第94話
文字数 6,096文字
ユリコが、激怒していた…
当たり前だ…
昭子に、すべて、手の内を晒され、スポンサーだった高雄組には、仕手戦から、降りられた…
つまり、ユリコは、勝負に、負けたのだ…
ユリコは、窮鼠猫を嚙むではないが、憎々しげに、まるで、今にも、昭子に、掴みかからんばかりの表情で、睨んだ…
だが、
昭子は、知らん面だった…
「…そんな顔で、見ないで…品がない…」
昭子は、ぶっきらぼうに、告げた…
「…お里が知れますよ…」
昭子の言葉に、ユリコの表情が、ますます悔しげに、なった…
すると、そのユリコに、昭子が、突然、
「…1.5倍…」
と、呟いた…
…1.5倍って?…
私は、考えた…
「…さきほども、言ったように、五井は、五井造船の株を、当初の、1.5倍で、買い取ります…」
昭子が、告げた…
「…それで、十分、儲けがでるでしょう…」
昭子の言葉に、ユリコは、絶句した…
しばらく、昭子をずっと、睨んで、いたが、少しすると、下を向いた…
悔しげに、唇を嚙んでいるのが、わかった…
…屈辱…
…まさに、屈辱だったのだろう…
完膚なきまでに、昭子にやられた…
そんな気持ちだったのだろう…
私は、ユリコの気持ちが、痛いほど、わかった…
人一倍プライドの高いユリコが、人前で、完膚なきまでに、叩き潰されたのだ…
プライドもなにもあったものじゃなかった…
なにより、その姿を、私に見られたのが、屈辱だったに違いない…
ユリコに、とって、私は、天敵…
決して、負けてはならない相手…
その私に、負けた姿を見せることは、とんでもない屈辱だったに違いない…
だから、下を向いた…
おそらく、涙を流しているのだろう…
私は、思った…
悔し涙を流しているのだろう…
ユリコは、無敗とまでは、いわないが、負ける姿は、見たことが、なかった…
ユリコは、有能…
だから、私は、恐れた…
それが、こうも呆気なく…
あらためて、昭子の恐ろしさを思った…
と、同時に、場が一気に白けた…
シーンとなった…
まるで、お通夜のようだった…
本当だったら、一刻も早く、この場を去りたかった…
が、
すぐに去るわけには、いかなかった…
また、私以外に、もう一人、この場から、去りたかった人間がいたのが、わかった…
他ならぬ、昭子だった…
「…あら、やだ…随分、湿っぽくなっちゃったわね…申し訳ない…」
と、照れ隠しのように、言って、笑った…
だから、わかったのだ…
「…さあ…食べましょう…」
そう言って、再び、箸を持って、食べ始めた…
その姿を見て、再び、私たちも、食べ始めた…
が、
それも束の間だった…
沈黙を破ったのは、やはり、ユリコだった…
「…昭子さん…ズルいわ…」
ユリコが、呟いた…
「…なにが、ズルいの?…」
昭子が、聞いた…
箸を休めるでもなく、聞いた…
まさに、ユリコのことなど、眼中にない様子だった…
「…五井は、ヤクザとは、つるまない…接触しない…それを公言しているくせに、高雄さんを知っていたなんて…」
ユリコが、恨みがましく言った…
私は、それで、気付いた…
ユリコの狙いを、だ…
五井は、ヤクザとは、接触を持たない…
食い物にされる危険があるからだ…
だから、ヤクザを知らない…
そう、ユリコは、思っていたに違いなかった…
だから、高雄組と組んだ…
高雄組が、ヤクザ=暴力団だから、当然、五井と、面識がないと思ったに違いない…
交流がないと思ったに違いない…
が、
それが、誤りだった…
間違いだった…
五井と、ヤクザは、交流があった…
面識があった可能性が高い…
だから、最初から、ユリコの計算違いだった…
最初から、五井が、高雄組と、知り合いならば、ユリコは、高雄組と、組まなかったと、言いたいのだろう…
私は、思った…
が、
昭子の答えは、違った…
「…ズルい? …いえ、全然、ズルくありません…」
昭子が、断言した…
「…私は、高雄組の組長と面識はありません…」
「…ウソォ!…」
と、ユリコ…
「…いえ、ウソでは、ありません…私が面識が、あるのは、大場小太郎さん…」
「…」
「…大場小太郎さんとは、長いお付き合いです…その大場小太郎さんが、高雄さんのことを、知らせてくれただけです…」
「…大場小太郎…」
ユリコが、忌々しげに、呟いた…
「…ユリコさんは、誤解しているようね?…」
「…誤解? …なにが?…」
「…五井の歴史は、400年…嫌でも、政界、財界の繋がりは、できる…そして、繋がりができれば、情報が入る…」
「…」
「…それが、アナタと、私の違い…生まれの違い…環境の違い…こういっては、なんだけれども、個人の能力は、関係ない…それ以前のお話…」
「…」
「…いかに、才能があろうとも、個人では如何ともしがたい壁があります…残念ながら、それが、事実…現実…」
「…」
「…落胆しなさんな…誰も、アナタの能力が、劣っているなんて、思っちゃいない…自分一人の力で、ここまで、できたんだ…むしろ、ほめてやりたいぐらいです…」
昭子が、言った…
私は、その言葉に、同意した…
激しく、同意した…
個人の能力には、限界がある…
一人で、できることには、限界がある…
五井のように、歴史ある財閥の家に、生まれれば、自然と、政界、財界などの有力者と、知り合いになれる…
それは、普通では、ありえないこと…
普通では、できないことだ…
それを、思えば、ユリコは、立派だった…
誰の力も借りず、自分一人の力で、ここまで、きた…
いかに、ユリコに才能があるか、だった…
だが、
いかに、ユリコに才能があろうとも、五井のような歴史ある、金持ちには、勝てない…
それが、現実だった…
よくわかる現実だった…
私は、思った…
「…メソメソしなさんな…」
昭子が、ユリコに言った…
「…アンタは、十分やった…よくできた…ひとりで、ここまで、できたんだ…十分、優秀だよ…」
昭子が褒めた…
が、
途端に、誰かが、
「…優秀?…」
と、呟いた…
疑問を呈した感じだった…
…佐藤ナナだった…
「…それって、本当に、優秀なんですか?…」
愛くるしく、言った…
「…どうして、そう思うの?…」
私が、口を挟んだ…
「…だって、ユリコさん…悔しそうだから…納得してないなって…」
「…どういう意味?…」
「…本当に、優秀ならば、もっと、五井のことを探ったんじゃ、ないんですか? …昭子さんが、誰と交流があるかとか…」
…言われてみれば、もっともだった…
「…そこを探れば、案外、簡単に、この昭子さんが、高雄さんと、繋がりがあるのが、わかったりして…」
佐藤ナナが、笑った…
私は、その言葉で、思い出した…
この佐藤ナナの実父…
菊池重方(しげかた)の、ことを、だ…
重方(しげかた)に関連して、高雄組組長が、警察に事情聴取されていると、以前、報道があった…
つまり、その報道からは、重方(しげかた)と、高雄組組長が、なんらかの関係があると、断言できる…
今、この佐藤ナナは、言外に、それを匂わせたのかもしれない…
そう、気付いた…
「…だから…」
と、佐藤ナナは、ユリコをからかうように、言った…
佐藤ナナは、明らかに、ユリコを小馬鹿にしていた…
目が笑っていた…
明らかに、ユリコを嘲笑していた…
私は、それを見て、意外というか…
これまで、佐藤ナナのそんな姿を見たことがなかった…
佐藤ナナは、五井記念病院で、私の担当看護師だった…
褐色の肌を持つ、華やかな感じの美人…
日本人とベトナム人のハーフだからだ…
それゆえ、顔の彫りが、深く、目鼻立ちが、整っていた…
純粋な日本人には、ない顔だった…
しかし、同時に、真面目で、仕事熱心だった…
入院患者である、私を親身になって、面倒を見てくれた…
だから、性格も良く、裏表のない人間だと、思っていた…
しかしながら、今、見た、佐藤ナナは、別人というか…
それまで、見たことのない、佐藤ナナだった…
私が、そう思っていると、
「…重方(しげかた)そっくり…」
と、突然、声がした…
振り向くと、声の主は、昭子だった…
箸の手を止めて、忌々しげに、佐藤ナナを見ていた…
「…実に似ている…」
大げさに、いえば、今にも、佐藤ナナに襲いかからんばかりの形相だった…
怒髪天を衝いた、怒りの表情だった…
佐藤ナナは、当然のことながら、そんな昭子の表情に、驚いた…
まさか、ユリコから、自分に批判の矛先が変わるとは、想像もしていなかったのだろう…
それに、気付くと、佐藤ナナの笑顔がなくなった…
至極、真剣な表情になった…
それから、今度は、一転して、ニコニコと、愛想笑いをしながら、ユリコを見た…
が、
その愛想笑いは、ぎこちなかった…
誰が、どう見ても、明らかに、作り笑いだった…
「…一見愛想よく、ニコニコと、善人を演じていても、その実、陰で、コソコソと、自分の都合のいいように、動く…」
昭子が、忌々しそうに、呟く…
「…重方(しげかた)と、同じ…血は、争えないわね…」
その言葉に、佐藤ナナの笑顔が、止んだ…
真剣な表情に変わった…
「…佐藤ナナ…アナタは、どうして、五井南家に、迎えられたと思う?…」
昭子が、真剣な表情で、訊いた…
佐藤ナナが、真面目な顔になった…
すると、佐藤ナナの、顔付きが、変わった…
それまで、さんざ見ていた愛想の良い、表情から、一転して、鋭い目つきに変わった…
また、それが、純粋な日本人でないゆえに、かえって、表情が、きつくなった…
肌の色が、褐色のこともあり、かえって、日本人ではありえない、きつい表情に変わった…
「…佐藤さん…アナタは、私の娘…養女となった…」
ゆっくりと、穏やかに、昭子は告げた…
それは、むしろ、感情を抑えている様子だった…
つまり、見方を変えれば、それほど、昭子の感情が、昂っている証だった…
「…つまり、伸明の妹…」
ゆっくりと、告げる…
「…アナタが、重方(しげかた)の娘であることは、わかっていた…重方(しげかた)は、獅子身中の虫…五井にとって、あっては、ならない存在…」
「…」
「…にもかかわらず、アナタを養女として、受け入れた…どうしてだか、わかりますか?…」
佐藤ナナは、
「…」
と、答えなかった…
ジッと、無言で、昭子を見つめていた…
「…重方(しげかた)が、どう出るか、見ておきたかったからです…」
「…」
「…重方(しげかた)は、抜け目のない男です…いつもニコニコと愛想が良く、善人を装っている…しかしながら、内心は、狡猾…ずるがしこい…それは、亡くなった、秀樹に共通する性格です…」
「…」
「…五井の者は、大半が、性格が、二分しています…有能か、有能ではないにもかかわらず、狡猾かのどちらかです…半端はありません…」
「…」
「…私が、アナタを養女とした目的のひとつは、アナタの性格を見極めたかったからです…アナタが、重方(しげかた)に似ているか…それとも、私たちに似ているのか、知りたかった…」
「…」
「…そして、今、このユリコさんに対する対応で、わかった…」
「…」
「…アナタは、重方(しげかた)そっくり…とても、養女として、五井本家で、受け入れるわけには、いきません…養女としての養子縁組を解消します…」
昭子が断言した…
私は、驚いた…
ふと、気が付くと、さっきまで、下を向いていたユリコまで、顔を上げて、驚嘆して、昭子と、佐藤ナナを見ていた…
まさに、青天の霹靂(へきれき)というか…
ありえない展開になっていた(苦笑)…
…養子縁組を解消する…
昭子の言葉に、佐藤ナナが、顔面蒼白になった…
褐色の肌から、血の気が引いた…
「…養子縁組を解消?…」
佐藤ナナが、呟いた…
当たり前だ…
それほど、衝撃的な言葉だった…
「…だって、私がいなくなれば、五井南家は、本家に、協力は…」
「…しないと言いたいわけ?…」
佐藤ナナは、無言で、首を縦に振った…
「…そんなことは、ありえない…」
「…ありえない? …どうして?…」
「…五井南家には、長谷川センセイがいる…」
「…長谷川センセイ?…」
驚いて、佐藤ナナが、叫んだ…
当たり前だ…
ここで、長谷川センセイの名前が出てくるとは、思わなかった…
まさに、まさか、だ!
「…長谷川センセイ? …長谷川センセイが、五井南家?…」
佐藤ナナが、仰天した…
「…五井南家といっても、末端で、ほとんど、五井家には、関係がない…」
昭子が、告げた…
「…でも、一族は、一族…五井家に通じている…」
私は、その言葉で、長谷川センセイとの対話を思い出した…
長谷川センセイは、以前、私に、冬馬のことを語った…
冬馬の学生時代の評価を語った…
冬馬と同じ学校だったからだ…
そのとき、長谷川センセイは、冬馬は、五井家のお坊ちゃまだから、学校で、目立っていたと、言っていた…
だから、ボクも注目したと…
が、
それは、ウソだった可能性が高い…
最初から、長谷川センセイも五井一族だったから、注目したのだ…
末端とはいえ、同じ五井一族だったから、注目したのだ…
最初から、冬馬に関心があったからだ…
「…いわば、論功賞というところかな…南家は、長谷川センセイを通じて、アナタや重方(しげかた)の動静を伝え、五井本家の力になってくれた…だから、本家側に立つことを許した…」
昭子が告白する…
「…だから、正直に言って、佐藤さんが、私の養女であろうとなかろうと、なんの関係もない…私は、ただ、重方(しげかた)の娘だから、佐藤さんを養女にした…五井は、血の繋がりを重視する…それゆえ、佐藤さんを、養女にした…」
「…だったら、一体、私はなぜ?…なぜ、私が、本家に養女となることで、五井南家が、本家側についたんじゃ…」
「…それは、ありません…」
「…ない…どうして?…」
「…佐藤さんが、南家の人間じゃないことは、最初から、わかってました…重方(しげかた)の娘であることは…」
「…だったら、なぜ?…」
「…アナタが、重方(しげかた)と、米倉平造と結託して、南家の血を引くと言い出して、伸明のお嫁さん候補として、現れた…当然、それを疑います…」
「…」
「…たとえ、DNAで、五井共通の血があっても、やはり、信じられません…でも、それは、関係ありませんでした…」
「…関係ない? …なぜ?…」
「…今も言ったように、長谷川センセイが、動いてくれた…そのおかげで、アナタの動静もわかった…」
「…」
「…つまり、最初から、五井南家は、本家側についた…本家と連携した…その功績で、五井本家側につくことを、許した…ただ、重方(しげかた)と、米倉平造が、アナタを、五井南家の血を引く娘として、紹介したから、その策略に乗っただけ…」
「…」
「…そして、その方が、他の五井一族を納得させることができる…」
昭子が、断言した…
佐藤ナナは、昭子の言葉に、驚愕した…
ただ、
ただ、驚いて、昭子の姿を見ていた…
佐藤ナナの褐色の肌から、血の気が引いて、真っ青になった…
当たり前だ…
昭子に、すべて、手の内を晒され、スポンサーだった高雄組には、仕手戦から、降りられた…
つまり、ユリコは、勝負に、負けたのだ…
ユリコは、窮鼠猫を嚙むではないが、憎々しげに、まるで、今にも、昭子に、掴みかからんばかりの表情で、睨んだ…
だが、
昭子は、知らん面だった…
「…そんな顔で、見ないで…品がない…」
昭子は、ぶっきらぼうに、告げた…
「…お里が知れますよ…」
昭子の言葉に、ユリコの表情が、ますます悔しげに、なった…
すると、そのユリコに、昭子が、突然、
「…1.5倍…」
と、呟いた…
…1.5倍って?…
私は、考えた…
「…さきほども、言ったように、五井は、五井造船の株を、当初の、1.5倍で、買い取ります…」
昭子が、告げた…
「…それで、十分、儲けがでるでしょう…」
昭子の言葉に、ユリコは、絶句した…
しばらく、昭子をずっと、睨んで、いたが、少しすると、下を向いた…
悔しげに、唇を嚙んでいるのが、わかった…
…屈辱…
…まさに、屈辱だったのだろう…
完膚なきまでに、昭子にやられた…
そんな気持ちだったのだろう…
私は、ユリコの気持ちが、痛いほど、わかった…
人一倍プライドの高いユリコが、人前で、完膚なきまでに、叩き潰されたのだ…
プライドもなにもあったものじゃなかった…
なにより、その姿を、私に見られたのが、屈辱だったに違いない…
ユリコに、とって、私は、天敵…
決して、負けてはならない相手…
その私に、負けた姿を見せることは、とんでもない屈辱だったに違いない…
だから、下を向いた…
おそらく、涙を流しているのだろう…
私は、思った…
悔し涙を流しているのだろう…
ユリコは、無敗とまでは、いわないが、負ける姿は、見たことが、なかった…
ユリコは、有能…
だから、私は、恐れた…
それが、こうも呆気なく…
あらためて、昭子の恐ろしさを思った…
と、同時に、場が一気に白けた…
シーンとなった…
まるで、お通夜のようだった…
本当だったら、一刻も早く、この場を去りたかった…
が、
すぐに去るわけには、いかなかった…
また、私以外に、もう一人、この場から、去りたかった人間がいたのが、わかった…
他ならぬ、昭子だった…
「…あら、やだ…随分、湿っぽくなっちゃったわね…申し訳ない…」
と、照れ隠しのように、言って、笑った…
だから、わかったのだ…
「…さあ…食べましょう…」
そう言って、再び、箸を持って、食べ始めた…
その姿を見て、再び、私たちも、食べ始めた…
が、
それも束の間だった…
沈黙を破ったのは、やはり、ユリコだった…
「…昭子さん…ズルいわ…」
ユリコが、呟いた…
「…なにが、ズルいの?…」
昭子が、聞いた…
箸を休めるでもなく、聞いた…
まさに、ユリコのことなど、眼中にない様子だった…
「…五井は、ヤクザとは、つるまない…接触しない…それを公言しているくせに、高雄さんを知っていたなんて…」
ユリコが、恨みがましく言った…
私は、それで、気付いた…
ユリコの狙いを、だ…
五井は、ヤクザとは、接触を持たない…
食い物にされる危険があるからだ…
だから、ヤクザを知らない…
そう、ユリコは、思っていたに違いなかった…
だから、高雄組と組んだ…
高雄組が、ヤクザ=暴力団だから、当然、五井と、面識がないと思ったに違いない…
交流がないと思ったに違いない…
が、
それが、誤りだった…
間違いだった…
五井と、ヤクザは、交流があった…
面識があった可能性が高い…
だから、最初から、ユリコの計算違いだった…
最初から、五井が、高雄組と、知り合いならば、ユリコは、高雄組と、組まなかったと、言いたいのだろう…
私は、思った…
が、
昭子の答えは、違った…
「…ズルい? …いえ、全然、ズルくありません…」
昭子が、断言した…
「…私は、高雄組の組長と面識はありません…」
「…ウソォ!…」
と、ユリコ…
「…いえ、ウソでは、ありません…私が面識が、あるのは、大場小太郎さん…」
「…」
「…大場小太郎さんとは、長いお付き合いです…その大場小太郎さんが、高雄さんのことを、知らせてくれただけです…」
「…大場小太郎…」
ユリコが、忌々しげに、呟いた…
「…ユリコさんは、誤解しているようね?…」
「…誤解? …なにが?…」
「…五井の歴史は、400年…嫌でも、政界、財界の繋がりは、できる…そして、繋がりができれば、情報が入る…」
「…」
「…それが、アナタと、私の違い…生まれの違い…環境の違い…こういっては、なんだけれども、個人の能力は、関係ない…それ以前のお話…」
「…」
「…いかに、才能があろうとも、個人では如何ともしがたい壁があります…残念ながら、それが、事実…現実…」
「…」
「…落胆しなさんな…誰も、アナタの能力が、劣っているなんて、思っちゃいない…自分一人の力で、ここまで、できたんだ…むしろ、ほめてやりたいぐらいです…」
昭子が、言った…
私は、その言葉に、同意した…
激しく、同意した…
個人の能力には、限界がある…
一人で、できることには、限界がある…
五井のように、歴史ある財閥の家に、生まれれば、自然と、政界、財界などの有力者と、知り合いになれる…
それは、普通では、ありえないこと…
普通では、できないことだ…
それを、思えば、ユリコは、立派だった…
誰の力も借りず、自分一人の力で、ここまで、きた…
いかに、ユリコに才能があるか、だった…
だが、
いかに、ユリコに才能があろうとも、五井のような歴史ある、金持ちには、勝てない…
それが、現実だった…
よくわかる現実だった…
私は、思った…
「…メソメソしなさんな…」
昭子が、ユリコに言った…
「…アンタは、十分やった…よくできた…ひとりで、ここまで、できたんだ…十分、優秀だよ…」
昭子が褒めた…
が、
途端に、誰かが、
「…優秀?…」
と、呟いた…
疑問を呈した感じだった…
…佐藤ナナだった…
「…それって、本当に、優秀なんですか?…」
愛くるしく、言った…
「…どうして、そう思うの?…」
私が、口を挟んだ…
「…だって、ユリコさん…悔しそうだから…納得してないなって…」
「…どういう意味?…」
「…本当に、優秀ならば、もっと、五井のことを探ったんじゃ、ないんですか? …昭子さんが、誰と交流があるかとか…」
…言われてみれば、もっともだった…
「…そこを探れば、案外、簡単に、この昭子さんが、高雄さんと、繋がりがあるのが、わかったりして…」
佐藤ナナが、笑った…
私は、その言葉で、思い出した…
この佐藤ナナの実父…
菊池重方(しげかた)の、ことを、だ…
重方(しげかた)に関連して、高雄組組長が、警察に事情聴取されていると、以前、報道があった…
つまり、その報道からは、重方(しげかた)と、高雄組組長が、なんらかの関係があると、断言できる…
今、この佐藤ナナは、言外に、それを匂わせたのかもしれない…
そう、気付いた…
「…だから…」
と、佐藤ナナは、ユリコをからかうように、言った…
佐藤ナナは、明らかに、ユリコを小馬鹿にしていた…
目が笑っていた…
明らかに、ユリコを嘲笑していた…
私は、それを見て、意外というか…
これまで、佐藤ナナのそんな姿を見たことがなかった…
佐藤ナナは、五井記念病院で、私の担当看護師だった…
褐色の肌を持つ、華やかな感じの美人…
日本人とベトナム人のハーフだからだ…
それゆえ、顔の彫りが、深く、目鼻立ちが、整っていた…
純粋な日本人には、ない顔だった…
しかし、同時に、真面目で、仕事熱心だった…
入院患者である、私を親身になって、面倒を見てくれた…
だから、性格も良く、裏表のない人間だと、思っていた…
しかしながら、今、見た、佐藤ナナは、別人というか…
それまで、見たことのない、佐藤ナナだった…
私が、そう思っていると、
「…重方(しげかた)そっくり…」
と、突然、声がした…
振り向くと、声の主は、昭子だった…
箸の手を止めて、忌々しげに、佐藤ナナを見ていた…
「…実に似ている…」
大げさに、いえば、今にも、佐藤ナナに襲いかからんばかりの形相だった…
怒髪天を衝いた、怒りの表情だった…
佐藤ナナは、当然のことながら、そんな昭子の表情に、驚いた…
まさか、ユリコから、自分に批判の矛先が変わるとは、想像もしていなかったのだろう…
それに、気付くと、佐藤ナナの笑顔がなくなった…
至極、真剣な表情になった…
それから、今度は、一転して、ニコニコと、愛想笑いをしながら、ユリコを見た…
が、
その愛想笑いは、ぎこちなかった…
誰が、どう見ても、明らかに、作り笑いだった…
「…一見愛想よく、ニコニコと、善人を演じていても、その実、陰で、コソコソと、自分の都合のいいように、動く…」
昭子が、忌々しそうに、呟く…
「…重方(しげかた)と、同じ…血は、争えないわね…」
その言葉に、佐藤ナナの笑顔が、止んだ…
真剣な表情に変わった…
「…佐藤ナナ…アナタは、どうして、五井南家に、迎えられたと思う?…」
昭子が、真剣な表情で、訊いた…
佐藤ナナが、真面目な顔になった…
すると、佐藤ナナの、顔付きが、変わった…
それまで、さんざ見ていた愛想の良い、表情から、一転して、鋭い目つきに変わった…
また、それが、純粋な日本人でないゆえに、かえって、表情が、きつくなった…
肌の色が、褐色のこともあり、かえって、日本人ではありえない、きつい表情に変わった…
「…佐藤さん…アナタは、私の娘…養女となった…」
ゆっくりと、穏やかに、昭子は告げた…
それは、むしろ、感情を抑えている様子だった…
つまり、見方を変えれば、それほど、昭子の感情が、昂っている証だった…
「…つまり、伸明の妹…」
ゆっくりと、告げる…
「…アナタが、重方(しげかた)の娘であることは、わかっていた…重方(しげかた)は、獅子身中の虫…五井にとって、あっては、ならない存在…」
「…」
「…にもかかわらず、アナタを養女として、受け入れた…どうしてだか、わかりますか?…」
佐藤ナナは、
「…」
と、答えなかった…
ジッと、無言で、昭子を見つめていた…
「…重方(しげかた)が、どう出るか、見ておきたかったからです…」
「…」
「…重方(しげかた)は、抜け目のない男です…いつもニコニコと愛想が良く、善人を装っている…しかしながら、内心は、狡猾…ずるがしこい…それは、亡くなった、秀樹に共通する性格です…」
「…」
「…五井の者は、大半が、性格が、二分しています…有能か、有能ではないにもかかわらず、狡猾かのどちらかです…半端はありません…」
「…」
「…私が、アナタを養女とした目的のひとつは、アナタの性格を見極めたかったからです…アナタが、重方(しげかた)に似ているか…それとも、私たちに似ているのか、知りたかった…」
「…」
「…そして、今、このユリコさんに対する対応で、わかった…」
「…」
「…アナタは、重方(しげかた)そっくり…とても、養女として、五井本家で、受け入れるわけには、いきません…養女としての養子縁組を解消します…」
昭子が断言した…
私は、驚いた…
ふと、気が付くと、さっきまで、下を向いていたユリコまで、顔を上げて、驚嘆して、昭子と、佐藤ナナを見ていた…
まさに、青天の霹靂(へきれき)というか…
ありえない展開になっていた(苦笑)…
…養子縁組を解消する…
昭子の言葉に、佐藤ナナが、顔面蒼白になった…
褐色の肌から、血の気が引いた…
「…養子縁組を解消?…」
佐藤ナナが、呟いた…
当たり前だ…
それほど、衝撃的な言葉だった…
「…だって、私がいなくなれば、五井南家は、本家に、協力は…」
「…しないと言いたいわけ?…」
佐藤ナナは、無言で、首を縦に振った…
「…そんなことは、ありえない…」
「…ありえない? …どうして?…」
「…五井南家には、長谷川センセイがいる…」
「…長谷川センセイ?…」
驚いて、佐藤ナナが、叫んだ…
当たり前だ…
ここで、長谷川センセイの名前が出てくるとは、思わなかった…
まさに、まさか、だ!
「…長谷川センセイ? …長谷川センセイが、五井南家?…」
佐藤ナナが、仰天した…
「…五井南家といっても、末端で、ほとんど、五井家には、関係がない…」
昭子が、告げた…
「…でも、一族は、一族…五井家に通じている…」
私は、その言葉で、長谷川センセイとの対話を思い出した…
長谷川センセイは、以前、私に、冬馬のことを語った…
冬馬の学生時代の評価を語った…
冬馬と同じ学校だったからだ…
そのとき、長谷川センセイは、冬馬は、五井家のお坊ちゃまだから、学校で、目立っていたと、言っていた…
だから、ボクも注目したと…
が、
それは、ウソだった可能性が高い…
最初から、長谷川センセイも五井一族だったから、注目したのだ…
末端とはいえ、同じ五井一族だったから、注目したのだ…
最初から、冬馬に関心があったからだ…
「…いわば、論功賞というところかな…南家は、長谷川センセイを通じて、アナタや重方(しげかた)の動静を伝え、五井本家の力になってくれた…だから、本家側に立つことを許した…」
昭子が告白する…
「…だから、正直に言って、佐藤さんが、私の養女であろうとなかろうと、なんの関係もない…私は、ただ、重方(しげかた)の娘だから、佐藤さんを養女にした…五井は、血の繋がりを重視する…それゆえ、佐藤さんを、養女にした…」
「…だったら、一体、私はなぜ?…なぜ、私が、本家に養女となることで、五井南家が、本家側についたんじゃ…」
「…それは、ありません…」
「…ない…どうして?…」
「…佐藤さんが、南家の人間じゃないことは、最初から、わかってました…重方(しげかた)の娘であることは…」
「…だったら、なぜ?…」
「…アナタが、重方(しげかた)と、米倉平造と結託して、南家の血を引くと言い出して、伸明のお嫁さん候補として、現れた…当然、それを疑います…」
「…」
「…たとえ、DNAで、五井共通の血があっても、やはり、信じられません…でも、それは、関係ありませんでした…」
「…関係ない? …なぜ?…」
「…今も言ったように、長谷川センセイが、動いてくれた…そのおかげで、アナタの動静もわかった…」
「…」
「…つまり、最初から、五井南家は、本家側についた…本家と連携した…その功績で、五井本家側につくことを、許した…ただ、重方(しげかた)と、米倉平造が、アナタを、五井南家の血を引く娘として、紹介したから、その策略に乗っただけ…」
「…」
「…そして、その方が、他の五井一族を納得させることができる…」
昭子が、断言した…
佐藤ナナは、昭子の言葉に、驚愕した…
ただ、
ただ、驚いて、昭子の姿を見ていた…
佐藤ナナの褐色の肌から、血の気が引いて、真っ青になった…