第45話
文字数 8,010文字
寿綾乃…
思えば、この名前で、生きて、すでに人生の半分を占めた…
最初は、この名前が嫌だった…
本物の寿綾乃を知っていたからだ…
それゆえ、寿綾乃になりすます自分が嫌だった…
だから、それまでと、違い、誰も私を知らない地で、寿綾乃として生きた…
すると、当たり前だが、誰もが、私を寿綾乃と思って接する…
すると、名前の無意味さを、思った…
どんな名前でも、変わらない…
私が、山田花子でも、なにも、変わらない(笑)…
名前が、ただのナンバーと同じに思えた…
ただ、他人と区別するために、あるに、過ぎない…
それを、考えると、寿綾乃でも、矢代綾子でも同じと思った…
名前に、意味はない…
あるのは、ただ、他人と区別するためのもの…
刑務所の囚人の番号と同じだ(笑)…
それと、似たように、本当は、お金持ちで、あるとか、ないとかも、同じだと思った…
本当は、その人間を評価するのに、お金持ちか、否かは、関係ない…
たとえば、学校で、勉強ができたり、スポーツができたり、するのが、能力であり、それが、評価であるはずだ…
あとは、外見…
美人や、イケメンに生まれたり、背が高く、生まれたりして、異性にモテる…
あるいは、真逆に、ルックスが、悪く、背も低く、生まれ、異性にモテない…
それも、評価…
そして、中身=性格…
面白かったり、話題が豊富だったり、真逆に、いつも他人の悪口を言ったり…
それで、中身=性格がいいか、悪いか、判断する…
これも、評価だ…
なにを言いたいかといえば、諏訪野伸明は、そんな評価をしてもらいたいのでは?
と、思った…
自分が、お金持ちであることは、忘れて、素の部分で、評価してもらいたいのでは?
そう、気付いた…
これは、おそらく、お金持ちゆえの悩み…
自分が、お金持ちであるがゆえに、異性にモテたりすることが、嫌だったのでは?
そう、思った…
そういえば、以前、これとは、真逆のことを、諏訪野伸明は、私に言ったことがある…
いわく、
「…若い頃に、ボロいクルマに乗れば、金持ちのくせに、わざと、あんなボロいクルマに乗って…」
と、嫌みを言われ、
真逆に、
「…高級車に乗れば、お金持ちであることを、ひけらかして…」
と、嫌みを言われる…
要するに、なにをしても、気に入らない…
文句を言われる…
そして、それは、諏訪野伸明自身のキャラクターや、能力とは、一切関係がない…
ただ、単純に、諏訪野伸明が、金持ちであることが、気に入らないのだ…
自分より、はるかに、金持ちの家に生まれたことが気に入らないのだ…
それは、なぜか?
突き詰めて考えれば、それは、嫉妬に他ならない…
人間は、嫉妬の生き物…
ルックスでも、勉強でも、お金持ちでも、自分が、手が届かないものを、持っている人間には、嫉妬する人間が多い…
学生のうちは、いざ知らず、社会人になっても、アイツは、東大を出てと、周囲のものが、妬む話を聞くことは、枚挙にいとまがない…
要するに、コンプレックスだ…
自分にないものを、持っているのが、羨ましいのだ…
だから、邪魔をしたり、嫌がらせをしたり、しようとする…
が、
それをしても、会社でも、学校でも、逆転は、まずない…
これが、現実…
頭がいい人間が、頭の悪い人間が、数多くいる職場に配属されれば、大抵は、遅かれ早かれ、会社を辞めるし、残った、頭の悪い人間は、景気が悪くなれば、すぐにリストラされる…
誰が見ても、評価は、同じだからだ…
例外は、ほぼないに違いない…
それと、同じで、諏訪野伸明は、ただ、自分だけで、評価してもらいたかったのでは?
今さらながら、思った…
金持ちであることは、除いて、五井家の一員ではない、ただの諏訪野伸明として、見てもらいたかったのでは?
と、気付いた…
だったら、さっき言った、
「…若い頃に、ボロいクルマに乗れば、金持ちのくせに、わざと、あんなボロいクルマに乗って…」
と、嫌みを言われ、
真逆に、
「…高級車に乗れば、お金持ちであることを、ひけらかして…」
と、嫌みを言われる…
これは、なんなのかと、思ったが、冷静に考えると、これは、悪口だから、覚えているのだろうと、気付いた…
誰でも、そうだが、嬉しいことよりも、辛い経験をした方が、覚えているものだ…
諏訪野伸明のように、長身のイケメンであれば、女にモテるのは、当たり前…
女にモテたことよりも、友人、知人に、金持ちだからと、悪口を言われた経験の方が、強く、心に残っているに違いない…
要するに、
「…諏訪野クン…カッコイイ…」
と、学生時代に言われた記憶より、
「…あの野郎…金持ちアピールしやがって…」
と、言われた記憶の方が、強く心に残っているに違いない…
私は、そう思った…
そして、今さらながら、何度も言うことだが、私が、すでに、癌に冒され、そう長く生きれないと、覚悟していたゆえに、諏訪野伸明が、お金持ちでも、忖度しなかった…
それゆえ、伸明は、私を気に入ったのだろう…
素の伸明を、私が見てくれたと、思って、嬉しかったのだろう…
と、思った…
それが、私が、五井記念病院に入院して、思ったよりも、長く生きれるかもしれないことが、わかり、欲が出た…
欲が出た結果、諏訪野伸明と、結婚するかもしれないと、考え、それまでと、同じように、諏訪野伸明と接することができなくなった…
金目当て…
自分でも気付かないうちに、態度にそれが出たのかもしれない…
それに、気付いた伸明は、私に幻滅し、腹違いの妹の諏訪野マミと、菊池冬馬に頼んで、私から、結婚を辞退するよう、依頼した…
その方が、角が立たないと、判断したのだろう…
私は、そう思った…
そして、そう思うことで、自分自身に、幻滅した…
あらためて、自分自身が、嫌になった…
これほど、自分で、自分を嫌になったことは、珍しい…
思えば、それは、余裕が出来たから、だと、気付いた…
それまでの私は、生きるのに、一生懸命だった…
矢代綾子から、寿綾乃になっても、生活は楽にならなかった…
だから、生活をするのに、一生懸命だった…
それが、同居するナオキが成功し、徐々に生活レベルが上がって、お金の心配をしなくなった…
すると、今度は、ナオキがあっちの女、こっちの女と、手を出し、私は、それに振り回され、しまいには、ナオキは、家を出て、ジュン君と二人暮らしになった…
つまり、別の意味で、忙しくなった(笑)…
そして、病気…
すべてが、安定したかと思えば、今度は、病気だった…
そんなこんなで、さまざまなことに、振り回され、私は、その対応に手一杯だった…
だから、余裕がなかった…
それが、一転、ジュン君にクルマではねられ、五井記念病院に入院して、余裕が生まれた…
これは、実に皮肉な結果だった…
病院に入院することで、生活に余裕ができ、思ったよりも、長く生きられることがわかった…
だから、欲が出た…
自分でも、気付かないうちに、欲が出た…
それゆえ、それを諏訪野伸明に見透かされ、振られた…
そういうことだろう…
そう、考えると、ため息が出た…
諏訪野伸明が、本当に結婚するか、どうかは、わからなかったが、家にやって来たナオキが、面白いことを言った…
「…綾乃さん…今日、小耳に挟んだんだが…」
と、前置きして、言った…
すでに、私は、諏訪野伸明との結婚は、ないと思って、ナオキに、戻ってくれるよう、告げた…
なにしろ、私は病み上がり…
一人で、生活するのは、厳しい…
誰かが、そばにいてくれるに、限る…
そして、この世の中で、もっとも、私を、わかってくれるのは、やはり、ナオキだった…
だから、すでに、伸明との結婚は、なくなったと判断した私は、ナオキを呼び寄せた…
結婚がなくなった以上、他人の目を気にする必要は、なくなったからだ…
結婚するかもしれない以上、他人=ナオキとの同居は避けなければ、ならなかったが、今は、それもなくなった…
そういうことだ…
「…なにを、小耳に挟んだの?…」
「…諏訪野さん…包囲網に囲まれてるらしい…」
「…包囲網? …なにそれ?…」
「…五井家が、今、分裂騒動にあることは、綾乃さんも、知ってるだろ…諏訪野さんも、それに対応して、アレコレ、対策を練っているんだけど、自分が、やりたいことと、周囲が、諏訪野さんに求めていることが、違って…」
「…どういうこと?…」
「…諏訪野さん自身は、自分の結婚に前向きじゃないらしい…」
「…なに、それ?…」
「…自分が、誰かと結婚することで、うまく、五井の分裂の危機を回避することに、消極的らしい…」
「…」
「…思うに、諏訪野さんは、お坊ちゃまだけど、芯はしっかりしている…ただのボンボンじゃない…それは、知り合って、接していて、わかった…綾乃さんだって、だから、諏訪野さんに惹かれたんだろ?…」
「…ええ…」
短く、答えた…
まさか、本当は、金目当てだったなんて、口が裂けても、言えない(笑)…
たしかに、諏訪野伸明は、好きだが、やはりというか、私は、伸明の背後に、五井を見ていた…
だから、捨てられたんだ、と思う…
だから、振られたんだ、と思う…
それに、ようやく気付いた…
「…諏訪野さん…綾乃さんと、会いたいんじゃ、ないかな…」
いきなり、ナオキが、私の耳を疑うことを、言った…
「…私に?…」
「…そう…綾乃さんに?…」
「…バカね…私は、諏訪野さんに、振られたのよ…」
「…振られた? …どうして、それが、わかるの?…」
「…だって、アナタも知ってる、諏訪野マミさんと、菊池冬馬さんが、私に会いに来て…」
「…その二人が、綾乃さんに、なにを言ったか、知らないけど、綾乃さんは、まだ、諏訪野さんと、直接、話していないんだろ?…」
「…それは、そうだけど…」
「…悪い男では、ないと思うよ…諏訪野さんは…」
いきなり、ナオキは、言った…
「…綾乃さんを、からかったり、下に見るような人間ではないよ…」
「…」
「…なにしろ、ボクだって、ボクの好きな綾乃さんが、結婚するかもしれない男だ…どんな男か、冷静に見ている…少なくとも、綾乃さんが、人生を共にしても、後悔するような男ではないと、思うよ…」
「…」
「…もう少し、諏訪野さんを信じても、いいんじゃないかな…」
私は、ナオキの言葉に、反論できなかった…
たしかに、諏訪野伸明を信じてみたい…
が、
やはりというか…
それはできなかった…
諏訪野伸明から、連絡がない=別れた、と、判断したからだ…
だから、
「…ナオキ…もう、いいのよ…」
「…なにが、いいの?…」
「…諏訪野さんのことは、もういいの…」
「…」
「…彼のことは、もういいの…」
私の言葉に、ナオキが、絶句した…
しばし、考え込んだ…
「…綾乃さん…どうして、そう思うようになったの?…」
「…考えたの?…」
「…なにを、考えたの?…」
「…どうして、諏訪野さんに、振られたか?…」
「…振られた? …でも、まだ決まったわけじゃ…」
「…たしかに、まだ正式に、諏訪野さんに、振られたわけじゃない…でも、仮に、振られたとしたら、一体、自分のなにが、いけなかったか、考えたの?…」
「…で、その結論は?…」
「…欲が生まれたんだと、思う…」
「…欲?…」
「…そう…諏訪野さんと、出会った当時は、諏訪野さんと付き合いたいとか、結婚したいとかの欲はなかった…なにしろ身分は違うし、私は、病気持ち…とても、結婚なんて、真剣に考える余裕はなかった…でも、入院してから、違った…」
「…どう違ったの?…」
「…癌は、末期で、手の施しようがないと思ったけど、そうじゃなかった…それが、わかると、欲が出てきた…」
「…欲?…」
「…思ったよりも長く生きれるかもしれないと、思ったら、結婚の二文字が現実になってきた…正直、諏訪野さんや、その母の昭子さんに、結婚うんぬんを言われても、最初は、実感がなかった…でも、病院に入院して、ただ、ベッドの上で、考えていると、結婚相手としては、諏訪野さんは、完璧だった…お金持ちで、イケメン…すべてを持ってる…それを考えると、諏訪野さんと、結婚したいと、思うようになった…それが、態度に出たんだと、思う…」
「…」
「…ナオキ…アナタもそうだけど、まだテレビのキャスターをする無名時代に、どこかで、女のコと会ったとするでしょ?…」
「…綾乃さん…なにが、言いたいの?…」
「…まあ、聞いて…その女のコが、最初は、ナオキのことを、ただのイケメンと思っていたのに、実は、上場企業の社長だと知った…すると、今度は、その女のコの態度が変わるでしょ?…」
「…それは、あったね…」
「…その女のコと、私は同じ…」
「…綾乃さんが?…」
「…きっと、入院して、アレコレ、考えるうちに、伸明さんと、結婚したい欲が出てきて、それが、態度に現れたんだと、思う…それで、伸明さんは、私が嫌いになって…」
「…でも、それは、綾乃さんが、一方的に、思っているだけじゃ…」
「…それは、そうだけど、自分が、そうじゃないかと、気付いたってことは、相手もまた、そう思ったんじゃないかな…」
「…でも、ボクは、綾乃さんが、そんな女だとは、思えない…」
「…きっと、それは、家族だからよ…」
「…家族?…」
「…ナオキ…アナタと、私、それにジュン君は、家族だった…だから、身近過ぎて、私のことが、わからなくなった…冷静に、評価できなくなった…」
「…」
「…仮に私と、ナオキが、兄妹だとしても、妹の私を冷静に評価できない…つまりは、妹だから、子供の頃から、知っている…だから、女として、見れない…それと、似ている…」
私の言葉に、ナオキは、黙った…
そして、しばらくして、
「…たしかに、ね…」
と、呟いた…
「…だから、そう考えれば、自分でも、どうして、振られたか、納得できる…そして、それが、事実じゃないとしても、自分でも、自分に驚いた…」
「…驚いた? …なにに、驚いたの?…」
「…自分が、こんなにも、お金に目がくらむ女だとは、思わなかった…」
「…綾乃さんが、お金に?…」
ナオキが、私の言葉に、目を丸くした…
「…きっと、諏訪野さんが、五井家の人間じゃなかったら、私もここまで、惹かれなかったと、思う…」
私の言葉に、ナオキが、黙り込んだ…
考え込んだ様子だった…
「…今度の件で、つくづく自分も、金目当ての平凡な女だと、気付いた…金目当てのバカな女だと、気付いた…それが、唯一の収穫ね…」
私の告白に、ナオキは、言葉もなかった…
黙り続けるしか、なかった…
諏訪野伸明からは、その後も連絡はなかった…
私はただ手持ち無沙汰に毎日を過ごした…
いや、
たとえ、諏訪野伸明うんぬんが、なかったとしても、私には、手持ち無沙汰に毎日を過ごすしかなかった…
カラダが、回復していないからだ…
病院から、退院して、まもないから、自宅で療養するしかなかった…
ただ、やはり暇していたことは、たしか…
だから、アレコレ、考えたのだ…
そんなときだった…
思いがけず、菊池リンから、電話があったのだ…
これは、おおげさにいえば、驚天動地の出来事だった…
まさか、菊池リンから、電話があるとは、思わなかった…
「…綾乃さん…お久しぶりです…」
スマホから、菊池リンの可愛らしい声が聞こえてきた…
菊池リン…
五井家が私に、つけたスパイ…
私、寿綾乃が、五井家の血を引く人間だと、疑い、その動静を探るために、私につけたスパイだった…
私は、愛くるしい、菊池リンに、すっかり、ガードをはずしたというか…
警戒しなかった…
それゆえ、丸裸にされた…
私の会社での動静を探られ、私は、警戒することなく、彼女に接した…
私は、それを思い出した…
同時に、おそらく、この菊池リンが、ジュン君に、ナオキの実の息子でないことを、告げ、動揺した、ジュン君が、私をクルマで、はねた…
その引き金を引いたのだと、思った…
直接、ジュン君に、私をクルマで、轢き殺せと、命じたわけではないが、ジュン君が、ナオキの血の分けた息子でないことを教えたことで、気の弱いジュン君が、パニックになることは、わかっていたはずだ…
私が、ジュン君に轢かれるとまでは、思ってなかったに違いないが、私の動静を、あのときも見張っていたことは、たしか…
だから、それを見た、彼女は、急いで、五井記念病院に連絡して、私を、受け入れるように、指示した…
その意味では、恩人だった(苦笑)…
私が、ジュン君の運転するクルマで、惹かれる原因を作ったのは、間違いないが、同時に、いち早く救助する形になった…
つまり、まるで、放火と消火を、ひとりで、やったようなもの…
犯人であると、同時に、恩人だった…
これを、考えると、複雑だった…
怒っていいのか、感謝していいのか、わからない…
少なくとも、彼女が、私が、ジュン君の運転するクルマに、はねられる原因を作ったのは、間違いは、ない…
だが、もう少し、深く、考えれば、ただ、原因を作っただけ…
ジュン君に、私をクルマで、轢けと、命じたわけでも、なんでもない…
だから、彼女を恨むのは、筋違いかもしれない…
だが、やはり、彼女を恨まないわけには、いかない…
いくら、その後、迅速に、五井記念病院に、私を運ぶように、指示したとしても、だ…
恨まないわけには、いかない…
が、
実際に、彼女の愛くるしい声を聞くと、恨むのが、困難だった…
彼女の愛くるしい声を聞いただけで、彼女の、可愛い顔が、脳裏に思い浮かんだ…
それは、あの、看護師の佐藤ナナ同様、誰もが、愛する顔…
決して、憎めない顔だった…
同時に、以前、五井記念病院に入院して、外に佐藤ナナと、散歩に出たときに、私に向かって、
「…食えない女…」
と、吐き出すように言ったことを、思い出した…
あのときの、菊池リンは、別人…
それまで、見たことのない、別人の菊池リンだった…
私は、それを見て、当惑すると同時に、
「…なぜ?…」
と、思った…
どうして、菊池リンが、こんなにも、変貌したのか?
考えた…
「…食えない女…」
なんて、とても、愛くるしい菊池リンが、口にする言葉ではない…
私にとって、菊池リンは、舌足らずの幼女のような存在…
いや、
私だけでなく、誰にとっても、菊池リンは、舌足らずの幼女を連想するような、愛らしく、頼りなく、それゆえ、守ってあげたくなるような存在だった…
それが…
私は、今、菊池リンからの電話を受けて、考える…
考え続ける…
それとも、それは、やはり、この私も、菊池リンのルックスに騙されているのだろうか?
世の多くの男同様、彼女の可愛いらしく、頼りない、姿に騙されているのだろうか?
そう、思わざるを得なかった…
そう、考えざるを得なかった…
なにより、あんなことを言われたにも、かかわらず、今、こうして、彼女からの電話を受けている…
それが、彼女の魅力というか…
まるで、私に向かって、
「…食えない女…」
と、呼んだことも、なかったことになっている(笑)…
しかも、それが、全然、不自然じゃない…
ある意味、人徳と言うか…
あまり、お目にかかれないキャラクターだった…
普通に憎むことができないのだ…
大相撲でいえば、あの高見盛のようなものだ(笑)…
心の底から、憎むことができないのだ(苦笑)…
私は、思った…
私が、そんなことを、考えてると、
「…綾乃さん、アナタは、五井家をゴタゴタにした張本人です…」
と、菊池リンが、いきなり、電話口で、言った…
思えば、この名前で、生きて、すでに人生の半分を占めた…
最初は、この名前が嫌だった…
本物の寿綾乃を知っていたからだ…
それゆえ、寿綾乃になりすます自分が嫌だった…
だから、それまでと、違い、誰も私を知らない地で、寿綾乃として生きた…
すると、当たり前だが、誰もが、私を寿綾乃と思って接する…
すると、名前の無意味さを、思った…
どんな名前でも、変わらない…
私が、山田花子でも、なにも、変わらない(笑)…
名前が、ただのナンバーと同じに思えた…
ただ、他人と区別するために、あるに、過ぎない…
それを、考えると、寿綾乃でも、矢代綾子でも同じと思った…
名前に、意味はない…
あるのは、ただ、他人と区別するためのもの…
刑務所の囚人の番号と同じだ(笑)…
それと、似たように、本当は、お金持ちで、あるとか、ないとかも、同じだと思った…
本当は、その人間を評価するのに、お金持ちか、否かは、関係ない…
たとえば、学校で、勉強ができたり、スポーツができたり、するのが、能力であり、それが、評価であるはずだ…
あとは、外見…
美人や、イケメンに生まれたり、背が高く、生まれたりして、異性にモテる…
あるいは、真逆に、ルックスが、悪く、背も低く、生まれ、異性にモテない…
それも、評価…
そして、中身=性格…
面白かったり、話題が豊富だったり、真逆に、いつも他人の悪口を言ったり…
それで、中身=性格がいいか、悪いか、判断する…
これも、評価だ…
なにを言いたいかといえば、諏訪野伸明は、そんな評価をしてもらいたいのでは?
と、思った…
自分が、お金持ちであることは、忘れて、素の部分で、評価してもらいたいのでは?
そう、気付いた…
これは、おそらく、お金持ちゆえの悩み…
自分が、お金持ちであるがゆえに、異性にモテたりすることが、嫌だったのでは?
そう、思った…
そういえば、以前、これとは、真逆のことを、諏訪野伸明は、私に言ったことがある…
いわく、
「…若い頃に、ボロいクルマに乗れば、金持ちのくせに、わざと、あんなボロいクルマに乗って…」
と、嫌みを言われ、
真逆に、
「…高級車に乗れば、お金持ちであることを、ひけらかして…」
と、嫌みを言われる…
要するに、なにをしても、気に入らない…
文句を言われる…
そして、それは、諏訪野伸明自身のキャラクターや、能力とは、一切関係がない…
ただ、単純に、諏訪野伸明が、金持ちであることが、気に入らないのだ…
自分より、はるかに、金持ちの家に生まれたことが気に入らないのだ…
それは、なぜか?
突き詰めて考えれば、それは、嫉妬に他ならない…
人間は、嫉妬の生き物…
ルックスでも、勉強でも、お金持ちでも、自分が、手が届かないものを、持っている人間には、嫉妬する人間が多い…
学生のうちは、いざ知らず、社会人になっても、アイツは、東大を出てと、周囲のものが、妬む話を聞くことは、枚挙にいとまがない…
要するに、コンプレックスだ…
自分にないものを、持っているのが、羨ましいのだ…
だから、邪魔をしたり、嫌がらせをしたり、しようとする…
が、
それをしても、会社でも、学校でも、逆転は、まずない…
これが、現実…
頭がいい人間が、頭の悪い人間が、数多くいる職場に配属されれば、大抵は、遅かれ早かれ、会社を辞めるし、残った、頭の悪い人間は、景気が悪くなれば、すぐにリストラされる…
誰が見ても、評価は、同じだからだ…
例外は、ほぼないに違いない…
それと、同じで、諏訪野伸明は、ただ、自分だけで、評価してもらいたかったのでは?
今さらながら、思った…
金持ちであることは、除いて、五井家の一員ではない、ただの諏訪野伸明として、見てもらいたかったのでは?
と、気付いた…
だったら、さっき言った、
「…若い頃に、ボロいクルマに乗れば、金持ちのくせに、わざと、あんなボロいクルマに乗って…」
と、嫌みを言われ、
真逆に、
「…高級車に乗れば、お金持ちであることを、ひけらかして…」
と、嫌みを言われる…
これは、なんなのかと、思ったが、冷静に考えると、これは、悪口だから、覚えているのだろうと、気付いた…
誰でも、そうだが、嬉しいことよりも、辛い経験をした方が、覚えているものだ…
諏訪野伸明のように、長身のイケメンであれば、女にモテるのは、当たり前…
女にモテたことよりも、友人、知人に、金持ちだからと、悪口を言われた経験の方が、強く、心に残っているに違いない…
要するに、
「…諏訪野クン…カッコイイ…」
と、学生時代に言われた記憶より、
「…あの野郎…金持ちアピールしやがって…」
と、言われた記憶の方が、強く心に残っているに違いない…
私は、そう思った…
そして、今さらながら、何度も言うことだが、私が、すでに、癌に冒され、そう長く生きれないと、覚悟していたゆえに、諏訪野伸明が、お金持ちでも、忖度しなかった…
それゆえ、伸明は、私を気に入ったのだろう…
素の伸明を、私が見てくれたと、思って、嬉しかったのだろう…
と、思った…
それが、私が、五井記念病院に入院して、思ったよりも、長く生きれるかもしれないことが、わかり、欲が出た…
欲が出た結果、諏訪野伸明と、結婚するかもしれないと、考え、それまでと、同じように、諏訪野伸明と接することができなくなった…
金目当て…
自分でも気付かないうちに、態度にそれが出たのかもしれない…
それに、気付いた伸明は、私に幻滅し、腹違いの妹の諏訪野マミと、菊池冬馬に頼んで、私から、結婚を辞退するよう、依頼した…
その方が、角が立たないと、判断したのだろう…
私は、そう思った…
そして、そう思うことで、自分自身に、幻滅した…
あらためて、自分自身が、嫌になった…
これほど、自分で、自分を嫌になったことは、珍しい…
思えば、それは、余裕が出来たから、だと、気付いた…
それまでの私は、生きるのに、一生懸命だった…
矢代綾子から、寿綾乃になっても、生活は楽にならなかった…
だから、生活をするのに、一生懸命だった…
それが、同居するナオキが成功し、徐々に生活レベルが上がって、お金の心配をしなくなった…
すると、今度は、ナオキがあっちの女、こっちの女と、手を出し、私は、それに振り回され、しまいには、ナオキは、家を出て、ジュン君と二人暮らしになった…
つまり、別の意味で、忙しくなった(笑)…
そして、病気…
すべてが、安定したかと思えば、今度は、病気だった…
そんなこんなで、さまざまなことに、振り回され、私は、その対応に手一杯だった…
だから、余裕がなかった…
それが、一転、ジュン君にクルマではねられ、五井記念病院に入院して、余裕が生まれた…
これは、実に皮肉な結果だった…
病院に入院することで、生活に余裕ができ、思ったよりも、長く生きられることがわかった…
だから、欲が出た…
自分でも、気付かないうちに、欲が出た…
それゆえ、それを諏訪野伸明に見透かされ、振られた…
そういうことだろう…
そう、考えると、ため息が出た…
諏訪野伸明が、本当に結婚するか、どうかは、わからなかったが、家にやって来たナオキが、面白いことを言った…
「…綾乃さん…今日、小耳に挟んだんだが…」
と、前置きして、言った…
すでに、私は、諏訪野伸明との結婚は、ないと思って、ナオキに、戻ってくれるよう、告げた…
なにしろ、私は病み上がり…
一人で、生活するのは、厳しい…
誰かが、そばにいてくれるに、限る…
そして、この世の中で、もっとも、私を、わかってくれるのは、やはり、ナオキだった…
だから、すでに、伸明との結婚は、なくなったと判断した私は、ナオキを呼び寄せた…
結婚がなくなった以上、他人の目を気にする必要は、なくなったからだ…
結婚するかもしれない以上、他人=ナオキとの同居は避けなければ、ならなかったが、今は、それもなくなった…
そういうことだ…
「…なにを、小耳に挟んだの?…」
「…諏訪野さん…包囲網に囲まれてるらしい…」
「…包囲網? …なにそれ?…」
「…五井家が、今、分裂騒動にあることは、綾乃さんも、知ってるだろ…諏訪野さんも、それに対応して、アレコレ、対策を練っているんだけど、自分が、やりたいことと、周囲が、諏訪野さんに求めていることが、違って…」
「…どういうこと?…」
「…諏訪野さん自身は、自分の結婚に前向きじゃないらしい…」
「…なに、それ?…」
「…自分が、誰かと結婚することで、うまく、五井の分裂の危機を回避することに、消極的らしい…」
「…」
「…思うに、諏訪野さんは、お坊ちゃまだけど、芯はしっかりしている…ただのボンボンじゃない…それは、知り合って、接していて、わかった…綾乃さんだって、だから、諏訪野さんに惹かれたんだろ?…」
「…ええ…」
短く、答えた…
まさか、本当は、金目当てだったなんて、口が裂けても、言えない(笑)…
たしかに、諏訪野伸明は、好きだが、やはりというか、私は、伸明の背後に、五井を見ていた…
だから、捨てられたんだ、と思う…
だから、振られたんだ、と思う…
それに、ようやく気付いた…
「…諏訪野さん…綾乃さんと、会いたいんじゃ、ないかな…」
いきなり、ナオキが、私の耳を疑うことを、言った…
「…私に?…」
「…そう…綾乃さんに?…」
「…バカね…私は、諏訪野さんに、振られたのよ…」
「…振られた? …どうして、それが、わかるの?…」
「…だって、アナタも知ってる、諏訪野マミさんと、菊池冬馬さんが、私に会いに来て…」
「…その二人が、綾乃さんに、なにを言ったか、知らないけど、綾乃さんは、まだ、諏訪野さんと、直接、話していないんだろ?…」
「…それは、そうだけど…」
「…悪い男では、ないと思うよ…諏訪野さんは…」
いきなり、ナオキは、言った…
「…綾乃さんを、からかったり、下に見るような人間ではないよ…」
「…」
「…なにしろ、ボクだって、ボクの好きな綾乃さんが、結婚するかもしれない男だ…どんな男か、冷静に見ている…少なくとも、綾乃さんが、人生を共にしても、後悔するような男ではないと、思うよ…」
「…」
「…もう少し、諏訪野さんを信じても、いいんじゃないかな…」
私は、ナオキの言葉に、反論できなかった…
たしかに、諏訪野伸明を信じてみたい…
が、
やはりというか…
それはできなかった…
諏訪野伸明から、連絡がない=別れた、と、判断したからだ…
だから、
「…ナオキ…もう、いいのよ…」
「…なにが、いいの?…」
「…諏訪野さんのことは、もういいの…」
「…」
「…彼のことは、もういいの…」
私の言葉に、ナオキが、絶句した…
しばし、考え込んだ…
「…綾乃さん…どうして、そう思うようになったの?…」
「…考えたの?…」
「…なにを、考えたの?…」
「…どうして、諏訪野さんに、振られたか?…」
「…振られた? …でも、まだ決まったわけじゃ…」
「…たしかに、まだ正式に、諏訪野さんに、振られたわけじゃない…でも、仮に、振られたとしたら、一体、自分のなにが、いけなかったか、考えたの?…」
「…で、その結論は?…」
「…欲が生まれたんだと、思う…」
「…欲?…」
「…そう…諏訪野さんと、出会った当時は、諏訪野さんと付き合いたいとか、結婚したいとかの欲はなかった…なにしろ身分は違うし、私は、病気持ち…とても、結婚なんて、真剣に考える余裕はなかった…でも、入院してから、違った…」
「…どう違ったの?…」
「…癌は、末期で、手の施しようがないと思ったけど、そうじゃなかった…それが、わかると、欲が出てきた…」
「…欲?…」
「…思ったよりも長く生きれるかもしれないと、思ったら、結婚の二文字が現実になってきた…正直、諏訪野さんや、その母の昭子さんに、結婚うんぬんを言われても、最初は、実感がなかった…でも、病院に入院して、ただ、ベッドの上で、考えていると、結婚相手としては、諏訪野さんは、完璧だった…お金持ちで、イケメン…すべてを持ってる…それを考えると、諏訪野さんと、結婚したいと、思うようになった…それが、態度に出たんだと、思う…」
「…」
「…ナオキ…アナタもそうだけど、まだテレビのキャスターをする無名時代に、どこかで、女のコと会ったとするでしょ?…」
「…綾乃さん…なにが、言いたいの?…」
「…まあ、聞いて…その女のコが、最初は、ナオキのことを、ただのイケメンと思っていたのに、実は、上場企業の社長だと知った…すると、今度は、その女のコの態度が変わるでしょ?…」
「…それは、あったね…」
「…その女のコと、私は同じ…」
「…綾乃さんが?…」
「…きっと、入院して、アレコレ、考えるうちに、伸明さんと、結婚したい欲が出てきて、それが、態度に現れたんだと、思う…それで、伸明さんは、私が嫌いになって…」
「…でも、それは、綾乃さんが、一方的に、思っているだけじゃ…」
「…それは、そうだけど、自分が、そうじゃないかと、気付いたってことは、相手もまた、そう思ったんじゃないかな…」
「…でも、ボクは、綾乃さんが、そんな女だとは、思えない…」
「…きっと、それは、家族だからよ…」
「…家族?…」
「…ナオキ…アナタと、私、それにジュン君は、家族だった…だから、身近過ぎて、私のことが、わからなくなった…冷静に、評価できなくなった…」
「…」
「…仮に私と、ナオキが、兄妹だとしても、妹の私を冷静に評価できない…つまりは、妹だから、子供の頃から、知っている…だから、女として、見れない…それと、似ている…」
私の言葉に、ナオキは、黙った…
そして、しばらくして、
「…たしかに、ね…」
と、呟いた…
「…だから、そう考えれば、自分でも、どうして、振られたか、納得できる…そして、それが、事実じゃないとしても、自分でも、自分に驚いた…」
「…驚いた? …なにに、驚いたの?…」
「…自分が、こんなにも、お金に目がくらむ女だとは、思わなかった…」
「…綾乃さんが、お金に?…」
ナオキが、私の言葉に、目を丸くした…
「…きっと、諏訪野さんが、五井家の人間じゃなかったら、私もここまで、惹かれなかったと、思う…」
私の言葉に、ナオキが、黙り込んだ…
考え込んだ様子だった…
「…今度の件で、つくづく自分も、金目当ての平凡な女だと、気付いた…金目当てのバカな女だと、気付いた…それが、唯一の収穫ね…」
私の告白に、ナオキは、言葉もなかった…
黙り続けるしか、なかった…
諏訪野伸明からは、その後も連絡はなかった…
私はただ手持ち無沙汰に毎日を過ごした…
いや、
たとえ、諏訪野伸明うんぬんが、なかったとしても、私には、手持ち無沙汰に毎日を過ごすしかなかった…
カラダが、回復していないからだ…
病院から、退院して、まもないから、自宅で療養するしかなかった…
ただ、やはり暇していたことは、たしか…
だから、アレコレ、考えたのだ…
そんなときだった…
思いがけず、菊池リンから、電話があったのだ…
これは、おおげさにいえば、驚天動地の出来事だった…
まさか、菊池リンから、電話があるとは、思わなかった…
「…綾乃さん…お久しぶりです…」
スマホから、菊池リンの可愛らしい声が聞こえてきた…
菊池リン…
五井家が私に、つけたスパイ…
私、寿綾乃が、五井家の血を引く人間だと、疑い、その動静を探るために、私につけたスパイだった…
私は、愛くるしい、菊池リンに、すっかり、ガードをはずしたというか…
警戒しなかった…
それゆえ、丸裸にされた…
私の会社での動静を探られ、私は、警戒することなく、彼女に接した…
私は、それを思い出した…
同時に、おそらく、この菊池リンが、ジュン君に、ナオキの実の息子でないことを、告げ、動揺した、ジュン君が、私をクルマで、はねた…
その引き金を引いたのだと、思った…
直接、ジュン君に、私をクルマで、轢き殺せと、命じたわけではないが、ジュン君が、ナオキの血の分けた息子でないことを教えたことで、気の弱いジュン君が、パニックになることは、わかっていたはずだ…
私が、ジュン君に轢かれるとまでは、思ってなかったに違いないが、私の動静を、あのときも見張っていたことは、たしか…
だから、それを見た、彼女は、急いで、五井記念病院に連絡して、私を、受け入れるように、指示した…
その意味では、恩人だった(苦笑)…
私が、ジュン君の運転するクルマで、惹かれる原因を作ったのは、間違いないが、同時に、いち早く救助する形になった…
つまり、まるで、放火と消火を、ひとりで、やったようなもの…
犯人であると、同時に、恩人だった…
これを、考えると、複雑だった…
怒っていいのか、感謝していいのか、わからない…
少なくとも、彼女が、私が、ジュン君の運転するクルマに、はねられる原因を作ったのは、間違いは、ない…
だが、もう少し、深く、考えれば、ただ、原因を作っただけ…
ジュン君に、私をクルマで、轢けと、命じたわけでも、なんでもない…
だから、彼女を恨むのは、筋違いかもしれない…
だが、やはり、彼女を恨まないわけには、いかない…
いくら、その後、迅速に、五井記念病院に、私を運ぶように、指示したとしても、だ…
恨まないわけには、いかない…
が、
実際に、彼女の愛くるしい声を聞くと、恨むのが、困難だった…
彼女の愛くるしい声を聞いただけで、彼女の、可愛い顔が、脳裏に思い浮かんだ…
それは、あの、看護師の佐藤ナナ同様、誰もが、愛する顔…
決して、憎めない顔だった…
同時に、以前、五井記念病院に入院して、外に佐藤ナナと、散歩に出たときに、私に向かって、
「…食えない女…」
と、吐き出すように言ったことを、思い出した…
あのときの、菊池リンは、別人…
それまで、見たことのない、別人の菊池リンだった…
私は、それを見て、当惑すると同時に、
「…なぜ?…」
と、思った…
どうして、菊池リンが、こんなにも、変貌したのか?
考えた…
「…食えない女…」
なんて、とても、愛くるしい菊池リンが、口にする言葉ではない…
私にとって、菊池リンは、舌足らずの幼女のような存在…
いや、
私だけでなく、誰にとっても、菊池リンは、舌足らずの幼女を連想するような、愛らしく、頼りなく、それゆえ、守ってあげたくなるような存在だった…
それが…
私は、今、菊池リンからの電話を受けて、考える…
考え続ける…
それとも、それは、やはり、この私も、菊池リンのルックスに騙されているのだろうか?
世の多くの男同様、彼女の可愛いらしく、頼りない、姿に騙されているのだろうか?
そう、思わざるを得なかった…
そう、考えざるを得なかった…
なにより、あんなことを言われたにも、かかわらず、今、こうして、彼女からの電話を受けている…
それが、彼女の魅力というか…
まるで、私に向かって、
「…食えない女…」
と、呼んだことも、なかったことになっている(笑)…
しかも、それが、全然、不自然じゃない…
ある意味、人徳と言うか…
あまり、お目にかかれないキャラクターだった…
普通に憎むことができないのだ…
大相撲でいえば、あの高見盛のようなものだ(笑)…
心の底から、憎むことができないのだ(苦笑)…
私は、思った…
私が、そんなことを、考えてると、
「…綾乃さん、アナタは、五井家をゴタゴタにした張本人です…」
と、菊池リンが、いきなり、電話口で、言った…