第42話

文字数 8,340文字

 「…佐藤ナナさん?…」

 驚いた…

 まさか、ここで、彼女の名前が出てくるとは、思わなかった…

 文字通り、まさか? だった…

 「…彼女が、五井家の人間?…」

 仰天の事実だった…

 そんなこと、考えもしなかった…

 現に、佐藤ナナ自身、私が、藤原ナオキや、諏訪野伸明と、身近に接していることを、知って、私に、嫉妬していた…

 いや、

 羨望していたといっていい…

 彼女のみならず、普通の人間ならば、嫉妬や羨望をするのは、当たり前…

 当たり前だ…

 私が、彼女の立場でも、同じ…

 やはり、嫉妬や羨望するだろう…

 日本中に名の知れた五井の御曹司と、結婚するかもしれない立ち位置にいて、さらには、テレビで、キャスターを務める、やり手の経営者、藤原ナオキと、親しい…

 しかも、二人とも長身のイケメン(笑)…

 まさに、私は、絵に描いたような、幸運の持ち主といえる…

 まさに、私は、大昔の少女漫画のヒロインを地でいっている…

 そんな私を間近に見て、嫉妬や羨望を抱かない人間は、いないに違いない…

 しかしながら、私に羨望や嫉妬を抱いている、彼女を見る限りでは、とても、彼女が、五井家の人間とは、思えなかった…

 あくまで、一般人…

 五井家とは、まるで、縁のない一般人というスタンスだった…

 それが、一体、どうして?

 私は、思った…

 「…実は、彼女自身、自分が、五井南家の人間だと、知らないと思う…」

 菊池冬馬が、言った…

 これは、仰天の事実だった…

 佐藤ナナが、五井南家の人間であることが、わかったことも、驚きなのに、肝心の佐藤ナナが、その事実を知らないとは、一体、どういうことだろう?

 だから、

 「…どうして、佐藤さんは、知らないんですか?…」

 と、聞いた…

 すると、予想外の答えが返ってきた…

 「…遊びだったんだ…」

 冬馬が、言った…

 「…遊び? …どういう意味ですか?…」

 「…五井南家の男が、東南アジアに行って、現地の女のコと、仲良くなり、男女の関係になった…そして、女は、現地で、子供を産んだ…手短にいえば、そういうことだ…」

 「…」

 「…そして、生まれた娘は、やはり、父親の国を一度見てみたい…どういう経緯で、五井記念病院に看護師として、やって来たかは、わからないが、ボクは、昭子叔母様に頼まれて、佐藤さんを、寿さんの担当にした…」

 「…」

 「…だから、その時点で、昭子叔母様が、どこまで、佐藤ナナの素性について、知っていたのかは、ボクには、わからない…ただ、彼女が、五井南家に縁のある人間ということで、言葉は悪いが、彼女を利用しようとしたことは、間違いない…」

 「…利用?…」

 「…彼女は、五井南家の人間といっても、ハッキリいえば、血が繋がっているだけ…五井一族で、今、現在、彼女の存在は、公になっていない…」

 「…」

 「…ただ、佐藤さんが、五井南家に縁のある人間である以上、彼女が、諏訪野伸明さんと、結婚すれば、五井南家は、五井本家と、直接繋がることになる…これは、五井南家にとって、悪い話では、決してない…」

 「…」

 「…ハッキリ言って、今、五井本家は、実質的には、五井東家で、成り立っている…だから、他の分家の反発も大きい…それゆえ、五井南家から、伸明さんの花嫁を迎えることで、五井南家を、五井本家の味方にできる…五井は、本家を除けば、五井の東西南北の分家の力が大きい…五井東家と五井南家が、手を結んで、五井本家を補佐すれば、他の分家が、すべて、手を握って、本家に反乱を起こそうと、太刀打ちできる…」

 菊池冬馬が、断言した…

 実に、わかりやすい説明だった…

 たしかに、さっき諏訪野マミが、言った、五井保存会の持ち株比率は、本家が、30%、東西南北の分家が、10%、合計で、70%、残りの30%を、残りの8家で、分割するといっていた…

 つまりは、五井本家と、五井東家と、五井南家が、いっしょになれば、全体の50パーセントに達する…

 そうなれば、普通に考えて、その他、すべての分家が、いっしょになって、反乱を起こすとは、考えにくい…

 要するに、五井の東を除いた、西南北のうちのひとつの分家を抑えておけば、全体の半数を抑えたことになる…
 
 実に合理的な判断だった…

 佐藤ナナが、五井家を守る象徴のようなものだと、気付いた…

 私自身、そんなことを、考えると、このまま、諏訪野伸明と結婚したいと、言えなくなった…

 やはり、人間、誰しも、立場というものがある…

 身の程というものがある…

 やはり、ここは、私が身を引くべきだろう…

 とっさに気付いた…

 「…わかりました…」

 私は、答えた…

 「…身を引きます…」

 私が、あっさり、言ったので、むしろ、目の前の二人は、拍子抜けした様子だった…

 諏訪野マミが、驚いた表情で、

 「…ホントにいいの…寿さん…」

 と、聞いてきた…

 「…自分の立場は、わきまえているつもりです…」

 「…立場?…」

 「…私は、本来、黒子です…藤原ナオキの秘書です…表舞台に立つ、人間ではありません…」

 「…」

 「…ひとは、誰でも、与えられた役割があります…私の役割は、しいて言えば、一般人です…」

 「…一般人?…」

 と、諏訪野マミ…

 「…生涯、芸能人や政治家のように、表舞台に立つこともなければ、お金持ちとも無縁です…それが、たまたま、藤原ナオキと知り合い、豪華マンションを買い与えられ、人並み以上の生活をしています…だから、本当は、それ以上を望んではダメです…」

 「…」

 「…だから、これを契機に身を引きます…」

 私は、断言した…

 私の言葉に、諏訪野マミと、菊池冬馬が、互いに、顔を見合わせた…

 「…寿さん…ゴメンね…」

 諏訪野マミが、言った…

 「…寿さんが、そういうのは、わかってた…」

 「…わかってた? どうして、わかってたんですか?…」

 「…寿さんの性格…寿さんは、決して、他人様を押しのけて、前に出る性格じゃない…だから、話せば、身を引いてくれると思った…」

 諏訪野マミが、語る…

 泣き出しそうな表情だった…

 「…ホントに、ゴメンね…」

 私は、

 「…」

 と、なんと言っていいか、わからなかった…

 本当は、私自身の身の振り方なんだが、どこか、他人事だった…

 これは、正直、笑えた…

 自分のことなんだが、どこか、自分のことではない…

 他人事…

 そんな感じだった…

 思えば、私、寿綾乃ではなく、矢代綾子は、昔から、そんな感じだった…

 自分のことだが、どこか、他人事というか…

 遠くから、自分を見ている、もうひとりの自分がいる…

 そんな感じだった…

 だから、寿綾乃になれたのだと、思う…

 自分を常日頃から、客観視できるから、寿綾乃になりきることができたのだと、思う…

 そして、それが、私の強みでもあり、同時に、弱みでもあった…

 強みは、場を読む力というか…

 己のできることを、わきまえること…

 だから、無理をしない…

 真逆にいえば、わきまえるからこそ、突出することができない…

 これが、弱み…

 常に場を読み、自分の力をわきまえるからこそ、他人様から、信頼もされるのだが、それ以上のことはできない…

 たとえば、芸能人にならないかと、若き日にスカウトされたとしても、どうせ、自分には、ムリと、断る…

 それでは、夢は掴めない…

 そういうことだ…

 私のわきまえるという行為は、他人様から、信頼される反面、飛躍はできない…

 私は、今、諏訪野マミと、菊池冬馬と、話しながら、そんなことを、思った…

 同時に、やはり、これは、昭子の差し金なんだろうと、漠然と思った…

 五井家の女帝、昭子の差し金なんだろうと、思った…

 だから、

 「…やはり、今日は、昭子さんに頼まれて…」

 と、二人に聞いた…

 二人とも、無言だった…

 代わりに、互いの顔を見合わせた…

 だから、それ以上は、私も聞かなかった…

 いや、

 もはや、私には、なんの関係もない…

 だから、二人が、誰に頼まれて、ここへ、来ようと、そもそも、私が、尋ねることでも、なかった…

 終わったのだ…

 私が、諏訪野伸明と、結婚するかもしれない、未来は、絶たれたのだ…

 自分でも、ずっと、漠然と、違和感を感じていた…

 まったくの平凡な、寿綾乃=矢代綾子が、大金持ちの御曹司と結婚する…

 そんな絵に描いたような、夢のような話が、ホントにあるのか、自分でも、不思議だった…

 いや、

 納得できなかったと、いっていい…

 どこか、夢心地と言うか…

 まるで、夢の中で、自分が、アイドルになって、舞台で、歌を歌っているような、そんな違和感があった…

 だから、舞台に立って、歌を歌っていても、妙な違和感があった…

 ホントに、私が、アイドルになれたのだろうか?

 歌いながらも、頭の隅に、そんな思いが、常にあった…

 それが、実は、夢で、ふと、目が覚めたら、やはり、それは、夢だったと気付く…

 それと、似ていた…

 だから、今、この諏訪野マミと、菊池冬馬に、

 「…伸明さんと、別れて…」

 と、言われ、夢から、醒めたと、思った…

 醒めたと、思った反面、ホッとしたというか…

 大げさに、言えば、肩の荷が下りたというか…

 すべては、夢だった…

 そう、納得する、自分自身がいた…

 だから、驚きはなかった…

 むしろ、変な話、爽快感すら、あった…

 なにか、言葉は悪いが、ありもしない、儲け話…

 詐欺に引っかかっているような感じすら、あった…

 だって、そうだろう?

 まったくの平凡な32歳の女が、日本中に名の知れた五井の御曹司と結婚できるはずがない…

 そんなわけはない!

 そんな大金持ちの御曹司ならば、やはり、どこかの大金持ちの娘と結婚するものだ…

 私に出番があるはずがない…

 そういうことだ…

 たとえ、一瞬たりとも、夢を見させて、もらった…

 そう考えれば、いいのかもしれない…

 そう、考えれば、怒りも湧かない…

 いや、

 そもそも…

 そこで、考えるのは、止めた…

 考え続ければ、エンドレス…

 終わりがない…

 永遠に、ループするように、終わりがない…

 とにかく、二人と、別れて、終わりにすることだ…

 私は、思った…

 「…今日は、どうも、ありがとうございました…」

 私は、深々と、二人に頭を下げた。

 「…これまで、私にお付き合い頂き、ありがとうございました…」

 
 私は、言って、そのまま、数十秒、頭を下げ続けた…

 「…寿さん…頭を上げて…」

 諏訪野マミが、言ったが、私は、頭を上げなかった…

 変な話、ここで、頭を上げたら、私の負けだと思った…

 自分でも、わからない変な感情だった…

 自分でも、わけが、わからなかった…

 だが、自分でも、意外だが、涙は、一滴も出なかった…

 これは、やはり、夢…

 自分でも、最初からあり得ない夢と、思っていたせいかもしれない…

 だから、涙も出なかったのかもしれない…

 私は、頭を上げると、

 「…さようなら…」

 と、小さな声で、二人に、告げて、店を出た…

 もはや、諏訪野マミも、菊池冬馬も、私に声をかけなかった…

 いや、

 私に、なにを言っていいのか、わからなかったのかもしれない…

 私は、ただ、夢遊病者のように、ふらふらと、歩きながら、自分の暮らすマンションに戻った…

 自分では、この婚約破棄が、ある意味、予想通りと思いつつも、やはり、ショックは大きかった…

 マンションに向かって歩きながらも、正直、足が地につかなかったというか…

 これは、病み上がりというだけでは、説明がつかなかった…

 やはり、精神的なショックが大きかったのだ…

 それは、ちょうど、ダメだとわかっていたものが、やはり、ダメだったということに、似ていた…

 たとえば、大学を受験する…

 自分の実力では、この大学は、受からないだろうと、思う…

 が、

 思いながらも、一方で、もしかしたら? と、希望を抱く…

 しかしながら、結果は、不合格…

 やはり、ダメだったと思いながらも、ショックは、大きい…

 それと、似ている…

 私は、思った…

 私は、自宅のマンションに戻り、ベッドに横になった…

 なんだか、一気に疲れが出た…

 そんな感じだった…

 やはり、病は気から…

 気力が充実していれば、どんなことにも、前向きになれる…

 しかしながら、今の私は、その気力がなかった…

 気力がなくなったから、一気に疲れが出た…

 元々、癌は、治っていない…

 さらには、ジュン君の運転するクルマで、轢かれた後遺症もある…

 振り返ってみれば、まさに、満身創痍の状況だった…

 それを、気にしなかったのは、私というキャラクター…

 おおげさにいえば、私だから、克服できたというか…

 気にせずにきたということだ…

 自画自賛だが、それが、正直なところだった…

 そして、いつのまにか、そのまま、ベッドで、眠りについた…

 
 目が覚めたのは、それから、だいぶ、時間が経ってからだった…

 スマホのベルが鳴る音で、目覚めた…

 近くで、音がしていた…

 が、

 私が、電話に出る前に、音が止んだ…

 代わりに、留守番メッセージが、入っていた…

 「…綾乃さん…大丈夫?…」

 藤原ナオキの声だった…

 「…今日、諏訪野マミさんから、電話があって、綾乃さんが、諏訪野伸明さんと、別れるかもと、告げられたんだ…それで、一刻も早く、綾乃さんに連絡を入れたかったんだが、仕事で遅くなって…」

 ナオキが、メッセージを入れている…

 私は、それを聞きながら、またも、ウトウトと、意識がまどろんで、いつのまにか、再び、寝入ってしまった…

 そして、目覚めると、すでに夜だった…

 窓の外が暗くなっていた…

 私は、外が真っ暗になっていたから、すぐにでも、ベッドから、起き上がって、なにかしなければ、ならないのだが、一向に、そんな気分には、なれなかった…

 ちょうど、夜中に目が覚めて、トイレに行きたいと思っても、面倒くさいからと、我慢しているのと、同じ…

 目は覚めたが、一向に、起きる気にはなれなかった…

 けだるく、だるいというか…

 面倒くさい…

 なにも、やる気が起きなかった…

 と、そのときだった…

 どこかで、音がした…

 ふと、気付くと、近くの部屋から、光が漏れていた…

 なに?

 誰かいるの?

 私は、驚くと、同時に、確かめなければ?
 と、思った…

 まさかだが、誰か、泥棒でもいたら、困る…

 私は、そう考えると、だるいカラダを無理やり動かして、そっと部屋から出た…

 そして、光がある部屋に向かった…

 私は、音がしないように、気をつけて、歩きながら、光のある部屋に向かう…

 すると、そこは、キッチンだった…

 そっと覗くと、ナオキが、ひとりで、一生懸命、料理を作っていた…

 私が、驚いて、その姿を見ていると、ナオキもまた、私が見ていることに、気付いた…

 「…おはよう、綾乃さん…調子は、どう?…」

 私に笑いかけた…

 「…なに? …ナオキ? …アナタ、なにをやってるの?…」

 「…なにって、見れば、わかるだろ?…」

 笑いながら、答えた…

 「…ナオキ…アナタ、料理なんて、した?…」

 「…いや、全然…」

 ナオキが笑った…

 「…じゃ、どうして?…」

 「…ナンパのためさ…」

 「…ナンパ?…」

 「…近頃の若い女のコの間じゃ、料理のできる男が、ポイントが高いらしい…これでも、まだ40歳…若い女のコにモテるためなら、なんでもするさ…」

 ナオキが答える…

 しかし、それが、ウソであることは、一目瞭然だった…

 なにしろ、そんな話は聞いたことがない…

 おそらく、諏訪野マミから、事情を聞いて、仕事が終わってから、私を慰めるために、会社から、直行したのだろう…

 そして、私が、眠っているのを見て、私が、起きたときに、なにか、食べさせようと、考えたのだろう…

 それが、すぐにわかった…

 「…それじゃ、ダメよ…」

 私は、いつのまにか、ナオキのそばに歩いて行った…

 「…そんな包丁の握り方じゃダメ…」

 私は、ナオキから、包丁を取り上げた…

 「…いい、包丁は、こう持つの…」

 私は、ナオキに言った…

 言ってから、ナオキに見本を見せた…

 と、言いたいところだが、まだ寝起きだったので、危うく、自分の指を切りそうになった…

 自分でも、これは、驚いた…

 まさか、自分でも、こんな単純なミスはした覚えがなかった…

 思わず、ナオキを振り返った…

 「…綾乃さん…無理はいけないよ…」

 ナオキが、そっと囁いた…

 「…綾乃さんは、今、心もカラダも傷付いている…無理は、しちゃだめだ…」

 そう言って、私の手から、包丁を取り上げ、そっと抱きしめた…

 「…疲れたときは、休めばいい…」

 ナオキが、囁く…

 「…それが、人間だ…疲れたときは、休み、疲れが、取れれば、また、動けばいい…」

 私は、なんといっていいか、わからなかった…

 だから、

 「…ナオキ…アナタ、いいひとね…」

 と、だけ、言った…

 私の言葉に、ナオキは、ニヤッと笑った…

 「…綾乃さん…遅い…今頃、気付いたの?…」

 ナオキが、わざと、口を尖らせて、抗議した…

 「…この藤原ナオキは、40歳の独身のイケメン…おまけに、FK興産の社長で、テレビのキャスターも務めている…世間の女から、モテモテさ…」

 「…言うわね…ナオキ…だったら、一度でも、女が抱かれたい男のランキングに入ったことは、あるの…」

 私に質問に、ナオキは、ションボリと、

 「…ない…」

 と、即答した…

 「…だったら、ダメね…男としては、圏外…もっと、頑張りなさい…」

 私の言葉に、ナオキが、ニヤッと笑った…

 実に、楽しそうだった…

 「…ナオキ…なにが、おかしいの?…」

 「…良かった…綾乃さんが、元に戻った…いつもの綾乃さんだ…」

 「…いつもの…どういう意味?…」

 「…美人で、性格がきつくて、いつも上から目線…」

 「…性格がきついは、いらない…」

 「…どうして?…」

 「…性格がきつくては、男のひとにモテない…」

 「…だったら、これまでよりも、もっといい男を探そう…」

 ナオキが言った…

 もっと、いい男…

 つまり、諏訪野伸明よりも、いい男を探せと、言いたいのだろう…

 が、

 諏訪野伸明の名前を口に出すと、私が、傷付くと、思って、あえて、その名前を出さないに違いない…

 だから、

 「…ナオキ…アナタ…いいひとね…」

 と、もう一度、言った…

 すると、

 「…綾乃さん…男にとって、女から、いいひとって言われるのは、誉め言葉でも、なんでもないよ…」

 「…どういうこと?…」

 「…いいひとっていうのは、人間的には、素晴らしいけど、男としては、魅力がないと言っているのと、同じ…」

 「…だったら、どう言えば、いいの?…」

 「…藤原ナオキは、いい男…日本で、一番のモテ男だとでも、言われたいね…」

 「…なにを、バカなことを言っているの…」

 思わず、爆笑した…

 と、同時に、涙が出た…

 あまりにも、おかしかったからだ…

 さっきの、諏訪野伸明との別れ話では出なかった涙が、今は、こぼれた…

 これは、自分でも、驚きだった…

 その涙を見て、ナオキが、

 「…綾乃さん…悲しいときや、つらいときは、涙を流した方がいい…そのほうが、スッキリする…」

 と、告げた…

 「…スッキリって?…」

 「…昔、好きだった女に、金だけ、たかられて、逃げられたときは、どれほど、泣いたことか…でも、涙を、出し尽くしたとき、スッキリしたことを、覚えている…」

 「…経験者、語るね…」

 「…その通り…ボクの方が、綾乃さんよりも、年上…だから、失恋の数も多い…」

 その言葉で、ナオキが、昔、さんざ、女に食い物にされた過去を思い出した…

 女好きなナオキは、女にたかられ、騙された…

 イケメンだが、本質的には、真面目で、オタクの素顔を、見透かされ、利用されたのだ…

 そして、その経験を、わざと持ち出し、笑いに変えて、私を元気づけようとしている…

 あらためて、この藤原ナオキは、私にとって、得がたい男だと、気付いた…

 「…ナオキ…アナタ…いいひとね…」

 私は、繰り返した…

 「…綾乃さん…いい男って、言ってもらいたいな…」

 「…それは、ナオキが、作った料理が、おいしかったら、言ってあげる…」

 私の言葉に、ナオキは、意気消沈した…

 「…それは、ムリ…」

 「…でしょうね…」

 相槌を打った…

 ホントは、ドラマや映画なら、ここで、二人は、キスをするのだが、そんなことは、もはや、やり尽くした…

 今さら、という気もする…

 だから、そんなことは、もはや、どうでもいい…

 それより、夫婦漫才ではないが、二人で、バカを言い合っている…

 こんな時間が、なにより、楽しかった…

               
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