第94話

文字数 6,096文字

 ユリコが、激怒していた…

 当たり前だ…

 昭子に、すべて、手の内を晒され、スポンサーだった高雄組には、仕手戦から、降りられた…

 つまり、ユリコは、勝負に、負けたのだ…

 ユリコは、窮鼠猫を嚙むではないが、憎々しげに、まるで、今にも、昭子に、掴みかからんばかりの表情で、睨んだ…

 だが、

 昭子は、知らん面だった…

 「…そんな顔で、見ないで…品がない…」

 昭子は、ぶっきらぼうに、告げた…

 「…お里が知れますよ…」

 昭子の言葉に、ユリコの表情が、ますます悔しげに、なった…

 すると、そのユリコに、昭子が、突然、

 「…1.5倍…」

 と、呟いた…

 …1.5倍って?…

 私は、考えた…

 「…さきほども、言ったように、五井は、五井造船の株を、当初の、1.5倍で、買い取ります…」

 昭子が、告げた…

 「…それで、十分、儲けがでるでしょう…」

 昭子の言葉に、ユリコは、絶句した…

 しばらく、昭子をずっと、睨んで、いたが、少しすると、下を向いた…

 悔しげに、唇を嚙んでいるのが、わかった…

 …屈辱…

 …まさに、屈辱だったのだろう…

 完膚なきまでに、昭子にやられた…

 そんな気持ちだったのだろう…

 私は、ユリコの気持ちが、痛いほど、わかった…

 人一倍プライドの高いユリコが、人前で、完膚なきまでに、叩き潰されたのだ…

 プライドもなにもあったものじゃなかった…

 なにより、その姿を、私に見られたのが、屈辱だったに違いない…

 ユリコに、とって、私は、天敵…

 決して、負けてはならない相手…

 その私に、負けた姿を見せることは、とんでもない屈辱だったに違いない…

 だから、下を向いた…

 おそらく、涙を流しているのだろう…

 私は、思った…

 悔し涙を流しているのだろう…

 ユリコは、無敗とまでは、いわないが、負ける姿は、見たことが、なかった…

 ユリコは、有能…

 だから、私は、恐れた…

 それが、こうも呆気なく…

 あらためて、昭子の恐ろしさを思った…

 と、同時に、場が一気に白けた…

 シーンとなった…

 まるで、お通夜のようだった…

 本当だったら、一刻も早く、この場を去りたかった…

 が、

 すぐに去るわけには、いかなかった…

 また、私以外に、もう一人、この場から、去りたかった人間がいたのが、わかった…

 他ならぬ、昭子だった…

 「…あら、やだ…随分、湿っぽくなっちゃったわね…申し訳ない…」

 と、照れ隠しのように、言って、笑った…

 だから、わかったのだ…

 「…さあ…食べましょう…」

 そう言って、再び、箸を持って、食べ始めた…

 その姿を見て、再び、私たちも、食べ始めた…

 が、

 それも束の間だった…

 沈黙を破ったのは、やはり、ユリコだった…

 「…昭子さん…ズルいわ…」

 ユリコが、呟いた…

 「…なにが、ズルいの?…」

 昭子が、聞いた…

 箸を休めるでもなく、聞いた…

 まさに、ユリコのことなど、眼中にない様子だった…

 「…五井は、ヤクザとは、つるまない…接触しない…それを公言しているくせに、高雄さんを知っていたなんて…」

 ユリコが、恨みがましく言った…

 私は、それで、気付いた…

 ユリコの狙いを、だ…

 五井は、ヤクザとは、接触を持たない…

 食い物にされる危険があるからだ…

 だから、ヤクザを知らない…

 そう、ユリコは、思っていたに違いなかった…

 だから、高雄組と組んだ…

 高雄組が、ヤクザ=暴力団だから、当然、五井と、面識がないと思ったに違いない…

 交流がないと思ったに違いない…

 が、

 それが、誤りだった…

 間違いだった…

 五井と、ヤクザは、交流があった…

 面識があった可能性が高い…

 だから、最初から、ユリコの計算違いだった…

 最初から、五井が、高雄組と、知り合いならば、ユリコは、高雄組と、組まなかったと、言いたいのだろう…

 私は、思った…

 が、

 昭子の答えは、違った…

 「…ズルい? …いえ、全然、ズルくありません…」

 昭子が、断言した…

 「…私は、高雄組の組長と面識はありません…」

 「…ウソォ!…」

 と、ユリコ…

 「…いえ、ウソでは、ありません…私が面識が、あるのは、大場小太郎さん…」

 「…」

 「…大場小太郎さんとは、長いお付き合いです…その大場小太郎さんが、高雄さんのことを、知らせてくれただけです…」

 「…大場小太郎…」

 ユリコが、忌々しげに、呟いた…

 「…ユリコさんは、誤解しているようね?…」

 「…誤解? …なにが?…」

 「…五井の歴史は、400年…嫌でも、政界、財界の繋がりは、できる…そして、繋がりができれば、情報が入る…」

 「…」

 「…それが、アナタと、私の違い…生まれの違い…環境の違い…こういっては、なんだけれども、個人の能力は、関係ない…それ以前のお話…」

 「…」

 「…いかに、才能があろうとも、個人では如何ともしがたい壁があります…残念ながら、それが、事実…現実…」

 「…」

 「…落胆しなさんな…誰も、アナタの能力が、劣っているなんて、思っちゃいない…自分一人の力で、ここまで、できたんだ…むしろ、ほめてやりたいぐらいです…」

 昭子が、言った…

 私は、その言葉に、同意した…

 激しく、同意した…

 個人の能力には、限界がある…

 一人で、できることには、限界がある…

 五井のように、歴史ある財閥の家に、生まれれば、自然と、政界、財界などの有力者と、知り合いになれる…

 それは、普通では、ありえないこと…

 普通では、できないことだ…

 それを、思えば、ユリコは、立派だった…

 誰の力も借りず、自分一人の力で、ここまで、きた…

 いかに、ユリコに才能があるか、だった…

 だが、

 いかに、ユリコに才能があろうとも、五井のような歴史ある、金持ちには、勝てない…

 それが、現実だった…

 よくわかる現実だった…

 私は、思った…

 「…メソメソしなさんな…」

 昭子が、ユリコに言った…

 「…アンタは、十分やった…よくできた…ひとりで、ここまで、できたんだ…十分、優秀だよ…」

 昭子が褒めた…

 が、

 途端に、誰かが、

 「…優秀?…」

 と、呟いた…

 疑問を呈した感じだった…

 …佐藤ナナだった…

 「…それって、本当に、優秀なんですか?…」

 愛くるしく、言った…

 「…どうして、そう思うの?…」

 私が、口を挟んだ…

 「…だって、ユリコさん…悔しそうだから…納得してないなって…」

 「…どういう意味?…」

 「…本当に、優秀ならば、もっと、五井のことを探ったんじゃ、ないんですか? …昭子さんが、誰と交流があるかとか…」

 …言われてみれば、もっともだった…

 「…そこを探れば、案外、簡単に、この昭子さんが、高雄さんと、繋がりがあるのが、わかったりして…」

 佐藤ナナが、笑った…

 私は、その言葉で、思い出した…

 この佐藤ナナの実父…

 菊池重方(しげかた)の、ことを、だ…

 重方(しげかた)に関連して、高雄組組長が、警察に事情聴取されていると、以前、報道があった…

 つまり、その報道からは、重方(しげかた)と、高雄組組長が、なんらかの関係があると、断言できる…

 今、この佐藤ナナは、言外に、それを匂わせたのかもしれない…

 そう、気付いた…

 「…だから…」

 と、佐藤ナナは、ユリコをからかうように、言った…

 佐藤ナナは、明らかに、ユリコを小馬鹿にしていた…

 目が笑っていた…

 明らかに、ユリコを嘲笑していた…

 私は、それを見て、意外というか…

 これまで、佐藤ナナのそんな姿を見たことがなかった…

 佐藤ナナは、五井記念病院で、私の担当看護師だった…

 褐色の肌を持つ、華やかな感じの美人…

 日本人とベトナム人のハーフだからだ…

 それゆえ、顔の彫りが、深く、目鼻立ちが、整っていた…

 純粋な日本人には、ない顔だった…

 しかし、同時に、真面目で、仕事熱心だった…

 入院患者である、私を親身になって、面倒を見てくれた…

 だから、性格も良く、裏表のない人間だと、思っていた…

 しかしながら、今、見た、佐藤ナナは、別人というか…

 それまで、見たことのない、佐藤ナナだった…

 私が、そう思っていると、

 「…重方(しげかた)そっくり…」

 と、突然、声がした…

 振り向くと、声の主は、昭子だった…

 箸の手を止めて、忌々しげに、佐藤ナナを見ていた…

 「…実に似ている…」

 大げさに、いえば、今にも、佐藤ナナに襲いかからんばかりの形相だった…

 怒髪天を衝いた、怒りの表情だった…

 佐藤ナナは、当然のことながら、そんな昭子の表情に、驚いた…

 まさか、ユリコから、自分に批判の矛先が変わるとは、想像もしていなかったのだろう…

 それに、気付くと、佐藤ナナの笑顔がなくなった…

 至極、真剣な表情になった…

 それから、今度は、一転して、ニコニコと、愛想笑いをしながら、ユリコを見た…

 が、

 その愛想笑いは、ぎこちなかった…

 誰が、どう見ても、明らかに、作り笑いだった…

 「…一見愛想よく、ニコニコと、善人を演じていても、その実、陰で、コソコソと、自分の都合のいいように、動く…」

 昭子が、忌々しそうに、呟く…

 「…重方(しげかた)と、同じ…血は、争えないわね…」

 その言葉に、佐藤ナナの笑顔が、止んだ…

 真剣な表情に変わった…

 「…佐藤ナナ…アナタは、どうして、五井南家に、迎えられたと思う?…」

 昭子が、真剣な表情で、訊いた…

 佐藤ナナが、真面目な顔になった…

 すると、佐藤ナナの、顔付きが、変わった…

 それまで、さんざ見ていた愛想の良い、表情から、一転して、鋭い目つきに変わった…

 また、それが、純粋な日本人でないゆえに、かえって、表情が、きつくなった…

 肌の色が、褐色のこともあり、かえって、日本人ではありえない、きつい表情に変わった…

 「…佐藤さん…アナタは、私の娘…養女となった…」

 ゆっくりと、穏やかに、昭子は告げた…

 それは、むしろ、感情を抑えている様子だった…

 つまり、見方を変えれば、それほど、昭子の感情が、昂っている証だった…

 「…つまり、伸明の妹…」

 ゆっくりと、告げる…

 「…アナタが、重方(しげかた)の娘であることは、わかっていた…重方(しげかた)は、獅子身中の虫…五井にとって、あっては、ならない存在…」

 「…」

 「…にもかかわらず、アナタを養女として、受け入れた…どうしてだか、わかりますか?…」

 佐藤ナナは、

 「…」

 と、答えなかった…

 ジッと、無言で、昭子を見つめていた…

 「…重方(しげかた)が、どう出るか、見ておきたかったからです…」

 「…」

 「…重方(しげかた)は、抜け目のない男です…いつもニコニコと愛想が良く、善人を装っている…しかしながら、内心は、狡猾…ずるがしこい…それは、亡くなった、秀樹に共通する性格です…」

 「…」

 「…五井の者は、大半が、性格が、二分しています…有能か、有能ではないにもかかわらず、狡猾かのどちらかです…半端はありません…」

 「…」

「…私が、アナタを養女とした目的のひとつは、アナタの性格を見極めたかったからです…アナタが、重方(しげかた)に似ているか…それとも、私たちに似ているのか、知りたかった…」

「…」

「…そして、今、このユリコさんに対する対応で、わかった…」

「…」

「…アナタは、重方(しげかた)そっくり…とても、養女として、五井本家で、受け入れるわけには、いきません…養女としての養子縁組を解消します…」

昭子が断言した…

私は、驚いた…

ふと、気が付くと、さっきまで、下を向いていたユリコまで、顔を上げて、驚嘆して、昭子と、佐藤ナナを見ていた…

まさに、青天の霹靂(へきれき)というか…

ありえない展開になっていた(苦笑)…

…養子縁組を解消する…

昭子の言葉に、佐藤ナナが、顔面蒼白になった…

褐色の肌から、血の気が引いた…

「…養子縁組を解消?…」

佐藤ナナが、呟いた…

当たり前だ…

それほど、衝撃的な言葉だった…

「…だって、私がいなくなれば、五井南家は、本家に、協力は…」

「…しないと言いたいわけ?…」

佐藤ナナは、無言で、首を縦に振った…

「…そんなことは、ありえない…」

「…ありえない? …どうして?…」

「…五井南家には、長谷川センセイがいる…」

「…長谷川センセイ?…」

驚いて、佐藤ナナが、叫んだ…

当たり前だ…

ここで、長谷川センセイの名前が出てくるとは、思わなかった…

まさに、まさか、だ!

「…長谷川センセイ? …長谷川センセイが、五井南家?…」

佐藤ナナが、仰天した…

「…五井南家といっても、末端で、ほとんど、五井家には、関係がない…」

昭子が、告げた…

「…でも、一族は、一族…五井家に通じている…」

私は、その言葉で、長谷川センセイとの対話を思い出した…

長谷川センセイは、以前、私に、冬馬のことを語った…

冬馬の学生時代の評価を語った…

冬馬と同じ学校だったからだ…

そのとき、長谷川センセイは、冬馬は、五井家のお坊ちゃまだから、学校で、目立っていたと、言っていた…

だから、ボクも注目したと…

が、

それは、ウソだった可能性が高い…

最初から、長谷川センセイも五井一族だったから、注目したのだ…

末端とはいえ、同じ五井一族だったから、注目したのだ…

最初から、冬馬に関心があったからだ…

「…いわば、論功賞というところかな…南家は、長谷川センセイを通じて、アナタや重方(しげかた)の動静を伝え、五井本家の力になってくれた…だから、本家側に立つことを許した…」

昭子が告白する…

「…だから、正直に言って、佐藤さんが、私の養女であろうとなかろうと、なんの関係もない…私は、ただ、重方(しげかた)の娘だから、佐藤さんを養女にした…五井は、血の繋がりを重視する…それゆえ、佐藤さんを、養女にした…」

「…だったら、一体、私はなぜ?…なぜ、私が、本家に養女となることで、五井南家が、本家側についたんじゃ…」

「…それは、ありません…」

「…ない…どうして?…」

「…佐藤さんが、南家の人間じゃないことは、最初から、わかってました…重方(しげかた)の娘であることは…」

「…だったら、なぜ?…」

「…アナタが、重方(しげかた)と、米倉平造と結託して、南家の血を引くと言い出して、伸明のお嫁さん候補として、現れた…当然、それを疑います…」

「…」

「…たとえ、DNAで、五井共通の血があっても、やはり、信じられません…でも、それは、関係ありませんでした…」

「…関係ない? …なぜ?…」

「…今も言ったように、長谷川センセイが、動いてくれた…そのおかげで、アナタの動静もわかった…」

「…」

「…つまり、最初から、五井南家は、本家側についた…本家と連携した…その功績で、五井本家側につくことを、許した…ただ、重方(しげかた)と、米倉平造が、アナタを、五井南家の血を引く娘として、紹介したから、その策略に乗っただけ…」

「…」

「…そして、その方が、他の五井一族を納得させることができる…」

昭子が、断言した…

佐藤ナナは、昭子の言葉に、驚愕した…

ただ、

ただ、驚いて、昭子の姿を見ていた…

佐藤ナナの褐色の肌から、血の気が引いて、真っ青になった…

               
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