第79話
文字数 6,461文字
私が、冬馬に呼び出されたのは、それから、二週間後だった…
別段、その日を選らんだのに、わけはなかった…
ただ、私の体調が思ったよりも、悪く、一度、冬馬に、
「…この日に、お会いできませんか?…」
と、提案された日に、私が、ドタキャンしたことがあった…
冬馬は、私を責めなかったが、やはり、忸怩たる気持ちがあった…
自分の意思ではないが、結果的に、約束を破ったことになったからだ…
私は、約束を重んじる…
信義を重んじると、言えば、大げさだが、やはりというか、平気で、約束を破る人間は、誰もが、信用ができない…
それが、わかっているからだ…
学校でも、会社でも、平然と約束を破る人間は、存在したが、誰も、まともな人間は、その人間を相手にしていなかった…
相手にするのは、やはりイロモノというか…
似たような人間だった(笑)…
類は友を呼ぶ…
どうしても、同じような人間と、誰もがツルむ…
誰もが、似たような人間と群れをなす…
なぜなら、気があうからだ…
そして、周囲の人間は、集団の中で、誰が、誰と仲がいいか、見る…
判断する…
誰と誰が、仲がいいかで、その人間が、どんな人間か、よくわかるからだ…
おとなしい者は、おとなしい者、同士群れをなす…
ヤンキーは皆、ヤンキーと群れをなす…
その方が、気が合って楽しいからだ…
当たり前のことだった…
だから、誰と誰が、仲がいいかで、その人間が、どんな人間か、よくわかる…
本人がいくら、否定しようが、隠しようがない…
そして、話は、いささか、外れるが、頭の悪い人間ほど、プライドが高く、上昇志向が強かった…
これは、意外というか…
とりわけ、会社で、その傾向が強かった…
これは、最初は、わからなかったが、思うに、会社の仕事と、学校の勉強を、まるで、別に考えているからだと、後で、気付いた…
そして、コンプレックス…
いわゆる、勉強では負けたが、仕事では負けないと、考える…
それは、ある意味、正しい…
勉強と仕事は、別…
当たり前のことだ…
そして、単純な作業では、学歴は関係ない…
手が早く、飲み込みの早い人間が、優れている…
パソコンの入力作業など、その最たるものだろう…
そこに偏差値の差は、関係ない…
だから、余計に、調子に乗る…
偏差値40の高卒でも、早稲田、慶応出の大卒に勝ったと、心の底から、考える…
が、
大抵は、そこまで…
それが、限界…
上に上がれない…
単純な作業は任せられるが、大企業であれば、例えば、レポートを提出することができない…
そもそも、そんな頭がないからだ…
それが、わからない…
いや、
それ以前に、自分と周囲の人間の差がわからない…
たとえば、会社であれば、景気が良くなってきたから、採用レベルが下がって、今年の新入社員は、去年の新入社員よりも、レベルが低いとか…
あるいは、
それとは、真逆に、景気が悪くなったから、今年の新入社員は、採用レベルが上がって、去年の新入社員よりも、優れているとか…
大げさにいえば、一目見れば、わかることが、わからない…
要するに、自分と、相手の頭の差がわからない…
だから、自分ならば、出世できると、考える…
周囲の者は、誰も考えないが、自分だけは、出世できると考える…
まさに、バカの極み…
だが、
そんな人間は、世の中にごまんといる…
私は、そんなことを、考えた…
そんなことを、考えながら、冬馬を待った…
冬馬…
菊池冬馬…
思えば、不思議な男だった…
五井東家に生まれ、五井記念病院の理事長だった…
年歳も、まだ32歳…
私と、同じだ…
背が高く、ルックスも悪くない…
ただ、目に険があった…
そのせいだろう…
私は、初めて、会ったときから、好きになれなかった…
そして、私が思うのと同じく、冬馬は、周囲の者から、好かれてなかった…
これは、あの伸明も、認めていた…
私の担当医師だった、長谷川センセイも、冬馬の学生時代の友人だと、後に、告白したが、やはりというか、冬馬は、学生時代から、周囲の人間に好かれていなかったと言った…
さもありなん…
冬馬の性格は、あの目に表れている…
あの険のある目に表れている…
冬馬は、実父と思われた菊池重方(しげかた)と、同じ顔だが、目が違った…
重方(しげかた)の目は優しい…
顔の作りは、重方(しげかた)と、冬馬は、瓜二つだが、唯一、目だけが違ったのだ…
だから、警戒する…
好きになれない…
が、
話してみると、思ったより、悪い人間では、なかった…
決して、好きではない…
どちらかといえば、嫌い…
好きか、嫌いか、と、問われれば、間違いなく嫌いだが、それほど、嫌いでもない…
微妙といえば、なんとも、微妙な立ち位置だった(笑)…
私が、そんなことを、考えていると、スマホの電話が鳴り、
「…冬馬です…今、マンションの前に、着きました…」
と、連絡があった…
私は、
「…わかりました…すぐ、そちらへ伺います…」
と、言って、スマホを切ると、急いで、部屋を出た…
そして、以前にも、こんなことがあったと、ふと、思い出した…
それは、忘れもしない、諏訪野伸明とのこと…
今と違い、夜中だったが、突然、伸明から、今近くに来ているからと、呼び出され、慌てて、着替えて、部屋を出た…
そして、二人で、深夜のドライブ…
伸明の目的地は、五井家の先代、当主だった建造の墓で、そこで、二人で、キスをした…
まるで、テレビのドラマや、映画のような展開…
まさか、亡くなった父親に見せつけるために、わざわざ墓の前まで、やって来て、キスをするとは、思わなかった…
そして、そのときは、わからなかったが、それは、当時、私が、建造の娘だと、伸明が思っていたから…
自分を後継者に指名してくれた、建造を、伸明は、尊敬していた…
自分の血が繋がった弟の秀樹ではなく、血が繋がってない伸明を後継者に指名してくれた、建造を尊敬していた…
だから、当時、建造が、外に作った娘だと、思った私、寿綾乃と、建造の墓の前で、キスをした…
私を本物の寿綾乃と、勘違いしていたからだ…
それが、理由だった…
私の従妹である、本物の寿綾乃は、病死…
今の寿綾乃は、私、矢代綾子が、なりすましているだけ…
だが、当然のことながら、その当時、諏訪野伸明は、その事実を知らない…
だから、私を建造の血が繋がった娘と思い込み、建造の墓の前で、私とキスをすることで、建造の娘と、自分が結婚すると、建造に報告したかったのだろう…
私は、あらためて、あの夜のことを、思った…
私が、マンションを出ると、すでに、マンションの前に、派手なクルマが、停まっていた…
真っ赤なベンツ…
周囲の人間が、思わず、二度見するような、真っ赤なベンツだった(苦笑)…
私は、もしやと、思ったが、やはりというか、運転席に座っているのは、冬馬…
菊池冬馬だった…
…これだから、この冬馬は、周囲の人間に、嫌われるのだろう…
とっさに、思った…
イマドキ、真っ赤なベンツは、あまりお目にかかれない…
あまりにも、虚栄心が、強いというか…
目立ちたいのだろう、と、周囲は見る…
以前は、赤が定番だったフェラーリすら、最近は、白や黒を見かけることが多い、世の中だ…
スポーツカーには、赤が似合う…
なぜなら、スポーツカーに乗るのは、非日常…
日常ではないからだ…
だから、普段は、乗らないような、真っ赤で、目立つカラーのクルマに乗る…
それが、最近は、そうでもなくなった…
それは、やはり、世の中の変化だろう…
クルマのカラーでも、世の中の動きがわかる…
が、
それに、逆らうように、真っ赤なベンツに乗る冬馬…
世の中の動きに、惑わされない…
良く言えば、我が道を行く…
悪く言えば、ただの目立ちたがり屋だ(笑)…
これでは、周囲から、嫌われる…
世の中の動きが読めないし、なにより、我を通すと、思われる…
たかだか、クルマの色だが、私は、そう思った…
そう思いながら、真っ赤なベンツの窓をコツコツと指で叩いた…
すぐに、冬馬が、ドアを開けた…
「…寿さん…お待たせしました…」
冬馬が、言う…
「…ありがとうございます…」
私は、礼を言った…
礼を言って、真っ赤なベンツに乗り込んだ…
ドアを閉め、
「…今日は、どこへ?…」
と、冬馬に聞いた…
「…五井へ…」
さりげなくというか、あっさりと、冬馬が言った…
「…五井?…」
「…そう…五井家へ…」
冬馬が、繰り返す…
「…五井って、もしかして、伸明さんの家ですか?…」
私の質問に、冬馬は、ニヤリと笑うと、黙って、アクセルを踏んで、走り出した…
私は、驚いた…
というより、動揺した…
まさか…
まさか、この冬馬が、私を五井家に招くとは、思わなかった…
いや、
冬馬は、五井家の人間…
が、
いや、
今、冬馬は、五井と言っただけ…
伸明の家とは、言っていない…
五井本家とも言っていない…
五井といえども、それぞれ、家は違う…
もしかしたら、冬馬の実家かもしれなかった…
私は、落ち着いて、そう考えた…
私は、なにか、言おうとしたが、なにを言っていいか、わからなかった…
普通は、もう、32歳にも、なったのだから、どんな人間とも、普通に、会話できる…
若い、中学や、高校時代は、いざ知らず、32歳にもなれば、大抵は、どんな人間とも、世間話ぐらいはできる…
会話をすることができる…
これは、私も同じ…
たぶん、隣で、ハンドルを握る冬馬もまた同じだろう…
しかしながら、それでも、私と、冬馬は、会話をすることがなかった…
会話どころか、なにか、ピリピリと緊張する雰囲気すら、あった…
これは、一体、どうしてだろう?
私は、考え込んだ…
私が、一体、なにか、したのだろうか?
考えた…
が、
当たり前だが、私は、なにもしていない…
たしかに、冬馬は、嫌いだが、それをあからさまに態度に出したりした覚えはない…
だとすれば、やはり、冬馬が、一方的に、私を嫌いなのだろうか?
私、寿綾乃を嫌いなんだろうか?
考えた…
いや、
嫌いならば、わざわざ誘いは、しない…
今日、私を誘ったぐらいだから、私を嫌いではないはずだ…
だったら、一体なぜ?
一体、どうして、私に一言も話しかけないのだろう?
私の頭の中で、グルグルと、そんな思いが、巡り回った…
と、そのときだった…
「…信明さんは、ズルい…」
いきなり、ハンドルを握る冬馬が、口を開いた…
「…ズルい?…」
「…そう…ズルい…」
冬馬が、繰り返す…
「…ズルいって、なにが、ズルいんですか?…」
「…生き方です…」
「…生き方って?…」
これは、文字通り絶句した…
なにが、ズルいのかと、聞いて、
…生き方…
と、答えられたなら、こちらも、なんと言っていいか、わからない…
あまりにも、直球というか…
それでいて、曖昧な言葉…
正直、生き方がズルいと、言われて、なんのことだか、わからない…
だから、
「…それは、一体、なにを指して…」
と、私は、聞いた…
大げさに、言えば、異議を挟んだ…
「…伸明さんは、本来、当主には、なれなかった…」
突然、冬馬が言った…
「…どうして、なれなかったんですか?…」
「…伸明さんは、先代当主、諏訪野建造の血を引いてない…」
…知っていた…
…やはり、知っていた…
そう思った…
やはり、五井一族…
その秘密を知っていた…
「…にもかかわらず、当主になれた…」
「…でも、それは、建造さんが、指名して…」
「…たしかに、それはあります…でも…」
「…でも、なんですか?…」
それ以上は、冬馬は、なにも、言わなかった…
ただ、冬馬は、
「…みんな、あの伸明さんに、騙されてるんですよ…」
と、だけ、付け加えた…
「…騙されてる?…」
「…あるいは、これは、オレが、思っているだけかもしれないけれども、結果的に、伸明さんは、五井家当主になり、今は、父の重方(しげかた)を、五井家から、追放して、五井家で、当主としての、実績を作ろうとしている…」
「…」
「…つまり、結果だけ見れば、すべて、伸明さんに、追い風が吹いている…」
「…」
「…これは、一体どうしてだ? …偶然か? それとも…」
後は、なにも、言わなかった…
言葉を飲み込んだ…
偶然ではないと、言いたかったのだろう…
それは、誰にでも、わかった…
もちろん、私にも…
そして、それ以上は、冬馬は、なにも言わなかった…
黙って、ハンドルを握っていた…
私は、さらに、
…なぜ、そう思うのか?…
聞きたかったが、それどころではなかった…
車内が、ピリピリしていた…
とても、冬馬に気安く話しかけられる雰囲気ではなかった…
私は、仕方なく黙っていた…
普通に、考えて、冬馬の父、重方(しげかた)が、五井家から、完全に、追放されたのが、許せないのだろうと、思った…
冬馬は、重方(しげかた)の血が繋がった息子ではないが、育ての父…
それが、伸明に追放された…
だから、どうしても、重方(しげかた)の肩を持つのかもしれない…
以前は、冬馬は、明らかに、重方(しげかた)を、嫌っていた…
そして、伸明を真逆に好いていた…
これは、伸明も同じだった…
冬馬は、五井家で、嫌われ者…
にもかかわらず、伸明は、冬馬を好いていた…
それは、以前は、謎だったが、冬馬が、伸明の血の繋がった弟であると、知って、納得がいった…
と、ここまで、考えて、気付いた…
だとしたら、冬馬は、その事実を知っているのだろうか?
自分が、伸明の血が繋がった弟であることを、知っているのだろうか?
考えた…
が、
当たり前だが、そんなことを、今、冬馬に聞くことはできない…
私は、ただ、黙って、真っ赤なベンツの助手席に座っていた…
クルマは、走り続けた…
やがて、クルマは、目的地に着いた…
「…さあ、着きました…」
冬馬が、言う…
「…降りましょう…」
私は、冬馬に促されて、真っ赤なベンツから、降りた…
そこは、墓地だった…
墓地の駐車場だった…
「…ここは、墓地…五井家じゃ…」
私は、思わず、文句を言った…
「…いえ、五井家です…五井家の墓地…」
そう言って、スタスタと、冬馬は歩き出した…
私は、黙って、歩き出す冬馬の背中を追って、歩き出した…
そして、なんとなく、以前、この墓地にやって来たような気がした…
たしかに、そんな気がした…
私は、周囲の墓を見ながら、そんなことを、考えた…
すると、ふと、思いついた…
ここは、以前、深夜に伸明と来たところだと、思い出した…
深夜に伸明に、呼び出され、この墓地で、伸明とキスをした…
いや、
正確には、この墓地にある、建造の墓の前で、キスをした…
それを思い出した…
ということは?
ということは、どうだ?
やはり、冬馬は、あの建造の墓の前に、私を連れてゆくのだろうか?
ふと、思った…
伸明同様、建造の墓の前に、私を連れてゆくのだろうか?
考えた…
そう思いながら、無言で、冬馬の後について、歩いた…
「…やっと、着いた…」
冬馬が、呟く…
その到着地は、やはり、あの建造の墓だった…
「…ここは、建造さんの…」
私が、呟くと、いきなり、冬馬が私を抱き締めた…
ビックリした…
「…一体、なにを?…」
あまりにも、突然、私を抱き締めるので、抵抗しようがなかった…
私は、身長が160センチ…
片や、冬馬は、180センチ…
20センチも差がある…
それが、いきなり抱き締められたものだから、抵抗のしようがなかった…
まるで、大柄な熊かなにかに抱き締められたようなものだ…
そして、冬馬が、私の耳元で、囁いた…
「…寿綾乃…アンタを伸明さんから、奪ってみせる…」
と…
私の頭の中が、真っ白になった…
別段、その日を選らんだのに、わけはなかった…
ただ、私の体調が思ったよりも、悪く、一度、冬馬に、
「…この日に、お会いできませんか?…」
と、提案された日に、私が、ドタキャンしたことがあった…
冬馬は、私を責めなかったが、やはり、忸怩たる気持ちがあった…
自分の意思ではないが、結果的に、約束を破ったことになったからだ…
私は、約束を重んじる…
信義を重んじると、言えば、大げさだが、やはりというか、平気で、約束を破る人間は、誰もが、信用ができない…
それが、わかっているからだ…
学校でも、会社でも、平然と約束を破る人間は、存在したが、誰も、まともな人間は、その人間を相手にしていなかった…
相手にするのは、やはりイロモノというか…
似たような人間だった(笑)…
類は友を呼ぶ…
どうしても、同じような人間と、誰もがツルむ…
誰もが、似たような人間と群れをなす…
なぜなら、気があうからだ…
そして、周囲の人間は、集団の中で、誰が、誰と仲がいいか、見る…
判断する…
誰と誰が、仲がいいかで、その人間が、どんな人間か、よくわかるからだ…
おとなしい者は、おとなしい者、同士群れをなす…
ヤンキーは皆、ヤンキーと群れをなす…
その方が、気が合って楽しいからだ…
当たり前のことだった…
だから、誰と誰が、仲がいいかで、その人間が、どんな人間か、よくわかる…
本人がいくら、否定しようが、隠しようがない…
そして、話は、いささか、外れるが、頭の悪い人間ほど、プライドが高く、上昇志向が強かった…
これは、意外というか…
とりわけ、会社で、その傾向が強かった…
これは、最初は、わからなかったが、思うに、会社の仕事と、学校の勉強を、まるで、別に考えているからだと、後で、気付いた…
そして、コンプレックス…
いわゆる、勉強では負けたが、仕事では負けないと、考える…
それは、ある意味、正しい…
勉強と仕事は、別…
当たり前のことだ…
そして、単純な作業では、学歴は関係ない…
手が早く、飲み込みの早い人間が、優れている…
パソコンの入力作業など、その最たるものだろう…
そこに偏差値の差は、関係ない…
だから、余計に、調子に乗る…
偏差値40の高卒でも、早稲田、慶応出の大卒に勝ったと、心の底から、考える…
が、
大抵は、そこまで…
それが、限界…
上に上がれない…
単純な作業は任せられるが、大企業であれば、例えば、レポートを提出することができない…
そもそも、そんな頭がないからだ…
それが、わからない…
いや、
それ以前に、自分と周囲の人間の差がわからない…
たとえば、会社であれば、景気が良くなってきたから、採用レベルが下がって、今年の新入社員は、去年の新入社員よりも、レベルが低いとか…
あるいは、
それとは、真逆に、景気が悪くなったから、今年の新入社員は、採用レベルが上がって、去年の新入社員よりも、優れているとか…
大げさにいえば、一目見れば、わかることが、わからない…
要するに、自分と、相手の頭の差がわからない…
だから、自分ならば、出世できると、考える…
周囲の者は、誰も考えないが、自分だけは、出世できると考える…
まさに、バカの極み…
だが、
そんな人間は、世の中にごまんといる…
私は、そんなことを、考えた…
そんなことを、考えながら、冬馬を待った…
冬馬…
菊池冬馬…
思えば、不思議な男だった…
五井東家に生まれ、五井記念病院の理事長だった…
年歳も、まだ32歳…
私と、同じだ…
背が高く、ルックスも悪くない…
ただ、目に険があった…
そのせいだろう…
私は、初めて、会ったときから、好きになれなかった…
そして、私が思うのと同じく、冬馬は、周囲の者から、好かれてなかった…
これは、あの伸明も、認めていた…
私の担当医師だった、長谷川センセイも、冬馬の学生時代の友人だと、後に、告白したが、やはりというか、冬馬は、学生時代から、周囲の人間に好かれていなかったと言った…
さもありなん…
冬馬の性格は、あの目に表れている…
あの険のある目に表れている…
冬馬は、実父と思われた菊池重方(しげかた)と、同じ顔だが、目が違った…
重方(しげかた)の目は優しい…
顔の作りは、重方(しげかた)と、冬馬は、瓜二つだが、唯一、目だけが違ったのだ…
だから、警戒する…
好きになれない…
が、
話してみると、思ったより、悪い人間では、なかった…
決して、好きではない…
どちらかといえば、嫌い…
好きか、嫌いか、と、問われれば、間違いなく嫌いだが、それほど、嫌いでもない…
微妙といえば、なんとも、微妙な立ち位置だった(笑)…
私が、そんなことを、考えていると、スマホの電話が鳴り、
「…冬馬です…今、マンションの前に、着きました…」
と、連絡があった…
私は、
「…わかりました…すぐ、そちらへ伺います…」
と、言って、スマホを切ると、急いで、部屋を出た…
そして、以前にも、こんなことがあったと、ふと、思い出した…
それは、忘れもしない、諏訪野伸明とのこと…
今と違い、夜中だったが、突然、伸明から、今近くに来ているからと、呼び出され、慌てて、着替えて、部屋を出た…
そして、二人で、深夜のドライブ…
伸明の目的地は、五井家の先代、当主だった建造の墓で、そこで、二人で、キスをした…
まるで、テレビのドラマや、映画のような展開…
まさか、亡くなった父親に見せつけるために、わざわざ墓の前まで、やって来て、キスをするとは、思わなかった…
そして、そのときは、わからなかったが、それは、当時、私が、建造の娘だと、伸明が思っていたから…
自分を後継者に指名してくれた、建造を、伸明は、尊敬していた…
自分の血が繋がった弟の秀樹ではなく、血が繋がってない伸明を後継者に指名してくれた、建造を尊敬していた…
だから、当時、建造が、外に作った娘だと、思った私、寿綾乃と、建造の墓の前で、キスをした…
私を本物の寿綾乃と、勘違いしていたからだ…
それが、理由だった…
私の従妹である、本物の寿綾乃は、病死…
今の寿綾乃は、私、矢代綾子が、なりすましているだけ…
だが、当然のことながら、その当時、諏訪野伸明は、その事実を知らない…
だから、私を建造の血が繋がった娘と思い込み、建造の墓の前で、私とキスをすることで、建造の娘と、自分が結婚すると、建造に報告したかったのだろう…
私は、あらためて、あの夜のことを、思った…
私が、マンションを出ると、すでに、マンションの前に、派手なクルマが、停まっていた…
真っ赤なベンツ…
周囲の人間が、思わず、二度見するような、真っ赤なベンツだった(苦笑)…
私は、もしやと、思ったが、やはりというか、運転席に座っているのは、冬馬…
菊池冬馬だった…
…これだから、この冬馬は、周囲の人間に、嫌われるのだろう…
とっさに、思った…
イマドキ、真っ赤なベンツは、あまりお目にかかれない…
あまりにも、虚栄心が、強いというか…
目立ちたいのだろう、と、周囲は見る…
以前は、赤が定番だったフェラーリすら、最近は、白や黒を見かけることが多い、世の中だ…
スポーツカーには、赤が似合う…
なぜなら、スポーツカーに乗るのは、非日常…
日常ではないからだ…
だから、普段は、乗らないような、真っ赤で、目立つカラーのクルマに乗る…
それが、最近は、そうでもなくなった…
それは、やはり、世の中の変化だろう…
クルマのカラーでも、世の中の動きがわかる…
が、
それに、逆らうように、真っ赤なベンツに乗る冬馬…
世の中の動きに、惑わされない…
良く言えば、我が道を行く…
悪く言えば、ただの目立ちたがり屋だ(笑)…
これでは、周囲から、嫌われる…
世の中の動きが読めないし、なにより、我を通すと、思われる…
たかだか、クルマの色だが、私は、そう思った…
そう思いながら、真っ赤なベンツの窓をコツコツと指で叩いた…
すぐに、冬馬が、ドアを開けた…
「…寿さん…お待たせしました…」
冬馬が、言う…
「…ありがとうございます…」
私は、礼を言った…
礼を言って、真っ赤なベンツに乗り込んだ…
ドアを閉め、
「…今日は、どこへ?…」
と、冬馬に聞いた…
「…五井へ…」
さりげなくというか、あっさりと、冬馬が言った…
「…五井?…」
「…そう…五井家へ…」
冬馬が、繰り返す…
「…五井って、もしかして、伸明さんの家ですか?…」
私の質問に、冬馬は、ニヤリと笑うと、黙って、アクセルを踏んで、走り出した…
私は、驚いた…
というより、動揺した…
まさか…
まさか、この冬馬が、私を五井家に招くとは、思わなかった…
いや、
冬馬は、五井家の人間…
が、
いや、
今、冬馬は、五井と言っただけ…
伸明の家とは、言っていない…
五井本家とも言っていない…
五井といえども、それぞれ、家は違う…
もしかしたら、冬馬の実家かもしれなかった…
私は、落ち着いて、そう考えた…
私は、なにか、言おうとしたが、なにを言っていいか、わからなかった…
普通は、もう、32歳にも、なったのだから、どんな人間とも、普通に、会話できる…
若い、中学や、高校時代は、いざ知らず、32歳にもなれば、大抵は、どんな人間とも、世間話ぐらいはできる…
会話をすることができる…
これは、私も同じ…
たぶん、隣で、ハンドルを握る冬馬もまた同じだろう…
しかしながら、それでも、私と、冬馬は、会話をすることがなかった…
会話どころか、なにか、ピリピリと緊張する雰囲気すら、あった…
これは、一体、どうしてだろう?
私は、考え込んだ…
私が、一体、なにか、したのだろうか?
考えた…
が、
当たり前だが、私は、なにもしていない…
たしかに、冬馬は、嫌いだが、それをあからさまに態度に出したりした覚えはない…
だとすれば、やはり、冬馬が、一方的に、私を嫌いなのだろうか?
私、寿綾乃を嫌いなんだろうか?
考えた…
いや、
嫌いならば、わざわざ誘いは、しない…
今日、私を誘ったぐらいだから、私を嫌いではないはずだ…
だったら、一体なぜ?
一体、どうして、私に一言も話しかけないのだろう?
私の頭の中で、グルグルと、そんな思いが、巡り回った…
と、そのときだった…
「…信明さんは、ズルい…」
いきなり、ハンドルを握る冬馬が、口を開いた…
「…ズルい?…」
「…そう…ズルい…」
冬馬が、繰り返す…
「…ズルいって、なにが、ズルいんですか?…」
「…生き方です…」
「…生き方って?…」
これは、文字通り絶句した…
なにが、ズルいのかと、聞いて、
…生き方…
と、答えられたなら、こちらも、なんと言っていいか、わからない…
あまりにも、直球というか…
それでいて、曖昧な言葉…
正直、生き方がズルいと、言われて、なんのことだか、わからない…
だから、
「…それは、一体、なにを指して…」
と、私は、聞いた…
大げさに、言えば、異議を挟んだ…
「…伸明さんは、本来、当主には、なれなかった…」
突然、冬馬が言った…
「…どうして、なれなかったんですか?…」
「…伸明さんは、先代当主、諏訪野建造の血を引いてない…」
…知っていた…
…やはり、知っていた…
そう思った…
やはり、五井一族…
その秘密を知っていた…
「…にもかかわらず、当主になれた…」
「…でも、それは、建造さんが、指名して…」
「…たしかに、それはあります…でも…」
「…でも、なんですか?…」
それ以上は、冬馬は、なにも、言わなかった…
ただ、冬馬は、
「…みんな、あの伸明さんに、騙されてるんですよ…」
と、だけ、付け加えた…
「…騙されてる?…」
「…あるいは、これは、オレが、思っているだけかもしれないけれども、結果的に、伸明さんは、五井家当主になり、今は、父の重方(しげかた)を、五井家から、追放して、五井家で、当主としての、実績を作ろうとしている…」
「…」
「…つまり、結果だけ見れば、すべて、伸明さんに、追い風が吹いている…」
「…」
「…これは、一体どうしてだ? …偶然か? それとも…」
後は、なにも、言わなかった…
言葉を飲み込んだ…
偶然ではないと、言いたかったのだろう…
それは、誰にでも、わかった…
もちろん、私にも…
そして、それ以上は、冬馬は、なにも言わなかった…
黙って、ハンドルを握っていた…
私は、さらに、
…なぜ、そう思うのか?…
聞きたかったが、それどころではなかった…
車内が、ピリピリしていた…
とても、冬馬に気安く話しかけられる雰囲気ではなかった…
私は、仕方なく黙っていた…
普通に、考えて、冬馬の父、重方(しげかた)が、五井家から、完全に、追放されたのが、許せないのだろうと、思った…
冬馬は、重方(しげかた)の血が繋がった息子ではないが、育ての父…
それが、伸明に追放された…
だから、どうしても、重方(しげかた)の肩を持つのかもしれない…
以前は、冬馬は、明らかに、重方(しげかた)を、嫌っていた…
そして、伸明を真逆に好いていた…
これは、伸明も同じだった…
冬馬は、五井家で、嫌われ者…
にもかかわらず、伸明は、冬馬を好いていた…
それは、以前は、謎だったが、冬馬が、伸明の血の繋がった弟であると、知って、納得がいった…
と、ここまで、考えて、気付いた…
だとしたら、冬馬は、その事実を知っているのだろうか?
自分が、伸明の血が繋がった弟であることを、知っているのだろうか?
考えた…
が、
当たり前だが、そんなことを、今、冬馬に聞くことはできない…
私は、ただ、黙って、真っ赤なベンツの助手席に座っていた…
クルマは、走り続けた…
やがて、クルマは、目的地に着いた…
「…さあ、着きました…」
冬馬が、言う…
「…降りましょう…」
私は、冬馬に促されて、真っ赤なベンツから、降りた…
そこは、墓地だった…
墓地の駐車場だった…
「…ここは、墓地…五井家じゃ…」
私は、思わず、文句を言った…
「…いえ、五井家です…五井家の墓地…」
そう言って、スタスタと、冬馬は歩き出した…
私は、黙って、歩き出す冬馬の背中を追って、歩き出した…
そして、なんとなく、以前、この墓地にやって来たような気がした…
たしかに、そんな気がした…
私は、周囲の墓を見ながら、そんなことを、考えた…
すると、ふと、思いついた…
ここは、以前、深夜に伸明と来たところだと、思い出した…
深夜に伸明に、呼び出され、この墓地で、伸明とキスをした…
いや、
正確には、この墓地にある、建造の墓の前で、キスをした…
それを思い出した…
ということは?
ということは、どうだ?
やはり、冬馬は、あの建造の墓の前に、私を連れてゆくのだろうか?
ふと、思った…
伸明同様、建造の墓の前に、私を連れてゆくのだろうか?
考えた…
そう思いながら、無言で、冬馬の後について、歩いた…
「…やっと、着いた…」
冬馬が、呟く…
その到着地は、やはり、あの建造の墓だった…
「…ここは、建造さんの…」
私が、呟くと、いきなり、冬馬が私を抱き締めた…
ビックリした…
「…一体、なにを?…」
あまりにも、突然、私を抱き締めるので、抵抗しようがなかった…
私は、身長が160センチ…
片や、冬馬は、180センチ…
20センチも差がある…
それが、いきなり抱き締められたものだから、抵抗のしようがなかった…
まるで、大柄な熊かなにかに抱き締められたようなものだ…
そして、冬馬が、私の耳元で、囁いた…
「…寿綾乃…アンタを伸明さんから、奪ってみせる…」
と…
私の頭の中が、真っ白になった…