第79話

文字数 6,461文字

 私が、冬馬に呼び出されたのは、それから、二週間後だった…

 別段、その日を選らんだのに、わけはなかった…

 ただ、私の体調が思ったよりも、悪く、一度、冬馬に、

 「…この日に、お会いできませんか?…」

 と、提案された日に、私が、ドタキャンしたことがあった…

 冬馬は、私を責めなかったが、やはり、忸怩たる気持ちがあった…

 自分の意思ではないが、結果的に、約束を破ったことになったからだ…

 私は、約束を重んじる…

 信義を重んじると、言えば、大げさだが、やはりというか、平気で、約束を破る人間は、誰もが、信用ができない…

 それが、わかっているからだ…

 学校でも、会社でも、平然と約束を破る人間は、存在したが、誰も、まともな人間は、その人間を相手にしていなかった…

 相手にするのは、やはりイロモノというか…

 似たような人間だった(笑)…

 類は友を呼ぶ…

 どうしても、同じような人間と、誰もがツルむ…

 誰もが、似たような人間と群れをなす…

 なぜなら、気があうからだ…

 そして、周囲の人間は、集団の中で、誰が、誰と仲がいいか、見る…

 判断する…

 誰と誰が、仲がいいかで、その人間が、どんな人間か、よくわかるからだ…

 おとなしい者は、おとなしい者、同士群れをなす…

 ヤンキーは皆、ヤンキーと群れをなす…

 その方が、気が合って楽しいからだ…

 当たり前のことだった…

 だから、誰と誰が、仲がいいかで、その人間が、どんな人間か、よくわかる…

 本人がいくら、否定しようが、隠しようがない…

 そして、話は、いささか、外れるが、頭の悪い人間ほど、プライドが高く、上昇志向が強かった…

 これは、意外というか…

 とりわけ、会社で、その傾向が強かった…

 これは、最初は、わからなかったが、思うに、会社の仕事と、学校の勉強を、まるで、別に考えているからだと、後で、気付いた…

 そして、コンプレックス…

 いわゆる、勉強では負けたが、仕事では負けないと、考える…

 それは、ある意味、正しい…

 勉強と仕事は、別…

 当たり前のことだ…

 そして、単純な作業では、学歴は関係ない…

 手が早く、飲み込みの早い人間が、優れている…

 パソコンの入力作業など、その最たるものだろう…

そこに偏差値の差は、関係ない…

 だから、余計に、調子に乗る…

 偏差値40の高卒でも、早稲田、慶応出の大卒に勝ったと、心の底から、考える…

 が、

 大抵は、そこまで…

 それが、限界…

 上に上がれない…

 単純な作業は任せられるが、大企業であれば、例えば、レポートを提出することができない…

 そもそも、そんな頭がないからだ…

 それが、わからない…

 いや、

 それ以前に、自分と周囲の人間の差がわからない…

 たとえば、会社であれば、景気が良くなってきたから、採用レベルが下がって、今年の新入社員は、去年の新入社員よりも、レベルが低いとか…

 あるいは、

 それとは、真逆に、景気が悪くなったから、今年の新入社員は、採用レベルが上がって、去年の新入社員よりも、優れているとか…

 大げさにいえば、一目見れば、わかることが、わからない…

 要するに、自分と、相手の頭の差がわからない…

 だから、自分ならば、出世できると、考える…

 周囲の者は、誰も考えないが、自分だけは、出世できると考える…

 まさに、バカの極み…

 だが、

 そんな人間は、世の中にごまんといる…

 私は、そんなことを、考えた…

 そんなことを、考えながら、冬馬を待った…

 冬馬…

 菊池冬馬…

 思えば、不思議な男だった…

 五井東家に生まれ、五井記念病院の理事長だった…

 年歳も、まだ32歳…

 私と、同じだ…

 背が高く、ルックスも悪くない…

 ただ、目に険があった…

 そのせいだろう…

 私は、初めて、会ったときから、好きになれなかった…

 そして、私が思うのと同じく、冬馬は、周囲の者から、好かれてなかった…

 これは、あの伸明も、認めていた…

 私の担当医師だった、長谷川センセイも、冬馬の学生時代の友人だと、後に、告白したが、やはりというか、冬馬は、学生時代から、周囲の人間に好かれていなかったと言った…

 さもありなん…

 冬馬の性格は、あの目に表れている…

 あの険のある目に表れている…

 冬馬は、実父と思われた菊池重方(しげかた)と、同じ顔だが、目が違った…

 重方(しげかた)の目は優しい…

 顔の作りは、重方(しげかた)と、冬馬は、瓜二つだが、唯一、目だけが違ったのだ…

 だから、警戒する…

 好きになれない…

 が、

 話してみると、思ったより、悪い人間では、なかった…

 決して、好きではない…

 どちらかといえば、嫌い…

 好きか、嫌いか、と、問われれば、間違いなく嫌いだが、それほど、嫌いでもない…

 微妙といえば、なんとも、微妙な立ち位置だった(笑)…

 私が、そんなことを、考えていると、スマホの電話が鳴り、

 「…冬馬です…今、マンションの前に、着きました…」

 と、連絡があった…

 私は、

 「…わかりました…すぐ、そちらへ伺います…」

 と、言って、スマホを切ると、急いで、部屋を出た…

 そして、以前にも、こんなことがあったと、ふと、思い出した…

 それは、忘れもしない、諏訪野伸明とのこと…

 今と違い、夜中だったが、突然、伸明から、今近くに来ているからと、呼び出され、慌てて、着替えて、部屋を出た…

 そして、二人で、深夜のドライブ…

 伸明の目的地は、五井家の先代、当主だった建造の墓で、そこで、二人で、キスをした…

 まるで、テレビのドラマや、映画のような展開…

 まさか、亡くなった父親に見せつけるために、わざわざ墓の前まで、やって来て、キスをするとは、思わなかった…

 そして、そのときは、わからなかったが、それは、当時、私が、建造の娘だと、伸明が思っていたから…

 自分を後継者に指名してくれた、建造を、伸明は、尊敬していた…

 自分の血が繋がった弟の秀樹ではなく、血が繋がってない伸明を後継者に指名してくれた、建造を尊敬していた…

 だから、当時、建造が、外に作った娘だと、思った私、寿綾乃と、建造の墓の前で、キスをした…

 私を本物の寿綾乃と、勘違いしていたからだ…

 それが、理由だった…

 私の従妹である、本物の寿綾乃は、病死…

 今の寿綾乃は、私、矢代綾子が、なりすましているだけ…

 だが、当然のことながら、その当時、諏訪野伸明は、その事実を知らない…

 だから、私を建造の血が繋がった娘と思い込み、建造の墓の前で、私とキスをすることで、建造の娘と、自分が結婚すると、建造に報告したかったのだろう…

 私は、あらためて、あの夜のことを、思った…

 
 私が、マンションを出ると、すでに、マンションの前に、派手なクルマが、停まっていた…

 真っ赤なベンツ…

 周囲の人間が、思わず、二度見するような、真っ赤なベンツだった(苦笑)…

 私は、もしやと、思ったが、やはりというか、運転席に座っているのは、冬馬…

 菊池冬馬だった…

 …これだから、この冬馬は、周囲の人間に、嫌われるのだろう…

 とっさに、思った…

 イマドキ、真っ赤なベンツは、あまりお目にかかれない…

 あまりにも、虚栄心が、強いというか…

 目立ちたいのだろう、と、周囲は見る…

 以前は、赤が定番だったフェラーリすら、最近は、白や黒を見かけることが多い、世の中だ…

 スポーツカーには、赤が似合う…

 なぜなら、スポーツカーに乗るのは、非日常…

 日常ではないからだ…

 だから、普段は、乗らないような、真っ赤で、目立つカラーのクルマに乗る…

 それが、最近は、そうでもなくなった…

 それは、やはり、世の中の変化だろう…

 クルマのカラーでも、世の中の動きがわかる…

 が、

 それに、逆らうように、真っ赤なベンツに乗る冬馬…

 世の中の動きに、惑わされない…

 良く言えば、我が道を行く…

 悪く言えば、ただの目立ちたがり屋だ(笑)…

 これでは、周囲から、嫌われる…

 世の中の動きが読めないし、なにより、我を通すと、思われる…

 たかだか、クルマの色だが、私は、そう思った…

 そう思いながら、真っ赤なベンツの窓をコツコツと指で叩いた…

 すぐに、冬馬が、ドアを開けた…

 「…寿さん…お待たせしました…」

 冬馬が、言う…

 「…ありがとうございます…」

 私は、礼を言った…

 礼を言って、真っ赤なベンツに乗り込んだ…

 ドアを閉め、

 「…今日は、どこへ?…」

 と、冬馬に聞いた…

 「…五井へ…」

 さりげなくというか、あっさりと、冬馬が言った…

 「…五井?…」

 「…そう…五井家へ…」

 冬馬が、繰り返す…

 「…五井って、もしかして、伸明さんの家ですか?…」

 私の質問に、冬馬は、ニヤリと笑うと、黙って、アクセルを踏んで、走り出した…

 私は、驚いた…

 というより、動揺した…

 まさか…

 まさか、この冬馬が、私を五井家に招くとは、思わなかった…

 いや、

 冬馬は、五井家の人間…

 が、

 いや、

 今、冬馬は、五井と言っただけ…

 伸明の家とは、言っていない…

 五井本家とも言っていない…

 五井といえども、それぞれ、家は違う…

 もしかしたら、冬馬の実家かもしれなかった…

 私は、落ち着いて、そう考えた…

 私は、なにか、言おうとしたが、なにを言っていいか、わからなかった…

 普通は、もう、32歳にも、なったのだから、どんな人間とも、普通に、会話できる…

 若い、中学や、高校時代は、いざ知らず、32歳にもなれば、大抵は、どんな人間とも、世間話ぐらいはできる…

 会話をすることができる…

 これは、私も同じ…

 たぶん、隣で、ハンドルを握る冬馬もまた同じだろう…

 しかしながら、それでも、私と、冬馬は、会話をすることがなかった…

 会話どころか、なにか、ピリピリと緊張する雰囲気すら、あった…

 これは、一体、どうしてだろう?

 私は、考え込んだ…

 私が、一体、なにか、したのだろうか?

 考えた…

 が、

 当たり前だが、私は、なにもしていない…

 たしかに、冬馬は、嫌いだが、それをあからさまに態度に出したりした覚えはない…

 だとすれば、やはり、冬馬が、一方的に、私を嫌いなのだろうか?

 私、寿綾乃を嫌いなんだろうか?

 考えた…

 いや、

 嫌いならば、わざわざ誘いは、しない…

 今日、私を誘ったぐらいだから、私を嫌いではないはずだ…

 だったら、一体なぜ?

 一体、どうして、私に一言も話しかけないのだろう?

 私の頭の中で、グルグルと、そんな思いが、巡り回った…

 と、そのときだった…

 「…信明さんは、ズルい…」

 いきなり、ハンドルを握る冬馬が、口を開いた…

 「…ズルい?…」

 「…そう…ズルい…」

 冬馬が、繰り返す…

 「…ズルいって、なにが、ズルいんですか?…」

 「…生き方です…」

 「…生き方って?…」

 これは、文字通り絶句した…

 なにが、ズルいのかと、聞いて、

 …生き方…

 と、答えられたなら、こちらも、なんと言っていいか、わからない…

 あまりにも、直球というか…

 それでいて、曖昧な言葉…

 正直、生き方がズルいと、言われて、なんのことだか、わからない…

 だから、

 「…それは、一体、なにを指して…」

 と、私は、聞いた…

 大げさに、言えば、異議を挟んだ…

 「…伸明さんは、本来、当主には、なれなかった…」

 突然、冬馬が言った…

 「…どうして、なれなかったんですか?…」

 「…伸明さんは、先代当主、諏訪野建造の血を引いてない…」

 …知っていた…

 …やはり、知っていた…

 そう思った…

 やはり、五井一族…

 その秘密を知っていた…

 「…にもかかわらず、当主になれた…」

 「…でも、それは、建造さんが、指名して…」

 「…たしかに、それはあります…でも…」

 「…でも、なんですか?…」

 それ以上は、冬馬は、なにも、言わなかった…

 ただ、冬馬は、

 「…みんな、あの伸明さんに、騙されてるんですよ…」

 と、だけ、付け加えた…

 「…騙されてる?…」

 「…あるいは、これは、オレが、思っているだけかもしれないけれども、結果的に、伸明さんは、五井家当主になり、今は、父の重方(しげかた)を、五井家から、追放して、五井家で、当主としての、実績を作ろうとしている…」

 「…」

 「…つまり、結果だけ見れば、すべて、伸明さんに、追い風が吹いている…」

 「…」

 「…これは、一体どうしてだ? …偶然か? それとも…」

 後は、なにも、言わなかった…

 言葉を飲み込んだ…

 偶然ではないと、言いたかったのだろう…

 それは、誰にでも、わかった…

 もちろん、私にも…

 そして、それ以上は、冬馬は、なにも言わなかった…

 黙って、ハンドルを握っていた…

 私は、さらに、

 …なぜ、そう思うのか?…

 聞きたかったが、それどころではなかった…

 車内が、ピリピリしていた…

 とても、冬馬に気安く話しかけられる雰囲気ではなかった…

 私は、仕方なく黙っていた…

 普通に、考えて、冬馬の父、重方(しげかた)が、五井家から、完全に、追放されたのが、許せないのだろうと、思った…

 冬馬は、重方(しげかた)の血が繋がった息子ではないが、育ての父…

 それが、伸明に追放された…

 だから、どうしても、重方(しげかた)の肩を持つのかもしれない…

 以前は、冬馬は、明らかに、重方(しげかた)を、嫌っていた…

 そして、伸明を真逆に好いていた…

 これは、伸明も同じだった…

 冬馬は、五井家で、嫌われ者…

 にもかかわらず、伸明は、冬馬を好いていた…

 それは、以前は、謎だったが、冬馬が、伸明の血の繋がった弟であると、知って、納得がいった…

 と、ここまで、考えて、気付いた…

 だとしたら、冬馬は、その事実を知っているのだろうか?

 自分が、伸明の血が繋がった弟であることを、知っているのだろうか?

 考えた…

 が、

 当たり前だが、そんなことを、今、冬馬に聞くことはできない…

 私は、ただ、黙って、真っ赤なベンツの助手席に座っていた…

 クルマは、走り続けた…

 
 やがて、クルマは、目的地に着いた…

 「…さあ、着きました…」

 冬馬が、言う…

 「…降りましょう…」

 私は、冬馬に促されて、真っ赤なベンツから、降りた…

 そこは、墓地だった…

 墓地の駐車場だった…

 「…ここは、墓地…五井家じゃ…」

 私は、思わず、文句を言った…

 「…いえ、五井家です…五井家の墓地…」

 そう言って、スタスタと、冬馬は歩き出した…

 私は、黙って、歩き出す冬馬の背中を追って、歩き出した…

 そして、なんとなく、以前、この墓地にやって来たような気がした…

 たしかに、そんな気がした…

 私は、周囲の墓を見ながら、そんなことを、考えた…

 すると、ふと、思いついた…

 ここは、以前、深夜に伸明と来たところだと、思い出した…

 深夜に伸明に、呼び出され、この墓地で、伸明とキスをした…

 いや、

 正確には、この墓地にある、建造の墓の前で、キスをした…

 それを思い出した…

 ということは?

 ということは、どうだ?

 やはり、冬馬は、あの建造の墓の前に、私を連れてゆくのだろうか?

 ふと、思った…

 伸明同様、建造の墓の前に、私を連れてゆくのだろうか?

 考えた…

 そう思いながら、無言で、冬馬の後について、歩いた…

 「…やっと、着いた…」

 冬馬が、呟く…

 その到着地は、やはり、あの建造の墓だった…

 「…ここは、建造さんの…」

 私が、呟くと、いきなり、冬馬が私を抱き締めた…

 ビックリした…

 「…一体、なにを?…」

 あまりにも、突然、私を抱き締めるので、抵抗しようがなかった…

 私は、身長が160センチ…

 片や、冬馬は、180センチ…

 20センチも差がある…

 それが、いきなり抱き締められたものだから、抵抗のしようがなかった…

 まるで、大柄な熊かなにかに抱き締められたようなものだ…

 そして、冬馬が、私の耳元で、囁いた…

 「…寿綾乃…アンタを伸明さんから、奪ってみせる…」

 と…

 私の頭の中が、真っ白になった…

                
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