえば、学生時代の友人が、キムタクや、小泉進次郎のように、有名になっても、それ以前の無名時代の姿を知ってるからだ…
それと、同じだろう…
「…アイツに頼まれたから、寿さんの担当になった…それだけです…」
長谷川センセイが、私のカラダを診断しながら、言った…
私は、その言葉に、ちょっと落胆した…
やはり、私を好きだとか?
そんなことを、言ってもらいたかった(笑)…
事務的に、淡々と、事実を告げられると、落胆するというか…
気落ちする…
だから、
「…残念ですね…」
私は、言った…
「…残念? …なにが、残念なんですか?…」
「…せっかく、私の担当になったのだから、私を好きになって欲しかったです…」
と、わざと、言った…
菊池冬馬から、頼まれたから、私の担当になった…
と、淡々と語る、長谷川センセイに、皮肉を言ってやりたかった…
やはり、自分を好きだと思っていた男が、実は、好きでも、なんでもないと、目の前で、宣言されると、誰もが、いい気はしない…
極端な場合は、復讐したくなるというか…
邪魔したくなる(笑)…
事実、男でも女でも、好きな相手に告白して、けんもほろろに、断られて、以後、その相手の悪口を周囲に言いふらすようになったと、いう話は、よく聞く…
好きが、嫌いになった好例だ(笑)…
女の場合は、あの女は、男好きで、いろんな男とやりまくっているとか、根も葉もない噂を立てられる(苦笑)…
そういう例が多い…
そして、これが、仕事の関係者だと、さらに厄介になる…
仕事上、どうしても、関わらざるを得ない人間が、相手では、困る…
常に、仕事を邪魔される…
あるいは、仕事で、自分だけ、重要な連絡がされないとか…
とにかく、追い込まれる…
そういう話は、よく聞く…
だが、私の場合は、ちょっぴり、皮肉を言っただけ…
だから、可愛いものだ…
だが、私の言葉は、思いがけず、予想外の反応をもたらした…
「…いえ…ボクは…その…寿さんを、嫌いだと、言ったわけでは…」
長谷川センセイが、ちょっと、ドキマキした感じで、言った…
しかも、顔を赤らめて、だ…
これには、私も慌てた…
まさに、想定外…
想定外の反応だった…
私を好きじゃないようなことを言ったので、あえて、私を好きだといってもらいたかったと、長谷川センセイをからかった…
しかし、その結果、長谷川センセイが、実は、私を好きなようなことを、言いだした…
今度は、私が慌てる番…
どうして、いいか、わからなかった…
長谷川センセイをからかったつもりが、しっぺ返しが来た…
そんな感じだった…
が、
それを救ったのが、佐藤ナナだった…
「…センセイ…ここは、病室です…女を口説く場所じゃありませんよ…」
と、いきなり、怒り出した…
「…女を口説く? …ボクは、そんなつもりじゃ…」
長谷川センセイが、慌てた…
「…ここは、病室…長谷川センセイは、医者…そして、寿さんは、患者です…お二人とも、自分の立場をわきまえて、行動して下さい…」
佐藤ナナが、プンプンと怒った感じで、言った…
「…そ…それは、わかっている…」
長谷川センセイが、言い訳した…
「…ボ、ボクは、医者で…寿さんは、患者…」
「…わかってないから、言ったんです…」
佐藤ナナが、怒った…
明らかに、激怒していた…
「…長谷川センセイ…女を口説くのなら、どこか、別の場所で、やってください…ここは、病院…病室です…女を口説く場所じゃ、ありません…」
佐藤ナナが、血相を変えた…
その佐藤ナナの言葉に、長谷川センセイは、明らかに、ひるんだ…
怯えたといってもいい…
「…わ…わかってる…ボ、ボクは、わかってるつもりだ…」
しどろもどろの言葉で、返答した…
「…わかってるつもりなら、病室で、患者相手に、口説くような言葉は、言わないんじゃないんですか?…」
「…ボ、ボクが、いつ、寿さんを口説いた?…」
今度は、長谷川センセイが、激怒した…
「…ボ、ボクは、そ、そんなこと、した覚えはないぞ…」
「…した覚えは、ないって?…たった今、寿さん、相手にしたじゃないですか? ウソを言わないで下さい…」
「…いつ、寿さんを、ボクが、口説いた?…」
「…今…たった今です…」
佐藤ナナが、怒鳴った…
「…ボクは、そんなことはしていない…」
今度は、長谷川センセイが、怒鳴り返した…
なんだか、痴話げんかの様相になってきた…
だが、このままでは、両者とも、収まりがつかないに違いない…
「…お二人とも、仲がいいんですね…」
と、私が、二人に、声をかけた…
二人は、口論を止めて、ビックリした顔で、私を見た…
「…そんな恋人同士のお二人のお邪魔をして、申し訳ありません…でも、患者は、私ですし…」
本当は、二人の争いの原因を作ったのは、私だが、そんなことは、おくびにも出さずに、口を出した…
自分に都合の悪いことは、口に出さないに限る(笑)…
さすがに、二人とも、私の顔を見て、バツが悪くなったのか、言い争いをしなくなった…
「…センセイ…診察を続けてください…」
私は、長谷川センセイに、お願いした…
長谷川センセイは、これまでとは、一転して、真面目な表情で、診察を始めた…
私は、ホッとした…
これで、二人の騒動に終止符を打てると、思ったからだ…
しかし、
さにあらず…
射るような視線を感じた…
視線の主は、佐藤ナナ…
私が、長谷川センセイをからかったのが、許せないに違いない…
明らかに憎々しげに、私を睨んでいた…
…面倒なことになった…
私が仕掛けたにも、かかわらず、そう思った(苦笑)…
もしかしたら、無用に、敵を作ったかもしれなかったからだ…
私は、謝ろうとも、思ったが、長谷川センセイが、いっしょにいては、かえって、マズいと思った…
かえって、話がややこしく、なりかねない…
だから、今度、佐藤ナナが、検診にひとりで、やって来たときに、謝ろうと、心に決めた…
佐藤ナナの射るような視線を感じながら、そう心に決めた…