第76話

文字数 6,138文字

 …バカな女…

 あらためて、自分自身を思った…

 ホント、救いようのない大馬鹿…

 考えれば、考えるほど、落ち込んだ…

 と、

 そのときだった…

 「…伸明クン…」

 と、重方(しげかた)が、声をかけた…

 「…キミは、今、勝利したと思っているようだけれども、世の中、そんなに、甘くはないよ…」

 「…どういうことですか?…」

 「…大場小太郎…」

 いきなり、国会議員の名前を出した…

 「…大場センセイ…重方(しげかた)叔父の、派閥の長だった?…」

 「…彼の側近が誰だか、知っているか?…」

 「…それは、重方(しげかた)叔父…アナタじゃ…」

 「…高雄組組長…」

 いきなり、言った…

 「…山田会の有力幹部だ…」

 私は、その名前を聞いて、思い出した…

 たしか、その人物は、今、警察に事情聴取されていると、テレビか、ネットで見た…

 いや、

 その人物の聴取に関して、この菊池重方(しげかた)の名前が出たから、大騒ぎになったのではないか?

 私は、思い出した…

 「…その人物が、一体、なにか?…」

 伸明が、口を開く…

 「…山田会の高雄組組長と、大場小太郎は、表裏一体だ…」

 「…表裏一体?…」

 「…大物政治家が、大場小太郎ならば、大物ヤクザが、高雄組組長…彼らは、大げさに、いえば、一心同体…」

 「…重方(しげかた)叔父…一体、なにが、言いたいんですか?…」

 「…このままでは、五井は、食い物にされるということだ…」

 「…どうして、食い物に?…」

 「…昭子姉さん…彼女は、大場小太郎と親しい…」

 「…」

 「…だが、昭子姉さんは、大場小太郎の裏の顔を知らない…」

 「…裏の顔って、なんですか?…」

 「…山田会との関係だ…」

 「…関係って、どんな?…」

 「…山田会は、大場小太郎の私兵だ…」

 「…私兵? …どういうことですか?…」

 「…大場小太郎は、大物政治家が表の顔なら、裏の顔は、高雄組組長だ…彼らは、まるで、仲の良い兄弟のように、過ごしている…」

 「…どうして、大場センセイは、そんな大物ヤクザと親しいんですか?…」

 「…それは、ボクにも、わからない…」

 「…」

 「…ただ…」

 「…ただ、なんですか?…」

 「…大場センセイは、代々政治家の家系…父も国会議員だった…」

 「…それが、なにか?…」

 「…その父が、国家公安委員長をしていて、ヤクザの監視が、ひとつの仕事だった…」

 「…ヤクザの監視?…」

 「…そうだ…ただし、今の時代と違い、監視といっても、直接、膝を交えて、話すこともあったそうだ…」

 「…」

 「…ちょうど、警察の暴力団担当の刑事…いわゆるマル暴が、ヤクザと仲良く酒を飲んで、情報を取る時代だった…だから、それもありの時代だった…」

 「…」

 「…だから、それが、本当か、どうかは、わからないが、傍から見れば、大げさにいえば、彼らは、家族だった…」

 「…家族…」

 「…それほど、親しかったということだ…」

 「…」

 「…そして、昭子姉さんは、その事実を知らない…」

 「…叔父さん…一体、なにが、言いたいんですか?…」

 伸明が、苛立った…

 「…つまりは、五井が食い物にされるかもしれないということだ…」

 「…食い物?…」

 「…高雄組組長は、経済ヤクザだ…その経済ヤクザが、大場小太郎の背後にいる…」

 「…」

 「…そんな中、ボクのことで、昭子姉さんが、大場センセイにアレコレ、頼み込めば、いずれ、五井は、大場センセイに、取り込まれる…」

 「…」

 「…大場センセイは、昭子姉さんに、いずれ、高雄組組長を紹介するだろう…いや、すでにしているかもしれない…」

 「…」

 「…そして、それをきっかけに、五井に食い込んでくるだろう…最初は、例えば、五井建設の5次下請け、6次下請けの仕事を請け負うだけかもしれない…が、気が付けば、いつのまにか、高雄組組長の息のかかった人間ばかりになり、いつのまにか、五井建設は、事実上、高雄組の支配下に置かれる…」

 重方(しげかた)が、熱心に、説明する…

 が、

 しかし、伸明は、その重方(しげかた)に冷淡だった…

 「…脅しですか?…」

 「…脅し? …冗談じゃない!…」

 重方(しげかた)が、叫んだ…

 「…現実だ!…」

 「…だったら、重方(しげかた)叔父、アナタは、どうして、そんなヤクザと交流を持ったんですか?…」

 「…知りたかったんだ…」

 「…なにを、知りたかったんですか?…」

 「…大場小太郎との関係を、だ…」

 「…どうして?…」

 「…ボクが、菊池派を立ち上げるとしたら、大場小太郎との対決は避けられない…極めて、関係が悪化するのは、避けられない…だから、大場小太郎の影の力というか…どうして、あそこまで、大場小太郎と、高雄組組長が親しいのか、知りたかった…」

 「…」

 「…だから、彼と交流を持った…」

 「…」

 「…だが、大場小太郎は、ボクよりも一枚も二枚も上手だった…ボクが、高雄組組長に接触している情報を掴むと、すぐに、マスコミに流した…自分は、もっと、どっぷりと、高雄組組長と、仲がいいくせにね…」

 重方(しげかた)が、笑う…

 私は、それを聞きながら、ただ、驚愕した…

 五井家の人間であり、国会議員でもある、菊池重方(しげかた)が、堂々と、ヤクザと交流があることを、告げたことが、驚きだった…

 なぜなら、ヤクザに食い物にされるかも、しれないからだ…

 ただの一般人ならば、まだしも、菊池重方(しげかた)は、お金持ち…

 五井家の人間だ…

 下手にヤクザに関わって、食い物にされると、思わなかったのだろうか?

 疑問だった…

 が、

 伸明は、違った…

 私とは、違う受け取り方をした…

 「…つまりは、脅しですか?…」

 「…脅し? …どういう意味だ? …伸明クン…」

 「…重方(しげかた)叔父は、要するに、自分になにか、すれば、その高雄組組長を筆頭としたヤクザが、五井に乗り込んでくると、言いたいんですか?…」

 伸明の言葉に、重方(しげかた)は、

 「…」

 と、沈黙した…

 それから、

 「…伸明クン…キミは…」

 と、悔しそうに、呟いた…

 「…キミは、そんなふうにしか、ボクの言葉を受け取れないのか?…」

 「…重方(しげかた)叔父…アナタが、なにをどう言っても、心に響きません…」

 伸明が、嘆息する…

 「…アナタは、五井を食い物にしてきた…さんざん、五井の金を使って、選挙に出て、五井の金を無駄に使った…それを考えれば、どんなことを言おうと、追放するしか、ありません…」

 「…追放?…それは、結構…」

 重方(しげかた)が、笑った…

 「…ただ、ボクは、五井の破滅を見たくないだけだ…」

 「…破滅?…」

 「…昭子姉さんも、和子姉さんも、甘い…」

 「…どう甘いんですか?…」

 「…伸明クン…キミの目的だ…」

 「…ボクの目的?…」

 「…キミは、いずれ、昭子姉さんと、和子姉さんを、五井から追放するつもりだろう…」

 「…追放?…」

 思わず、私が、声を上げた…

 余りにも、意外な言葉だったからだ…

 「…どういう意味ですか?…」

 伸明が、笑った…

 しかし、その目は、真剣だった…

 笑ってなかった…

 「…父の建造さん…彼の意思だ…」

 「…父の意思?…」

 「…建造さんは、本当は、五井本家の独立を夢見ていた…分家の支援がなければ、本家だけでは、なにもできない…それが、嫌だったからだ…五井東家の人間を受け入れて、結婚しなければ、ならなかった自身の境遇が嫌だったんだろう…」

 「…」

 「…キミは、その建造さんの意思を受け継ごうとしている…いや、だから、本音では、分家に頼らない五井本家の確立を目指している…だから、そのためには、昭子姉さんも、和子姉さんも、邪魔なんだ…」

 たしかに、納得のできる説明だった…

 あの建造と、弟の義春は、嫌々、昭子、和子姉妹と、結婚したと言った…

 別に、昭子、和子姉妹が、嫌いだと言っているわけではない…

 五井本家に生まれて、自由に自分の好きな女と結婚できない環境が、嫌だったのだ…

 だから、分家に頼らない本家の確立が、建造の夢だった…

 だから、この伸明は、父の建造の夢を受け継いだということだ…

 「…ひとは、誰もが、自由ではない…」

 重方(しげかた)が、いきなり、言った…

 「…ボクは、たしかに、五井家の力を背景に、国会議員になった…だが、当たり前だが、自分の自由になったことなど、数えるほどだ…」

 「…重方(しげかた)叔父…一体、なにを、言いたいんですか?…」

 「…伸明クン…キミの目指す、五井の形だ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…キミは、おそらく、さっきも、言ったように、昭子姉さんも、和子姉さんも、排して、いずれは、キミを頂点とした、五井家を作りたいんだろう…昔で、いえば、五井家の専制君主になりたいんだろう…」

 「…」

 「…だが、それは、夢だ…」

 「…夢?…」

 「…仮に、キミが、思い描く、五井家の形になったとする…だが、どうだ? …キミの自由にならないことも、また、増えるに違いない…」

 「…」

 「…いや、増えると言ったのは、大げさかもしれないが、不満の種は、なくならない…」

 「…」

 「…キミは、五井家の当主、五井本家に生まれた…金持ちの家に生まれた…背も高く、ルックスもいい…だけれども、キミは、幸せだったかね?…」

 「…」

 「…幸せではないだろう…金持ちの家に生まれ、ルックスもいい…頭も一流…いわば、キミは、すべてを持って生まれてきた…」

 「…」

 「…にもかかわらず、子供のときから、キミを知っているが、決して、楽しそうに人生を送っているようには、見えなかった…」

 「…」

 「…むしろ、つまらなそうだった…」

 「…」

 「…それは、もしかしたら、幼いキミ自身が、建造さんの実子でないことに、薄々、気付いていたからかもしれない…子供というものは、大人が思った以上に、敏感だ…鋭い…だから、建造さんの、キミに対する態度や、昭子姉さんの、キミや、弟の秀樹クンに対する態度で、気付いていたのかもしれない…」

 「…」

 「…そして、それが、キミ自身のトラウマになっているのかもしれない…」

 「…」

 「…もしかしたら、キミは、誰も信じられないんじゃないか?…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…五井本家の力を強化する…それは、建造さんの夢だった…が、今のキミを見ていると、単に、建造さんの夢を叶えるだけでなく、自分自身の力を強化するために、動いているようにも、見える…」

 「…」

 「…この寿さんを見ていても、そう…」

 「…なにが、そうなんですか?…」

 「…この寿さんは、昭子姉さんや、和子姉さんと似ている…」

 「…」

 「…キミが、もし、この寿さんを、利用したとしたら、それは、昭子姉さんや、和子姉さんに対する、複雑な感情が、入り混じっているように、思える…」

 「…複雑な感情? …どんな感情ですか?…」

 「…自分が、建造さんの血を引いてないことに、恨む気持ち…」

 「…」

 「…また、頼りがいのある、母親や叔母に対する憧れや嫉妬…」

 「…」

 「…それが、チリに積もって、とりわけ、昭子姉さんに、キミは、複雑な感情を抱いているように見えた…そして、この寿さんは、昭子姉さんと、キャラが似ている…」

 「…」

 「…だから、キミが、この寿さんに、こだわるのは、姉の昭子に対する、憧れと嫉妬が、入り混じっているようにも、見えた…」

 「…」

 「…キミは、今、この寿さんを、利用して、申し訳ないようなことを、言ったが、それは、キミの本心かもしれないが、同時に、それは、本心じゃない…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…キミは、この寿さんが、好きなんだよ…憧れと同時に、反発している…ちょうど、母の昭子姉さんに憧れと、反発をしているのと、同じにね…」

 「…それは、重方(しげかた)叔父の見方です…」

 「…それは、そうかもしれない…」

 「…」

 「…だけれども、伸明クン、これだけは、覚えていて欲しい…一度失ったものは、二度と取り戻せないということだ…」

 「…」

 「…キミが、寿さんを、捨てるような真似をするのはいい…でも、それでは、二度と、この寿さんは、キミの手に戻らないよ…」

 「…」

 「…仮に、戻っても、これまでのようには、いかない…キミに対する不信ができる…だから、二度と、以前のような関係には、戻れない…それを、肝に銘じておくことだ…」

 菊池重方(しげかた)の言葉に、伸明は、

 「…」

 と、言葉もなかった…

 その後、四人とも、気まずくなって、まもなく、そのカフェを出た…

 私は、頭に来たが、同時に、吹っ切れた気分だった…

 億万長者の諏訪野伸明が、そもそも、真剣に私と結婚しようと考えていたと、思っていた方が、おかしい…

 なにか、別の理由がある…

 なにか、別の目的がある…

 そう、考えるべきだった…

 思えば、それが、私の甘さというか…

 ハッキリ言えば、自分のバカさ加減だった…

 私と別れるときに、伸明が、キチンと、腰を折って、

 「…寿さん…今回の件は、本当に申し訳ありませんでした…」

 と、私に詫びたが、私は、振り向かなかった…

 伸明を一瞥しただけだった…

 我ながら、子供っぽいとも思ったが、やはり、伸明に含むものは、あった…

 簡単に、

 「…ハイ…そうですか?…」

 と、許すわけには、いかなかった…

 これは、誰でも、同じだろう…

 単純に、利用されたのが、わかって、

 「…ああ…そうだったんですか…」

 と、納得のできる人間は、いない…

 男も女も、老いも、若きも皆、同じだろう…

 私は、丁寧に、腰を折って、私に、詫びる伸明を、その場に置き去りにして、歩いた…

 そして、それが、この日の別れだった…

 菊池重方(しげかた)と、娘の佐藤ナナの父娘は、どうしたのか、知らない…

 店を出たときに、すでに、別方向に歩き去った…

 本当は、伸明よりも、重方(しげかた)や、佐藤ナナと、もっと話したかった…

 伸明が、私を利用したことを、知ったときに、落胆は、したが、ホッとした気持ちも強かった…

 だから、伸明に未練はなかった…

 いや、

 それを言えば、最初から、私が、伸明に関心があったか、どうか、怪しい…

 恋かもしれない…

 違うかもしれない…

 恋であるならば、きっと、誰もが、相手のことを考える…

 相手が、自分をどう思っているかどうか?

 あるいは、

 その相手が、どんな家に住み、どんな家庭に育ったか?

 知りたくなる…

 が、

 私には、それが、一切なかった…

 だから、会うといっても、伸明の一方通行…

 決して、私が、伸明の自宅に招かれることもない…

 だから、冷静に考えれば、そのときに、気付くべきだった…

 そもそも、最初から、伸明は、私を結婚相手として、見ていなかった…

 その事実に、気付くべきだった…

 結婚相手として、見ていれば、当然、自宅に招き、父や母に紹介する…

 それが、当たり前だ…

 それがない以上、結婚に真剣ではない…

 あるいは、

 結婚するかもと、見せかけているに過ぎない…

 その事実に気付くべきだった…

 我ながら、お馬鹿さん…

 救いようのないお馬鹿さんだった…

                
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